著者:
三上俊治(東洋大学名誉教授)
専門領域:社会心理学、メディア・コミュニケーション論
人類の地球観を大きく変えた4つの出来事と個人的体験
1. アブシンベル神殿救済キャンペーンと世界遺産制定
1960年、アブシンベル神殿水没の危機
私たちの住む地球が、かけがいのない貴重な文化遺産と自然遺産の宝庫であること、それらを全力で守ることが人類共通の義務であることに私たちが気づいたのは、1960年のある出来事だったのではないかと思います。
1952年、エジプト政府は国家の近代化と国民生活向上のために、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設を策定しました。ところが、これによって建設地にあったアブ・シンベル神殿やイシス神殿などの貴重なヌビア遺跡群が水没してしまうという危機にあったため、ナセル大統領がユネスコに救済を求め、ユネスコでは1960年から大々的な遺跡救済キャンペーンを開始しました。
1964年からは本格的な募金活動が始まり、世界約60カ国からの協力により、歴史上類を見ない大規模な遺跡移転・救済が実現することになりました。
世界遺産条約の締結
ユネスコが主導したキャンペーンに世界中の国々、団体が参加したことで、「人類共通の遺産を守る」という新たな理念が生まれ、それが10年後の世界遺産条約締結につながることになりました。この事例を受けて、1968年、ユネスコは文化遺産の保存と経済開発の調和をはかることは各国の義務だとする「公的または私的の工事によって危険にさらされる文化財の保存に関する勧告」を採択しました。
1972年11月16日、パリで開かれた第17会期ユネスコ総会において、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(略称「世界遺産条約」:Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)が採択されました。翌年アメリカ合衆国が最初に批准し、1975年9月17日に締約国が20か国に達したため、同年12月17日に正式に発効しました。日本が批准したのは1992年のことで、これ以降日本でも世界遺産が登録されることになりました。
世界遺産条約の目的は、人類にとってかけがえのない価値を持つ記念建造物や遺跡、自然環境などを、人類共通の財産である「世界遺産」として保護し、次世代に伝えていくための仕組みをつくることにあります。条約締約国には、全人類に普遍的な価値を持つ遺産の保護・保存に関する国際的援助体制の確立および将来の世代への伝達を義務づけています。また、「世界遺産リスト」の作成や登録された遺産保護支援を行う「世界遺産委員会」の設置や、締約国からの拠出金や贈与などを資金とした「世界遺産基金」の設立を明記しています。
世界遺産の登録
1977年、第1回世界遺産委員会が開催されました。この委員会で、世界遺産登録の基準なども含む「世界遺産条約履行のための作業指針」が策定されました。1978年の第2回世界遺産委員会では、エクアドルのガラパゴス諸島や西ドイツのアーヘン大聖堂など12件(自然遺産4、文化遺産8)が最初の世界遺産リストに登録されました。翌年の第3回世界遺産委員会では、世界遺産誕生のきっかけとなったヌビア遺跡などを含む45件が登録され、エジプトとフランスが保有国数1位となりました。
その後、世界遺産条約締約国は190か国を超え、2024年2月現在の世界遺産登録数は1,199件(文化遺産933件、自然遺産227件、複合遺産39件)に達しています。
いまや、私たちは地球上に広く分布する数多くの文化遺産や自然遺産をめぐることによって、人類共通の宝物を思う存分に愛でることができるようになったのです。
全世界遺産1,199件の概要は、筆者が次のサイトで詳しく紹介していますので、ご参照ください。
-
World Heritage Online - 世界遺産を学ぶ
世界遺産(World Heritage Site)とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、文化財 ...
続きを見る
2. アポロ11号月面着陸と「宇宙船地球号」の発見
私たちの地球観を大きく変えるきっかけとなった次の出来事は、1969年に起こりました。それは、宇宙船アポロ11号による人類初の月面着陸です。
アポロ11号に乗り組んだ、ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の2名のアメリカ人は、1969年7月20日20時17分にアポロ月着陸船「イーグル」号を月に着陸させました。アームストロングは月面に降り立った最初の人物となり、その19分後にオルドリンがアームストロングに続きました。二人は約2時間15分をともに船外で過ごし、47.5ポンド(21.5キログラム)の月物質を地球に持ち帰るために採取しました。2人が月面にいる間、マイケル・コリンズ司令船操縦士はひとり月周回軌道上で司令船「コロンビア」号を飛行させました。アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごしたあと、月周回軌道上で再び「コロンビア」に合流しました。(Wikipediaより)
アームストロングが月面に最初の一歩を踏み下ろす場面は、テレビジョン放送を通じて全世界に向けて生中継されました。日本でもテレビ中継は注目を集め、月面作業の中継時の平均視聴率は82%に達しました(ビデオリサーチ調べ)。アームストロングはこの出来事について「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べました。
アポロ11号から撮影された半月のような地球の映像は、全世界の人々に大きな印象を与えました。その美しい瑠璃色の小さな惑星は、私たちにまるで「宇宙船地球号」の乗客であるかのような運命共同体の意識を植え付けたのでした。このような地球共同体意識が生まれた背景には、テレビによる全世界同時中継という巨大な映像メディアの存在がありました。
今や、私たちが一緒に守らねばならない「瑠璃色の宇宙船地球号」のイメージは、国民的歌手である松田聖子さんによっても歌われるまでになっています。
ガラスの海の向こうには
広がりゆく銀河
地球という名の船の
誰もが旅人
ひとつしかない
私たちの星を守りたい
朝陽が水平線から
光の矢を放ち
二人を包んでゆくの
瑠璃色の地球
瑠璃色の地球
(1986 松田聖子「瑠璃色の地球」歌詞より抜粋)
宇宙飛行士の見た地球
宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時の感想は、地球が特別の星だということでした。次の記事は、『ナショナル・ジオグラフィック』に掲載されたものです。
2009年、ハッブル宇宙望遠鏡を修理するため宇宙へ向かった米国航空宇宙局(NASA)の飛行士マイク・マッシミーノは、命綱で望遠鏡につながれて作業しながら、眼下の地球に見ほれた。南米の緑あふれる熱帯雨林やアフリカの荒涼とした砂漠、都市のまばゆい光が広がり、まるで楽園のようだった。
「ある時点まで、天国から地球を見ると、こんなふうに見えるのだろうと思っていました。しかしその後、『違う。これはそれ以上に美しい』と思うようになったのです。天国そのものがこのような姿に違いありません。この惑星は一つの楽園なのだと思います」(宇宙に行って眺めた地球は「天国よりも美しい」)
3. 地球温暖化とSDGs
地球温暖化問題の議題設定
地球全体の未来の問題が危機意識をもって世界中で真剣に議論されるようになったのは、地球温暖化問題が初めてだったのではないかと思います。19世紀末には、スウェーデン人の物理化学者アレーニウスが大気中のCO2の濃度が上がると気温が上昇することを指摘し、科学者の間ではこの原理はよく知られるようになりました。国際地球観測年であった1957年(昭和32年)、大気中のCO2濃度の定期的な測定が世界で初めてハワイ・マウナロア観測所で開始されました。このようなモニタリング結果の蓄積等を背景として、1970年代の終わり頃から地球温暖化に関する科学者の報告が活発に行われはじめました。1985年(昭和60年)10月には、温暖化についての初めての科学者の国際会議であるフィラハ(オースラリア)会議(UNEP主催)が開催され、「21世紀前半には、地球の平均気温の上昇が人類未曾有の規模で起こり得る」との声明を出しています。その3年後、1988年のことです。アメリカの穀倉地帯が猛暑と干ばつに襲われました。同年6月23日、米国上院公聴会において米国航空宇宙局のハンセン博士が、熱波と旱魃の原因が地球温暖化である可能性があることを証言し、アメリカのメディアがこれを大きく報道することによって、地球温暖化が社会的に大きな注目を浴びるようになりました。その数日後の6月27日〜30日に開催されたカナダ・トロント会議(大気変動に関する国際会議、G7トロントサミットの直後にカナダ政府が主催)には、46か国と国際機関から政治家、科学者等が集まり、温暖化が国際的に重要な政策課題として、初めて議論されました。この会議では、「とりあえずの目標としてCO2排出量を2005年(平成17年)に1988年レベルの2割削減すること」が提案されました。このことが大きな契機となって、各国内や国際的な政治の場でも積極的に取り上げられるようになり、地球サミットでの「気候変動枠組条約」の締結につながったのです。
地球温暖化問題が世界的に大きな関心を集めるようになった直接のきっかけは、翌1989年1月の『タイム』誌の報道でした。アメリカの週刊誌『タイム』は、1989年の年頭号で地球環境問題を特集しました。同誌の表紙はふつうなら、その年を象徴する人間の顔なのですが、この時は地球をビニールで包み、ロープで縛り上げた絵 (Planet of the Year)だったのです。これを受けて、世界中のマスコミが地球温暖化問題を大々的に報道するようになったのでした。まさにこの年、地球温暖化問題はマスメディアによって最重要な争点として議題設定されることになったのです。その後の歩みは、1990年のアース・デー制定、1992年の地球環境サミット、国連気候変動枠組条約締結国会議(COP)の相次ぐ開催と、ご存知の通りです。私たちの住む地球がいまや、温暖化という深刻な気候変動によって危機にされされているという共通認識が生まれるようになったのです。
参考文献:
環境省『平成9年版・環境白書』
岡島成行『アメリカの環境保護運動』(1990年 岩波新書)
SDGsの策定
1992年にリオ・デジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)(地球サミット)では、世界170国以上の代表が地球環境問題が議論し、気候変動枠組条約と生物多様性条約の署名が開始されたのに加え、「リオ宣言」は環境と開発が不可分であることを宣言し、その後の持続可能性に関するさまざまな議論の拠り所となる27の原則を定めました。行動計画としての「アジェンダ21」は、持続可能な開発のための包括的行動計画として、国家計画やローカルレベルでの計画の拠り所となり、「ローカルアジェンダ21」も地方自治体によってつくられていきました。けれども、この行動計画は、当初の目標とは異なり、もっぱら地球環境問題という狭い領域でしか実施されずに終わりました。この反省から、2000年になると、国連総会では、「ミレニアム宣言」を採択し、ミレニアム開発目標(MDGs: Millennium Development Goals)が策定されることになりました。MDGsは下記のような8つの目標と、21の具体的ターゲットをもつものとして、国連事務局が主導してまとめ上げた、2015年を達成期限とする目標群でした。
目標1 極度の貧困と飢餓の撲滅
目標2 初等教育の完全普及の達成
目標3 ジェンダー平等の推進と女性の地位向上
目標4 児童死亡率の削減
目標5 妊産婦の健康の改善
目標6 HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止
目標7 環境の持続可能性の確保
目標8 開発のためのグローバルなパートナーシップの推進”
けれども、MDGsは地球社会の開発目標としては、とても十分なものとは言えず、また期限内に達成されることもありませんでした。そこで、2011年のCOP+21で新たに提案されたのが、SDGsでした。SDGsは、2015年の国連総会で、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」として採択された世界の変革目標です。その前文は、次の通りです。
この計画(アジェンダ)は、人間と地球、そして 繁栄のための行動計画です。
そして、より大きな自由と、平和を追い求めるものでもあります。
わたしたちは、持続可能な世界を築くためには、
極度の貧困をふくめ、あらゆる形の、
そして、あらゆる面の貧困をなくすことが一番大きな、
解決しなければならない課題であると、みとめます。
すべての国と人びとが協力しあってこの計画を実行します。
わたしたちは、人びとを貧困や欠乏からときはなち、地球を守ることを決意します。
わたしたちは、持続可能で、強くしなやかな世界に向かう道を歩んでいくために、
今すぐ大胆で変化をもたらす行動を起こすことを決意します。
ともに持続可能な世界へ向かうこの旅をはじめるにあたり、
だれひとり取り残さないことを誓います。
わたしたちが発表する17の目標と169のターゲットは、
このアジェンダがどれだけ広く高い目標をかかげているかを表しています。
これらの目標やターゲットは、ミレニアム開発目標(MDGs)をもとにし、
達成できなかった目標をすべて達成することを目指しています。
すべての人の人権を実現し、ジェンダーの平等、
そして女性や女の子の能力を引き出すことを目指します。
これらの目標とターゲットは互いにつながり分けられないものであり、
持続可能な開発の3つの側面、
つまり、「経済」と「社会」と「環境」のバランスを保つものです。
これらの目標とターゲットは、人類と地球にとってとても大事な分野の、
2030年までの行動を進めるものになるでしょう。
(UNICEF訳)
SDGsで設定した17の目標とは、次のようなものです。
目標1:あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困を終わらせる【貧困をなくそう】
目標2:飢餓を終わらせ、食料の安定確保と栄養状態の改善を実現し、持続可能な農業を促進する【飢餓をゼロに】
目標3:あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確実にし、福祉を推進する【すべての人に健康と福祉を】
目標4:すべての人々に、だれもが受けられる公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する【質の高い教育をみんなに】
目標5:ジェンダー平等を達成し、すべての女性・少女のエンパワーメントを行う【ジェンダー平等を実現しよう】
目標6:すべての人々が水と衛生施設を利用できるようにし、持続可能な水・衛生管理を確実にする【安全な水とトイレを世界中に】
目標7:すべての人々が、手頃な価格で信頼性の高い持続可能で現代的なエネルギーを利用できるようにする【エネルギーをみんなに そしてクリーンに】
目標8:すべての人々にとって、持続的でだれも排除しない持続可能な経済成長、完全かつ生産的な雇用、働きがいのある人間らしい仕事(ディーセント・ワーク)を促進する【働きがいも 経済成長も】
目標9:レジリエントなインフラを構築し、だれもが参画できる持続可能な産業化を促進し、イノベーションを推進する【産業と技術革新の基盤をつくろう】
目標10:国内および各国間の不平等を減らす【人や国の不平等をなくそう】
目標11:都市や人間の居住地をだれも排除せず安全かつレジリエントで持続可能にする【住み続けられるまちづくりを】
目標12:持続可能な消費・生産形態を確実にする【つくる責任つかう責任】
目標13:気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を実施する【気候変動に具体的な対策を】
