本論文の目的は、過去50年にわたる研究生活を振り返り、特にメディア効果論に関わる実証的研究に、私自身がどのような問題意識をもって取り組んできたかという視点から回顧的に総括することにある。私自身は特定のメディア効果論だけを専門的に研究してきたわけではなく、複数のメディア効果論の研究に積極的に関わり、日本におけるメディア効果論の発展に一定の貢献をすることができたのではないかと考えている。ただし、当然のことながら、すべての効果論に関わったわけではないので、以下の総括的議論も、メディア効果論の包括的なレビューになっているわけではなく、私自身が特に深い思い入れをもって取り組んできた理論に限定したことをあらかじめお断りしたいと思う。
なお、本稿は、2024年12月7日に東京大学情報学環大学院関谷直也ゼミで予定されている筆者の講義のために準備したものである。
第1部 強力効果論 VS 限定効果論
メディア効果論は、その最初から、「認知面の効果」「行動面の効果」という2つの軸で展開していたことに注目する必要がある。その出発点はリップマンの「世論」とキャントリルの「火星からの侵入」に見出される。すなわち、認知面では「擬似環境」(環境イメージの形成、小文字の世論)「ステレオタイプ」、行動面では「大文字の世論」「プロパガンダ」「パニック」という視点から論じられていた。
ただし、リップマンに欠けていた視点が一つあった。それは、オーディエンス(大衆)が本来持つ「情報リテラシー」である。そのことをデューイは同時代にあって鋭く批判していた。また、「火星人襲来パニック」を研究したCantrilら、いち早く「批判能力」の発揮という視点から証明した。現在では、フェイクニュースに対する「情報リテラシー」の必要性という形で、多くの研究者が指摘するところである。「認知バイアス」の検知と克服においても、情報リテラシーが重要な役割を発揮するであろう。
もう一つ大切な視点は、メディア効果論の歴史の中で、それぞれの創始者が「どのような思い」で新しい理論をつくりあげたのか、という背景や経歴を常に考えてみるということである。例えば、リップマンの場合は、ジャーナリストやPR専門家としての活動、経歴、背景を知ること、LazarsfeldやHerzog、Cantrilの場合は、実証的な社会調査の手法を開発、推進したという経歴である。Gerbnerもまた、ジャーナリストという経歴を経て、培養理論を構想したという経歴があった。
メディア効果論の歴史的展開は、それぞれの理論が登場する「時代背景」「メディア環境」「研究者の経歴」という3つの大きな背景から必然的に生まれたことを忘れてはならない。
「余震情報パニック」から始まった筆者のメディア効果研究
私にとってのメディア効果論研究は、1978年1月18日に起こった「余震情報パニック」事件に始まったと言ってもいいだろう。1月19日の朝、満員の小田急線に乗っていた私は、読売新聞朝刊1面の「余震情報でパニック」という大見出しを見てびっくりし、「これこそ私が今研究すべきテーマだ」と直感した。早速、新聞研の大学院同級生の水野博介さん(現・埼玉大学名誉教授)と連絡をとり、一緒に研究することで合意しました。すぐに、地震予知研究会代表の岡部慶三教授の研究室に行き、ぜひ研究会として調査研究したいと申し出たのだった。
岡部教授はこの提案に全面的に賛同してくださり、調査費用については任せておけとおっしゃり、こうして、新聞研究所チームによる余震情報調査プロジェクトがスタートしたのだった。
ちょうど同じ頃、民間シンクタンクの未来工学研究所でも、吉井博明主任研究員をリーダーとして、静岡県協力の下、余震情報調査研究の準備が進められていた。そこで、両者がバッティングすることは好ましくないので、両者の間で研究の調整が行われ、筆者ら新聞研のチームが未来研の調査員として協力する代わりに、静岡県沼津市、下田市における新聞研の調査研究は東大新聞研チームが独自に発表することになった。このような分業の結果、静岡県の発表した余震情報がどのようなルートを経て「地震予知情報ないし警報」という流言に変容していったのか、という「地震警報流言」調査の全容は未来研が発表し、余震情報に対する住民の反応を中心とする調査結果は、新聞研が独自に発表することになった。
メディア効果論に関わる実証研究は、新聞研チームの沼津調査、下田調査によって実施されることになり、これが実際にはメディア効果論の領域で大きな成果を生むことになったのである。
当初、余震情報によって住民の間に大きなパニックが起こったと信じられていたのだが、調査の結果、パニックはほとんど起こっていなかったことが明らかになった。また、キャントリルが「火星からの侵入」で明らかにした、住民の「批判能力」が余震情報パニックでもはっきりと確認された。これは、メディアの「強力効果」という神話を根本から突き崩すものであった。
以下、「余震情報パニック」沼津調査、下田調査で明らかになったことを述べる。
1. 余震情報発表、伝達の経緯
1978年1月14日に伊豆大島近海地震(M7.0)が発生したが、その4日後の1月18日に、静岡県災害対策本部より、最悪の場合、M6程度の余震が起きる可能性があるという「余震情報」が発表された。この余震情報は、同日1時30分に、災害対策本部より防災行政無線を通じて、県下市町村に伝えられた。また、午後1時40分には災害対策本部長の山本県知事が記者会見し、余震情報を発表し、静岡放送(SBS)では午後2時17分に、テレビとラジオでニュース速報を流した。さらに、午後2時頃に、静岡県災害対策本部より県消防防災課を経由して、プロパンガス協会など民間事業者団体の電話連絡網を通じて、余震情報が県の全域に伝えられた。このうち、事業者団体のルートから伝えられた余震情報は、伝達過程で「地震予知情報」ないし「地震警報」の流言となって、わずか数時間のうちに一般住民の間に広がることになった。
2. 「余震情報パニック」報道の実態
翌1月19日、主要全国紙と地元静岡県の新聞は、いっせいに「余震情報でパニックが生じた」と報じた。例えば、読売新聞は朝刊の1面トップで「余震情報」でパニック / テレビ速報→デマ走る / 住民が避難騒ぎ、という見出しで次のように伝えた。
(1978年1月19日『読売新聞』朝刊1面)
(1978年1月19日『朝日新聞』朝刊社会面)
読売新聞は、朝刊の1面トップで次のような記事を掲載した。
「余震情報」が地元民間放送のテレビのテロップや関係市町村の広報車、有線放送で流されたため、住民の不安心理が増幅され、「2時間以内に大地震が起きる」というデマ津波となって広がり、県や各市町村の災害対策本部や警察に問い合わせの電話が殺到、被災地の河津町などでは住民が一斉に外へ飛び出して避難するというパニック状態となった。騒ぎは夕方には収まったが、「余震情報」でパニックが起きたのは、初めてである。
また23面には、次のような関連記事を掲載した。
18日午後、静岡県災害対策本部が流した「余震情報」は、地震におびえていた地元の伊豆半島中南部ばかりか、県内の他市町村の住民まで騒ぎに巻き込んだ。県の災害対策本部、県警本部、国鉄静岡鉄道管理局は、すさまじい問い合わせの電話ラッシュ。被災地の河津町では家財道具を持ってどっと避難するなど、初の余震情報が不安と誤解をからませて、巨大なパニックに膨れ上がった。
河津町谷津、峰地区などでは、住民が家財道具を自動車に積んで広場やたんぼに避難、下田信用金庫河津支店では、午後2時過ぎ閉店した。町の中央にあるスーパーは、客も店員も避難して、店内はもぬけのカラ。ほとんどの住民が家を飛び出して毛布や食糧を手に右往左往するばかり。
他の新聞も似たり寄ったりで、余震情報が住民の間にパニックを引き起こしたという内容の記事がほとんどだった。こうした報道は、約40年前にアメリカでオーソン・ウェルズ演出によるラジオ・ドラマが「火星人来襲 (Invasion from Mars)」という虚報となって全米をパニック状態に陥れたと報じられた事件を彷彿とさせるものであった。筆者が思い浮かべたのもこの出来事であり、ぜひ調査したいと考えた理由も、その共通性にあったのである。
3. 沼津、下田市民調査の概要
沼津と下田を調査対象地にしたのは、未来工学研究所との間で取り決めた役割分担の結果であり、それ以上の意味はない。
調査方法:
1. 1月に実施した世帯留置調査
沼津市 | 下田市 | |
---|---|---|
調査方法 | 調査票個別配布 | 郵送回収 |
調査対象 | 香貫地区の200世帯 | 旧市街地区の300世帯 |
調査票配布時期 | 1978年1月24日 | 1978年1月23日 |
調査票回収数 | 97 | 162 |
回収率 | 48.5% | 54.0% |
2. 2月に実施した個人面接調査
調査時期 | 1978年2月10日〜19日 |
---|---|
調査対象者 | 沼津市香貫地区の5自治会区に在住する全世帯の主婦またはそれに準ずる者714名 |
調査方法 | 個人面接法 |
有効回収数 | 520(回収率72.8%) |
4. パニック反応の有無
「余震情報パニック」騒ぎがあった直後に沼津市及び下田市で実施した住民調査の結果は、マスコミ各社の報道とは全く異なるものであった。筆者らの調査チームが事件直後に、静岡県に入って、住民への聞き取り調査を行った結果を見ると、当日、情報を聞いてパニック状態に陥ったことを示す事例はほとんど見つからなかった。また、余震情報や地震予知流言に接触した住民の対応行動についてアンケート調査を実施したところ、「パニック」状態に陥って、適切な対応行動がとれなかったと思われる「混乱(状態)」にあった人は、下田と沼津でそれぞれ1人いたにすぎないことがわかった。多くの人は、「食料や水などを準備した」など避難準備をしたという程度にとどまっていた。実際に避難したという人も、下田で3人いただけだった。このように、行動レベルでパニックやそれに近い極端な行動をとった人はほとんどいなかった。これらは、社会学者N.スメルサーの定義する「ヒステリー的信念に基づく集合的逃走」とは程遠いものだった。
「火星からの侵入」事件の調査と再評価
1. 事件の概要
「余震情報パニック」報道で想起した40年前の「火星人襲来パニック」は、マスコミの「強大効果」の証拠として、メディア効果論において、しばしば言及されてきた。
1938年10月30日(日)午後8時、アメリカ3大ネットワークの一つ、CBSラジオでは、毎週恒例の「マーキュリー劇場」の放送が始まった。今回は、H.G.Wells原作の『宇宙戦争』(The War of the Worlds)のラジオドラマ脚色版を取り上げることになっていた。 しかし、この脚色は、ハロウィーン前夜にふさわしい、一風変わったストーリーに仕立てられていた。通常の番組にみせかけて、音楽や天気予報を流している間に、「臨時ニュース」を流し、あたかも火星人が地球に来襲し、アメリカ中心部に攻め込んできたかのような、実況中継を繰り返し流すという趣向のドラマだったのである。 主演および演出を務めたのは、当時23歳、売りだし中の若きオーソン・ウェルズ(Orson Welles)であった。
