Sherlock Holmes Museum : Photo by givingnot@rocketmail.com

ロンドン聖地巡礼「シャーロック・ホームズ」(準備編)

バスカヴィル家の犬 The Hound of the Baskervilles

『バスカヴィル家の犬』について


(『バスカヴィル家の犬』初版本 from Wikipedia )

本書は、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズ3本目の長編小説です。初めて出版されたのは、『ストランド』誌で、1901年8月号から1902年4月号まで連載され、1902年3月にロンドンのジョージ・ニューンズ社から単行本が刊行されました(上の写真を参照)。

ドイルは本書の基本的アイディアを友人であるフレッチャー・ロビンスンから得て、ストランド誌の編集長であるグリノー・スミス氏にロビンソンと共著で小説を掲載できないかどうか打診しました。また、小説の舞台となったデヴォンシャー州ダートムーアでロビンソンとともに現地調査も行っています。その過程で、小説の中心人物としてシャーロック・ホームズを久しぶりに起用するという着想も得ました。しかし、ストランド誌の編集長はロビンスンを共著者とすることに否定的でした。そこで、ドイルはストランド誌に対し、1000語あたり100ポンドという破格の原稿料を要求し、取り分の3分の1をロビンソンに渡すことにしたようです(Lycett,2007)。

ドイルが『バスカヴィル家の犬』の着想を得て、ロビンソンとともに、物語の構想を膨らませていった様子は、日本語版『シャーロックホームズ全集』の解説に次のように書かれています。

ロイヤル・リンクス・ホテルで、ある底冷えのする日曜日の午後、北海をふく流れ、炉の火がふたりの居室に燃えていたときに、ロビンスンがダートムアの伝説や土地の雰囲気を語り始めた。ドイルの想像はとくに幽霊犬の話にあおり立てられたのである。ドイルのクローマー滞在はわずか四日間にすぎず、ドイルはロンドンへ帰らねばならなかった。しかし彼は幽霊犬の物語にすっかり夢中になって、ロビンスンと共に、生きた肉体をそなえた幽霊犬に憑かれたデヴォンシャーの一家についてのセンセーショナルな物語のプロットを考え、その荒筋まで作り上げていたのである。
(鈴木幸夫『バスカヴィル家の犬』解説より)

ちなみに、ジョージ・ニューンズ社から刊行された単行本の冒頭には、次のような謝辞が掲げられていました。

MY DEAR ROBINSON,

It was your account of a West-Country legend that this tale owes its inception. For this and for your help in all the details all thanks.

Yours most truly,
A.Conan Doyle.

日本語訳:

親愛なるロビンソン

この物語の発端になったのは、あなたが話してくれたイングランド西部地方の伝説からです。このことに対し、また物語の細部に至るまで、あなたのご助力に心から感謝いたします。

敬愛をこめて
A.コナン・ドイル

(『バスカヴィル家の犬』に登場するロンドン市内のスポット)

モーティマー博士についての推理

それはシャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝で消息を絶つ3年前のことでした。ある朝、いつもより早く起きたホームズは朝食の席に着いていました。ワトソンは、前夜二人が留守中に訪問してきた依頼人が忘れていったステッキを手にとっていました。ステッキには「王立外科医学会会員ジェームズ・モーティマーへ、C.C.H.の友人たちより」という文字が刻まれていました。

ホームズは、ワトソンにそのステッキから、持ち主を判断してみないかと持ちかけました。ワトソンはこう推理しました。「ある程度の年配で、評判のいい成功した医者だ。また、田舎で開業しており、往診で始終歩き回っている。」


(ホームズはステッキを拡大鏡で入念に調べた
Illustration by Sydney Paget)

ここまでの推理は大体当たっていました。ホームズはステッキを窓際に持って行き、拡大鏡を使ってさらに念入りに調べました。

  "I am afraid, my dear Watson, that most of your conclusions were erroneous. When I said that you stimulated me I meant, to be frank, that in noting your fallacies I was occasionally guided towards the truth. Not that you are entirely wrong in this instance. The man is certainly a country practitioner. And he walks a good deal."
  "Then I was right."
  "To that extent."
  "But that was all."
  "No, no, my dear Watson, not all—by no means all. I would suggest, for example, that a presentation to a doctor is more likely to come from a hospital than from a hunt, and that when the initials 'C.C.' are placed before that hospital the words' Charing Cross' very naturally suggest themselves."