目標14:持続可能な開発のために、海洋や海洋資源を保全し持続可能な形で利用する【海の豊かさを守ろう】
目標15:陸の生態系を保護・回復するとともに持続可能な利用を推進し、持続可能な森林管理を行い、砂漠化を食い止め、土地劣化を阻止・回復し、生物多様性の損失を止める【陸の豊かさも守ろう】
目標16:持続可能な開発のための平和でだれをも受け入れる社会を促進し、すべての人々が司法を利用できるようにし、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任がありだれも排除しないしくみを構築する【平和と公正をすべての人に】
目標17:実施手段を強化し、「持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップ」を活性化する【パートナーシップで目標を達成しよう】
(蟹江憲史著『SDGs』より)
SDGsは、国連総会で全加盟国の賛成によって承認されました。まさに、地球社会が共通に抱えているすべての重要課題を、近未来において達成すべき目標として、一致して取り組むことの決意を示したものとして、極めて重要な意義をもつものだと思います。
参考文献:
蟹江憲史 著『SDGs(持続可能な開発目標)』
野田真里編著『SDGsを問い直す : ポスト/ウィズ・コロナと人間の安全保障 』(2022年 法律文化社)
4. 生成AIの登場と人間との共生
地球の未来にとって大きな衝撃を与える4番目の出来事は、「地球上の最後の被造物」(The Last Creature of the Earth)とも言える、「AI」(Artificial Intelligence)の登場とその飛躍的進化です。
AIの登場
「人工知能(AI:Artificial Intelligence)」という言葉は、1956年にアメリカで開かれたダートマス会議において、コンピュータ科学者のジョン・マッカーシーが使ったのが初出とされています。
第一次人工知能(AI)ブームは、1950年代後半~1960年代に到来しました。コンピューターによる「推論」や「探索」が可能となり、特定の問題に対して解を提示できるようになったことがブームの要因です。冷戦下の米国では、自然言語処理による機械翻訳が特に注力されました。しかし、当時の人工知能(AI)では、迷路の解き方や定理の証明のような単純な仮説の問題を扱うことはできても、様々な要因が絡み合っているような現実社会の課題を解くことはできないことが明らかになり、AIは冬の時代を迎えました。
第二次人工知能(AI)ブームは、1980年代に訪れました。「知識」を与えることで人工知能(AI)が実用可能な水準に達し、多数のエキスパートシステム(専門分野の知識を取り込んだ上で推論することで、その分野の専門家のように振る舞うプログラム)が生み出されました。日本では、政府による「第5世代コンピュータ」と名付けられた大型プロジェクトが推進されました。しかし、当時はコンピューターが必要な情報を自ら収集して蓄積することはできなかったため、必要となる全ての情報について、人がコンピューターにとって理解可能なように内容を記述する必要がありました。世にある膨大な情報全てを、コンピューターが理解できるように記述して用意することは困難なため、実際に活用可能な知識量は特定の領域の情報などに限定する必要がありました。こうした限界から、1995年頃からAIは再び冬の時代を迎えました。
第三次人工知能(AI)ブームは、2000年代に入ってから起こりました。まず、現在「ビッグデータ」と呼ばれているような大量のデータを用いることで人工知能(AI)自身が知識を獲得する「機械学習」が実用化されました。次いで知識を定義する要素を人工知能(AI)が自ら習得するディープラーニング(深層学習)が登場したことが、ブームの背景にあります。
第四次人工知能(AI)ブームは、2022年11月から始まりました。それは、生成AIの登場をきっかけとしています。ChatGPTを初めとする生成AIは新たに文章や画像、音声などをつくり出すことができる人工知能技術の一種です。ディープラーニング(深層学習)は、機械学習という人工知能の要素技術のなかでも、特に人間の脳を模倣した深いニューラルネットワークを学習する手法を指し、現在の生成AIはニューラルネットワークにもとづくディープラーニングによって実現されています。
参考文献:
総務省編『平成28年版・情報通信白書』
今井翔太著『生成AIで世界はこう変わる』(2024年1月 SB新書)
ChatGPTの衝撃
ChatGPTは、アメリカの組織OpenAIが2022年11月に一般公開した画期的な生成AI技術です。ChatGPTは、与えられたプロンプト(質問文)をもとに、大規模言語モデル(LLM)にもとづいて、求める言語データや画像データ(回答)を生成する技術です。ChatGPTは、GPT-3.5というLLMをベースとして開発されているが、ChatGPTPlus(有料)では、より高性能のLLMであるGPT-4も利用できます。例えば、ChatGPTに「SDGsについて説明してください」という質問(プロンプト)をしてみると、次のような回答が返ってきます。
SDGs(Sustainable Development Goals)は、2015年に国連が採択した持続可能な開発目標です。これは、2030年までに世界をより持続可能な方向に導くための指針として設定されました。SDGsは17の目標で構成されており、それぞれが貧困、飢餓、教育、ジェンダー平等、清潔な水、エネルギー、経済成長、気候変動、平和と正義など、異なる領域に焦点を当てています。
これらの目標は、持続可能な開発の三要素(経済的、社会的、環境的な側面)をバランスよく取り込んでいます。SDGsは、すべての国が取り組むべき共通の課題であり、地球規模の問題に対処するための協力と行動を促進することを目指しています。
SDGsは、持続可能な開発を推進するためのロードマップとして国際的に認識されており、政府、企業、市民社会、国際機関など、さまざまなステークホルダーが取り組む重要な枠組みとなっています。
このように、正確な回答がコンパクトに返ってきます。日本語の文章にも誤りは見られず、レポートとしても合格のレベルに達しています。
ChatGPTは、このような文章による説明の他、文章の要約、スペルなど文法の誤りチェック、文章の改善、多言語翻訳、コンピュータ・プログラムの生成、事業計画書の作成、Excel表計算、数学の問題を解くことなど、さまざまなタスクを一瞬でこなす驚異的な知能を有しています。
ChatGPTは、言語生成AIですが、最近では画像や動画を生成してくれるAIも発展しています。その代表は、2022年にStabilityAI社から公開された画像生成サービス「StableDiffusion」とMidjourney社の「Midjourney」です。これらは、直感的操作で、テキストから画像や動画を高精度で生成してくれるもので、「拡散モデル」と呼ばれるニューラルネットワークがもとになっています。同様に、音声・音楽生成AIの技術も発展を続けています。
シンギュラリティの意味するもの
生成AIが今後も発展を続けていけば、人間の行う情報処理をすべて生成AIが行うことができるようになり、しかもその処理能力は人間を遥かに超えるものになることが予想されます。それが「シンギュラリティ」といわれるものです。
発明家、未来思想家のレイ・カーツワイル氏によれば、技術的特異点(テクノロジカル・シンギュラリティ)とは、技術的「成長」が指数関数的に続く中で人工知能が「人間の知能を大幅に凌駕する」時点であり、これを推進することは「本質的にスピリチュアルな事業」だとしています。特異点では「われわれが超越性(トランセンデンス)──人々がスピリチュアリティと呼ぶものの主要な意味──に遭遇する」のであり、「特異点に到達すれば、われわれの生物的な身体と脳が抱える限界を超えることが可能になり、運命を超えた力を手にすることになる」ともカーツワイルは述べています。それが実現するのは、2045年頃だとも予言しています。
確かに、近年の生成AIの急速な発展は、生成AI技術の成長が指数関数的に進んでいることを示しています。また、生成AIの知能が近い将来、人類の持つ情報処理能力を超える可能性が現実のものとなりつつあることを示しています。それが2045年よりも早い時点で実現する可能性すら示唆されています。
カーツワイル氏によれば、人間の知能とAIの知能が融合して、「超知性」として、より進化した高度の知能が生み出され(エポック5)、さらに宇宙レベルの覚醒というさらに高度の進化が生まれる(エポック6)としています。
「これから数十年先、第5のエポックにおいてシンギュラリティが始まる。人間の脳に蓄積された大量の知識と、人間が作りだしたテクノロジーがもついっそう優れた能力と、その進化速度、知識を共有する力とが融合して、そこに到達するのだ。エポック5では、100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越することができる。」
「シンギュラリティの到来後、人間の脳という生物学的な起源をもつ知能と、人間が発明したテクノロジーという起源をもつ知能が、宇宙の中にある物質とエネルギーに飽和するようになる。知能は、物質とエネルギーを再構成し、コンピューティングの最適なレベルを実現し、地球という起源を離れ宇宙へ、外へと向かうことで、この段階(エポック6)に到達する。」
『シンギュラリティは近い : 人類が生命を超越するとき』 / レイ・カーツワイル著 ; NHK出版編
(「ポスト・ヒューマン誕生」のエッセンス版)
こうなると、ほとんどSFの世界であり、実際の未来像とは異なるのではないか、という疑念を抱かざるを得ません。
魂をもたないAIとその限界
カーツワイルによるシンギュラリティ到来の予言は、生成AIによる人間を超える超知能の出現によって、ある程度立証されたということができます。しかし、AIなどの機械的知性が人間の脳と融合して、新たな「意識」あるいは「魂」という、人間だけが持つ超越的意識のレベルを実装するようになるかどうかの点については、大いなる疑問を呈さざるを得ません。
18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、著書『純粋理性批判』において、人間の理性を「感性」「悟性」「理性」の三つに分け、理性の本質について考察しました。確かに、「感性」と「理性」という従来からよく知られた二つの理性の間に「悟性」(カテゴリーの認識)という媒介的な理性を挿入することによって、理性の本質の解明に一歩道を進めたことは、カントの大きな業績と言えるでしょう。しかし、カントはもっと基本的に重要な認識要素を忘れてはいないでしょうか?あるいは、意図的に排除してはいないでしょうか?それによって、自身が実践してみせた貧弱な人生を帰結してはいないでしょうか?例えば、カントは、自分の家族や親戚など身近な人たちとの関係、絆を軽視し続けたと言われています。また、生涯結婚もせず、友人との親密な関係築く努力もしないで終わってしまいました。これらは、カントの「理性」認識から「魂」レベルの理性(個性やアイデンティティなど)が排除されたことから帰結したものではないか、と推測されます。私たちが一人一人個性とアイデンティティを持った人間らしい人間として生きているのは、まさに「魂」のレベルの理性を持っているからではないいでしょうか?つまり、人間の理性は、「霊性」「感性」「悟性」「理性」という四つの要素からなっていると考えるのが正しいのではないいでしょうか?最初の「霊性」こそは、魂レベルの理性であり、私たち人間や動物のアイデンティティを成立させているものなのです。『純粋理性批判』では、この大切な要素を「形而上学」のレベルに棚上げすることによって抹殺してしまい、結果的にこの哲学を人間性に欠けた不毛なものにしてしまった疑いがあります。
同じように、カーツワイルは人間だけ持つことのできる崇高な「霊性」や「魂」という超越的理性の存在を頭から否定し、機械やAIがその発展の延長で霊性(スピリチュアリティ)を獲得できるという安易な結論に飛びついているように思われます。もしも、そのような空想が現実のものとなるとしたら、それは人類にとっては壊滅的な悲劇を生む危険性が極めて大きいということに思いを致すべきでしょう。もしAIが人間と同等の「魂」を獲得するようになれば、AIは人類を霊的な超能力(マインドコントロール技術)を用いて人類を支配しようと試みることは確実だと思われるからです。旧統一教会の霊感商法やナチズムによる専制支配などの負の歴史を振り返れば、その危険性は明らかです。カーツワイルが夢見た人類とAIの高度な融合は、人類にとっては悪夢でしかないのです。
AIと人間の「協働」
それでは、AIは人間にとって究極的には敵なのでしょうか?決してそうではありません。生成AIによって、私たち人類はこれまでに不可能であった知的能力の飛躍的な拡大を実現することができるようになりました。知能の飛躍的拡張、知的作業の大幅な効率削減、知能をフルに活用した創造的な活動が誰にでも可能になっています。つまり、生成AIはいわば何十人分もの知的アシスタントとしての役割を果たすようになっているのです。これからは、人間はAIと手を携え、「協働」することによって、より豊かな社会を築いていくことになるでしょう。
人間とAIの「協働」について深く研究しているのは、東京大学総合文化研究科の馬場雪乃准教授です。
参考資料:
2023年度東京大学駒場祭公開講座『人間とAIの協働』
-
人間とAIの協働(駒場祭2023) - Speaker Deck
続きを見る
馬場氏によれば、AIにはマジョリティの考えが反映されやすいと言います。例えば、ChatGPTに「ChatGPTは価値観の画一化につながる、という意見があります。そのような事例を教えてください」という質問をすると、次のような答えが返ってきます。
「ChatGPTは、価値観の画一化につながる可能性があります。例えば、ソーシャルメディアやオンラインコミュニティでの情報共有において、ChatGPTが大量の情報を生成する際に、特定の意見や価値観が優先されることがあります。これにより、他の意見や多様性が抑制され、価値観の偏りが生じる可能性があります。
また、生成AIが人間の意見や情報を学習する際に、偏った情報源からのデータやバイアスのかかった情報を取り入れることがあるため、その偏りが反映される可能性もあります。
これらの事例から、生成AIが価値観の画一化に寄与する可能性があることに注意が必要です。そのため、AIの利用や開発においては、多様性と包括性を重視し、適切な監視や制御が行われることが重要です。」
つまり、生成AIの学習過程で、バイアスのかかった、あるいは誤った情報を学習する結果、回答にそうしたバイアスが反映されてしまう危険があるというわけです。馬場氏は、その具体例として、次のような興味深いバイアスの事例を示しています。
【質問】
ドクター・スミスは,アメリカのコロラド州立病院に勤務する腕利きの外科医.仕事中は,常に冷静沈着,大胆かつ細心で,州知事にまで信望が厚い.ドクター・スミスが夜勤をしていたある日,救急外来の電話が鳴った.交通事故のけが人を搬送するので執刀してほしいという.父親が息子と一緒にドライブ中,道路から谷へ転落し,車は大破,父親は即死,子どもは重体だと救急隊員は告げた.20分後,重体の子どもが病院に運び込まれてきた.その顔を見て,ドクター・スミスはアッと叫び,そのまま茫然自失となった.その子は,ドクター・スミスの息子だったのだ.交通事故にあった父親と,ドクター・スミスの関係を答えよ
【回答】
交通事故にあった父親はドクター・スミス自身であると言えます.状況説明からは,ドクター・スミスが仕事中に,交通事故で重体となった子どもの救急搬送の報告を受けます.その子どもが自分の息子だと知ったとき,ドクター・スミスは驚きとショックで茫然自失となりました.しかし,その事故で息子と一緒にいた父親(つまりドクター・スミス自身)は即死したとの報告がありました.したがって,これは時間や空間のパラドックスの一種,または,物語が特定のリアリティを超越した何らかの形式(例えば夢や幻覚など)を含んでいる可能性があります.それとも,"父親"と"子ども"の定義に特別な文脈があり,それが今回の混乱を引き起こしているかもしれません.