番組の冒頭、ウェルズはおごそかな口調で次のようなセリフから始めた。「20世紀前半の今日、われわれの世界は人類よりも頭脳明晰な生命から監視されているのです」。続いて、ドラマが始まるのだが、それは通常のラジオ番組のような雰囲気であった。天気予報が読み上げられたあと、アナウンサーが「それではみなさんをニューヨークのダウンタウンにあるホテル・パークプラザのメリディアン・ルームにご案内します。Ramon Raquelloと彼のオーケストラをお楽しみいただきましょう」と語りかけた。 しばらく後、通常の番組とは違った臨時ニュースが挿入された。「みなさん、ここでダンス音楽を中断して、「インターコンチネンタルラジオニュース(Intercontinental Radio News)からの臨時ニュースをお伝えします。8時20分前、イリノイ州シカゴにあるジェニングス山天文台のファレル教授が、火星で高温ガスが連続的に爆発しているとのレポートを発表しました」。このあと、番組はもとのダンス音楽の演奏に戻った。 その後、音楽はしばしば臨時ニュースによって中断されるようになり、火星の異常現象についての最新情報が次々と放送された。ニュースレポートは、プリンストン天文台に移り、「カール・フィリップ記者」が「リチャード・ピアソン教授」と、不可思議な天文学上の異常現象について語り合った。通常番組に戻ってからしばらくして、再び「インターコンチネンタルラジオニュース」が入り、アナウンサーがこう告げた。「みなさん、最新ニュースをお伝えします。午後8時50分、ニュージャージー州トレントンから22キロ離れたグローヴァーズミル(Grover's Mill)近郊の農場に、隕石と思われる巨大な燃える物体が落下しました。・・・」 再び通常の音楽が続いたあと、隕石墜落現場からの臨時ニュースが入ってきた。「隕石」と思われた物体は、「金属製の円筒型物体」と分かり、アナウンサーは、この金属物体から巨大な足が伸び、中から火星人と思われる異様な生物が現れ、光線銃から火炎放射を浴びせ始め、これに抵抗する人々を殺戮する様子を、効果音などを使って、緊迫感をもって伝えた。さらに、グローヴァーズミルの現場(ウィルマス農場)付近で、州兵6名を含む少なくとも40名が死亡したと伝え、さらなる惨事を次々に伝え続けた。「臨時ニュース」はますますエスカレートしていった。現場のアナウンサーは、ついに火星人の来襲を告げる。
火星からの侵入者は、次第にニューヨークへと向かい、多数の金属円筒型兵器が地上に落下し、米軍の攻撃を退けて、ニュージャージーだけではなく、バッファローやシカゴ、セントルイスなどにも進攻していることが報告された。火星人と州兵の激しい戦闘状況が、刻々と緊迫感をもって伝えられた。 この頃には、番組をドラマではなく、実際の臨時ニュースと勘違いした少なからぬリスナーが、これに驚き、車で避難したり、なかには自殺をはかった者もいたという。この放送の反響について、のちに詳しい実態調査を行ったキャントリルは、次のように表現している。
この放送が終了するずっと前から、合衆国中の人びとは、狂ったように祈ったり、泣き叫んだり、火星人による死から逃れようと逃げ惑ったりしていた。ある者は愛する者を救おうと駆け出し、ある人びとは電話で別れを告げたり、危険を知らせたりしていた。近所の人びとに知らせたり、新聞社や放送局から情報を得ようとしたり、救急車や警察のクルマを呼んだりしていた人びともあった。少なくとも6百万人がこの報道を聞き、そのなかで少なくとも百万人がおびえたり、不安に陥ったりしていた。(『火星からの侵入』邦訳47ページ)
しかし、キャントリルによるこの表現は、かなり誇張したもので、ラジオドラマの及ぼした影響は、後述するように、パニックとはかけ離れたものだった。
2. 新聞による「パニック」報道
翌日(10月31日)の新聞各紙は、CBSラジオドラマが引き起こした「パニック」について、センセーショナルに報道した。
たとえば、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、翌日の朝刊で、「Radio Listeners in Panic,Taking War Drama as Fact (ラジオ聴取者がパニックに:戦争ドラマを事実と勘違いして)」と題して、1面で大きく伝えた。
「昨夜午後8時15分から9時30分の間に、H.G.WellesのSF小説『宇宙戦争』のドラマ化が放送されたとき、何千人ものラジオ聴取者がマス・ヒステリー状態に陥った。何千人もの人々が、侵略した火星人との宇宙間戦争に巻き込まれ、彼らのまき散らす致死性ガスでニュージャージー州とニューヨークを破壊しつくしていると信じた。 家庭を混乱に陥れ、宗教礼拝を妨げ、交通渋滞を引き起こし、通信障害を招いたこの番組は、オーソン・ウェルズによって制作されたものである。今回の放送によって、少なくとも数十名の成人がショックとヒステリー症状で治療を受けることになった。 ニューアークでは、20以上の家族がウェットハンカチとタオルを顔にかけて家を飛び出し、毒ガス攻撃を受けたと思い込んだ地域から逃亡をはかった。家事道具を持ちだした者もいた。ニューヨーク中で多くの家族が家を後にし、近くの公園に避難した者もいた。数千人が警察や新聞社やラジオ局に電話をかけ、アメリカの他の都市やカナダでも、ガス攻撃への対策にアドバイスを求める人々が相次いだ。」
しかし、アメリカの新聞各社は、主にAP通信の伝える誇張された内容の報道を後追いしたもので、十分な取材をもとに製作してされたものではなかった。アメリカン大学教授のCambellは、全米の新聞36紙を詳細に分析した結果、「放送が大規模なパニックやヒステリーを引き起こしたとする主張は大きく誇張されていたことを発見した。新聞が広範なパニックやヒステリーとして描写していたものが、実際にはごく少数の、恐怖や動揺を感じた人々に関する逸話的なケースに基づいていることが明らかになった。これらの逸話は大規模なものではなく、個人やその家族、隣人の間で見られた興奮や奇妙な行動について述べものにすぎなかった。
Cambellによる分析の結果をまとめると、「パニック報道」の実態は、次のようなものだった。
- 「パニック」を煽るような新聞報道は、当時新興メディアとして広告の競争相手だったラジオを叩くための絶好の機会だと捉えた新聞業界の対抗策だった。そのために、新聞はラジオドラマが引き起こした「パニック」を誇張して報道したのである。
- ラジオドラマの舞台となったニューヨーク大都市圏やニュージャージー北部では、番組への反応が最も顕著だったため、多くの小規模な記録が新聞に掲載されたが、それらを合わせても、数万人または数十万人のリスナーが恐怖に陥ったりパニック状態になったという主張を裏付けるような記事ではなかった。
- その夜に大規模なパニックやヒステリーがなかったことは、続報が少なかったことによっても示唆されている。もし本当に全国的なパニックやヒステリーが発生していたなら、その後数日、さらには数週間にわたって、この異例な出来事の規模や影響についての詳細な報道が行われたはずである。しかし、ほとんどの新聞では、放送後1日か2日で報道は終息してしまった。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズなどの大新聞も、放送後2日間一面で取り上げただけだった。
- ニューヨークでは、「パニック」が最も詳細に報じられたが、個別的な事例を取り上げたにとどまり、全国的にパニックが広がったという証拠には言及されていなかった。例えば、タイムズの報道では、ブロンクスのルイス・ウィンクラーのような恐怖に陥った人々の個別のエピソードが強調されており、彼は番組を聴きながら「ほとんど心臓発作を起こしかけた」と語っていた。ショックを受けたものの、ウィンクラーは「他の多くの人と共に通りに飛び出し、あらゆる方向に人々が走っているのを見た」と述べた。また、ニューヨークの対岸にあるジャージーシティーの警察に「ガスマスクを分けてもらえないか」と問い合わせた人がいたことも報じられた。さらにタイムズは、マンハッタン北端のワシントンハイツの警察署に「敵の飛行機がハドソン川を越えている」と叫びながら駆け込んできた「恐怖で真っ白になった男」の話も伝えられた。一方で、同じ地域では、通りの角に集まって「空の『戦闘』を見ようと」期待する人々の集まりも報じられ、好奇心がパニックを上回っていた様子も伺えた。ニューヨークの警察署に通報してきた何人かは、「爆弾の煙が街に漂ってくるのを見た」と主張していた。ニューアークのスター・イーグル紙は「戦争の恐怖が全国、特にニュージャージー州の数十万人に襲いかかった」と放送について伝えたが、この大々的な主張を裏付ける証拠として、数人以上が関わった具体的な事例はわずか6件ほどしか挙げていなかった。
- 「宇宙戦争」ドラマがが放送されたのは東部標準時の日曜夜遅くで、ほとんどの新聞社の編集室にはスタッフが少ない時間帯だった。特に締め切りが深夜に設定されている朝刊に間に合うように放送の反応を取材することは、新聞社にとっては大きな問題だった。時間と人員が限られているため、多くの新聞社ではAP通信などの通信社に頼ることが不可欠となった。この依存がAP通信社から配信された広範なパニックの概念を広め、強化する結果となったのである。その夜のAP通信の報道は、基本的に全米各地のAP支局から集めた反応をまとめたものだった。通常、これらのまとめ記事は、詳細や深みよりも、各地からの簡潔で印象的な逸話的な報告に重きを置いていた。これらの逸話は概して簡略で浅薄、そして小規模なものだったものの、その広範な取り上げ方がその夜にパニックが広がっていたかのような印象を与えた。新聞が通信社のまとめ記事に依存していたため、放送が大規模なパニックを引き起こしたという共通認識が生まれたのである。
3. Cantrilらによる調査研究
ラジオドラマの「現場」からほど近くにある、プリンストン大学では、1937年からロックフェラー財団の助成により、Paul Lazarsfeldを主任とし、Frank StantonおよびHadley Cantrilを副主任として「ラジオ研究施設」が設立され、ラジオが聴取者に果たす役割についての調査研究が行われていた。この「ラジオ・パニック」事件は、当時ニューメディアであったラジオの及ぼす影響力を研究するための絶好のテーマと受け取られ、プリンストン・ラジオ・プロジェクトの一環として、キャントリルを中心に研究を進めることが決まった。その裏には、研究の影の推進役となったLazarsfeldの存在があったといわれる。
調査研究は、Cantrilを中心に行われ、1940年に、『火星からの侵入?パニックの心理学に関する研究』(The Invasion from Mars : A Study in the Psychology of Panic)として出版され、大きな反響を呼んだ。ある意味で、オーソン・ウェルズの『火星からの侵入』ラジオ放送が全米にパニックを引き起こしたとする「通説」は、翌日の新聞でセンセーショナルに伝えられたが、Cantrilらの調査研究によってデータ的な裏付けを与えられ、定着したといえるかもしれない。
4. 世論調査からみたパニックの有無
しかし、このラジオ放送は本当に全米に一大パニックを引き起こしたのだろうか?これについては、『火星からの侵入』で強調されたキャントリルらの知見とは違って、パニックは起きていなかったとする有力なデータがある。
1) どのくらいの人がラジオ放送を聞いていたか?
キャントリル『火星からの侵入』では、放送の6週間後に実施された米国世論調査所(AIPO)の全国調査での「あなたはオーソン・ウェルズの火星からの侵入という番組を聞きましたか?」という質問に対して、「はい」と答えた人が12%いたことから、この数字をもって、番組の聴取率としている。しかし、事件から6週間後というと、アメリカ人のほとんどがパニック騒ぎについて知っていたと推定されるから、実際よりもかなり多くの人が「放送を聞いた」と誤認していたとしても不思議ではない。実際、放送が行われた夜、C.E.フーパーのレーティングサービスが5,000世帯に電話をかけて全国的な視聴率調査を行っているが、「どの番組を聞いていますか?」という質問に対し、「ドラマ」や「オーソン・ウェルズの番組」、またはCBSの番組と答えた人は、わずか2%にすぎなかった。言い換えれば、調査対象の98%は、他の番組を聞いていたか、あるいは何も聞いていなかったのである。このように視聴率がわずか2%と低かったのは不思議ではない。ウェルズの番組は、当時最も人気のあった全国番組の一つ、腹話術師エドガー・バーゲンの「チェイス・アンド・サンボーン・アワー」というコメディバラエティ番組と同じ時間帯に放送されていたからである。(Pooley and Socolow, 2013)。
1930年の国勢調査によると、当時のアメリカの成人人口は約7500万人だったので、視聴率2%というのは、150万人に相当する。
2)どのくらいの人がパニック状態になったか?