(from Conan Doyle, "The Hound of the Baskervilles")

残念だがね、ワトソン、君の出した結論は大部分が間違っている。君はぼくを刺激してくれたと言ったが、率直に言うと、君の間違った点に注目することで、ぼくはしばしば真理にたどりつくことができるという意味なんだよ。この男はたしかに田舎の開業医だ。そして、彼はかなりの距離を歩いている。」
「それでは、ぼくは正しかったということじゃないか。」
「そこまではね、」
「しかし、それで全部だろう。」
「いやいや、ワトソン、全部というわけでは決してない。例えば、この医師への贈り物は狩猟協会からよりも、病院からのものである可能性の方が高い。そして、C.C.というイニシャルがその病院の前に来ていることからすると、「Charing Cross」という言葉が自然に浮かんでくる。

そして、ホームズは、モーティマー博士が病院勤務をやめて開業するときに、この贈り物をもらったのだ、と推理しました。ワトソン博士が手元の医師年鑑を調べてみたところ、モーティマーについては次のような記述がありました。

"Mortimer, James, M.R.C.S., 1882, Grimpen, Dartmoor, Devon. House-surgeon, from 1882 to 1884, at Charing Cross Hospital. Winner of the Jackson Prize for Comparative Pathology, with essay entitled 'Is Disease a Reversion?' Corresponding member of the Swedish Pathological Society. Author of 'Some Freaks of Atavism' (Lancet 1882). 'Do We Progress?' (Journal of Psychology, March, 1883). Medical Officer for the parishes of Grimpen, Thorsley, and High Barrow."

(from Conan Doyle, "The Hound of the Baskervilles")

James Mortimer (ジェームズ・モーティマー)
1882年より王立外科医学会会員。デヴォン州ダートムア、グリンペン在住。1882年から1884年までチャリング・クロス病院(地図の)で院内外科医として勤務。「疾病は隔世遺伝か?」という論文で比較病理学のジャクソン賞を受賞。スウェーデン病理学会の通信会員。著書に『隔世遺伝によるいくつかの奇形』『われわれは進歩しているか?』がある。グリンペン、ソースレイ、ハイ・バロウ教区の医官。

やがて、当の本人が姿を現しました。ステッキをみて大喜びしました。なんでも、結婚祝いにもらったとのことでした。ホームズの推理とは若干違っていました。


(モーティマー博士はホームズの手にあるステッキに目をやった。
Illustration by Sydney Paget )

パスカヴィル家の呪い

この小説の主な舞台は、イングランド南西部のデヴォンシャーのダートムア地域です。ロンドンからは南西方向のかなり離れたところに位置しています。ここで複雑怪奇な殺人事件が発生したのです。

(殺人事件の起こったダートムア地域 23

本ブログのテーマは、ロンドン市内のシャーロック・ホームズ関連スポットを、小説の筋に沿って紹介することにあります。したがって、ここではダートムアでの出来事についての記述は最小限に押さえ、主にロンドンでの出来事をWP Google Mapsで追跡することにしたいと思います。

モーティマー氏がホームズのもとに持ち込んだ事件とは、ダートムアで親しくしていたチャールズ・バスカヴィル卿の怪死でした。モーティマーはバスカヴィル家に伝わる伝説について記した古文書をホームズに見せました。それは、次のような恐るべき出来事を記録したものでした。「先祖のヒューゴー・バスカヴィルは性悪な人間で、あるとき近隣に住む娘に恋をしたが、娘がこれを拒否したため、仲間を引き連れて娘を強引に連れ出し、館に監禁した。娘は恐怖に耐えきれず、すきをみて逃げ出したが、これに気づいたヒューゴーは、犬を放って娘を追跡した。娘は崖から転落して死んでいるのが発見されたが、驚くべきことに、その横でヒューゴーが倒れており、身の毛のよだつような巨大な魔犬がのどを食いちぎっていたのである。」


(ヒューゴー・バスカヴィルを殺害した魔犬の伝説
Illustration by Sydney Paget )

怪死したチャールズ卿は、バスカヴィル家に伝わるこの恐ろしい伝説を信じていました。そのチャールズ卿が、ロンドンに出かける前夜、散歩に出たまま帰らず、恐怖の形相をした遺体で発見されたのでした。

ホームズは、この怪事件に痛く興味をそそられ、さっそく調査を開始しました。現地に行く前に、ロンドン市内の「スタンフォード」という地図店(地図の)でダートムアの地図を買い求め、事件現場を詳しく調べました。