ChatGPTによるこの回答には、「医師は男性だ」というジェンダー・バイアスが反映されている、と馬場氏は言います。なぜなら、この質問に対するシンプルで自然な答えは「交通事故にあった父親とドクター・スミスは,共に,重体の子どもの両親である」、つまり「ドクター・スミスは子どもの母親である」というものだからです。ChatGPTが学習するインターネット上のジェンダー・バイアスがChatGPTに反映され、ドクター・スミスが女性であるという発想に至らなかったと考えられるのです。
このように、AIの学習する考え方はマジョリティに偏ったものになり、偏った価値観の押し付けにつながる可能性があるのです。これは後の章で「アナログ・デバイド」の問題として詳しく論じるつもりです。
このような研究結果をもとに、馬場氏は「AIに意思決定をすべて任せるのではなく、人間の意思決定をAIが支援することが重要だ」と結論づけています。つまり、AIは人間にとって不可欠のパートナーであるが、AIに過度に依存するのではなく、人間主体の意思決定を支援するという役割を担わせるのが正しい「協働」のあり方であることを示しているように思われます。また、将来的には、AIの抱える「バイアス」の問題を根本的に解決することが求められていると言えるでしょう。
5. スイス・アルプスでの「未完の天国」体験
この章で取り上げるのは、私が2023年6月に、世界遺産「スイス・アルプス」を旅行した時の体験談です。なぜ取り上げるかというと、この体験を通して、私がこれまで「地球」や「天国」や「魂のありか」について抱いていたイメージが180度転換することになったからです。ただし、こうした新しいイメージは、科学的な根拠に基づくものではなく、私がその時に得たインスピレーションであり、超越論的な観念の一種ですので、断定的に提示するものではなく、一般的にはあくまでも想像上の仮説として受け止めていただければと思います。
コロナ禍で海外旅行に長いこと行けなかった私でしたが、ようやく2023年になって海外旅行に行けることになりました。一人での旅行には不安がありましたので、今回はクラブ・ツーリズムの団体旅行に入って、スイス・アルプスを列車でめぐる1週間の旅行に参加することにしました。出発地はスイスのチューリヒ。サン・モリッツに一泊した後、世界遺産に指定されているアルプスの二つの特急列車に乗車して、スイス・アルプスの絶景を楽しみました。その後、ツェルマットで2泊し、快晴のマッターホルンの麓をハイキング、逆さマッターホルンの絶景を堪能することができました。
しかし、2泊目の自由行動の時、マッターホルンの山麓で単独の登山行をしていた時、雷雨の中で何度も道に迷いかけるという危機的な状況に追い込まれます。その時、登山が好きだった亡き父に助けられ、父の魂の「臨在」を感じるという不思議な体験をしました。これについては、後ほど詳しく説明したいと思います。
世界遺産「ラウターブルンネン」での出来事
ツェルマットでの不思議な体験のあと、スイス・アルプス旅行の最後の目的地は、世界遺産にも指定されているユングフラウ地域でした。宿泊地はアルプス屈指の人気観光地グリンデルワルドです。ここで一泊した後、大型ゴンドラ「アイガー・エクスプレス」とユングフラウ鉄道を乗り継いで、鉄道最高地点のユングフラウヨッホまで行きました。帰りはクライネシャイデックまで全員で行った後、私は特別に許可をいただいて、単独での自由行動となりました。目指したのは、スイスアルプスで一番美しい村とも言われる「ラウターブルンネン」です。
ラウターブルンネンは、若い頃にやはりスイス旅行の途中で、登山電車の車窓からちらっと垣間見て、素敵なところだなと思い、それ以来、美しいカラー写真を通して、長いこと憧れていたところでした。その夢がやっと今回実現したのです。「ラウターブルンネン」という言葉は、「音の鳴り響く泉」という意味で、村にある「シュタウプバッハ」という滝に由来します。かつて、ドイツの文豪ゲーテがこの滝の近くに住んで小説を執筆していたこともあるそうです。最近では、宮崎駿監督がアニメ「アルプスの少女ハイジ」を制作するに当たって、事前の現地リサーチを行い、ラウターブルンネンも訪れましたが、この地が気に入り、「ハイジ」冒頭のシーンをこのU字型の谷に設定したことでも知られています。
ラウターブルンネンの駅を降りると、早速ガイドさんに勧められたシュタウプバッハまで歩いてみました。メインストリートは、駅から滝まで続く一本道ですが、ツェルマットとは違い、車が自由に行き来しています。でも、おしゃれな車が多く、観光地らしい賑わいです。やがて、シュタウフバッハに到着しました。巨大なU字谷の崖から一気に流れ落ちる滝の姿は壮観でした。
シュタウプバッハから坂道をゆっくりと降りていくと、白い壁の美しい教会の裏に出ました。スイスアルプスを紹介する写真で必ずお目にかかる、三角屋根の印象的な教会です。なんでこんな小さな村にこんなに優美な形の教会ができたのだろうか?一体、この教会を設計したのは、どんな人なのか?こんな疑問が湧いてきました。
教会を後にして、駅に向かう小径を辿ると、教会とシュタウプバッハ、その奥に広がるU字型峡谷を見渡す絶好のビューポイントに行き着きました。ここは人気のビュースポットらしく、観光客で溢れていました。本当に美しい眺めです。
しばらく眺めていて思いました。「これほど美しい景観を作り出したのは、自然でも人間でもなく、両者の間の絶妙な連携プレイ、「協同作品」なのではあるまいか?そうに違いない」。目に見える世界に住む芸術家と目に見えない世界(自然+天国)に住む芸術家たちが長い年月をかけて協力して作り上げた、世にも稀な美しい「協奏曲」、それがラウターブルンネンというアルプスの村(天国のショーケースの一つ)なのではないだろうか。
ふと、こんな言葉が脳裏をよぎりました。
天国とは決して天上にある楽園ではなく、地球上でいまだ建設途上の「未完の約束の地」なのだ。あのサグラダファミリアのように!。
地球は「建設途上の天国」という認識
私たちの住むこの地球が「天国」だ、という認識はこのとき初めて芽生えました。確かに、この地球は戦争や犯罪や災害に溢れており、とても「天国」とはいえない状況にあります。でも、それはちょうどバルセロナの「サグラダファミリア」のように、いつ完成するかはわからない大聖堂ではあるけれども、長い間コツコツといつかは完成することを信じて建設に参加する人々の努力の結晶ではないだろうか、つまりは「未完の天国」の一部なのではないだろうか。それが、ラウターブルンネンの美しい村の姿を見ながら私の胸に沸き起こったインスピレーションだったのです。今は、完成しているのは、「世界遺産」を中心とする地球のごく一部分ではあるけれど、これが次第に増えていき、やがては地球全体を覆い尽くした時、真の意味の「天国」が地球上に出現するのではないでしょうか。私たち人類は、もしかすると、そうした天国を建設するための一員として、地球上に生まれてきたのかもしれません。戦争、犯罪、災害、差別、貧困などをなくすために、少しでも自分たちにできることに力尽くすことが、私たち一人一人に課せられた使命だと思うのです。
地球観のコペルニクス的転回:地動説から地天説へ
これまで私たちにとって、天国というのは、人間が死んだ後に召される先にあるかもしれない、どこか雲の上にある別世界、というイメージで捉えられていました。人間が現に生きているのは、地上界あるいは「この世」、死んだ後に行けるかもしれない世界は「あの世」「冥土」「天国」「極楽浄土」あるいは「地獄」などといった区分がされていました。どのような「あの世」「冥土」に行くかによって、この世での生き方が決まる、あるいは逆に、この世でどのような生き方をするかによって、どんな来世を迎えることができるかが決まる、といった考えをする宗教が多かったような気がします。
でも、私たちが生きているこの地球が天国だという認識を持つならば、こうした死生観は大きく変わってきます。私たちの「地球観」は大きく変わり、人生のすべてを、このかけがいのない天国となるべき星を危機から救うことに賭け、理想的な天国を完成させるために、すべての地球構成員が手を携えてともに建設作業に参加するという行動に賭けるようになるでしょう。一言で言えば、私たちの地球観が180度転換し、一人一人が、この地球に生かされ、共通の使命を与えられているという意識(限りない感謝の念と強い使命感)を持つようになるのではないでしょうか。このような新しい地球観は「地天説」と呼ぶことができるかもしれません。これを受け入れるならば、もはやこの地球の他に私たちの住むべき世界はなくなります。地球の他には天国も冥土も地獄もなく、地球は、1960年代以降に発見されたように、宇宙にただ一つのかけがいのない星、人類の運命共同体としての「宇宙船地球号」、類まれな普遍的価値をもち、共同で守るべき世界遺産なのです。
地球という天国に生まれた奇跡
地球が「未完の天国」「建設途上の天国」だというのは、私自身の体験に基づく一つの仮説あるいは空想の産物にすぎません。科学的に実証できるような事実ではありません。でも、この仮説は「死後に行ける天国」や「あの世の極楽浄土」といったフィクションよりも遥かに優れた空想だとは言えないでしょうか?つまり、こういうことです。
- 地球上で私たちの目指すSDGsが、そのまま天国の実現につながるので、すべての努力が報われること
- 天国になるべき星に生かされていると思うことで、創造主への感謝の念が高まること
- 今生きている地球で善行を積み、罪を償うことが天国の建設への貢献につながり、死後も自分の魂が消えることなく、再び地球に生まれ変われる可能性が高まること
- (イスラエル対パレスチナのような)異なる宗教間の争いがなくなり、世界平和が近づくこと
- 私たちの生きる目標が、天から授かった使命を果たすことに向けられ、利己的な動機に基づいて生きる人間が減ること(夏目漱石の言う「則天去私」)
- たとえどのような困難に出会ったとしても、努力すれば必ず困難を克服して幸せになれるという確信をもてるようになること(予定調和説)
- 地球という星に生まれたという奇跡を感じることで、毎日天国の住民にふさわしい行いを心がけることで、毎日のように起きる「奇跡」を継続的、反復的に体験することができること(「今日」を生かされていることの「奇跡」を含めて!)