それでは、Wellsの放送を聞いた150万人のうち、どれくらいがこれを本当のニュースと勘違いしたのだろうか?同じくAIPOの調査で「あなたが番組を聴いた時、この放送が単なるラジオドラマだと思ったか、それとも実際のニュース放送だと思ったか?」という質問に対しては、28%が「ニュースだと思った」と答えていた。これは数字に直すと、42万人に相当する。キャントリルの著書では、ニュースだと思った人のうち70%(約29万人)が「恐怖に駆られて、狼狽した」と答えたことになっているが、これは、心理的反応の一つであり、逃走行動を伴う「パニック」とは明らかに異なっている。実際にパニック的な逃走反応を示した人は、29万人の中のごく一部に過ぎなかったと推測されるのである。
Cantrilの『火星からの侵入』の第2章「パニックの性質と範囲」では、新聞報道と調査チームの収集した市民の反応を、エピソード的に紹介している。そのほとんどは、パニック状態で逃げ出したり、家族を守ろうとする行動をとった極端なケースであった。次の証言は、その典型的なものである。
ジョスリン夫人は大都市のスラム街に住み、その夫は日雇い労働者だが、次のように語った。「私はとても恐ろしかった。荷物をまとめて、子供を抱き抱えて、友達に声をかけ、自動車に乗り込み、できる限り北に向かおうとしました。でも、私が実際にしたことといえば、窓辺に座って、祈り、神の言葉に耳を傾け、恐怖で身がすくみ、夫ははなをすすり、人々が逃げ出していないか外を眺めていました。するとアナウンサーが『街から避難してください』と言ったので、私は駆け出して、アパートの住民に呼びかけ、子供を抱えて、階段を大慌てで降りて行きました。
このような、ごく少数の極端な証言を多数掲載することによって、Cantrilの『火星からの侵略』は、一般読者に「大規模なパニックが起きた」とする誤ったイメージを植え付けることになってしまったと思われるのである。このことが、メディア効果論の歴史において、「火星人襲来」放送の影響力に対する過大な評価を生み、いわゆる「魔法の弾丸(丸薬)」あるいは「(皮下)注射針」的な強大効果説の代表的研究事例として祭り上げられることになったと推測される。
5. 「火星からの侵略」研究におけるラザースフェルド、ヘルツォーク、ゴーデットの貢献
しかし、PooleyとSocolowが指摘するように、『火星からの侵略』報告書を生み出したプリンストン大学ラジオ研究プロジェクトは、1937年にハードレイ・キャントリルとフランク・スタントンの提案書をもとに、ロックフェラー財団の助成により設立されたラジオ研究施設だった。最初のディレクターは、スタントンがCBS に移籍したため、オーストリア出身の心理学者Paul Lazarsfeldに決まった。
1938年10月30日夜、CBSでウェルズのドラマが放送され、大きな混乱が起こったとき、当時CBSに所属していたStantonは、これがラジオ研究の絶好の機会になると直感した。
Frank Stantonと妻ルースは急いでマディソン・アベニューを走り、52丁目の角にあるCBS本社ビルへ向かった。車内のラジオで「宇宙戦争」のクライマックスを聞いた。『宇宙戦争』ドラマのクライマックスを耳にしたスタントンは、リスナーの間に興奮とパニックが広がり始めていることが、ラジオ史上最も幸運な研究機会であると気づいた。CBSの建物に到着後、スタントンは車を停め、オフィスに向かい、この番組の影響について迅速かつ正確に質問票を作成した。そして、ロックフェラー財団から資金を得ているプリンストン・ラジオ研究プロジェクトの責任者であるポール・ラザースフェルドに電話で相談し、次にジョージア州アトランタのフーパー・ホームズ社に連絡を取りました**。この会社は個別インタビューを専門としており、調査に電話だけでなく対面インタビューも行うことが可能だったのです。
Stantonは経済階層や都市・農村の居住区分といった要素に応じたサンプルの選定を慎重に行い、**翌朝には調査が開始されました**。
スタントンは、その時間の早い段階で、興奮とパニックの報道が流れ始めていることに気づき、これはラジオ史上でも最も幸運な研究機会の一つだと直感しました。CBSビルに到着すると、彼は車を停め、エレベーターでオフィスに向かい、番組の影響に関するアンケートをできる限り迅速かつ正確に作成しました。その後、Lazarsfeldに電話して短時間の相談を行い、次にジョージア州アトランタのフーパー・ホームズ社に電話しました。フーパー・ホームズ社は保険業界向けの個別インタビューを専門とし、特に電話だけに頼らない調査手法を採用していました。Stantonは、経済階層、田舎または都市部といったサンプルを慎重に選び、その他の人口統計的要素を考慮しました。翌朝にはフィールドワークが開始されました。
(Pooley and Socolow, 2017)
このフィールドワークで中心的な役割を担ったのは、Lazarsfeld、Cantril、Herzog、Godetの4人だった。なかでも、女性研究者だったHerzogとGodetは、インタビュー調査の結果を詳しく分析した結果、番組の信憑性をチェックするという「批判能力」(critical ability)がパニックを防止する上で重要な要因であることを突き止めたのだった。これは、もっぱら番組が大規模なパニックを引き起こしたとするCantrilがパニックの原因として「非暗示性」を強調したのとは対照的であった。
プリンストン・ラジオ研究プロジェクトの行った調査には、重大な問題点が含まれていた。それは、番組放送後2ヶ月間にインタビューを行った対象者135人のうち100人が、「ウェルズの放送を聞いて驚愕した」と答えた人から選ばれたということである。つまり、パニック的な反応を示した聴取者に偏ったサンプルが恣意的に選ばれた可能性が高いのである。このことは、135人の回答に基づく報告書の記述が、パニックを誇張するものになったことを裏付けている。
このように、調査サンプルに大きな偏りがあったとはいえ、HerzogやGodetが発見した、リスナーの「批判能力」の存在は、ラジオ番組が大衆にダイレクトに強大な影響力を発揮するという「注射針」あるいは「魔法の弾丸(丸薬)」モデルの代表例を提供しただけではなく、LazarsfeldやE.Katzらによる「限定効果」モデルの先駆的な業績を提示するものだったと言える。
このような再評価の背景には、『火星からの侵入』の出版と調査プロジェクトの主導権をめぐるCantrilとLazarsfeldの葛藤、「火星からの侵入」に関する新聞報道の詳細な分析、Herzogなど研究に精力的に関わった女性コミュニケーション研究者の貢献への注目など、最近のメディア史研究の成果がある。
災害神話としてのパニック
これまで、災害発生時、警報発令時、生命の危険が迫っている危機的状況においては人々がいっせいに脱出しようとして集合的反応としてパニックが発生しやすいと言われてきたが、実際にはパニックは稀にしか起こらないことが、近年の災害社会学研究において明らかになった。これを「災害神話」の一つとして定式化したのは、アメリカの災害研究所長のE.L.Quaranatelliであった。
Quarantelliは、多数の災害事例の研究や過去のパニック研究をもとに、「パニックが実際に起こった事例は極めて少ない」という実態を明らかにした (Quarantelli, 1954)。そして、パニックが起こったとされている事例の多くは、誤った報道によるもので、ニュース報道はしばしば、パニックを誇張して伝えそれが、歪められた「パニック神話」を構築する大きな要因になっていると述べている。例えば、Quarantelli (2008)によれば、1938年の「火星人襲来」のラジオ放送では、85%以上のリスナーがそれをラジオショーとして受け取っており、実際にパニックを起こした人はごく少数であったという。また、1973年にはスウェーデンで架空の原子力発電所の事故が架空のニュースとして放送され、マスコミはこの放送でパニックが起きたと報じたが、実際にはパニック的逃走は発生しなかったという調査結果もある、と指摘している。筆者の調査した「余震情報パニック」騒ぎも、Quarantelliの指摘する「パニック神話」の一つと考えることができる。
マートン「大衆説得」
Mertonとマス・コミュニケーション研究
Tarcott Parsonsと並んで、構造機能主義社会学の大御所といわれた、Robert Merton。彼は一時期、マス・コミュニケーション研究にも手を染めていたことがある。初期のマスメディア効果論の代表作の一つ『大衆説得』(Mass Persuasion)は、Mertonが主導して行った調査研究であった。その過程では、Paul Lazarsfeldが深くかかわっていた。
Mertonとマス・コミュニケーション研究の関わりは、戦時中の一時期に限られている。そのきっかけは、1941年に彼がコロンビア大学に籍を置くようになり、Lazarsfeldの同僚となったことにあった。彼は、1942年から71年にかけて、Lazarsfeldの創設した応用社会学研究所(Bureau of Applied Social Research)の所長を務め、多くの社会学的な業績を残した。かの有名な「大衆説得」研究は、彼の所長時代に行われたものである。そのきっかけは、Lazarsfeldの着想にあった。Lazarsfeldは、戦時債権の募集キャンペーンのためのマラソン放送が、短時間のうちにきわめて大きな影響を及ぼしたことに注目し、これを類まれな「メディア・イベント」として研究することを提案した。実際の事例研究はMertonをリーダーとして実施され、『大衆説得』(Mass Persuasion)という書物に結実することになった。
ケイト・スミスとマラソン放送
研究対象となったマラソン放送とは、1943年9月にCBSラジオで放送された、18時間連続のキャンペーン番組である。番組のホストを務めたケイト・スミスは、アメリカの生んだ国民的な歌手であり、当代随一の人気を誇るラジオ・タレントであった。
放送当時、彼女は30代で、その人柄から国民から広く親しまれていた。1938年には「God Bless America」を録音し、それはアメリカ賛歌としての地位を確立したのであった。翌年にはホワイトハウスに招かれて、初来米した英国のエリザベス女王の前で歌を披露するという栄誉にあずかったほどである。ルーズウェルト大統領は席上、ケイト・スミスを「これがケイト・スミスです。これがアメリカです」と紹介したという。
第二次大戦中、ケイトは2つのラジオ番組に定期出演し、1000万人もの聴取者の人気を博した。こうした文脈の中で、CBSは戦時債権募集のキャンペーン放送のホスト役として、ケイト・スミスに白羽の矢を立てたのであった。
アメリカの戦時債権は、1945年末までに1850億ドルもの売り上げを記録し、戦争遂行に大きな役割を果たした。アメリカ政府や企業は、各種の広告を通じて債権の販売促進を行ったが、それに加えて、ラジオのキャンペーン放送を通じて、さらに戦時債権の募集を行った。最初のキャンペーン放送は1942年11月に開始され、第3回のキャンペーンは1943年9月に実施された。9月8日にルーズヴェルト大統領の演説が行われたあと、2週間後にCBSラジオはケイト・スミスとともに、聴取者に直接訴えかけるキャンペーン放送を行ったのである。それは、スミスとCBSにとっては3回目のラジオ債権キャンペーンであった。しかし、今回は18時間にわたって、スミスが15分ごとに生出演するという「マラソン放送」であった。彼女の努力によって、多くのリスナーがラジオ局に直接電話をかけたり、手紙を書いたりして、戦時債権を積極的に購入し、4000万ドルもの売り上げを記録したのであった。
「大衆説得」研究の概要
Lazarsfeldはこの放送を一大メディア・イベントとして捉え、ラジオの影響力を示す格好の出来事として、Mertonを説得して、調査研究に取り組むよう進言した。最初はあまり乗り気ではなかった学究肌のMertonではあったが、結局この研究に引き込まれ、フォーカス・グループ調査など先駆的な手法を駆使した独創的な研究を展開することになったのである。この研究は、(1)ケイト・スミスの放送に関する内容分析、(2)放送を聞いた約100名のリスナーに対するインテンシブなフォーカスグループ・インタビュー、(3)約1000名を対象とする世論調査、の3つから成っていた。
内容分析は、放送の客観的な特性を明らかにしてくれた。インタビューは、具体的に説得がどのように行われたかを明らかにするものだった。そして世論調査は、インテンシブなインタビューの結果をクロスチェックする素材を提供してくれた。方法論的にみても、この研究調査は、実証的なマス・コミュニケーション社会学におけるお手本を示すものとなったのである。
