1. 生きるという選択肢(起)
今朝、いつものように近所の緑道を歩いていたら、大きな黒アゲハが私の横をひらひらと舞っているので、オヤっと思った。しばらくすると、蝶は私のすぐ前を横切るようにして、大きく舞いながら去っていった。ふとそのとき、最近NHK BSで見た映画のことを思い出した。ロビン・ウィリアムズ主演の『パッチ・アダムス』だ。
それは、実話に基づく感動のヒューマン・ドラマ。主人公のハンター・アダムズ(愛称パッチ)は、心を病んで精神病院に入院するが、そこでユーモアで人を癒す才能に目覚め、退院後、医者への道を志す。幾多の困難に遭いながらも、バージニア大学医学部を優秀な成績で卒業したパッチは、愛する女性医師カリンらを誘って、自然豊かな土地に無料の医院を設立し、大きな評判となる。しかし、ある日、カリンは悪い男の手にかかって命を奪われてしまう。カリンが命を落とすことになったのは、彼女を誘った自分のせいだと深い罪の意識に駆られた挙句、パッチは崖から飛び降りて自殺しようと決意した。けれども最後の瞬間、どこからともなく、ひらひらと舞い降りてきた蝶が、まるで何かに誘うかのようにパッチの胸にとまり、それから大空に向かって舞い上がった。これを見たパッチは、それがカリンであることに気づき、再び生きる勇気を授けられる。それから、パッチは再び病院に戻り、残りの生涯を病に苦しむ患者たちのために捧げるのだった。
パッチがあの崖の上から飛び降りて死ぬことは、他に考えられぬ選択肢だったが、その最後の瞬間に、突然もう一つの選択肢が提示された。それが美しい蝶の姿を借りて、「生きよ」と伝えようとした、愛するカリンの天国からのメッセージだったのである。人生行路の重大な局面で、人は誰でも大きなY字路の前に立たされる。左の道を行くべきか、それとも右の道を取るべきか。どちらを取るかは、その人の選択に任される。人間は自由な存在だからだ。でも、どちらの道を選ぶかによって、人生は大きく変わる。たいていの場合、一見すると、すでに歩き慣れた楽な道を選ぶ方がいいような気がする。でも、それは世俗的な成功を保証する賢明な選択肢ではあっても、天命に叶う道ではないことも少なくない。医師パッチは、いわば天命に従ったのだと思う。
そのロビン・ウィリアムズ自身は、63歳の時、病苦の果てに自殺してこの世を去った。オバマ大統領は追悼談話を発表し、「ロビン・ウィリアムズはパイロット、医師、妖精、ベビーシッター、大統領、教授、ピーターパン、そしてその間にいるすべてだった。最初は宇宙人として登場し、やがて人の心のあらゆる要素に触れた。私たちを笑わせ、泣かせてくれた。それを必要としている人たちのために、無限の才能を惜しみなく発揮してくれた」とその死を悼んだという。私にとっても、大好きな俳優の一人だった。もしかすると、彼の人生最後のY字路を前にしての選択は、「あなたは地上で十分に人々を楽しませるという使命を達成したのだから、安心して天国への道を歩いていけばいいんですよ」という天からのメッセージに従った結果だったのかもしれない。
(続く)
↓新宿区早稲田通りから「漱石山房通り」に分かれるY字路。右の狭い通りを辿れば、やがて漱石山房記念館に至る。漱石像の横には「則天去私」の石碑がある。
2. 内なる神の導きに従うとは(承)
「人生のY字路」という表現は、私のオリジナル・アイディアではない。それは、画家の横尾忠則さんのライフワーク「Y字路」シリーズからヒントを得たものである。たまたま、6月2日にNHK BS『横尾忠則 87歳の現在地』を見ていたら、「Y字路」という一連の絵画が紹介されていたのを見たのが最初である。いったい、横尾さんはなぜ長い間、Y字路を主題とした絵画を執拗に描き続けているのかがわからず、自分なりに色々と考えた挙句、ハタとその重要性に気づいたのだった。
番組での紹介によれば、Y字路とは、「運命の分かれ道」であり、「生と死の境」を表しているという。そう言われると、これは私の死生観とも一致する。第1回の投稿でも触れたように、人は人生行路の中で、必ずY字路つまり「運命の分かれ道」に遭遇する。それぞれに「道しるべ」がついていて、左に進めばどこそこへ通じる、右に進めばどこそこへ通じる、と記されているかもしれない。どちらの道標に従うかは各自の自由な判断に委ねられている。しかし、「正しい選択」は、実はひとつしかない。それは「内なる神」の導きに従うことである。では、どうすれば「内なる神の導き」を知ることができるのか?それは、おみくじを引くことでもないし、神に祈りを捧げることでもない。それは、透明無比の魂から湧き出る「正しい思考の泉(神から由来するインスピレーション)」を汲み取ることによってである。無垢の心を持った子供はいつでもそれをしているから、本来は誰でもできるはずである。でも、実際には大人たちの多くは煩悩の沼に足を取られて、そうしたインスピレーションを受け取ることができなくなっているのである。