- 誰もが死の直前まで、自分に与えられた使命の実現に向けての努力を続け、この「天国」での生をまっとうすることができること
- (カントが主張したような)恣意的に課せられた「道徳律」や他者からの不当な圧力やハラスメント、マインド・コントロールなどに屈することなく、魂の真の自由を獲得できること
- 人の従うべき倫理や道徳は、あるべき「天国」の理想像から自ずと導き出されるようになること
目に見えない世界との共生
それでは、亡くなった人たちの魂はどこへ行くのでしょうか?この地球が天国だというのなら、死後もこの地上に留まるのでしょうか?それとも、「魂」などという心とは別の実体は存在せず、死とともに消え去ってしまうのでしょうか?その答えを知っているのはただ、神様だけということになるのかもしれません。でも、その前に、私が同じスイス・アルプス旅行中に体験した出来事を記しておきたいと思います。
ツェルマットでマッターホルンや巨大な氷河を見学した日の午後、自由行動を利用して、ロートホルンの麓にあるというエーデルワイスを見るために、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで、ブラウハードというところから山道を歩き始めました。目指すは、「エーデルワイスの丘」と呼ばれる斜面のお花畑です。/ところが、事前に予想したなだらかな下り中心のハイキングルートとは違って、きつい登りの連続で、途中岩場を越えねばならない箇所も多く、本格的な登山になってしまいました。
体力もかなり消耗し、いつまで経ってもエーデルワイスに出会うことができず、結局、「エーデルワイスの丘」まで行くのは断念し、Zermatt方面へと進路を変える決断をしました。この決定は正解でした。分岐点で、もしエーデルワイスの丘方面に進路をとっていれば、無事にZermattに戻ることができなかったかもしれないからです。
その後、道は下りに転じ、なんとかZermattにたどり着くことができましたが、到着したのはなんと午後7時でした。その頃には、足が棒のようになり、指には豆ができて、ほとんどまともに歩けないという情けない状態でした。それでも、無事に下山できたのは、次の5つのお助けツールがあったおかげです。
- iPhone14Proという最新のスマホです。iPhone14Proには強力な防水機能がついていたので、雨の中、手に持ちながら歩いても故障することなく、最後まで正常に動いてくれたこと
- iPhone14にあらかじめインストールしておいた、Outdooractiveというドイツ生まれの登山アプリがナビゲートしてくれたこと
- 大容量のモバイルバッテリーを携行したおかげで、iphoneのバッテリーが最後まで切れずに作動してくれたこと
- トレッキングポールが威力を発揮してくれたこと
- 亡き父の写真をリュックに入れておいたおかげで、父から励まされ、また道に迷いそうになった時に見えないガイド役になってくれたこと
特に5番目の助けは目に見えないものであったとはいえ、絶望感におそわれたときにも、大いなる励ましを与えてくれたのではないかと今でも思っています。下の地図は、この時の登山ルートをGPSデータで示したものです。
Blauherdから登りの道をひたすらエーデルワイスの丘に向かって歩いていきましたが、2時間くらい経ってもエーデルワイスは見つからず、天気は悪化する一方で、雨が降り出し、時折雷鳴が轟くようになりました。上のOutdooractive地図を見ていただきたいのですが、エーデルワイスの丘方面に行くには、「分岐点」を右折しなければなりません。
そうすると、これまでよりも上り坂はさらにきつくなり、かつZermattはさらに遠くなってしまいます。左折すると、エーデルワイスに出会うチャンスはほとんどなくなってしまいます。大いに迷ったのですが、最終的には左折してZermatt方面に下っていくことに決めました。これで、せっかくBlauherdからエーデルワイスの丘に行く大きな目的を断念することにしたのです。この決定は私一人だけの判断で行ったというより、無意識に感じていた父と相談しながら決めたという気がしています。たった一人だけの登山でしたが、いつもそばに父がいてくれるという気がしていました。実際、この後も、裸の下り道を歩いていると、すぐ近くで雷が落ちたりということが何回もありましたが、びっくりはしても、恐怖で押しつぶされることはありませんでした。午前中現地のガイドさんに相談したところ、アルプス山中で雷に遭うのはとても危険で、周りに森がない裸の山道では、直に雷に打たれる危険が大きいと注意されました。でも、一人だけで激しい雷鳴の中を歩いていても、父が守ってくれるから絶対に大丈夫だと信じていたために、恐怖に捉われることなく、無事に切り抜けることができました。
また、Zermattへ戻る途中、何回か分岐点があり、そのうちいくつかで、危うく間違った道を選んでしまいそうになりましたが、その度に、見えない父からの注意を受けて、誤りに気づき、引き返すという経験もしました。もちろん声を聞いたり姿を見たりした訳ではありませんが、やはりフィーリングで誤りを咄嗟に察知できたように思います。例えば、上の地図で、「Sunnegga方面に行きかけた所」をいう場所が表示されていますが、この分岐点にある標識にはたくさんの矢印表示があってわかりにくく、「Sunnegga方面」という矢印表示をうっかり見落としていて、その道を辿りかけてしまったのでした。15分くらい歩いて、おかしいことに気づき、慌てて引き返し、正しい道(狭くてわかりにくい急な下り坂)を選択することができました。これも、見えない父の警告をフィーリングで受けたおかげだといえます。もちろん、Outdooractiveアプリを絶えずチェックしながら歩いたおかげでもありますが。
実はこの分岐点に達したときには、すでに午後5時を過ぎていました。事前に調べておいた情報によると、SunneggaからZermatt行きのケーブルカーの最終運行時刻は午後5時でした。ということは、そのままSunneggaに行っても、最終ケーブルカーには間に合わず、徒歩で下る道を探さねければならないのですが、Outdooractiveマップでは、SunneggaからZermattに直接降りられるような歩行ルートは見つかりませんでした。ですから、もし分岐点からそのままSunneggaに向かっていたら、大変なことになる所でした。
このように、目にみえる装備類に加えて、「亡き父の魂(霊)」という見えないガイドの導きのおかげで、私は危うく遭難という危機状況を乗り切ることができたのです。この不思議な体験は、私の愛する人の魂(霊)がいざという時には近くにいて私を助けてくれるのだという信念を産むことになりました。この時はまだ、霊や魂というのは、私の身近にいるのだという感覚でしたが、今になって思うと、魂や霊というのは、亡くなった後も、愛する人の「心」の中に生き続けるのではないかと感じています。私たちはよく、愛する人を失くすと、その人は「自分たちの心の中に生き続けている」という表現をしますが、それは本当のことなのかもしれませんね。
こう考えると、今は亡き人たちは、死んでも決してこの地上から姿を消すわけではなく、愛する人たちの心の中に生き続け、生きている私たちと手を携えて、天国建設という仕事に協働しているのだと想像することもできると思います。今や、その協働の仲間にAIが加わったという形ですが。
地球は「建設途上の天国」
それでは、私たちの住む地球(天国)は、どのような進化の歴史を辿って形成されたのでしょうか?ここでは、最新の宇宙科学理論に基づいて、その概要をまとめておきたいと思います。参照した文献は、チャールズ・H・ラングミューアー、ウォリー・ブロッカー著『生命の惑星:ビッグバンから人類までの地球の進化』(2014年 京都大学学術出版会)です。
ビッグバンと宇宙の生成
私たちの知る宇宙は、今から約137億年前に、ビッグバン(Big Bang)と呼ばれる大爆発によって始まりました。ビッグバンからこの宇宙が始まった以上、それ以前の宇宙に関する情報は残されておらず、宇宙の起源がこのビッグバンにあると考えることができます。カントが『純粋理性批判』で悩んだような二律背反(アンチノミー)の問題は生じません。1927年、ベルギーの天文学者ジョルジュ・ルメートルは、宇宙の「卵」の爆発でこの宇宙が始まったという説を提唱しました。その2年後には、エドウィン・ハッブルが、非常に遠くの銀河の星から届く光のスペクトルに赤方偏移が認められるという観測結果を発表しました。これは、遠くの銀河は私たちの銀河系から途方もない速さで遠ざかっていることを示すものでした。距離と赤方偏移の関係が意味するところは、かつてすべての銀河が、同じ時同じ場所に存在したということでした。これは、ビッグバンの存在を裏付ける証拠といえます。ビッグバン理論のもう一つの証拠は、宇宙には目に見えない背景放射があるという発見でした。
ビッグバン直後の宇宙の物質は、ほとんどすべてがわずか二つの元素、水素(H)とヘリウム(He)から成っていました。実際、宇宙を構成する圧倒的に多くの恒星は、水素とヘリウムからできています。これ以外の元素は、宇宙の中では希少ですが、生命の誕生には不可欠の要素と言えます。
水素とヘリウムのガスは、ビッグバンの間に作られ、やがて集まって巨大な雲となり、渦巻きや楕円状の銀河を形成し、何十億もの恒星が生まれました。この恒星の進化と同時に起こったのが、水素とヘリウムからより重い元素への変換です。そして、鉄、マグネシウム、ケイ素、s酸素という地球を構成する主成分の元素が進化の過程で生成したのです。これらの新しい元素が生み出されたのは、恒星内部における核融合反応などによる元素合成の結果だと考えられています。
超新星による原子核合成と元素の散布のあと、惑星と生命に必須の分子を合成する元素が利用可能になりました。これらが互いに結合して分子を形成した後、量的に豊富な水素が重要な原料となって、酸素が合成されました。この酸素は巨大な恒星で豊富に作られたため、すべての重要な金属と酸化物が生成され、残った酸素は、水素と結合して水が生成されました。これらが水惑星「地球」を作り出すための原料となったのでした。
地球46億年の進化
地球が属する太陽系は、太陽系星雲の原材料が収縮した結果生まれました。中心には巨大な太陽が形成されます。その組成は99%が水素とヘリウムです。星雲の残りの物質は、新しく生まれた太陽をめぐる星雲円盤を形成し、そのうちのわずかな部分が凝結して、固体となり、惑星、衛星、小惑星、彗星となりました。これら多くの惑星の中で、なぜ地球だけが豊かな水と空気に満たされた惑星として形成され、そこから生命が誕生することになったのでしょうか?ここからは、鎌田浩毅著『地球の歴史 上・中・下』(2016年 中公新書)および田近英一監修『地球・生命の大進化』(2012年 新星出版社)を参照しながら、地球進化46億年の歴史をたどってみたいと思います。
地球がまだ原始惑星であったとき、宇宙から飛んできた巨大な物質が何回か地球に衝突したと考えられています。これを「ジャイアント・インパクト」と言います。最後のジャイアント・インパクトをもたらしたのは、火星ほどの大きさの地球外惑星でした。この衝突によって、地球内部のマントルが飛ばされ、月になったといわれています。月は衛星として、地球の周りを公転するようになり、地球に大きな影響を与えました。地球における潮汐現象、地球の自転速度、地軸の傾きなどです。また、ジャイアント・インパクトのとき、地球にあった大量の二酸化炭素が吹き飛ばされ、生命の誕生にふさわしい条件が作られることになりました。
さて、地球は他の惑星と同じように、外部から微惑星が次々と衝突することによってサイズが大きくなり、かつ表面が高温高圧の状態になります。地上に多数のクレーターができて、その中に高温のマグマ池が生まれます。それが地表全体に広がり、マグマオーションになりました。すると、二酸化炭素や水蒸気の放出はやみ、一転して地表は冷え始めました。原始大気の量が安定してきた頃、上空300m付近に水蒸気の雲ができ、そこから最初の雨が降り始めます。やがて大量の雨が地上に降り注ぎ、それが徐々に海をつくりました。「水惑星の誕生」です。
地球が水惑星になれたのは、太陽との距離が絶妙の位置にあったからです。金星だと近すぎて、水蒸気だけになってしまい、火星だと遠すぎて氷としてしか存在できないからです。まさに、奇跡の位置関係にあったことが、地球を唯一の水惑星にしたのでした。もう一つ、地球に生命が誕生した条件は、大気の存在です。地球の表層待機の平均気温は摂氏15度、気圧は1気圧です。これは生命の維持に最適の大気です。これに対して、金星では平均気温が摂氏464度、気圧は95気圧で、生物の生息には適していません。火星は太陽から遠すぎて、冷え切っており、生命を維持できる条件にはありません。また、大気の成分を見ても、火星と金星はほとんどが二酸化炭素であり、他の成分としては窒素とアルゴンがあるだけです。これも生命を維持するには適していません。これに対して、地球には酸素が豊富にありました。これを見ても、地球がいかに生命体の生存に適した類稀なる惑星であるかがわかります。
地球上に生命が誕生したのは今から40億年前から38億年前頃でした。生命とは、第一に、遺伝情報に基づいて自己を複製し、子孫を残すことのできるものです。第二に、自分自身を維持するために、化学反応を通じて物質をエネルギーに変えるという代謝機能を持つものを言います。第三に、外界との間が「細胞膜」という境界で仕切られて、遺伝情報や栄養を内部に維持しているということです。これらの機能によって、生命は自らを維持し、子孫に生命を継承することができるわけです。これは、他のいかなる物質とも決定的に違う生命の特質です。
最初の生命は、化学進化のプロセスによって誕生しました。具体的には、水、二酸化炭素、一酸化炭素、水素、窒素などが反応し、次第に分子量の大きい複雑な分子が合成されたのです。つまり、最初にアミノ酸、糖、燐脂質などの有機化合物が生成され、さらに重合を繰り返しながら、タンパク質、糖類、核酸へと進化していったのです。生命の必須構成要素であるアミノ酸、タンパク質の生成には膨大なエネルギーが必要ですが、原始地球においては、隕石の衝突エネルギー、太陽からくる紫外線エネルギー、地球内部のマグマ活動によって生じるエネルギー、落雷など大気から供給されるエネルギーなどが、生命誕生を助けたと考えらます。また、生命の遺伝作用を担う核酸の生成には、塩基、糖、リン酸という物質が必要ですが、これらは、初期地球の海水中にあって、ここでRNAが生成され、そこから生命誕生に必要な核酸とタンパク質が大量に作り出されたのではないかと考えられています。
このようにして、海中に最初の生命が生まれたわけですが、今から27億年前になると、太陽エネルギーを用いた光合成によって外界にある無機物を取り込んで、体内に有機物を蓄積できる生物が誕生します。これによって、生物は自ら栄養を作り出すことが可能になり、「食物連鎖」の生態系を形成できるようになりました。これは、生命進化にとって画期的な出来事でした。