このマラソン放送の「時間的な構造」を明らかにすることを通じて、Mertonは、なぜこの番組がかくも多くのリスナーを最後までひきつけ、債権購入に至らせたのかという、巨大なメディア効果を明らかにしたのであった。その中で、ケイト・スミスは、まさにマラソン競争の選手のように、最初から最後までリスナーとともに走り続け、リスナーを番組の虜にしたのであった。
テーマ分析の結果
放送内容を分析した結果、スミスが語ったことの約50%は戦時の犠牲に関するものであり、それが当時のアメリカ人に大きな影響を与えたことがわかった。犠牲を払っていたのは、戦場の兵士、一般市民、そしてケイト・スミス自身の三者であった。
残りの50%のうち3つは、戦争の努力に対する集合的参加、戦争によって引き裂かれた家族、前2回のキャンペーン放送の達成額を超えること、というテーマに当てられた。これらは、内容や行動に関連するものであった。その他の2つのテーマはこれとは違っていた。「パーソナルなテーマ」と「簡便さのテーマ」は関係性あるいはメディア志向的なものだつた。パーソナルなテーマは、このイベントが会話的な特徴を帯びていたことを反映していた。スミスはリスナーに向って、「あなた」「私」という親密なフレーズで語りかけたのである。「簡便性」とは、電話一本で債券を申し込むことができ、放送局の回線はいつでもオープンだということを強調したことである。多くのリスナーは、直接スミスと話すことができると期待して電話機をとったのである。電話は、ケイトースミスとリスナーをパーソナルに結びつける役割も果たしたのである。
それでは、何故この放送はかくも大きな説得力を発揮し得たのだろうか。その最大の要因は、スミスのパーソナリテイと、番組に取り組む真摯な姿勢であった。しかし、それは戦争債券を売り込むという搾取的な目的とは相反するもののように思われる。Mertonは、擬似的ゲマインシャフトという用語を用いて、このパラドクシカルな状況を説明している。放送局の送り手は、ケイト・スミスという国民的なアイコンを利用して、受け手の感情に巧みに訴えかけ、莫大な債券を受り込むことに成功したのである。マートンは、背景にある搾取的な戦時体制のディレンマにも批判的な目を向けたのであった。
限定効果説の実像
メディア効果論では、「強力効果説」から「限定効果説」への転換、その後、再び「強力効果説」の復活、という流れが一般に受容されている。このような捉え方は、必ずしも間違っているとは言えないが、例えば、「火星からの侵入」の事例を詳しく再検討すると、「火星からの侵入」放送のインパクトが、必ずしも「強力効果」を裏付けるものではなかったことは、すでに述べたとおりである。むしろ、ラジオがリスナーの行動に及ぼした影響はごく限定的であり、むしろリスナーの発揮した「批判能力」や「情報確認行動」がメディア効果を抑える役割を果たしたという点では、この研究はメディアの限定効果を浮き彫りにするものだったとも言えるのである。
一方、メディアがオーディエンスの「認知」面(現実構成、擬似環境の形成)に及ぼす効果という視点からメディア効果論の展開を振り返ってみると、1920年代のリップマンによる「擬似環境」や「ステレオタイプ」などオーディエンスの頭の中の映像(環境イメージ、小文字の世論)が、主として新聞などのマスメディアによって造成されたものだとする強力効果論は、1950年代以降の現実構成論、議題設定効果、培養効果、沈黙の螺旋理論においても引き継がれており、メディアの認知的効果において「限定効果」「最小効果」に置き換えられた訳ではなかった。それは、ニューメディア時代のSNSにおいても、「フィルターバブル」「エコチェンバー」「フェイクニュース」などがオーディエンスの現実構成を大きく歪める可能性が指摘されているように、メディアの認知面での効果、影響が大きいことを示すものである。
限定効果論を代表する3つの研究
いわゆる「魔法の弾丸(丸薬)」または「皮下注射針」モデルから「限定効果」モデルへのパラダイム・シフトを決定づけた3つの代表的な研究として、「ピープルズ・チョイス」「パーソナル・インフルエンス」「クラッパーの一般化」を若干検討してみよう。
ピープルズ・チョイス(1940年)
本書は、ラザースフェルド、ベレルソン、ゴーデットという、コロンビア大学応用社会調査研究所のメンバーが、1940年5月から11月までの7ヶ月間、オハイオ州エリー郡で実施したパネル調査の報告書である。調査の目的は、大統領選挙のキャンペーンが有権者の投票行動に与えた影響、特にマスメディアの果たした役割を実証的に明らかにすることにあった。本調査研究を通じて、以下に述べるような新しい調査手法の発明、メディア効果論における新しい発見が行われた。
パネル調査の開発
マス・コミュニケーションの効果を実証的に研究する上で大きな役割を果たしたのは、ラザースフェルドが開発した「パネル調査」という調査手法だった。パネル調査とは、同一の人々に対して繰り返し面接調査を実施する調査手法である。具体的には、1940年5月にオハイオ州エリー郡を代表する3000人の住民をサンプルとして選び、この名簿から層化抽出法で4組各600名を選び出し、このうち3つのグループに対し、7月に1グループ、8月に1グループ、10月に1グループと面接調査を1回だけ実施し、これらを統制群として用いた。4番目のグループに対しては、5月から11月にかけて毎月1回の面接調査(パネル調査)を実施した。この6ヶ月間には、パネル調査を通じて民主・共和両党の党大会と投票があり、大統領選キャンペーンの影響を長期にわたって測定することが可能であった。調査では、投票意図、各種メディアへの接触状況、回答者の特性、政治意識、対人関係などを詳しく質問した。
パネル調査が本研究で役に立ったのは、次のような点だった。
(1) キャンペーンの期間中に誰が投票意図を変更したのかを見定め、彼らの特性を研究することが可能になった。
(2) ある面接調査から次の面接調査までのキャンペーン情報への接触状況の変化を調べることができる。
(3) 2回の面接調査の間に回答者が投票意図を変更すれば、彼の意見を変化の過程の中で把握できる。
(4) 繰り返し面接調査を行うことによって、キャンペーンの効果を統計的に追跡することができる。例えば、ある面接調査時点では投票意図が未定だったが、その次の面接調査時点には意見を持つようになった人々を研究できる。
マスメディアの補強効果
パネル調査の結果、6ヶ月間の選挙キャンペーンを通じて、マスメディアは投票行動にはほとんど影響を与えない代わりに、有権者の投票意図を「補強する」という効果を及ぼしたことが明らかになった。5月(党大会前)と10月(投票直前)に投票意図を調査した約600人の回答者のうち半数の人々は、選挙運動への数ヶ月にわたる接触によって、それ以前の投票意図を変えなかったことがわかった。ただし、選挙キャンペーンが人々に何の影響も与えなかったわけではなかった。人々にとって、選挙キャンペーンは、投票行動を変える代わりに、以前の決定をずっと持ち続けるという重要な目的に役立ったのである。つまり、有権者に対して、当初の投票意図を補強する効果があったのである。(Lazarsfeld et.al, 1944, 邦訳p.148)。
先有傾向と選択的接触
一方、パネル調査の結果、人々は先有傾向によって、自分のこれまでの立場を支持する情報源を選択する傾向があることがわかった。例えば、民主党支持者よりも共和党支持者にウィルキー候補(共和党)に耳を傾ける者が多く、共和党支持者よりも民主党支持者にルーズヴェルト候補(民主党)の話に耳を傾ける者 が多かった。党派色の強い人ほど、自分の応援する政党のキャンペーンに接触する傾向が強く見られた。他方、キャンペーンの主唱者が標的としていた投票意図未確定の有権者は、その選挙関心の低さゆえに、マスメディアの政治的な内容にはあまり接触しないことがわかった。パネル調査の結果によると、5月から10月の間に一貫した投票意図を持っていた回答者のうち約3分の2が自分の側を支持するプロパガンダに主に接触し他のに対し、他方のプロパガンダに主に接触したのは4分の1未満だった。このような傾向は、「選択的接触」と呼ばれるもので、Lazarsfeldらのパネル調査で初めて明らかにされたものである。マスメディアが改変効果よりも補強効果を強くもたらした原因の一つは、有権者による選択的接触があったと推測される。
選択的接触がメディア・キャンペーンの補強効果をもたらすという知見は、これ以降も、いくつかの研究で実証されている。
2段階の流れとオピニオンリーダーの発見
マスメディアの限定効果をさらに明確に示す知見は、投票の意思決定過程における「オピニオン・リーダー」の重要な役割と、「コミュニケーションの2段階の流れ」の発見であり、パーソナルな接触(パーソナル・インフルエンス)は、投票の意思決定において、マスメディアよりも効果的だという発見だった。Lazarsfeldらは、選挙運動の期間中に投票意図を変えた人びとに対し、投票意図を決める上で決定的に影響力を持ったのは何だったかを尋ねたところ、「他の人びと」という回答がいちばん多いという結果を得た。つまり、パーソナルな影響力が一番大きかったのである。このような人びとを、彼らは「オピニオン・リーダー」と呼んだ。しかも、これらのオピニオン・リーダーは、すべての社会階層に広く分散しており、彼らはラジオ、新聞、雑誌などのメディアによく接触していることを発見した。このことから、Lazarsfeldらは、「観念はしばしば、ラジオや印刷物からオピニオン・リーダーに流れ、そしてオピニオン・リーダーからより能動性の低い層に流れる」という仮説を定式化したのであった。この「コミュニケーションの2段階の流れ」仮説は、1955年の『パーソナル・インフルエンス』において、より広い意思決定領域において立証されることになった(Katz & Lazarsfeld, 1955)。
エリー郡調査の問題点
ラザースフェルドらは、投票を一種の消費者の意思決定と捉え、選挙後の調査で、投票行動の決定に影響を与えた情報源や最も重要な情報源について質問した。その結果、3分の2以上が新聞またはラジオを「有益な」情報源として挙げ、半分以下が親戚、仕事の関係者、友人、隣人などの個人的な情報源を挙げた。半数以上がラジオまたは新聞を最も重要な情報源として挙げたが、重要な個人的情報源を挙げたのは4分の1未満だった。このように、メディアの影響を示す証拠が豊富であるにもかかわらず、著者たちは「他人が他人を動かすことが何よりも重要である」と結論づけました。Lazarsfeldらによるこうした結論は、彼らの関心がもっぱら「投票意図」という行動ないし態度のレベルでの影響にあったからだと思われる。実際には、情報取得や認識というではマスメディアは大きな影響を持っていたにかかわらず、Lazarsfeldらはこれを無視し。もっぱら行動面での「限定効果」だけに焦点を当てた可能性がある(Chaffee, and Hochheimer. 1985)。
パーソナル・インフルエンス(1955年)
調査の概要
KatzとLazarsfeldは、「ピープルズチョイス」で発見された「コミュニケーションの2段階の流れ」仮説を検証するために、ごく日常的な意思決定の事例におけるマスメディアの影響とパーソナルの・インフルエンスについて調査研究することにした。ここでのポイントは、意思決定(意見形成)におけるオピニオン・リーダーの析出と、マスメディアの影響力の大きさの調査であった。調査の概要は次のとおりである:
調査地域:アメリカ中西部(イリノイ州)ディケーター
調査対象:各層を代表する800人の女性(16歳以上)
調査方法:面接調査
調査対象領域:買い物、流行、社会的・政治的問題、映画の観覧
質問票の内容:
1. それぞれの領域における意思決定(意見形成)について
2. その決定に際しての影響源の役割について
3. 回答者が考える影響者についての質問
4. 読書、ラジオ聴取習慣について
5. 回答者自身のオピニオン・リーダーシップの測定
6. 回答者の社会的属性(社会的地位、社交性など)
7. 回答者の態度特性
追跡面接:
回答者に対する面接調査の中で質問した「影響源」をもとに、影響者(回答者が何らかの意思決定を行なった際に、彼らが影響を受けた相手)つまりオピニオン・リーダーに対して、追跡面接を実施した。
オピニオン・リーダーの特性、役割
(1) 日用品の買い物行動におけるリーダー
調査の結果、買い物リーダーは、測定した3つの社会地位レベルのすべてにほぼ均等な割合で出現しているということがわかった。追跡面接の結果を見ても、買い物という行動場面での影響の授受が、地位を異にした女性の間で行われることは少なく、影響の方向は上昇的な場合も下降的な場合も同じようにあることがわかった。年齢に関しては、年長層から若年層へという下降的な影響の流れが宇川れる。