荒井由美:やさしさに包まれたなら
ごく少数の例外的な、子供のように純真無垢の魂を持つ大人だけが、Y字路を前にして、インスピレーションを受けたとき、苦難に満ちた正しい道を選択して偉大な人生を歩むことができるのである。その一つの例が、横尾忠則さんだった。横尾さんは、1960年代、飛び抜けた才能を持つグラフィックデザイナーとして一世を風靡した。しかし、1980年7月、ニューヨーク近代美術館でピカソ展を見ている最中に、電撃的なインスピレーションを受け、グラフィックデザイナーから画家への転身を決意し、以後、画家としての人生を歩むことになったのである。そして、87歳になる現在まで精力的に創造的な絵画を制作し続けているのである。もし、あの時、絵画への転身の道を選ぶことなく、そのままグラフィックデザイナーとしての人生を続けていたらどうなっただろうか。すでに、グラフィックデザイナーとして、世界的な評価と人気を得ていたわけだから、安定した収入と世俗的な名声を得続けていただろうことは想像に難くない。でも、それは横尾さんの「内なる神の導き」とは違っていたわけだから、それを放棄することは、たとえそれが苦難の道の始まりだったとしても、後悔のない道だったろうことは、他人である私にも十分理解できる。
同じようにY字路を前にして正しい選択をした歴史上の偉人を辿ると、ユダの裏切りを知りながら十字架の刑に服するという道を選んだイエス・キリスト、神の声に従って、男装して困難な戦いに身を投じたジャンヌ・ダルク、大学教授でなく普通の事務職の道を選び、相対性理論を発見したアインシュタイン、恵まれた修道女としての地位を約束されながら、貧しい人々を助けよという神の声を聞き、最下層の貧しい人々の中に飛び込んで彼らの救済に生涯を捧げたマザー・テレサ、息子ショーンが誕生した時、ヨーコの求めに応じて音楽活動を中断して子育てに専念したジョン・レノン、妻と共に世界の貧困撲滅のために財団を設立したビル・ゲイツ、アップル創設者でありながらアップルを離れる決断をし、裸一貫でNext社でイノベーションを起こして今日のAppleの基礎を築くに至ったスティーブ・ジョブス、戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンで、医療活動とともに人道・復興支援活動に身を捧げた中村哲医師、俳優の道から転身し、侵略者ロシアと勇敢に戦い続けるウクライナ大統領のゼレンスキーなどを思い浮かべることができる。いずれも、人生の岐路に立ったときに、「内なる声」=運命の導きにしたがって困難な道を選んだ勇気ある行為だった。これらすべての偉人たちが、純真無垢な子供のような魂を持ち続けていたことは決して偶然ではなかっただろう。
3. カウボーイの夢 (転)
私が「人生のY字路」を初めて知ったのは、中学生の頃だった。数学の担任教師だった小笠原先生が生徒たちに教えてくれた「カウボーイの夢」という歌に、それは出てきた。こんな歌詞だった。
夕べの空を見た 牧場に寝ころび
僕らの行く末を 星に占った
ローン ローン ローン ローン
風が吹いてきて
ローン ローン ローン ローン
星が流れゆく
幸せの道には イバラが生えてる
明るいともしびは 地獄へのランプ
ローン ローン ローン ローン
風が吹いてきて
ローン ローン ローン ローン
星が流れゆく
残念なことに、小笠原先生は、まだ若くて現役にして、ガンのために亡くなってしまった。だから、この歌は先生が私たち生徒に残した遺言のように思われ、いまだに心に強く焼きついている。その後の人生で、困難に直面するたびに、この歌から大きな励ましをもらってきたような気がする。
「幸せの道には イバラが生えている
明るいともしびは 地獄へのランプ」
たとえイバラの生い茂る、辛く厳しい道であっても、それが幸せに通じる道ならば、勇気を持ってその道を歩め、との教えだろう。
カウボーイの夢:
YouTubeで原曲を調べたところ、A Cowboy's Dreamというアメリカ民謡だった。問題の歌詞の原詩は、
The road to that bright happy region
Is a dim narrow trail so they say
But the broad one that leads to perdition
Is posted and blazed all the way
「あの明るい幸せな地域への道は
薄暗い細い道だと言われるが
滅びへと続く広い道は
その道はすべて、標識で照らされている」
(DeepL訳)
というものだった。
A Cowboy's Dream