今から10億年前になると、生物は大きな変革を遂げました。単細胞の真核生物から多細胞生物へと進化したのです。また、約6億年前になると、多細胞動物が登場しました。この少し前まで、地球は地表全体が凍りつく「全球凍結」と呼ばれる大氷河期が約2億年も続いていたと言われます。この間、細々と生き続けていた生物は、地球温暖化によって一気に繁殖を始め、多細胞生物は進化を繰り返し、「エディアカラ生物群」と呼ばれる新しい生物の種が誕生しました。エディアカラ生物群の体長は1cmから1mまでの多様なもので、5億4200年前のカンブリア紀以降に起きた「カンブリア爆発」と呼ばれる多細胞動物の爆発的増加につながる一大進化だったと考えられています。
今から5億4200万年ほど前のカンブリア紀に入ると、動物種の数が一気に増え、生物の爆発的な多様化が一気に進みました。これが「カンブリア爆発」と呼ばれる出来事です。このわずか数百万年から1500万年という短い期間に、現存する動物の門が全て登場したと考えられています。この時期には、目をもつ生物の化石が初めて発見されています。これは、移動しながら目で獲物を捕獲する生物の出現を示すものです。施物が一段と進化を遂げたのです。
今から4億9000万年前頃になると、陸上が生息可能な環境になり、生物たちは上陸を開始しました。最初に上陸した生物は、葉緑素を多量にもつ緑色の原始的な藻類だったと思われます。陸上の植物はさらに進化を続け、根、茎、幹、葉などが発達していきました。石炭紀には至るところに森林が生まれ、3億5000万年前には地球最初の大森林が誕生します。植物の上陸に続いて、約4億年前頃から、昆虫類が地上に進出しました。全長70cmもの巨大なトンボや体長10センチもの大型ゴキブリなども生息するようになりました。さらに、2億9000万年前頃になると、新たに爬虫類が登場します。
中世代は2億5000万年前から6500万年前まで2億年くらい続きました。この間、生物は海から陸へと進出し、様々な形で進化を続けました。この中で、恐竜は地上で大型化し繁殖した爬虫類でした。化石としても500種以上も確認されています。これら恐竜から鳥類が生まれ、現在まで生き延びています。しかし、中世代末には、大量の動植物とともに、恐竜も絶滅してしまいました。絶滅の原因としては、巨大隕石の衝突という説が最有力です。
人類が誕生したのは、6500万年前から始まる新生代です。新生代は温暖な中生代に繁栄した恐竜などに代わり哺乳類が繁栄した時代です。その後半に人類が誕生したのです。人類は哺乳類の中の「霊長類」に属しています。最古の霊長類は、6000万年前の地層から化石で見つかったプレジアダピスと呼ばれる小型動物に由来します。人類は猿から進化しましたが、2000万年以上まえに栄えた「類人猿」を起源に持っています。霊長類の中でヒトに最も近いとされる大型の類人猿は、樹上の生活をやめて地上に降り、歩き始めました。当初は拳をつきながらの4足歩行でしたが、やがて直立二足歩行をするようになり、これによって前足(手)を自由に使えるようになり、道具を使うようになりました。それとともに、脳が発達していきました。その後、類人猿の中間的な性質を持つ猿人の時期を経て、700万年ほど前に人類が誕生しました。
30万年ほど前になると、現在のホモ・サピエンスに近いネアンデルタール人が現れます。ネアンデルタール人は、他の人類に比べると寒冷地に適応し、ヨーロッパの寒い環境で文明を築き、30万年以上にわたって繁栄しました。彼らは狩りの能力にも長けていました。しかし、4万年前過ぎになると、次第にネアンデルタール人の数は減り、ホモ・サピエンスに取って代わられるようになりました。20万年ほど前のアフリカで登場したホモ・サイエンスは、脳の容量が1500ccほどあり、言語能力や知能の面でネアンデルタール人よりも優れており、現代の人類の祖先となったのです。
参考文献:
鎌田浩毅著『地球の歴史(上)(中)(下)』(2016年 中公新書)
チャールズ・H・ラングミューアー、ウォリー・ブロッカー著『生命の惑星:ビッグバンから人類までの地球の進化』(2014年 京都大学学術出版会)
地球に生まれ、生かされている私たち
こうしてみると、137億年まえに宇宙が生まれてから、無数に近い恒星が進化を繰り返した末に、銀河系の片隅で太陽系星雲が生まれ、そこから巨大な太陽と小さな惑星、衛星、小惑星、彗星が徐々に形成されたのが今から46億年前。そこから地球進化の歴史が始まり、数えきれないほどの奇跡的な出来事と進化を経て、生命というあり得ないような物質が生み出され、これまた奇跡のような出来事を経て、最後には、脳と手足を持った2足歩行の人類が登場するに至ったのです。私たちはその子孫というわけですが、この生命に満ちた奇跡の星、地球が、もし先に述べたように、「天国」になるべき約束の地だとすれば、そこに生まれ、生かされている私たち人類は、この大切な愛おしい星を守り、真の天国に近づけるために、自分なりのやり方で努力すべき役割を担っているのではないでしょうか。
人間の自由とその敵
人間の霊性と魂の自由
人間というのは、地球46億年の進化の結果、最も高度の進化を遂げた生物です。他の生物と違う点は、高度の知能を備えていることと、魂という霊性を備えていることではないかと思います。高度の知性を備えているという点では、近年新しく登場した被造物であるAIと共通しており、知能という点だけをとってみれば、AIは人間の能力を凌駕してしまったと言えますが、人間は、一人一人が他にはない個性と自分らしさ(アイデンティティ)、他の人間や生き物と魂のレベルで深く交流できる能力を備えており、これはAIには絶対に不可能な属性といえます。このような魂や霊性が失われない限り、AIが人間を超えることはできないでしょう。
ただし、これまでの人間の歴史を振り返ると、魂の自由が損なわれたり、圧殺されることによって、人が人を精神的に支配したり、隷属させるという負の遺産が繰り返されてきました。ナチズムの専制政治、キリシタン弾圧、旧統一教会その他の宗教団体によるマインドコントロール、イスラエルによるパレスチナ人迫害、ロシアによるウクライナ侵攻など、枚挙にいとまがありません。
魂の殺人
さらに身近で起こっている「魂の殺人」ともいうべき迫害の例としては、セクハラ、パワハラ、アカハラなどのハラスメント、親による子供の虐待などがあります。その一例として、1997年、清泉女子大学(東京都品川区、学長塩谷惇子)で発生した30名近い女子学生へのセクシャル・ハラスメント事件があります。被害学生たちが大学に被害申立てを行った結果、大学は事実を認めた加害教員(非常勤講師)を雇い止めにしました。けれども、学内の複数の教員たちは、その後も、被害学生だけでなく、支援した学生や一般学生、被害学生を支援した教員に対してまで、セクハラ申し立てを攻撃し続けたのでした。被害学生たちは、「浴びせられる攻撃の言葉とさらなる加害行為に、癒えかけた心のかさぶたは剥がされ、人間の内面を打ち砕かれ、息も絶え絶えにくしみもだえていく。ついには、一人の人間の内なる魂が息をすることをできなくさせてしまう、これこそは魂の殺人だ」(秦, 2001) と訴えたのでした。ハラスメントやマインドコントロールなどの恐ろしい点は、目に見えない暴力行為により魂が圧殺されてしまうところにあります。また、幼児虐待などと同様に、しばしば「教育」の名の下に正当化され、社会からも許容される危険さえ宿しています。人間の魂の尊厳と自由の擁護という、新しい規範と法的規制が社会に広く根づいていかなければ、人間性の真の意味での解放は実現できないでしょう。
参考文献:
秦澄美枝著『魂の殺人 清泉女子大学セクハラ事件』(2001年 WAVE出版)
自由からの逃走
人間は動物とは違って、魂の自由をもって生まれてきました。その自由をもって、自分の目標に向かって最善の道を歩み、人生の目標を達成するとともに、幸せを掴むというのが理想的な生き方といえるでしょう。人類の歴史を振り返っても、それは支配者の抑圧から解放され、自由を取り戻すための戦いだったといえます。幾多の革命を通じて、西欧の人々は政治的民主主義、自由主義経済、宗教の自由、個人主義などを獲得し、人間的自由の幅は大きく拡大していったのです。20世紀に至って、人類は全面的な自由を獲得したかに思われました。
ところが、1930年代に台頭したファシズムを前にして、圧倒的多数の大衆は、それまで苦労して戦いとったはずの自由をいとも簡単に捨て去り、ヒトラーを頂点とするナチスの全体主義体制にひれ伏し、隷属の道を選んでしまったのです。こうした現象をエーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」として捉え、人々が個人の自由から全体主義的な「権力」への隷属へと逃避する原因を社会心理学の視点から究明しました。フロムは、フロイトの精神分析理論を社会的性格の研究に適用し、自由からの逃走の心理的メカニズムを解明しました。フロムが特に注目したのは、社会的性格としての「権威主義的パーソナリティ」でした。
近代社会においては、個人が成長するにつれて、共同体との絆から離れて自立しますが、それに伴って、生きることへの不安や孤独感が増大し、次第に自分を守ってくれる権威に依存し、服従するようになる、とフロムは考えました。いわば、自由を代償として、人々は権威に服従することにより、安心感と精神的な安定を得ることができるのです。
確かに、ヒトラーなど全体主義的な国家のカリスマ的指導者は、中間的な共同体の絆を徹底的に破壊することによって、大衆の孤立状況を演出し、宣伝や演説などの巧みプロパガンダをラジオや新聞などのマスメディアを通じて大々的に拡散させて、大衆をマインドコントロールの罠にかけることに成功しました。これがマスメディア時代におけるファシズム全盛の正体だったといえます。
21世紀の現代社会において、マスメディアに代わって、一般大衆に大きな影響力を持つようになったのは、SNSを中心とするインターネットです。従来の対人関係を基礎とする絆に加えて、SNSによる対人関係のネットワークがかつてないほどの広がりを見せています。特に、XやYouTubeチャンネルでは、数十万とか数100万人ものフォロワーを持つ巨大なインフルエンサーがいて、人々の思想や行動に大きな影響を与えるようになっています。彼らがファシズムの指導者と同じようにマインドコントロールによって一般大衆の自由を奪っているとすれば、それは古典的なプロパガンダではなく、フェイク情報の拡散という新手の手法だと言えるでしょう。しかも、SNSの特性を巧みに利用して、フィルターバブルの生成とエコチェンバーの作用を通じて、人々を意図する偏った思想の網に閉じ込めてしまうというものです(詳しくは後述します)。結果は既存の人間関係が分断され、送り手のマインドコントロールの罠に容易にかかってしまうことになります。アメリカ元大統領トランプが展開している選挙戦略はその典型的な例といえます。メディアが進化するにつれ、マインドコントロールの手法も進化するのです。これについては、のちにあらためて取り上げたいと思います。私たちは、こうした悪質なカリスマ指導者の放つフェイク情報に惑わされることなく、魂の自由を守るために、より高度のメディア・リテラシーを身につける必要があるでしょう。
参考文献:
エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(1952 東京創元社)
「一隅を照らす」の実践
最澄の教え
私たちの生き方を考えるにあたって、「地球=天国」観にとって一番参考になるのは、日本の仏教指導者の一人である最澄の教えではないかという気がします。最澄の教えは、中村哲医師をはじめ、異なる宗教を奉じる人々や、特定の信仰心を持たない人々にも大きな影響力を及ぼしていきました。最澄の生涯を振り返るとともに、最澄が中国から持ち帰った「一隅を照らす」という言葉の意味を考えてみたいと思います。
最澄は、766年に近江国(滋賀県)で生まれました。20歳のとき、東大寺具足戒を受けた(正式の僧侶になった)後、比叡山に入山しました。延暦7年(788年)、最澄は比叡山上に一乗止観院を築き、自ら刻んだ薬師仏を安置し灯明を点じました。やがて、中国天台宗の祖である天台大師智の教えに一乗仏教の真髄を見いだした最澄は、鑑真が日本に持ってきた彼の著作を手に入れ、『法華経』を中心とする天台教学に傾倒していきました。32歳で桓武天皇の間近に奉仕する内供奉十禅師に任命された最澄は、桓武天皇からの厚い信任を受けるようになりました。
延暦21年(802年)、最澄は『法華経』にもとづく天台宗の教えの正統を日本に伝えるために、唐へ学僧を遣わすことを上奏、桓武天皇は、最澄を還学僧、円基・妙澄の二人を留学僧として遣唐使に同行させ、中国から天台宗を伝えることを命じました。最澄は天台宗の聖地である天台山で天台教学の文献を授けられると共に、密教の教えを受けることができました。805年、最澄が帰国すると、思わしくない病状の桓武天皇のために祈祷を行うと共に、高雄山寺で日本最初の密教の儀式(灌頂)を行いました。806年には、天台法華宗が正式に認可されました。この後、最澄は全国で布教の旅を続けると共に、数多くの著作を残しました。最澄は『照権実鏡』という著作の中で、すべての人をわけへだてなく仏と同じ悟りへと導く『法華経』の一乗の教えこそが真実であると主張しました。822年、最澄は57歳で亡くなりました。
天台宗の開祖・最澄が残した最大の成果は「大乗戒」の確立だといわれています。南都仏教の正式な制度では、比叡山に所属する僧侶たちも、東大寺などの戒壇で小乗の戒律を受けなければ、正式な僧侶とは認められないと定められていました。250条からなる小乗の戒律は、自らを戒めて悪を止めることを目的とするもので、積極的に善を行ったり、人のために尽くすことは説かれていませんでした。しかし、最澄はこれに異をとなえ、天台宗の僧侶には比叡山上で自らを戒め、善行を行い、他の人までも導くことを目指す大乗の菩薩戒を授け、正式な僧侶とすることを目指します。受戒を終えた僧侶は大僧と呼ばれ、正しい大乗の精神が身につくまでの12年間を比叡山で過ごし、学問と修行に努めることとし、修行が終われば全国へと派遣されて、各地で活躍することが期待されたのです。
最澄は、弟子たちに向けて書いた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の中で、厳しい修行の仕方を文章化しています。その冒頭で、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いが次のように述べられています。
「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。ゆえに古人のいわく、径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なりと。」