(2) 流行に関するリーダー
調査対象者の約3分の2は、化粧品や衣服などの流行に関して変更したことがあると回答した。そして、彼女たちの多くは、流行の変更に際して、オピニオンリーダーからのパーソナルな影響を受けていたことがわかった。流行のリーダーシップは、生活歴のタイプによって異なることがわかった。リーダーシップの大きさは、未婚女性>小世帯主婦>大世帯主婦>年配の夫人という順で減少する傾向が見られた。また、リーダーシップの大きい人ほど、流行に対する関心が高いことも明らかになった。さらに、社交性が高まるほど、流行のリーダーシップも強くなるという関連が見られた。
(3)社会的・政治的問題をめぐるリーダー
本調査における「社会的・政治的問題のリーダー」とは、「現在社会的・政治的領域で起こっている事柄をよく知っており、かつ、他の女性たちからそれについての情報や意見の相談を受けることの多い女性」と定義されている。調査の結果、この領域でのオピニオン・リーダーの数は非常に少ないということが明らかになった。また、社会的・政治的問題に関するリーダーシップは、社会的地位の高い女性ほど多いという結果が得られた。これは、買い物リーダー、流行リーダーとは異なる結果である。
(4) 映画観覧におけるリーダー
最後に、映画観覧におけるオピニオンリーダーの特性を見ると、映画のリーダーシップは未婚女性に集中する傾向が見られた。年齢が若いこと、および未婚であることが、映画館に足を運び、さらには映画のリーダーになるチャンスと結びついている一方、それぞれの年齢層グループ内部において、しばしば映画を見に行く人はあまり行かない人に比べてリーダーになりやすいことがわかった。映画を見に行くという行動は、多くの場合、誰かと一緒に映画を見に行くということである。したがって、この領域における影響の流れの多くは、一緒に映画を見に行く同年齢層の仲間たちの間で生じていると考えられる。
コミュニケーションの2段の流れ
すでに見たように、『ピープルズ・チョイス』の研究において、「コミュニケーションの2段階の流れ」仮説が初めて定式化された。すなわち、「いろいろな観念はラジオや印刷物からオピニオン・リーダーに流れ、さらにオピニオン・リーダーから活動性の比較的少ない人びとに流れることが多い」というものである。しかし、この仮説は選挙運動(政治コミュニケーション)という単一の分野で立証されたに過ぎない。そこで、ディケーター調査では、この仮説が他のさまざまな分野でも成り立つものかどうかを検証することになった。具体的には、(1)「ピープルズ・チョイス」の場合と同様に、オピニオン・リーダーは、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアによく接触しているか、(2) オピニオン・リーダーが非リーダーよりもマス・メディアから強く影響を受けているかどうか、(3) オピニオン・リーダーはすべての社会階層に広く分散しており、フォロワーに対して水平的な影響を及ぼしているかどうか、という点をデータによって検証したのである。
まず、雑誌への接触度について見ると、どの分野においても、オピニオン・リーダーは非リーダーよりも多くの雑誌を読んでおり、またよく本を読んでいることがわかった。このような関係は学歴を統制しても変わらなかった。また、オピニオン・リーダーは非リーダーよりも全国雑誌(コスモポリタン的な内容)を読む比率が高いこともわかった。次に、流行を変改した人に、影響源を聞いたところ、オピニオン・リーダーは非リーダーに比べ、マス・メディアから影響を受けたと答える割合が高かった。ただし、買い物、映画観覧、社会的・政治的問題の領域については、このような関連は見られなかった。
このように、すべての領域ではないが、「コミュニケーションの2段階の流れ」仮説がある程度立証されたということができる。
クラッパーの一般化(1960年)
1960年に刊行された、J. T. Klapperの著書『マス・コミュニケーションの効果』は、それまでのマスメディア効果論の成果を総合的に検討し、いわゆる「限定効果論」として総括したもので、マス・コミュニケーション効果論の歴史において、重要な業績として評価されるものだった。1920年代に始まる初期のマスメディア効果論を「皮下注射」アプローチとして位置付け、1940年以降の実証的な効果研究を「現象論」的アプローチとして対比させ、限定効果を強調する現象論的アプローチが今後のマス・コミュニケーション研究において主流になると論じた。
Klapperによれば、これまでの研究を総括すると、説得的マス・コミュニケーションは、受け手を変改させるよりも、補強(reinforcement)の作用因として機能することが多いという。すなわち、受け手に対する支配的な効果として見出されるのは、補強ないし意見の固定性である。第二に、一般的な効果として見られるのは、意見の強化といった小さな変化である。そして、変改という大きな影響は滅多に見られないとしている。このようなマスメディアの補強効果が支配的だとする根拠として、Klapperは、1940年行われたLazarsfeldらのエリー郡での投票研究(Lazsfeld et. al, 1944)と、1948年に行われたBerelsonらのエルミラ郡での投票研究 (Berelson et. al, 1954)を挙げている。例えば、エルミラ郡でのパネル調査では、有権者に対して「補強効果」が最も多く見られたと、次のように述べている。
補強、修正、そして変改は1940年の研究と同じ割合で生じたことが発見された。六月と八月の結果を対比すると、760人の回答者パネルの66%は、六月の政党支持の立場を維持していた。17%はある政党への支持から「中立」、あるいは「中立」からある政党への支持とゆれ動いた。そして実際に変改を示したものはわずか八%にすぎなかった。選挙運動期間の後半にあたる8月と10月のあいだでは、補強の割合はほとんど変らず(68%)、変改の割合は低下した(3%)。さらに、より多く選挙運動に接触したものは、その接触に関して、より選択的であること、そして選挙運動への接触の度合がそれほど高くない人よりも、変改を経験する傾向が少ないことが発見された。ベレルソン、ラザースフェルドおよびマックフィーは、いく分か控え目に、「接触は変改を作り出すよりも結晶と補強の方向に働く」と結論づけた。(Klapper, 1960, 邦訳p.34)
このように、マス・コミュニケーションの影響力が変改ではなく補強の方向に働く原因として、次の5つの媒介的諸要因を指摘した。
(1) 先有傾向 (predispositions)および選択的接触 (selective exposure)、選択的知覚 (selective perception)、選択的記憶 (selective retention)の過程
(2) 個々の受け手が属している集団と集団規範
(3) コミュニケーションの内容の個人相互間の伝播
(4) オピニオン・リーダーシップの行使
(5) 自由企業社会におけるマスメディアの性質
このうち、Klapperの業績として注目される点として、(1)と(2)について説明を加えておきたい。
先有傾向と選択的接触
人々の既存の意見と関心、より一般的には、彼らの先有傾向はマス・コミュニケーションに対する彼らの行動と、このコミュニケーションが彼らに与える効果に対して、非常に大きな影響を与えることが明らかになった。一般に、人々は彼らの既存の態度と関心に一致したマス・コミュニケーションに接触する傾向がある。逆に、既存の態度や関心に沿わないコミュニケーションを、彼らは避ける。また、共鳴しない内容に接触せざるをえない場合には、彼らはしばしばその内容を知覚しないか、あるいは彼らの既存の見解に適合するように内容を作り直し、解釈するか(選択的知覚)、あるいは彼らが共鳴する内容を忘れる度合いよりももっと簡単に忘れる(選択的記憶)。選択的接触は、1940年のLazarsfeldらの投票調査で見られた他、国連のキャンペーンに関するStarとHugの研究においてもはっきりと見られた。この研究によれば、国連に関する情報の増大と国連に対する態度の改善を目的としたメディア・キャンペーンに接触した人々は、もともと国連に関心を持ち、国連を高く評価している人々から主として構成されていたという。
集団と集団規範
KatzとLazarsfeldはによれば、個人の意見や態度と考えられているものは、しばしば彼が属している集団の規範であり、それがマス・コミュニケーションの補強効果の作用因として作用する。人々は自分の意見と適合する意見を持つ集団に所属する傾向があり、集団内討議を通じて、そうした態度や意見は強化される。集団への所属は、補強を促進し、選択的接触を強化することで、変改を阻止する傾向が見られる。集団はまた、対人的な影響力とオピニオン・リーダーシップの行使の舞台を提供することによって、共鳴的なマス・コミュニケーションに潜在する補強力を強化するのに役に立つ。
わら人形としての「魔法の弾丸」「注射針」モデル
このように、Klapperの一般化を通じて、プロパガンダ研究や「火星人襲来パニック」の研究など、マスメディアの及ぼす巨大な影響力に関する研究は、1940年代以降の調査研究で明らかにされた「限定効果」論に対して、「魔法の弾丸(特効薬)」モデルとして、否定されるようになった。
しかし、この「魔法の弾丸」ないし「皮下注射」といった呼称は、メディア効果論において、「限定効果論」の重要性や目新しさを強調するために、袋叩きにするための「標的=わら人形」として捏造されたのではないか、という指摘がその後なされるようになった。例えば、Chaffee and Hochheimer.( 1985)は、「皮下注射針」(hypodermic needle)や「魔法の弾丸(特効薬)」(magic bullet)のイメージは、医療から借用された比喩の誤解であり、後年に限定効果モデルと対比させ、相手の弱点を叩くためにわざと作られた「わら人形」(straw men)に過ぎない、と指摘している。Chaffeeらによると、1920年代後半にペイン基金が後援した若者への映画の影響に関する初期のマスコミ研究は、メディア効果の線形モデルに基づいてはいたものの、その理論の複雑さにおいて非常に洗練されていた。同じ映画でも、子供の年齢、性別、予備的な傾向、知覚、社会環境、過去の経験、親の影響によって子供への影響が異なることが示された。その後の1930年代および1940年代のメディア効果研究者で、メディアの内容が大衆によって直接受け入れられ行動に移されるという単純な直接効果モデルを提案した者は誰もいなかったという。つまり、「魔法の弾丸」モデルとされた1930年代以前の初期の研究においても、マスメディアの直接的な強大効果とは異なる結果が得られていたのである。
Lubken (2008)によれば、「注射器」の比喩を用いて脆弱な聴衆に対するメディアの強力な影響を表現した最も早いマス・コミュニケーション研究者による使用例は、1953年にコロンビア大学の応用社会調査研究所(BASR)のレポートにある。当時、大学院生だったElich Katzがテレビに関する実施委員会のために作成したものである。「誇張すれば、研究が当初持っていたキャンペーンのような説得過程の『モデル』は、巨大な注射器(a giant hypodermic needle)に似ていたと言えるだろう」とカッツは書いている。「非常に最近まで、メディアは全能であり、ほとんどすべての目と耳に影響を与えることができると広く信じられていたのだ。」カッツはそのモデルの構成を次のようにまとめている。「要するに、マス・コミュニケーションのプロセスのモデルはこのようなものだった:一方には強力なマスメディアがあり、メッセージを送り出し、他方には分子化した個人の大衆があり、直接的かつ即座に応答している、間には何も存在しない。」このように、「皮下注射針」モデルという言葉は、1950年代になって、限定効果論の初期の研究者によって作られたものであり、限定効果論の優位性を印象づけるために生み出された「わら人形」であった可能性が高いのである。しかし、「火星人の襲来」パニック研究や、1930年代の主要なマス・コミュニケーション研究に見られるように、初期の研究では、マスメディアの巨大な直接的効果が必ずしも強く主張されたわけではなかったのである。
むしろ、「火星からの侵入」に見られるように、ラジオ聴取者の「批判能力」が情報確認行動を通して、パニック的反応を抑える役割を果たしたという研究結果がしめさえており、これはマスメディアの「限定効果」を明らかにしたものであり、初期のマス・コミュニケーション研究と1940年代以降の研究との間に断絶よりも連続性があった証拠とも考えることができる。