ヘンリー・バスカヴィル卿の来訪

翌日、チャールズ卿死去に伴って、莫大な遺産の唯一の相続人であるヘンリー・バスカヴィル卿がカナダからロンドンに到着し、モーティマー医師とともにホームズを訪れました。


(ヘンリー・バスカヴィル卿 Illustration by Sydney Paget

ヘンリー卿は、ロンドン到着早々、奇妙な出来事に遭遇していました。宿泊先のノーサンバーランド・ホテル(地図の)に匿名の手紙が届いていたのです。

He laid an envelope upon the table, and we all bent over it. It was of common quality, greyish in colour. The address, "Sir Henry Baskerville, Northumberland Hotel," was printed in rough characters; the postmark "Charing Cross," and the date of posting the preceding evening.
"Who knew that you were going to the Northumberland Hotel?" asked Holmes, glancing keenly across at our visitor.
"No one could have known. We only decided after I met Dr. Mortimer."
"But Dr. Mortimer was no doubt already stopping there?"
"No, I had been staying with a friend," said the doctor. "There was no possible indication that we intended to go to this hotel."
"Hum! Someone seems to be very deeply interested in your movements." Out of the envelope he took a half-sheet of foolscap paper folded into four. This he opened and spread flat upon the table. Across the middle of it a single sentence had been formed by the expedient of pasting printed words upon it. It ran: "As you value your life or your reason keep away from the moor." The word "moor" only was printed in ink.

(from Conan Doyle, "The Hound of the Baskervilles")

単語と意味:

foolscapexpedient
フールスキャップ判の紙(約43×34cm)
急場しのぎの方法、方便

日本語訳:

彼は封筒を机の上に置き、私たちは全員身を乗り出した。それは灰色が買った普通紙だった。「ノーサンバーランド。ホテル、ヘンリー・バスカイル卿」という宛名が乱暴な字で印刷されていた。消印は「チャリング・クロス」となっており、投函の日付は前日夜になっていた。「あなたがノーサンバーランド・ホテルに泊まることを誰か知っていましたか?」とホームズは訪問者を鋭く見ながら尋ねた。
「だれも知っているはずはありません。私たちはモーティマー博士と会ってから決めたんですから。」
「しかし、モーティマー博士はその前にホーテルに立ち寄ったのではありませんか?」
「いいえ、私はどの前はさる友人のところにいましたから。」と医師は言った。「私たちがこのホテルに行くことを示す証拠はまったくありません。」
「フム!だれかがあなたの行動について非常に強い関心を持っているようですね。」
ホームズは、封筒の中からフールスキャプ判の判サイズの4つ折りの紙を取り出した。これを机の上に平らに広げた。紙の中ほどに、のりで貼り付けた活字で急場しのぎで作った文章が1列に並んでいた。それは次のような文だった。「あなたがご自分の生命または理性を尊重するならば、ムーアから立ち去れたし。」「moor」という字だけが手書きで印字されていた。

ホームズは、この書状が『タイムズ』という新聞の論説欄からの切り貼りであり、チャリング・クロス周辺のホテルで作られたものだ、と推理しました。後に、この書状は犯人の妻が投函した警告状だったことが判明します。また、のちの調査によって、犯人とその妻が投宿したホテルは、クレイヴァン街(地図の19
)のメクスバラというプライベート・ホテルであることわわかりました。ヘンリー卿とモーティマー医師はホテルに戻り、午後2時にホームズらとホテルで昼食をとることを約束しました。

ヘンリー卿らが出て行くと、ホームズはワトソンとともに、彼らのあとを尾行しました。そこで、探していた男(実は犯人だと後に判明)と遭遇します。

  He quickened his pace until we had decreased the distance which divided us by about half. Then, still keeping a hundred yards behind, we followed into Oxford Street and so down Regent Street. Once our friends stopped and stared into a shop window, upon which Holmes did the same.
 An instant afterwards he gave a little cry of satisfaction, and, following the direction of his eager eyes, I saw that a hansom cab with a man inside which had halted on the other side of the street was now proceeding slowly onward again. 
  "There's our man, Watson! Come along! We'll have a good look at him, if we can do no more."
 At that instant I was aware of a bushy black beard and a pair of piercing eyes turned upon us through the side window of the cab. Instantly the trapdoor at the top flew up, something was screamed to the driver, and the cab flew madly off down Regent Street. Holmes looked eagerly round for another, but no empty one was in sight. Then he dashed in wild pursuit amid the stream of the traffic, but the start was too great, and already the cab was out of sight.