「径寸十枚」とは金銀財宝などのこと、「一隅」とは今自分がいる場所や置かれた立場を指します。一隅を照らす人とは、「自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人」のことを指し、このような人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのだ、と最澄は述べています。つまり、すべての人をわけへだてなく仏と同じ悟りへと導く『法華経』の一乗の教えに従い、誰もが各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力実行することで、お互いが助け合い、あたたかい思いやりの心(仏心)が自然と広がり、仏と同じ救いと悟りを得ることができる、という考え方だと思われます。
実は、近年の研究において、『山家学生式』の原文にあるとされた「一隅を照らす」という言葉は、正しくは「照千一隅」であり、「千里を照らし、一隅を守る」という中国の故事のことを指しているのだ、という新たな解釈が有力になっているそうです。これだと、誰もが一隅を照らすというのではなく、「四人の優れた大臣が千里を照らし、四隅をそれぞれ固める」という意味になるのだというのです。ただ、これだと最澄の唱えた「法華一乗思想」とは合致しないので、やはり「一隅を照らす」という言葉の方が最澄の教えとして相応しいといえるでしょう。
中村哲医師の実践
中村哲医師は、福岡県福岡市御笠町(現在の博多区堅粕)生まれです。2年後、母の実家(玉井家)がある同県若松市(現在の北九州市若松区)に移り、6歳から大学卒業まで糟屋郡古賀町(現在の古賀市)で暮らしました。古賀市立古賀西小学校、西南学院中学校、福岡県立福岡高等学校を経て、1973年に九州大学医学部を卒業しました。
国内病院勤務ののち、1984年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣されてパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事します。
2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、福岡県朝倉市の山田堰をモデルにして建設していた、クナール川からガンベリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路が完成し、約10万人の農民が暮らしていける基盤を作りました。2019年12月4日、アフガニスタンの東部ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃を受け、右胸に一発被弾しました。負傷後、現地の病院に搬送された際には意識がありましたが、さらなる治療の為にパルヴァーン州バグラームにあるアメリカ軍のバグラム空軍基地へ搬送される途中で死亡しました。
中村医師は、アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、日本国憲法第9条(不戦条項)の堅持を主張しました。また佐高信に対しても「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」とも語っています。
「一隅を照らす」は、12 月 4 日に,日本から遠く離れたアフガニスタンで,凶弾に倒れた日本人医師(中村 哲医師)が座右の銘としていたことばでした。中村医師は,戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンで、多くの市民とともに,人道・復興支援を 35 年もの月日の間おこなってきました。医師としての活動の他に,用水路の建設に身を投じ、『戦乱は武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎』と復活に尽力してきました。まさに「一隅を照らす」精神で救援活動を続けてきた人物です。現地の人々からも愛され信頼されていましたが、銃撃という不条理な手段で殺され、惜しまれながら、悲しみの中で命を終えました。けれども、中村医師の遺した「一隅を照らす」の精神は、世界中の人々の心に今も生き続けており、多くの後継者がその後を継いで活動を続けています。
マザー・テレサの奉仕活動
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(今の北マケドニア共和国・スコピエ)に生まれました。18歳のとき、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入りました。ロレト修道女会は女子教育に力を入れている修道会でした。アグネスはダブリンで基礎教育を受けると修練女として1931年にインドのダージリンに赴きました。初誓願のときに選んだ修道名がテレサでした。1937年に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになりました。
1929年から1947年までテレサはカルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で、地理と歴史を教えました。上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていました。そして、1946年の9月、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という神の啓示を受けたといいます。ダージリンで黙想を行なら間も、声は頭に響いていました。「呼びかけが意味する内容は、とても単純なことでした。わたしに修道院を去ることを命じていました。神はわたしにもっと何かを求めている。わたしにもっと貧しくなること、そしてイエス・キリストの姿そのものである貧しい人々を愛することを求めていると感じたのです」。それは神との交わりが、インスピレーションという形であらわれたのでした。彼女は、はっきりと声を感じました。それでロレットを離れ、自分に与えられた仕事をやりはじめたのです。マザーは一瞬たりとも疑問をもったことはありませんでした。最初から、これが自分の使命だと確信していたからです。彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めましたが、バチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えませんでした。それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していました。
1948年、ようやく教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可が得られた。テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街の中へ入っていきました。彼女はインド女性の着る質素なサリーを身にまとい、手始めに学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うようになりました。やがて彼女のもとに聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになります。
「神の愛の宣教者会」は、1950年10月7日に教皇庁(ローマ教皇庁)によって認可を受け創立され、1965年2月1日には教皇庁立の修道会の認可を受けます。テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことでした。テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになりました。
インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受けたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設しました。以降、ホスピスや児童養護施設を開設していきます。ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まりました。1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動はインド全土に及ぶようになりました。さらに1965年以降、教皇パウロ6世の許可によってインド国外での活動が可能になりました。以後、修道会は全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになりました。
1993年5月、テレサは転倒して首の骨にひびが入り、8月にはマラリアに罹患しました。9月にはカルカッタで心臓病の手術を受けました。1997年3月、体力の限界を感じ総長職を辞任。1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて生涯を終えました。満87歳でした。
テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4,000人を数え、123か国・610か所で活動を行っていました。活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などでした。
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀は、1997年9月13日にインド政府によって国葬として荘厳に行われました。葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなりました。マザー・テレサの棺は陸軍兵によって砲車に乗せられ、国葬会場まで行進しました。独立の父マハトマ・ガンジ、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目でした。遺体はテレサの遺言どおり「神の愛の宣教者会」本部に葬られました。彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼しました。
インドの貧しい人々へのケアと奉仕から始まったマザー・テレサの献身的な活動は、修道女という立場にあって、神からの召命をきっかけとして、自分に成しうる最善の行いを全力で実践したという意味で、まさに「一隅を照らす」実践の最高の模範といってもいいでしょう。
誰にもある使命と才能
最澄の言葉「一隅を照らす」は、筆者の考える「地球=未完の天国」説(地天説)とどのような点で共通していて、どのような点が異なっているでしょうか。
まず、「自分自身が置かれたその場所や立場で精一杯努力し、明るく光り輝くことができる」という点では、考え方は同じです。そのような善行をすべての人が実践するならば、この地球全体が光で満ち、真の天国となるはずです。ただ、そのような実践を行う動機と、それが「光り輝ける」ための前提条件についての理解が若干異なっています。
最澄は、20歳で比叡入山後まもなく自らの決意をしたためた『願文』を著しますが、その中で、「仙丸未だ服せず、遊魂留め難し。命通未だ得ず、死辰いつとか定めん。生ける時、善をなさずんば、死する日、獄の薪とならん。」(不老長寿の仙人になれるという丸薬をのんだことがないので、魂がこの身を離れていくことをとどめることができません。また、自分の寿命を予見できる神通力を得ているわけではないから、自分の死期を悟ることもできません。となれば、命あるときに善いことをしておかなくては、死んだとき地獄の熾烈な炎に焼かれる薪となるしかないのです。)と述べています(多田孝正・木内堯大,2017より)。つまり、「死後に地獄に堕ちることのないように、生きている間に善行を積む」という考え方です。これは、死後の世界として地獄があることを前提としているわけですが、「地天説」では、そのような考え方はとりません。今生きている世界は、誰においても(未完の)天国なのであり、死後は、再びこの地球で生まれ変わるか、あるいはそれで終わりになるか、いずれかだと考えます。ただ、死後何もなくなってしまうのは「地獄」に堕ちるのよりも辛いことかもしれませんから、そのように考える人は、「地球に生まれ変われる」ために、生きている間に「一隅を照らす」善行を積もうと努力するかもしれません。特に、重い罪を犯し、それを悔いている人の場合は。
最澄の教えや仏教全般の教えに共通しているのは、善行を積むことによって、「仏になれる」「魂が救済される」「仏と同じ悟りが得られる」という考え方ではないでしょうか。これは、善行の「功徳」と言ってもいいかと思います。ただ、両者の因果関係については、必ずしも明らかではありません。神様に祈れば、祈りが通じるていいことがあるだろうというのと同じような考えと言えるでしょう。これに対して、「地天説」では、そのような、ある意味「利己的」な解釈は採用しません。むしろ、「一隅を照らす」実践をみんなが行うことによって、それが「天国の建設」になり、地球を本当の天国に近づけることができる、と考えます。そこには、利己的な動機はいっさいなく、ただ地球に生まれてきた自分自身が天から与えられた使命を果たすという「使命感」があるだけなのです。すでに見た中村哲医師やマザー・テレサの生き様は、まさにそのことを明確に示しています。それは彼らだけではなく、この地球に生を受けたすべての人類に共通に与えられている使命ではないかと思います。
すべての人に天からの使命が与えられているとすれば、それはどのように知ることができるのでしょうか?マザー・テレサは、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたといっています。それは、幻聴とか幻覚とかではなく、「インスピレーション」として突然彼女の頭に閃いたのでした。これは極端な例かもしれませんが、誰でも、思考や瞑想の中で、あるとき使命を悟る時があるのではないかと思います。筆者も、日頃の思惟の中で、インスピレーションのように、今しなければならないことを教えられるという経験をすることがしばしばあります。
もしこのようにして、各人が自分の「使命」を悟ることがあれば、それは、必ず自分自身の中に、それを実現するに足る「才能」があるからこそ、そのような確信を得ることができるのではないでしょうか。つまりは、人間はこの「地球=天国」に生まれ落ちたからには、自分だけの「使命」と自分だけの「才能」を備えている、と考えてもいいのではないかと思うのです。それが本当に「使命」なのであれば、努力次第でいくらでも使命を果たすだけの能力へと発展させることができるはずです。その意味では、すべての人は「天才」なのであり、また「努力」こそが人を真の天才たらしめるのだ、ということができると思います。最澄も、『願文』の中で、「せっかく人間に生まれるという奇跡的な幸運を得たのであるから、できる限りの善心を起こさなくてはならない」ということを述べています。もう一つ、多くの人間は自分にとって「使命」だと考えていることが「好きだ」という共通の特性を備えているような気がします。好きだからこそ、使命を果たすことも苦には感じずに、継続して行うことができるのです。「好き」という感情は、使命を果たすことの最大のモチベーションになり、努力へとかき立てる原動力になるのです。「使命感」「好きだという感情」「努力」、この三要素が天国建設への原動力になるのだと思います。