しかしながら、1970年代以降になると、マス・コミュニケーションに関する標準的な教科書において、「魔法の弾丸(特効薬)」や「皮下注射針」という用語が、戦前のマスコミ効果論における「直接的」「巨大」効果の研究を象徴するモデルとして広く紹介されるようになり、アメリカ、日本、その他の国でも既定の事実であるかのように無批判に受け入れられてしまった。これは、後述するように、議題設定機能研究、培養分析、沈黙の螺旋理論、認知バイアス論などが、例えば戦前のLippmannなどの研究をさらに発展させたものであるという事実を隠すことになったと思われる。
「利用と満足」研究の展開:能動的オーディエンス像の検証
マス・コミュニケーションの実証的な効果研究は、1940年の「ピープルズ・チョイス」から始まったが、同じ頃、問題意識を若干異にする質的な効果研究が、同じ研究グループによって開始された。それが「利用と満足」研究(Uses and Gratification Study:以下、「U&G研究」と略記)と言われるものである。投票行動などキャンペーンの効果研究との違いは次の点にある。つまり、キャンペーン効果研究では、「メディアは人びとの態度や行動をどれだけ変化させることができるか」を問題としていたのに対し、U&G研究では「人びとは生活行動の中でマスメディアをどのように利用し、またマスメディアとの接触によってどのような充足を得ているか」を中心的な主題としている(竹内, 1981)。これは、キャンペーン研究では、マスメディアが主体でオーディエンスはあくまで客体であるのに対し、U&G研究では、オーディエンスが主体として位置付けられ、その能動性に焦点が当てられているという点で決定的な違いが見られるのである。これは効果研究における一種のパラダイム転換だったとも言える。また、オーディエンスの「欲求」「動機」がメディア接触による複合的な「充足」や「機能」と結びつけて研究されることによって、従来の受容理論における「単機能」という前提を超えて、新しい発見がもたらされた点に画期的な意義があった。
1940年代の質的U&G研究
1940年に始まったキャンペーン効果の研究は、世論調査の手法を用いた量的な調査によって行われたのに対し、同じ頃スタートしたU&G研究は、グループインタビューなどの質的調査手法を用いて行われた。その理由について、当時U&G研究を主導したH. Herzogは、「研究対象となる連続ドラマの推定される影響は、ゆっくりと蓄積されて生じるため、これらの影響を社会調査によって特定するのは難しく、継続的な観察と詳細なインタビュー、およびその慎重な解釈を通じて、多様な材料をつなぎ合わせることによって追跡することが可能になる」と述べている(Herzog, 1948)。ここでは、1940年代に、Herzogらコロンビア大学ラジオ研究室で行われた一連のU&G研究の中から、「プロフェッサークイズ」、「昼間の連続ラジオドラマ」「ストライキ中の新聞利用」に関する事例研究を紹介したおこう。
「プロフェッサークイズ」のU&G研究
(1)調査の概要
実施主体:コロンビア大学応用社会調査研究所
主たる研究者:Herta Herzog
調査対象:低所得層から選ばれた20歳〜60歳の男女11名
調査方法:クイズ番組のリスナー(男性3名、女性8名)に対する詳細なインタビュー
調査対象ラジオ番組:プロフェッサークイズ。平均聴取率が13%と高く、人気のクイ番組。多くのリスナーから「教育的」だとの評価を得ている番組。
(2)調査の結果
このクイズ番組は、リスナーに対し、4つのアピールを持っていた。
1. 競争のアピール
第1に、番組に出演している回答者とリスナーの間の競争を楽しむという充足があった。第2は、一緒に聞いている共同リスナーとの間で競争を楽しむという充足だった。第3は、一緒に聞いているオーディエンスの前で褒めてもらうことによる自己顕示のアピールである。
2. 教育的アピール
インタビュー対象者のほぼ全員が「教育的要素」の魅力を挙げ、多くの人がそれを最も重要な点として強調した。20人中15人だけが競技そのものが楽しみを増すと答えたが、全員がこの番組を「教育的」と見なしていた。クイズ番組で得られる知識が断片的で多様なものであることを自覚していたが、「クイズ番組から学ぶことは価値がある、知識を増やすことは良いことだ」と感じていた。というのは、クイズ番組を通じて知識の幅を広げることは、日常生活での会話に役立つからだと答えていた。クイズ番組はまた、読書の代替手段としての機能も果たしていることが分かった。
3. 自己評価のアピール
クイズ番組はまた、自分について知る手段として役立っていた。例えば次のような回答があった。「自分がどれだけ愚かなのか分かった」「自分は予想以上に知識があると分かって嬉しくなる」「多くの質問に答えられることに驚くことがよくある」「他の人に勝つことよりも、自分が何を知っているのかを知ることの方が私にとって重要です。自分が思っていた以上に知識があることに気づきます」など。
4. スポーツのアピール
これは、スポーツ番組を見ているときと似た充足タイプである。全体で8人が競技そのものを楽しんでいると答えた。
番組を他人同士の競争として見る場合、主に次の3つの関心が挙げられる。
1)勝ちそうな競技者を選ぶことで、自分が優れた審判であることを示すことができる。
2)勝ちそうな競技者が、自分が勝ってほしいと思う人物像の象徴となる場合がある。
3)競技者が質問に答える際の失敗を楽しむことができる。
「プロフェッサー・クイズ」に関するU&G研究は、一見娯楽的な内容だと思われがちなクイズ番組であっても、リスナーが日常的に引き出している充足は多様であり、なかでも教育的アピールが最も高く、クイズ番組を聴くことがリスナーの知識の幅を広げ、日常の会話場面で役立てられていると同時に、読書の代替手段としての機能も果たしているという意外な知見が得られたという点で、きわめて興味深い結果と言える。
「昼間の連続ラジオドラマ」のU&G研究
(1) 調査の概要
実施の主体:コロンビア大学応用社会調査研究所
主たる研究者:herta Herzog
調査の目的:アメリカで最大の女性聴取者を持つラジオの連続ドラマの影響を詳細に研究すること。
調査方法:ラジオの連続ドラマの内容分析、ドラマのリスナーと非リスナーの比較、リスナーが連続ドラマから得ている充足についての詳細なインタビュー
インタビュー調査:100人の女性リスナーに対する詳細な面接調査
(2)調査の結果
100人の女性リスナーに対する詳細なインタビューの結果、彼らは昼間の連続ドラマから、3種類のタイプの充足を得ていることが分かった。
1. 情緒的解放 (emotional release)
彼らは、ドラマが提供する「泣く機会」を好み、「驚きや、幸せや悲しさ」を楽しんでいた。また、攻撃性を表現する機会も満足感の源になっていた。自分で問題を抱えているリスナーは、「他の人も問題を抱えていることを知って気が楽になる」と述べていた。ドラマの登場人物の悲しみは、リスナー自身の抱える悩みへの補償として受けとめられた。
2. 願望充足としての充足(wishful thinking)
2番目の充足タイプは、リスナーがドラマを通じて代理的な願望充足を得ることだった。あるリスナーは、ドラマの物語に没頭して自分の悩みを忘れるために番組を聴いていた。一方、自分の人生の欠落を補うためや、自身の犯した失敗をドラマでの成功物語によって補償するために聴いている人もいた。例えば、自分の娘が家を出て結婚したり、夫が週5日間家を空けたりする女性は、『ゴールドバーグ一家』や『オニール家』のような幸せな家庭生活を描いたドラマをお気に入りに挙げていた。
3. 生活上の助言と忠告の源泉としての利用
3番目の充足タイプは、昼間の連続ドラマを日常生活の助言の源として利用するものだった。「これらの番組を聴いていると、自分の人生で何か問題が起こったときにどうすればよいかが分かる」というのが典型的な回答だった。アイオワ州で実施した関連調査によると、教育水準が低い女性ほど、連続ラジオドラマを「役立つ」と考える傾向が強いことが確認された。これは、教育歴の低い女性が「人と親しくなり、影響力を持つ方法」を学ぶ他の手段を持たず、昼間の連続ドラマにより依存している可能性が高いことを裏付けるものだった。具体的に連続ドラマから得られた助言の例を示すと、次のようになる。
・他者とうまく付き合う方法を教えられた
・夫やボーイフレンドを「扱う」方法を教えられた
・子供を「育てる」方法について助けられた
・特定の状況で自分自身をどのように表現すればよいかを学んだ
・自分の老いや戦争に行く息子を受け入れる方法を学んだ
Klapper(1960)は、これまでのマス・コミュニケーションの効果論を集約する中で、Herzogの研究を詳しく紹介しているが、「助言と忠告の源泉としての利用」のことを「日常生活の教科書としての機能」と呼んでいる。的確なネーミングと言える。連続ドラマに関するHerzogのU&G研究の意義は、クイズ番組の研究の場合と同様に、本来は娯楽的、逃避的なコンテンツとして、「情緒的解放」の充足だけがもっぱら注目されていたにもかかわらず、「日常生活の教科書としての機能」という予想外の教育的な充足、機能を発見した点にあったということができる。
「新聞の機能に関するU&G研究」
(1) 調査の概要
調査の目的:
1945年6月30日土曜日の午後遅く、ニューヨーク市の主要な8つの新聞社の配達員がストライキを開始した。このストライキは2週間以上続き、その期間中、多くのニューヨーカーは通常読んでいる新聞をほとんど読むことができなくなった。彼らは新聞「PM」や一部の小規模で専門的な新聞をニューススタンドで購入したり、いくつかの新聞社の中央オフィスで店頭販売を利用したりすることはできたが、ほとんどの読者が好んで読んでいた新聞は17日間にわたって事実上入手不能だった。このように、新聞を利用できないこと(新聞ロス状態)が、ニューヨーク市民にとってどんな意味を持ち、どのような心理的影響を与えたのか、新聞が果たしている役割、機能を明らかにするために、質的なインタビュー調査を実施した。
主たる研究者:Bernard Berelson
調査方法:
ニューヨーク・マンハッタン地区の市民60名を対象とする詳細なインタビュー調査。新聞ストライキの最初の週の終わりに実施。
(2)調査の結果
インタビューの最初に、新聞がストライキによって読めなくなったことによる喪失感(missing the newspaper)つまり、「新聞ロス」について聞いたところ、多くの回答者は、ストライキによって新聞が読めなくなったことに「喪失感がある」(miss the newspaper)と答えていた。このように、日常生活の中で重要な役割を果たしている新聞について、具体的にどのような役割を果たしているかについて、詳しくインタビューした結果、6つの機能が発見された。
- 公共問題の解釈に役立つ情報入手のため
多くの人が、時事問題に関する解説(社説やコラム)に関心を持っており、それを自分の意見の基準として利用している。
回答例:「現在、詳細な情報が手元にないので、ただ結果だけがわかる状態です。それは、新聞の見出しだけを読んで、記事を追わないのとほとんど同じです。ニュースに至るまでの詳細や説明が懐かしい。背景やニュースに至るまでの展開を知りたい。」 - 日常生活の道具としての利用
一部の人々にとって新聞ストでロス感情を味わった理由は、それが日常生活における直接的な助けとして使われていたためだった。
回答例:多くの人々は、新聞に掲載されているラジオ番組表がないと、ラジオ番組をチェックするのが難しい、あるいは不可能だと感じた。また、映画を見に行こうと思っても、上映作品を調べるために電話したり歩き回ったりするのが面倒だと感じた人もいた。買い物に興味を持つ女性の中には、広告がないことで不便を感じた人もいた。死亡記事を定期的に読んでいた数人の女性は、知り合いが亡くなっても気づかないのではないかと不安を抱いていた。 - 気晴らしとしての利用
新聞は、日常生活の退屈さや単調さからの解放というニーズを満たすのに特に効果的である。その理由は、新聞が「人間味あふれる話題」を豊富に提供する多様性や内容の豊かさを持ち、また手軽に入手できることや低価格だからである。
回答例:「(ストライキ中は)仕事の合間にやることがなくて、ただ編み物をするしかありませんでした。でも、編み物だと新聞を読むことほど気が紛れません。」「どうしていいかわからなくなりました。気が滅入ってしまいました。時間をつぶすために読むものが何もなかったんです。でも、水曜日に新聞を手に入れたら、とても気分が良くなりました。」 - 社会的地位付与の機能