 

(あの男だ、ワトソン!さあ行こう。
Illustration by Sydney Paget )

このことで、バスカヴィルがロンドンに着いて以来、何物かにつけまわっされていたことがはっきりしました。ホームズらは馬車の追跡をあきらめ、ノーサンバーランド・ホテル(地図の7)に向かいました。ホテルに入り、2階に上ってゆくと、怒りに震えるバスカヴィルが待っていました。

As we came round the top of the stairs we had run up against Sir Henry Baskerville himself. His face was flushed with anger, and he held an old and dusty boot in one of his hands. So furious was he that he was hardly articulate, and when he did speak it was in a much broader and more Western dialect than any which we had heard from him in the morning.
 "Seems to me they are playing me for a sucker in this hotel," he cried. "They'll find they've started in to monkey with the wrong man unless they are careful. By thunder, if that chap can't find my missing boot there will be trouble. I can take a joke with the best, Mr. Holmes, but they've got a bit over the mark this time."
"Still looking for your boot?"
 "Yes, sir, and mean to find it."
 "But, surely, you said that it was a new brown boot?"
 "So it was, sir. And now it's an old black one."

 


(ヘンリー卿は古くて汚れたブーツを手にしていた
Illustration by Sydney Paget )

ヘンリー卿の靴を盗んだのは、チャールズ卿殺害の犯人でした。犬を使った恐るべき犯罪計画の一環だったことが、後に判明します。

ホームズは、バスカヴィル卿を尾行していた辻馬車の御者を見つけ、問いただしました。この御者はジョン・クレイトンと言い、馬車溜まりはウォータールー駅近くのシプリーズ(地図の14
)でした。ホームズがクレイトンに、けさ10時にベイカー街からリージェント街まで乗せた客について聞くと、御者はこう答えました。

 "The truth is that the gentleman told me that he was a detective and that I was to say nothing about him to anyone." "My good fellow, this is a very serious business, and you may find yourself in a pretty bad position if you try to hide anything from me. You say that your fare told you that he was a detective?"
 "Yes, he did."
 "When did he say this?"
 "When he left me."
 "Did he say anything more?"
 "He mentioned his name."
  Holmes cast a swift glance of triumph at me. "Oh, he mentioned his name, did he? That was imprudent. What was the name that he mentioned?"
 "His name," said the cabman, "was Mr. Sherlock Holmes."

その御者が乗せた客は、自分が私立探偵だと名乗り、しかも、名前を「シャーロック・ホームズ」と名乗っていたのでした。この不気味な尾行者の不敵な行為にホームズは一瞬言葉を失いました。


(御者は言った。「彼の名前はシャーロック・ホームズ氏でした」
Illustration by Sydney Paget )

バスカヴィル館の攻防

ヘンリー卿はデヴォンシャーのパスカヴィル館に行くことになりましたが、同行者が必要だということになり、ホームズの推薦でワトソン博士が引き受けることになりました。そして、土曜日にパディントン駅発10時30分発の列車(地図の13)で落ち合うことになりました。

バスカヴィルでは、執事のバリモアと妻が出迎えました。バリモアは深夜に不審な行動をとり、ワトソンとヘンリー卿によって現場を押さえられますが、事件とは無関係であることがわかりました。

翌日、ワトソンが道を歩いていると、ステープルトンと名乗る男が声をかけてきました。この男は、近所の「メリピット荘」に妹と二人で住んでいると言い、ワトソンを自宅に招きました。このステープルトンこそは、恐るべき殺人事件の犯人だったのですが、ここから先は本ブログの守備範囲を超えますので、省略したいと思います。真犯人を突き止め、魔犬があわやヘンリー卿を殺害したかと思われる陰惨なシーン、ステープルトン兄妹の葛藤、ヘンリー卿とステープルトン嬢の交流、ホームズの秘かな捜索活動、ステープルトンの悲壮な最期など、見所満載のスリリングなサスペンスが続きます。「パスカヴィルの犬」は、ホームズが扱った数多くのケースの中でもっとも難解で複雑な事件だったといえるかもしれません。詳しくは小説をごらんください。


(ホームズは、ヘンリー卿に襲いかかる巨大な犬を射殺した。
Illustration by Sydney Paget )

(『バスカヴィルの犬』 おわり)

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