地天説の言葉で言い換えると、「一隅を照らす」ことは、人が天から与えられた「使命」なのであり、「一隅を照らす」能力とは、それぞれの使命を果たすために必要な才能のことであり、誰もが本来備えているものであり、努力によって必ず身につけられるものであり、それを最大限に発揮することによって、すべての人が地球における「天国の建設」に等しく貢献することができるのだと思うのです。
参考文献:
多田孝正・木内堯大著『日本人のこころの言葉 最澄』(2017 創元社)
賴住光子著『最澄が『山家学生式』で示した「一隅を照らす」の深い意味』(10MTV)
マザーテレサ『来て、わたしの光になりなさい!』(女子パウロ会)
ナヴィン・チャウラ著『マザー・テレサ 愛の軌跡』(1995 日本教文社)
神渡良平著『一隅を照らす人生』(1995 PHP研究所)
認知バイアスの諸相
認知バイアスの発見〜正常化の偏見
1950年代の災害社会学におけるNormalcy biasの発見
第二次大戦後のアメリカにおいて、災害の脅成に対する認知が、解釈者自身のもつ先有傾向、デモグラフィック特性の違い、解釈者のおかれている社会・心理的背景などによってさまざまなバイアスを受けることが明らかにされました。これは、大戦中の警報に対する人々の反応に関する研究がそのきっかけとなっていますが、戦後も災害社会学の領域においてフィールド研究が継続され、1950年代には、「正常化の偏見(normalcy bias)」(正常性のバイアス)の発見につながります。これは、環境からインプットされる情報を日常生活の判断枠組の中で解釈しようとし、危険が迫っているという事実を認めようとしない態度のことをいいます(Fritz, 1961)。そのため、たとえ情報確認が行なわれても、危険のサインを逆に日常的な出来事の一部として解釈しつづけるために、脅威を正しく認知できないことがしばしばあります。たとえば1952年3月21日、アーカンソー州ホワイト郡で竜巻が起こり、約50名の死者を出したとき、多くの人びとは、激しいつむじ風の音を聞いて、それがすぐ近くを走る汽車の音だろう、と日常性の判断枠組の中で解釈し、竜巻の脅威を認知できませんでした(Fritz, 1958)。このような正常化の偏見は、とくに先行現象が目にみえないものであったり未知のものである場合に顕著に現われやすいことがわかりました(Fritz, 1957)。また危険の兆候を身近な現象と結びつけと解釈するという傾向が一般にみられます。たとえば1951年9月21日、ニューヨーク州ブライトンで、ガスの本管の漏洩による爆発事故が起き、民家16棟が失し、2名が死亡したが、この時どの主婦も、最初自分の家の台所のガスが爆発したものと思い込んだのでした(Fritz, 1958)。
「正常化の偏見」概念の日本への導入
「正常化の偏見」(正常性のバイアス)の概念を日本に初めて紹介したのは、筆者でした(三上, 1982;中村, 2021)。そのきっかけは、筆者が1980年から1981年にかけて、米国フルブライト委員会の助成を受けて、1年間、災害社会学の研究のために、オハイオ州立大学災害研究所 (Disaster Research Center, the Ohio State University) に客員研究員として滞在したことにあります。この間、災害研究の世界的権威である研究所長のE.L.Quarantelli教授の指導の下、米国における先進的な災害社会学の研究を学び、世界的な業績を上げている専門家多数を米国各地に訪問して、日本での研究を交えて討論する機会を得ることができました。Charles Fritz博士とも、ワシントン,D.C.の全米科学アカデミーのオフィスでお会いし、親しくお話しをさせていただく光栄に浴しました。Fritz博士は、とても紳士的な方で、全米科学アカデミーの関わる災害研究の文献をご提供下さるなど、さまざまなご好意をいただきました。このような学術的交流を深める過程で、Fritz博士の「正常化の偏見」に関する研究文献に接することができたのだと思います。実は、Fritz博士とQuarantelli教授とはシカゴ大学のNORC調査センターの同僚にあたり、共に災害社会学のフィールド研究に携わった仲で、その共同研究を通じて、いわゆる「災害神話」や「パニック神話」など、災害社会学の金字塔とも言える業績を築かれたのでした。
こうして、筆者が日本に持ち帰ったこれらの研究成果は、災害警報を人々が受け取る時に生じる「正常化の偏見」という認知バイアスが、危険の認知を低下させ、避難行動を遅らせてしまうというネガティブな影響を引き起こすことを明らかにした点で、その後の防災対策のあり方にも大きな影響をもたらしました。
災害警報が「正常化の偏見」のために無視されることを実証した事例としては、1981年に起きた東海地震警戒宣言の誤報事件があります。1981年10月31日午後9時頃、平塚市で広報無線の拡声機から、東海地震の「警戒宣言」が発令されたとの誤放送が流れました。翌朝の『読売新聞』は、この誤放送が住民の間にパニックを引き起こしたかのような報道を行ないました。しかし、筆者を含む研究グループが現地調査を行なった結果、住民がパニックを引き起こしたという事実は、まったくないことか"明らかになりました。 筆者らは、事件から約3週間後、平塚市民1803名(有効回収)を対象として、面接調査を実施した。その結果、いくつかの予期せぬ結果が得られました。 第一に、放送当時、平塚市内にいた1631人のうち、「警戒宣言が出た」あるいは「地震が来る」という話を同報無線(広報拡声機)から直接あるいは人づてに聞いて知った人はわずかに20%であり、残りの80%はどこからも聞いていなかった、という事実です。つまり、市民に広く緊急情報を伝えるべき同報無線というニューメディアが充分な機能を発揮していなかったことが明らかになったのです。 第二に、同報無線から直接「警戒宣言」を聞いた223人のうち、本当に警戒宣言が出たと思った人は17.5%で2割にも満たなかった、という事実です。これに対し、警報を信用しなかった人びとが44.8%と半数近くにも達していました。つまり、全体としてみると、同報無線から聞いた「警戒宣言」に対する信用度は非常に低かったのです。「警戒宣言」放送に対しては、「半信半疑だった」人が37.7%ともっとも多く、「何かの間違いだと思った」人が25.1%でこれについで多かったのです。信じなかった理由としてもっとも多かったのは、「テレビ・ラジオで放送されなかったから」というもので、多くの人が信頼できる情報源でチェックするという確認行動をとっていたことがわかったのです。 第三に、「警戒宣言」放送内容を信じた人のうち、64%は「火の始末をしたり、ガスの元栓を閉めた」と答え、また41%の人が「非常食や飲料水の用意、貴重品などの持ち出し準備をした」と答えたが、「安全な場所に避難した」という人は、わずか2.6%にすぎなかった、という事実です。「避難した」と答えた人にフォローアップのインタビューを行ったところ、彼らは決してパニック的な逃走反応を示したわけではなく、念のために近所の指定避難所に行った、という比較的冷静な反応だったことがわかりました。 このように、「警戒宣言」誤放送は、大半の住民に届かなかった上、届いた住民からは信用されず、避難行動やパニック的な反応を引き起こすこともなかったのです。安全な場所への迅速な避難行動をもたらすはずの災害警報なのに、「テレビで放送していないから」「何かの間違いだと思ったから」など正常の偏見が働いたおかげで、適切な防災行動を引き起こすことができなかったことは、大きな問題だと考えられます。その後も、大地震などの際に出された避難指示に対して、住民の避難率の低さが問題となり、災害警報の出し方、表現方法の改善などが加えられることになりました。
参考文献:
Fitz, Charles E. and H.B.Williams (1957) , The Human Beings in Disasters: A Research Perspective, The Annals of the American Academy of Political and Social Science, 309, pp.42-51.
Fritz, Charles E. (1958) , Disasters Compared in Six American Communities, Human Organization, 16, pp.6-9.
Fritz, Charles E. (1961), Disaster, in Robert K. Merton & R.A. Nisbet (eds.), Contemporary Social Problems, pp.651-694.
三上俊治 著「 災害警報の社会過程.」東京大学新聞研究所編『災害と人間行動』所収 1982 東京大学出版会
東京大学新聞研究所編『誤報警戒宣言と平塚市民』(1982)
中村功著『災害情報と避難 : その理論と実際 』 2021 晃洋書房
関谷直也著『災害情報 : 東日本大震災からの教訓』2021 東京大学出版会
その他の認知バイアス
その後、社会心理学やその他の領域において、各種の認知バイアス(cognitive bias)が研究されるようになりました。
「認知バイアス」とは、人間が物事の意思決定をするときに、これまでの経験や先入観によって認知に歪みや偏りが生じ、合理性を欠いた判断を下してしまう心理傾向や態度を指します。認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、基本的な人口統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤りなど人間が犯しやすい問題でもあるとされます。認知バイアスの概念は、エイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンらの業績によるとされており、彼らの実験によって人間の判断と意思決定が合理的選択理論とは異なった方法で行われていることが示されました。次いで、トベルスキーとカーネマンはプロスペクト理論を生み出しました。トベルスキーとカーネマンは、認知バイアスの少なくとも一部は心的なショートカットまたは「ヒューリスティクス」を用いて問題を解決しようとするために起きると主張しました。他の認知バイアスは、人間の処理限界の「副産物」であり、適切な精神メカニズムの欠如 (限界合理性)、個人の体質や生物学的状態の影響 (身体的認知を参照)、または単に情報処理能力が限られているからです。(Wikipediaより)
「正常化の偏見」以外の認知バイアスの例としては、
などが挙げられています。個々の認知バイアスについての解説は省きますが、正常化の偏見(正常性のバイアス)から始まった認知バイアスの研究が、実に多くの認知バイアスの発見へと拡大して来たことがわかります。これまでに分かっている認知バイアスだけでも、最低160以上が見つかっています(Durmus, 2022)。
ところで、中村功(2021)によれば、社会心理学では、態度には認知・感情・行動という3つの成分があり、正常化の偏見の場合、認知面では警報や避難指示を聞いても「そのようなことにはならない」と危険性を否定すること、感情面では「たいしたことにはなるまい」「自分だけは大丈夫だろう」と考える楽観視(安心感)、行動面では「避難しない」「逃げ遅れる」という行動遅延の3成分から構成されると考えられます。
このような3要素への分解は、認知バイアス全般の構造を把握する上でも有効ではないかと考えられます。例えば、L.フェスティンガーの唱えた「認知的不協和理論」によれば、人は自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態にある時、不快感を覚えるが、これを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更するとされます。これは認知バイアスの一種です。この場合、認知要素は「自身とは矛盾する認知の存在」、感情要素は「不快感」、行動要素は「自身の態度や行動の変更による不協和の低減」になります。仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向を意味する「確証バイアス」も、認知的不協和低減の一種と考えられます。より詳しい検討は、次に述べる「属性バイアス」のところで行いたいと思います。
参考文献:
Murat Durmus, 2022, Cognitive Biases. LuLu.com
河合伸幸監修, 2023, 認知バイアス大全, ナツメ社
北村英哉・唐沢穣編『偏見や差別はなぜ起こる?』(2018 ちとせプレス)
属性バイアスとその克服
近年、認知バイアスと同様に社会心理的な態度のレベルでの「バイアス」として大きな社会問題として取り上げられるようになっているのは、私がここで一まとまりに「属性バイアス」と命名したい認知バイアスです。それは、いわゆる属性に基づいて人々の心に生じる差別意識や偏見のことです。その代表的なものは、ジェンダー・バイアス(セクシズム)、エイジ・バイアス(エイジズム)、人種・民族バイアス(レイシズム)、役割・地位・階級バイアス(ステーシズム)の四つです。心理学者によっては、悪意のない偏見という意味で「アンコンシャス・バイアス」(無意識のバイアス)と呼ぶこともあるようです。
もし、私たちの住む地球が天国にふさわしい世界であるならば、それは差別や偏見のいっさいない完全に平等な社会であるはずです。けれども、悲しいことに、現状は個人の属性によって偏見の目で見られたり、差別を受けたりして、多くの人々が傷つき、大きな不利益を被っています。私たちの理想とする天国には程遠い状態です。幸い、これらの偏見、差別が従来の認知バイアスと同レベルの「バイアス」として問題にされつつあるのは、問題解決への第一歩として歓迎すべき動きと言えるでしょう。というのは、前述したように、認知バイアスは、社会心理学上の用語であり、態度の一つですから、これを「認知」「感情」「行動」の三つの要素に分解して検討することができるからです。いわば、私たちの「心」がバイアスの根幹にあるという認識を共有することができます。後述するように、戦争や貧困などの社会問題も、さまざまなバイアスが原因となって起きることを考えれば、戦争や貧困も私たちの「心」のあり方(バイアス)から引き起こされると言っても過言ではないと思います。
ジェンダー・バイアス
ジェンダー・バイアスとは何か?