↓渋谷109のY字路交差点(2024年6月19日撮影)
左手の道玄坂を登ると、しばらくは賑やかなお店が続くが、その先には楽しいものは何もない。右手の通りをいくと、解体中の東急デパートがあるが、そこを通り過ぎれば、やがてNHK放送センターと美しい代々木公園に行き着く。
4. つながる生と死の世界(結)
今日は、午前中、渋谷区立中央図書館で一仕事した。ここには何故か、横尾忠則さんの著書がたくさん所蔵されているからだ。もしかすると、横尾さんの長年の盟友だった和田誠さんの記念文庫が設けられているからかもしれない。
読みたかった写真集『横尾忠則 Y字路』(2006年)を借り出すことができた。他に、横尾さんの死生観を理解するために、3冊の著書も借り出し、PCも入れて重いリュックをエッチラオッチラ担いで、渋谷まで戻ってきた。今回も、サクラステージのスターバックスに立ち寄って、お茶をしながら、この写真集をゆっくりと鑑賞するつもりだ。その前に、東郷神社で、4枚目となる「最後のY字路」を撮影。これは、連載4回目の「生と死の分かれ目」に相応しい光景かもしれない。
この写真集を見ていると、画家としての横尾忠則の力量の大きさを改めて認識することができる。どこか、ゴッホの絵を見ているような感覚にさせられる。やはり、1980年のグラフィックデザイナーから画家への転身は正しかったようだ。
この写真集に収められているY字路の前半は、「暗夜行路」シリーズなど夜の風景だ。暗い背景に吸い込まれるように消えてゆく二つの道が印象的。NHK BSの番組では、横尾の描くY字路には、「運命の分かれ道」と「生と死の境」の二つの意味があると紹介されていたと記憶する。夜のY字路は、さしずめ、生と死の境を連想させる。
「生と死の分かれ道」という点で言えば、この連載の第1回で取り上げた、「パッチ・アダムス」の崖上で自死を思いとどまる場面がそれに近いかもしれない。横尾さんはY字路で何を表現したかったのだろうか?2024年に神戸の横尾忠則現代美術館で開催された「横尾忠則 ワーイ!★Y字路」展に寄せて、横尾さん自身が寄せたメッセージによれば、
とされている。ここでは、死というY字路を前にした選択には触れていないが、それを含めて、Y字路の解釈は私たち自身が自由にしてもいいんだというメッセージのように思われる。
NHK BSで放送された『横尾忠則 87歳の現在地』の台本として使われた、横尾忠則著『老いと創造』(2023年11月 講談社現代新書)には、死というものに対する横尾さんの考え方が次のように記されている。
「去年から今年にかけて、友人知人が40から50人亡くなりました。自分だって、今日明日にでも、彼らと同じところへ行くかもしれません。しかし、もうすでに僕も、向こうにいる彼らの仲間の一人かもしれません。最近は、こちらの世界とあちらの世界の区別さえつきません。向こうもこちらも地続きです。ですから、僕は半ば死者の目で、この生者のいる現世を眺めています。生と死は、単に次元を異にした、同じものだということです。」
「こちら」と「あちら」というのは、仏教的な死生観の「此岸」と「彼岸」の比喩と近いような気もするが、「向こうもこちらも地続き」というのは、三途の川でこの世とあの世を分ける仏教思想とは明らかに異なる。また、「こちらの世界とあちらの世界の区別さえつかない」とか「向こうにいる彼らの仲間の一人かもしれない」という考え方も、伝統的な仏教思想とは異なっている。しかし、死が人生最後の「Y字路」だという視点に立つならば、横尾さんのような生死を連続的、地続きのものとして捉えるのは、ごく自然のものかもしれない。Y字路を右側に折れていくのが「死」だとすれば、人の魂は死んだ後でも、必要に迫られれば再び道を戻って、Y字路から左折して生者のもとへ帰ることも可能かもしれない。私自身、去年の夏、スイス・アルプスで山登りをした時、生前山男だった父から助けられるという不思議な体験をしたことがある。また、最近では、近所を歩いているときなど、自分が天国の世界に迷い込んだのではないか、と錯覚を覚えることも少なくない。ジョン・レノンが「イマジン」で歌ったように、天国は空の上にあるものではなく、「世界中の人たちが兄弟のように一つになった」地球上にいつの日か(あるいは現在すでにどこかに)存在するものなのかもしれないと思う。
Y字路は、あくまでも、人生の岐路を示すための一つの喩えに過ぎないのだろう。左右どちらの道を選ぶかは個人の自由だが、横尾さんはいつも「運命の導き」に従うのが楽ちんだから、そうするのだと言っていた。私もその点、全く同感だ。(完)
↓東郷神社前のY字路:
鳥居をくぐって真っ直ぐ進むと、どこか死を連想させる東郷神社の参道へ。左の光あふれる道路を進めば、原宿の天国(竹下)通りに至るはず。(2024年6月19日撮影)