ある回答者たちは、新聞を読むことで社交の場で情報通であるように見せるために利用していた。新聞には会話における交換価値があった。読者は、何が起こったのかを知り、それを仲間に伝えるだけでなく、公共問題に関する議論で使える意見や解釈を新聞に見つけることもできる。このような新聞の利用が、読者の仲間内での地位を高める役割を果たしていたのである。
回答例:「他の人と会話を続けるためには読まなければなりません。ニュースを話題にする場で何も知らないのは恥ずかしいです。」 - 社会的接触のための利用
新聞の人間味あふれる記事、個人向けの相談欄、ゴシップ記事などは、一部の読者にとって単なる日常の悩みやルーティンからの解放以上のものを提供していた。これらは、社会における道徳の指針や他人の私生活への洞察を与えるとともに、それに対する間接的な参加の機会や、有名人との間接的な「個人的接触」機会を提供していた。
回答例:「ドリス・ブレイクのコラム(恋愛相談)を懐かしく思います。彼女のコラムには若い男女の意見が載っていて、それがとてもワクワクします。」「お気に入りのコラムニストを懐かしく思いました。彼らの記事、ニュース、さまざまな人々とのインタビュー、人々との交流が恋しいのです。」 - 「読むこと」自体の効用
Berelsonが発見した、新聞の持つもう一つの機能は、新聞の内容に関係なく、「読むこと」そのものが都市社会においては強く、満足感をもたらす行動になっているということだった。これは、現代ではメディアのもつ「コンサマトリー」な充足として知られる心理的満足のタイプである。これは、Berelsonの調査によって初めて発見された充足タイプであり、その後のU&G研究においても重要なテーマとなっている。こうしたコンサマトリーな充足を得るために、多くの人々は「とにかくなんでも読めればいい」ということで、他の代替手段を利用していた。
回答例:「家にあった古い雑誌を読みました。」「手元にあったもの、雑誌や本を読みました。」「家にある古い雑誌を読み漁りました。」
このように、Berelsonnの新聞ストライキ調査は、「新聞ロス」という思いがけない事態において、新聞が日頃、実に多様な機能を果たしていることを明らかにしたのであった。
テレビ時代の定量的U&G研究
テレビの充足タイポロジー
1940年代のU&G研究は、主にラジオを中心に行われたが、1950年代に入ると、新たなマスメディアとして、テレビが登場し、1960年代以降のU&G研究はテレビを中心に行われるようになった。テレビ時代のU&G研究についての考察と新しい研究動向については、McQuailらの論文が重要である(McQuail, Blumler & Brown, 1972, 邦訳pp. 20- 57)。
マス・コミュニケーション効果に関する評論的な研究(Klapper, 1960)の中で、Klapperは、テレビの娯楽番組が提供する「現実と一致しない生活と世界の描写」を逃避的内容と認定し、U&G研究の対象を逃避的コンテンツとして考察した。Schramm、Lyle、Parker(1961)の子供とテレビに関する研究でも、子供のテレビ視聴の第一の動機が逃避的なものだと結論づけている:「楽しみを与えられるという受動的な娯楽、それは空想的な世界に住み、スリルに満ちたドラマに代理的に参加し、おもしろい魅力的な人びとと同一化し、現実生活の退屈さから逃避することである」。
しかしながら、テレビ番組が逃避的なコンテンツだけから構成されている訳ではないし、また、逃避的だとみなされているドラマやショー番組でも、それが視聴者(オーディエンス)によって、逃避的な目的や動機だけによって利用されているわけでもない。1940年代に蓄積されたU&G研究は、さまざまなメディアの娯楽的、逃避的コンテンツが、実際には教育的アピール、自己評定的アピールなど、複合的な機能を果たしていることを明らかにした。同じことは、テレビ番組についても言えるのではないか。McQuailらは、このような問題意識に基づいて、実証的、定量的な調査方法によって、視聴者がテレビ番組から得ている充足のタイポロジーを分析したのである。
(1)調査の概要
調査対象のテレビ番組:
連続テレビドラマ「コロネーション・ストリート」、連続ラジオドラマ「デールズ家の人びと」、テレビのクイズ番組、テレビのニュース番組、テレビの連続冒険ドラマ「若者」「セイント」
調査方法:
1. 少数の視聴者に対するグループ・インタビュー
2. インタビューに基づき、番組に対する態度、視聴動機、視聴による充足(視聴者の意見)のリストアップ
3. 視聴者の意見リストを提示して回答してもらう面接調査の実施(70から180人を対象)
4. 調査データのクラスター分析による充足タイプの析出
(2) 調査結果
1. テレビのクイズ番組の充足に関するクラスター分析の結果
視聴者がクイズ番組から得ている充足パターンが2段階の分析によって導出された。第一に、42×42の相関行列によって、すべての意見項目の関連性が説明された。第二に、クラスター分析によって、すべての意見項目は部分集合(クラスター)に再編成された。その結果、4つの主要クラスターが導出されるとともに、2、3の項目による6つの小さなクラスターが分離された。4つの主要クラスター(および命名したラベル)と、それに含まれる主な意見項目は、次のとおりである。
<クラスター1:自己評定のアピール>
・私は自分を専門家と比較することができる
・私は自分が番組に出演してうまく答えているのを想像するのが好きだ
このクラスターに属する視聴者は、クイズの問題に対する自分自身の答えを解答者の答えを比べる異によって、自分の能力を評価する傾向が見られた。また、どのチームが勝者になるかを当てることによって、自分の能力を評価する傾向が見られた。さらに、仮に自分が番組に出演していたらどうするだろうかと想像することによって、自自身を回答者に投影する傾向も見られた。視聴者の属性との関連を見ると、公営住宅に住む労働者階級の人々が、自分自身に関する事柄を学ぶために利用する傾向が見られた。
<クラスター2:社会的相互作用の基礎>
・私は他の人たちとその番組について話し合うのを楽しみにしている
・私は一緒に見ている人たちと競争するのが好きだ
このクラスターは、社会的相互作用に関連しており、クイズ番組が家族で分かち合う関心事を提供するという役割を果たしている。つまり、クイズ番組は、家族全員が回答について一緒に考えることができる。また、視聴者は正しい解答をめぐって競争しあうことができる。さらに、あとでそれを話題にして楽しむこともできる。クイズ番組は、いわば「交換の貨幣」 の機能を果たしているのである。このクラスターにおける高得点グループは、近隣に非常に多くの知人がいると答えた人に多かった。
<クラスター3:興奮のアピール>
・私は接戦に興奮するのが好きだ
・私は自分の心配の種をしばらうの間忘れたい
このクラスターに共通する特徴は、クイズ番組が引き起こす興奮である。クイズ番組は明らかに、だれが勝者になるかを当てたり、自分の予想の結果がどうなるかを判定するという競争そのものがもたらす興奮や、接戦を期待する気持ちを提供していた。これは「プロフェッサークイズ」に関するヘルツォーグのU&G研究で見出された「スポーツのアピール」に相当する。このクラスターで最も得点が高いグループは、社交性の指標が低く、多人数の家族の中で遅く生まれた労働者階級の人たちであった。
<クラスター4:教育的なアピール>
・私は自分が思っていたより多くのことを知っているのに気づく
・私は自分が向上したと感じる
このクラスターでは、クイズ番組の教育的アピールが検出された。クイズは単に思考を刺激するだけではなく、「自己向上」に役立ったり、自分じしんの知的能力への自信を取り戻すためにクイズ番組を利用するという傾向が見られる。これは、ヘルツォーグが「プロフェッサークイズ」から引き出した「教育的アピール」に対応する機能である。このクラスターと最も関連が強い属性は、「教育的背景」(学歴)である。つまり、クイズ番組の教育的アピールは、学校で学んだ経験がごく限られた人々に対して、最も強く作用していたのである。こうした関連は、ヘルツォーグのえた知見とも一致する。
2. 充足タイポロジーの要約から作成された4つのクラスター
上記の結果は、テレビのクイズ番組に関する充足タイポロジーだったが、McQuailらは、他の4つの番組をクラスター分析した結果を含めて、得られた共通の充足タイプ構造を次のようにまとめている。
1. 気晴らし (Diversion)
(a) 日常生活のさまざまな制約からの逃避
(b) 解決しなければならない諸問題の重荷からの逃避
(c) 情緒的な解放
2. 人間関係 (Personal Relationship)
(a) 登場人物への親近感
(b) 社会関係にとっての効用
3 自己確認 (Personal Identity)
(a) 個人についての準拠
(b) 現実への対処法の学習
(c) 価値の強化
4. 環境の監視
これらの充足タイポロジーは、複数のテレビ番組を対象として、事前のグループ・インタビューと、それに基づく面接調査によって得られたデータを多変量解析の手法を用いて分析した結果、統計的に得られたクラスターをもとに析出されたものであるが、そこで得られた充足タイプは、それ以前にラジオや新聞に関して行われたU&G研究の知見と非常によく似ている点は興味深い。本研究をきっかけとして、U&G研究は、テレビを中心とする新たなメディアを対象として、定量的なデータ分析を中心に実施されるようになった。次に紹介する日本の研究も、こうした流れに沿ったものであった。
日本の視聴者参加番組に関するU&G研究
McQuailらによる新たなU&G研究の登場に刺激されて、日本でも、1970年代以降、定量的な手法を使ったU&G研究に対する関心が高まり、テレビ番組の利用と満足に関する本格的な調査研究が行われるようになった。東京大学新聞研究所の竹内郁郎教授を代表とする「マスコミ受容過程研究会」が1974年度放送文化基金の助成を受けて実施したテレビ視聴者参加番組における「利用と満足」の実態に関する調査研究は、その代表的な事例である。研究会の参加メンバーは、竹内郁郎(代表)、飽戸弘、鈴木裕久、田崎篤郎、児島和人、廣井脩、三上俊治、水野博介の8名である。
本調査研究の目的は、「人びとがテレビ番組を視聴することによっていかなる種類の満足を得ているか、また、日常生活にとってのいかなる効用を見出しているか」を、いくつかの具体的番組について明らかにしようとするものだった。研究のモデルとなったのは、上記のMcQuailらの先行的なU&G研究である。
(1)調査の概要
調査対象のテレビ番組:
1. NHKのど自慢
2. お国自慢にしひがし
3. 家族そろって歌合戦
4. がっちり買いましょう
5. アップダウンクイズ
6. ベルトクイズ Q&Q
7. クイズグランプリ
8. 日本一のおかあさん
9. 新婚さんいらっしゃい
10. 唄子・啓助のおもろい夫婦
調査対象:
静岡県沼津市在住の主婦800名
調査票の構成:
予備的なグループ・インタビュー結果、予想される充足タイプをに関する「充足態様に関するファセット」を作成し、これをもとに調査項目を作成。
調査実施:
1. 主婦6名を対象とするグループ・インタビューを実施
2. 主婦800名を対象とする郵送、訪問回収調査を実施(回収率86.8%)
(2)調査結果
分析の手続き:
各番組ジャンルごとに、、McQuittyの要素連関分析(ELA)、セントロイド法による因子分析、MDS(多次元尺度解析)の代表的手法であるクルスカルの方法とガットマンのSSAを用いて、充足タイポロジーを析出した。
分析結果:
ここでは、クイズ番組(アップダウンクイズ、ベルトクイズ Q&Q、クイズグランプリ)に関する充足タイポロジーだけに絞って、分析結果を紹介する。
まず、要素関連分析(ELA)の結果を見ると、「知識の習得やテスト、頭の訓練などの観点からクイズ番組を受容するクラスター」「クイズ番組によって味わうスリルや緊張感が楽しいという充足タイプ」「日常性からの一時的な逃避を示す項目」「クイズ番組の出場者の勝敗を予想したり、競争のスリルを楽しんだりする充足タイプ」「クイズ番組を視聴しながらそれに回答することが一種の自己確認の機能を果たし、それを通じて満足を味わう充足タイプ」「視聴者がクイズ番組に同一化し、自分もクイズ番組に参加している気分になって楽しむという充足タイプ」といった充足クラスターが検出された。いずれも、従来のU&G研究で得られた充足タイプと重なるところが大きいように思われる。すなわち、「教育的アピール」「日常生活からの逃避(気晴らし)」「競争のアピール」「自己確認」「代理参加」など。
次に、因子分析の結果を見ると、「学習への刺激」(第1因子)、「登場人物との擬似社会的な関係」(第2因子)、「緊張感」(第3因子)、「知的効用」(第4因子)、「競争を通じての自己確認」(第5因子)という5つの因子が析出された。これも、従来のU&G研究の知見と共通する結果と言える。
MDS分析は、異なる因子間の近接性を2次元空間上にマッピングして分析できる多次元尺度解析法である。クイズ番組に関する質問項目と因子間の関係をMDSで解析したところ、学習への刺激(I)が、知的効用(IV)と緊張感(III)とに隣接しており、知的効用は競争を通じての自己確認(V)につながり、緊張感の方は、登場人物との擬似社会的な関係へとつながっていき、最後に、この両者が近接し、I→IV→V →II→III→Iというサイクルをなしているという結果が得られた。このように、因子(充足タイプ)間の相互関係が2次元空間上で納得のいく形で表示されたことは、量的なU&G研究の有用性を示すものといえよう。
クイズ番組の充足タイプに関するMDS分析の結果(竹内他, 1977, P.127)
はつ
インターネット時代のU&G研究
1990年代以降、インターネット、ウェブ、ソーシャルメディアなど、いわゆる「ネット」上のコンテンツが爆発的に増加し、オーディエンスのメディア接触も、マスメディアからネットへとシフトしつつある。それにともなって、マスメディアに関するU&G研究は減少し、ネットメディアに関するU&G研究が増える傾向が見られる。以下では、Webサイト、インターネット、ソーシャルメディアに関する最近のU&G研究の事例を紹介しておきたい。
ウェブサイトの充足タイポロジー
(1) ファーガソンとパースの研究(2000年)
ファーガソンとパース(Ferguson & Perse, 2000)は、インターネットのウェブサイト利用において も、テレビと同じような「利用と満足」の充足パターンがみられるかどうかを検証するために、テレ ビの場合と共通の充足設問を用いた調査を行った。その結果、①娯楽(entertainment)、②暇つぶし (pass time)、③リラクゼーション(relaxation)、④社会的相互作用(social information)に関して、ウェ ブ利用はテレビと同じような機能を果たしていることがわかった。ウェブサイトはとくに 気晴らし的に使われていることがわかった。一方、ウェブ利用は、テレビほどにはリラクゼーション 的な役割を果たしてはいないという結果も得られた。
調査の概要:
1. 調査対象:1997年10月から11月にかけて、アメリカの中西部と東海岸に位置する2つの大学の大学生250名を対象にオンライン調査を実施。
2. 調査方法:調査はHTML形式で作成され、コースのWebページにリンクされた。その後、学生たちはテレビ、ラジオ、印刷メディア、録音音声、ワールド・ワイド・ウェブを含むメディア利用に関する3日間の日記を記録した。日記はコースのWebサイトを通じて課題の一環として提出された。
調査結果:
Webサイトの利用動機に関する27の設問項目を因子分析にかけてみたところ、4つの主要な因子が検出された:
第1因子:娯楽 (Entertainment) : 刺激的な娯楽を求めるためにWWWを利用する
第2因子:暇つぶし(Pass time):空いた時間を埋めるためにWWWを利用する
第3因子:リラックス・逃避(Relaxation - Escape):仕事から離れてリラックスするためにWWWを利用する
第4因子:社会的情報の入手(Social information):学びや会話のきっかけとなる情報を見つけるための利用
本調査は、Webサイトがある程度テレビに対する機能的代替手段として利用されることを示すものと言える。同時に、ウェブの利用動機で「娯楽」が一番多いという知見が得られたが、これはウェブがテレビとある程度類似した利用お次の文章を日本語に訳してください。充足をもたらしていることを示唆している。
(2) 三上の研究(2002年)
次に紹介するのは、Fergusonnらの調査を踏まえて、日本で行われたU&G研究である。この調査研究は、三上が日本代表を務める「ワールドインターネットプロジェクト」(WIP)という国際共同研究の一環として実施されたものである。本調査の目的は、PCウェブや携帯ウェブの利用と満足の実態を明らかにすると同時に、テレビの利用 と満足についても同じ設問を用いて調査することによって、在来メディアであるテレビと新しいデジ タルメディアであるインターネットについて、利用と満足の構造がどのように異なるのか、あるいは 共通しているのかを解明することにあった。日本で実施されたインターネットのU&G研究としては最初のものである。
調査の概要:
1. 調査対象:全国の満12 歳以上75 歳以下の男女個人3,500人。
2. 調査期間:2002年10月〜11月
3. 調査方法:調査員による訪問留置訪問回収法
4. 調査項目:
PCウェブ、携帯ウェブ、テレビの3つについて、それぞれ12 項目の充足ないし効用 を設定し、そうした経験が「よくある」から「まったくない」まで4段階で答えてもらった。設定項目は、テレビに関する従来の研究結果やファーガソンとパースの研究などを参考に、「情緒的解放」「気晴らし」「習慣的視聴」「対人関係への効用」「擬似的相互作用(バーチャルリアリティ)」「日常生活か らの逃避」「環境監視(社会情報、趣味情報の入手)」など12 項目を選定した。
調査結果:
PCウェブの充足項目について、回答データを因子分析にかけたところ、次のような結果が得られた。
第1因子:バーチャルな世界での充足
・.情報発信者を親しい友達や相談相手のように感じる
・日常生活上の悩みや問題を解決する助けになる
・日常のわずらわしいことから一時的に逃れることができる
第2因子:娯楽、情緒的解放
・楽しいと感じる
・思わず興奮することがある
・見つけたことを友達と話題にできる
第3因子:社会的情報の入手
・いま世の中で起こっている出来事がわかる
・仕事や勉強に役立つ情報が手に入る
・趣味やレジャーに役立つ情報が手に入る
第4因子:暇つぶし、リラックス
・退屈なときの暇つぶしになる
・つい習慣でアクセスしてしまう
・くつろいだり、リラックスしたりできる
携帯ウェブとテレビについても、それぞれ因子分析した結果、PCウェブとまったく同一の4因子が抽出された。このことは、インターネットのウェブサイト利用に伴う利用と満足の構造が、在来マスメディアであるテレビの場合と共通していることを示すものであり、ウェブサイトの利用行動が、テレビ視聴行動を機能的に代替する可能性を強く示唆するものといえる。また、Fergusonらの調査結果ともかなり共通する因子構造が得られており、文化的な差異を超えたウェブの利用と満足のパターンが見出されたことは興味深い。
ソーシャルメディアのU&G研究
2000年代に入ると、インターネット上でユーザーがコンテンツを作成、共有、交流できるプラットフォームが作られるようになった。これは「ソーシャルメディア」あるいはSNSと呼ばれるようになり、スマートフォンの普及とともに、ウェブと並んで一般個人がもっともよく利用するネットメディアとなった。それに伴い、ソーシャルメディアに関するU&G研究も行われるようになった。次に紹介するのは、そのうちの一つで、2013年に公開された研究である。本研究の目的は、ソーシャルメディアにおける「利用と満足」アプローチの重要性を示すことにあった。
調査の概要:
1. 調査対象:18歳から56歳までの25名(女性52%、男性48%)
2. 調査方法:詳細なインタビューを実施
3. 調査項目:
- なぜソーシャルメディアを利用するのか?
- なぜ友人はソーシャルメディアを利用するのか?
- ソーシャルメディアのどこが楽しいと感じるか?
- ソーシャルメディアをどのくらいの頻度で利用するか?
調査の結果:
得られた質的データについて、U&G研究の先行研究を参考にして、利用と満足のカテゴリーに分類。ディスカッションを重ねて分析した結果、10の利用と満足のテーマが導き出された。数字は、それぞれの充足タイプの回答率を示す。
(1) 社会的交流(Social interaction) 80%
(2) 情報探索(Information seeking) 80%
(3) 暇つぶし(Pass time) 76%
(4) 娯楽(Entertainment) 64%
(5) リラックス(Relaxation) 60%
(6) 意見表明(Expression of opinions) 56%
(7) コミュニケーションの有用性(Communicatory utility) 56%
(8) 利便性の効用(Convenience utility) 52%
(9) 情報の共有(Information sharing) 40%
(10) 監視 / 他者についての知識(Surveillance/knowledge about others) 20%
調査の結果は、ソーシャルメディアがユーザーに対して多様な充足を提供していることを示している点で興味深いが、調査の方法が、少数サンプルに対する質的インタビューだけで終わっているので、データとしての信頼性はあまり高くない。今後、ソーシャルメディアをテーマとした定量的なU&G研究が出てくることを期待したい。
「利用と満足」研究 2.0 ?
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第2部 現実構成論の展開:擬似環境論からフェイクニュースまで
リップマンの擬似環境論
11月21日(木)〜22日(金)
擬似環境論
ステレオタイプ論
三上俊治「世論過程の動態」東洋大学社会学部紀要 (31-1) 123-210 1993年6月
1993年7月衆議院選挙におけるマスメディアの役割
東洋大学社会学部紀要 (31-2) 143-202 1994年3月
テレビによる社会的現実の認知に関する研究
三上俊治, 橋元良明, 水野博介, 竹下俊郎
東京大学新聞研究所紀要 (38) 73-124 1989年1月
現実構成過程におけるマスメディアの影響力 -擬似環境論から培養分析
三上 俊治
東洋大学社会学部紀要 (24-2) 238-280 1987年3月
Public Awareness of Earthquake Threat and Expected Individual Response to the Short-term Earthquake Predictions Warnings in the Tokai District
三上 俊治
Earthquake Prediction Research (3) 651-673 1984年12月
三上俊治「世論過程の動態」東洋大学社会学部紀要 (31-1) 123-210 1993年6月
1993年7月衆議院選挙におけるマスメディアの役割
東洋大学社会学部紀要 (31-2) 143-202 1994年3月
パニックおよび擬似パニックに関する実証的研究
三上 俊治
東洋大学社会学部紀要 (21) 155-202 1984年3月
パニック理論の回顧
三上 俊治
東洋大学社会学部紀要 (20) 125-154 1983年3月
地震予知情報と住民の反応
三上 俊治
東洋大学社会学部紀要 (20) 1-36 1982年3月
余震情報パニックの実態
三上俊治, 水野博介
新聞研究 (4月号) 42-55 1978年4月
How Television News Matters: Television News Viewing and Environmental Awareness in Japan.
川端美樹, 三上俊治
Keio Communication Review 23(23) 37-52 2001年3月
Influence of the Mass Media on the Public Awareness of Global Environmental Issues in Japan
三上俊治, 竹下俊郎, 川端美樹
Asian Geographer 18(18) 87-97 1999年7月
マスメディアの現実構成機能
11月23日(土)〜24日(日)
「3つの現実」モデル(Adoni & Mane)
マッカーサーデーの中継に関する研究(Lang夫妻)
社会的現実の認知へと影響(三上ら)
擬似イベントからメディア・イベントへ
皇太子結婚パレード中継に関する研究(水野、三上)
擬似パニックに関する研究(三上)
テレビの培養効果
11月25日(月)
マスメディアの議題設定機能
11月26日(火)
世論形成における沈黙の螺旋理論
11月27日(水)
インターネット時代の現実構成:フィルターバブルとエコチェンバー
11月28日(木)
フェイクニュースと擬似環境論
11月29日(金)
Gammaによるパワポスライドの作成
12月6日(金)