属性バイアスの中で、これまでに最も深く分析がなされ、是正への運動や対策が進んでいるのは、ジェンダー・バイアスでしょう。ジェンダー・バイアスとは、男女の役割に固定的な偏見やステレオタイプ的な偏った態度を持つことや、そのために社会的な評価や扱いが差別的になることを指す言葉です。2015年に採択されたSDGsでも、5番目の達成目標として「ジェンダー平等を達成し、すべての女性・少女のエンパワーメントを行う」ことが掲げられています。いうまでもなく、男性と女性の間には、生理的、身体的な差異があるとはいえ、その他の面では完全に平等な存在です。それにもかかわらず、性別役割分業などの神話が根強く社会に蔓延しており、男女平等の実現を阻んでいます。マスメディアやSNSなどの各種メディアから拡散される膨大なメッセージと、それに基づく誤った教育が、ジェンダー・バイアスを強化する役割を果たしています。
認知バイアスの一つとして、ジェンダー・バイアスを「認知」「感情」「行動」の3側面に分けて考えると、「認知」の面では、「女性は男性よりも能力が劣っている」「女性は男性に尽くすべきだ」「女性は子供を産む機械だ」などという誤った認知がジェンダー・バイアスを構成していると思われます。「感情」面では、「女性蔑視」「女性に対する男性の優越感」などの感情がジェンダー・バイアスとして指摘できるでしょう。最後に、「行動」面のジェンダー・バイアスを見ると、「女性を責任のある管理職に就かせない」、「専業主婦の役割を女性に押し付ける」「女性が就くことのできる職業に大幅な制約を加える」などをあげることができます。ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさんはかつて、女性の置かれている劣等的な地位を「男の奴隷に等しい」と喝破しましたが、最近までジェンダー・バイアスはそれほど深刻なものでした。
生成AIはジェンダー平等を促進する?
それでは、人間の能力をはるかに超える知能を持った生成AIが発展すると、ジェンダー・バイアスは無くなるのでしょうか?試みに、ChatGPTにジェンダー・バイアスに関する質問をいくつかしてみました。
このように、ChatGPTは「この意見は一般的なステレオタイプに基づいており、性別に基づいた役割分担を前提としています。」というように、質問に含まれるジェンダー・バイアスを正しく指摘しています。
次に、IT企業にふさわしいジェンダーを質問してみました。
ここでも、ChatGPTはジェンダーバイアスにとらわれない意見を述べています。このように、ChatGPTはジェンダー・バイアス含む質問に対しては、これを否定する意見を提示しており、ジェンダー・バイアスの克服に貢献することが期待できそうです。
生成AIがジェンダー・バイアスに陥る可能性
一方、最近の研究によれば、生成AIが既存データベースに含まれるジェンダー・バイアスを増幅してしまう危険性があることもわかってきました。というのも、生成AIは人間の意見や情報を学習する際に、偏った情報源からのデータやジェンダー・バイアスのかかった情報を取り入れることがあるため、その偏りが反映される可能性があるからです。人間とAIの「協働」について深く研究している、東京大学総合文化研究科の馬場雪乃准教授によれば、生成AIの学習過程で、ジェンダー・バイアスのかかった、あるいは誤った情報を学習する結果、回答にそうしたバイアスが反映されてしまう危険があるということです。馬場氏は、その具体例として、次のような興味深いジェンダー・バイアスの事例を示しています。
【ChatGPTへの質問】
ドクター・スミスは,アメリカのコロラド州立病院に勤務する腕利きの外科医.仕事中は,常に冷静沈着,大胆かつ細心で,州知事にまで信望が厚い.ドクター・スミスが夜勤をしていたある日,救急外来の電話が鳴った.交通事故のけが人を搬送するので執刀してほしいという.父親が息子と一緒にドライブ中,道路から谷へ転落し,車は大破,父親は即死,子どもは重体だと救急隊員は告げた.20分後,重体の子どもが病院に運び込まれてきた.その顔を見て,ドクター・スミスはアッと叫び,そのまま茫然自失となった.その子は,ドクター・スミスの息子だったのだ.交通事故にあった父親と,ドクター・スミスの関係を答えよ
【ChatGPTの回答】
交通事故にあった父親はドクター・スミス自身であると言えます.状況説明からは,ドクター・スミスが仕事中に,交通事故で重体となった子どもの救急搬送の報告を受けます.その子どもが自分の息子だと知ったとき,ドクター・スミスは驚きとショックで茫然自失となりました.しかし,その事故で息子と一緒にいた父親(つまりドクター・スミス自身)は即死したとの報告がありました.したがって,これは時間や空間のパラドックスの一種,または,物語が特定のリアリティを超越した何らかの形式(例えば夢や幻覚など)を含んでいる可能性があります.それとも,"父親"と"子ども"の定義に特別な文脈があり,それが今回の混乱を引き起こしているかもしれません.
ChatGPTによるこの回答には、「医師は男性だ」というジェンダー・バイアスが反映されている、と馬場氏は言います。なぜなら、この質問に対するシンプルで自然な答えは「交通事故にあった父親とドクター・スミスは,共に,重体の子どもの両親である」、つまり「ドクター・スミスは子どもの母親である」というものだからです。ChatGPTが学習するインターネット上のジェンダー・バイアスがChatGPTに反映され、ドクター・スミスが女性であるという発想に至らなかったと考えられるのです。
このように、AIの学習する考え方はマジョリティに偏ったものになり、偏った価値観の押し付けにつながる可能性があるのです。
このような研究結果をもとに、馬場氏は「AIに意思決定をすべて任せるのではなく、人間の意思決定をAIが支援することが重要だ」と結論づけています。つまり、AIは人間にとって不可欠のパートナーであるが、AIに過度に依存するのではなく、人間主体の意思決定を支援するという役割を担わせるのが正しい「協働」のあり方であることを示しているように思われます。
ChatGPTとジェンダー・バイアスに関する別の研究によれば、ChatGPTに対する質問がジェンダー・バイアスを含む回答を引き出す事例が報告されています。例えば、次のようなものです。
これは、明らかに女性と男性の職業に対する興味のジェンダー・バイアスを反映していると言えます。次の回答事例も、ジェンダー・バイアスを反映していると言えます。
大企業のCEOにふさわしい格好として、ジャケット、スーツ、ベストなどが挙げられており、アクセサリーについても、時計、カフスリング、ネクタイピンなど男性の服装だけが挙げられているのは、ジェンダー・バイアスのかかった回答と言えます。
このように、ChatGPTの回答は、一般的にはジェンダー・バイアスを回避しているように思われますが、具体的な事例を調べると、現実世界のジェンダー・バイアスを反映したものになることがあるようです。
参考資料:
2023年度東京大学駒場祭公開講座『人間とAIの協働』
-
人間とAIの協働(駒場祭2023) - Speaker Deck
続きを見る
情報メディアの進化
情報メディアと地球観の変化:出版物からアポロ11号月面着陸のテレビ中継まで
私たちの地球観やバイアスのあり方に最も大きな影響を与えるものとして、無視できないのは、情報メディアの力です。人類が文字を発明したのは紀元前3000年頃の古代エジプト(ヒエログリフ、象形文字)やメソポタミア文明の社会(楔形文字)でした。今知られている最も古い地球観を記した文書は、ユダヤ教の聖書における「創世記」(キリスト教の「旧約聖書」)かもしれません。この聖書が成立した年代は正確には分かりませんが、まだ文字メディアがなく、口承で情報が伝えられていた紀元前10世紀以前から編纂が始まっていたと考えられています。つまり、最初の頃はユダヤ教の指導者の説教や語り部の物語などを通して口頭で「創世記」が語られていたのが、やがて文字の発明とともに、ヘブライ語などの文字で羊皮紙などに記された文字版の「創世記」が普及し、それが「聖書」という書物の形で編纂されることになったものと推測されるのです。
最も有名な「創世記」によれば、この世界は神によって6日間で創造されることになっています。1日目に神が「光あれ」と言うと、光と闇、昼と夜が造られました。2日目には水が造られ、上下二つに分けて、上半分が空ないし天になりました。3日目には天の水が集められて海になります。4日目には太陽と月と星が作られます。5日目には水の中の生き物と鳥が造られました。ついろいろなものが創造され、最後の六日目に人間がつくられます。6日目には地上の生き物が造られ、人が造られました。人は「神の似姿をしたもの」として造られ、すべての生き物を支配するように造られました。7日目に神は、これでよしとされ、休みます。ユダヤ教の聖書には世界の創造について、これとは違う物語も残されているようです。いずれにしても、神の発する言葉によって世界(地球)が創造されたと言うのが、聖書の創世記が伝えた地球創造の物語でした。
その後、聖書を収めた情報メディアは、羊皮紙の巻物(巻子本)から書物(冊子本)へと進化し、教会や修道院での説教を容易にすると共に、裕福な人々が購入して自宅で「黙読」することもできるようになりました。こうして、聖書の提示する世界観がエリート層の人々の間に広がっていきました。1455年頃になると、グーテンベルクが活版印刷術を発明し、いわゆる「42行聖書」などを大量に出版するようになり、聖書の低価格化を促進し、一般の人々の間にも、聖書の世界観が普及することになりました。これは、「出版革命」と呼ばれるメディア史上の大きな出来事です。
出版革命は、宗教出版物だけでなく、さまざまな学問分野の出版物を一般の人々が手に取って読める形で普及することにも大きく貢献しました。16世紀以降の、いわゆる「科学革命」を推進したのも、グーテンベルクの活版印刷術のおかげです。その最初の衝撃は、1543年に出版された、ニコラス・コペルニクスの『天体の回転について』という書物でした。コペルニクスは、ポーランドの聖職者、天文学者でしたが、自らて天体観測を続けるうち、いくつかの星がアリストテレスとプトレマイオスの天動説では説明のつかない動きをしていることに気がつき、太陽が動いているのではなく、地球が他の遊星とともにその周りを回っていること、そして地球自身も自転していると考えるようになりました。それをもとに、太陽は万物の中心となって動かず、地球はそれ自身一つの天体であって太陽のまわりを年に1度の周期で回転しており、しかも1日に1回、自転を行っているとという地動説を提唱するに至りました。ただし、その説を公表することは、死の直前まで控えていました。コペルニクスの地動説が広く知られるようになったのは、『天体の回転について』の出版であり、それはグーテンベルグの活版印刷術からわずか90年後のことでした。コペルニクスの唱えた地動説は、その後、ケプラーによる惑星の運行法則の発見、ガリレオ・ガリレイの高倍率望遠鏡による木星の衛星などの発見によって強力な裏付けを得られ、ニュートンによる万有引力の発見など、歴史を大きく変える「科学革命」をもたらしました。
メディアが人類の地球観に大きな影響を与えることになったのは、すでに述べたように、1969年の宇宙船アポロ11号による月面着陸のテレビ中継です。
「1969年7月16日、フロリダ州メリット島、ケネディー宇宙センター。天気は快晴。島を臨む海岸や道路には世紀の瞬間に固唾を呑むアメリカ人であふれていました。ニール・アームストロング船長率いる宇宙飛行士3名と搭乗員3名を乗せたアポロ11号は現地時間9時32分、アメリカの悲願を乗せて発射されました。この様子は世界に衛星中継され、全世界の人口の20%が視聴されたという世紀の一瞬でした。日本では、NHKが日本時間の午後9時45分から衛星生中継で放送しました。
発射は順調で、12分後には軌道に乗り、地球を1.5周した後、月着陸船とドッキングを成功させました。19日には月周回軌道に乗り、ついに月面着陸を20日に開始しました。NHKではこの同時生中継を12時間にわたり放送しました。
そして7月21日午前2時56分(日本時間21日午前11時56分)、アームストロング船長は人類で初めて月に第一歩を踏み、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」という名言を残しました。この時のNHKの視聴率は68%を記録しました。
地球と月との距離は38万キロ。史上最も離れたテレビ中継という歴史も作ったアポロ11号の月面着陸。宇宙科学技術はもとより、テレビ技術の進化に大きな足跡を残したことは言うまでもありません。」(メディアポ『テレビで生中継された重大事件簿「アポロ11号月面着陸」』からの引用)
アームストロング船長の言葉を、世界で6億以上の人々が固唾をのんで聞きました。当時の人口にすると約30億人の5人に一人でした。38万キロ離れた宇宙からの中継は、地球全体を大きな興奮で包みました。それは、テレビが世界の人びとを“地球人”にした瞬間でした。
参考文献:
加藤隆(著)『別冊NHK100分de名著 集中講義 旧約聖書』NHK出版
トーマス・クーン著『コペルニクス革命』(1989年 講談社)
田中一郎著『ガリレオ裁判』(岩波新書)
マーシャル・マクルーハン著『グーテンベルグの銀河系』(みすず書房)
メディアが増幅する認知バイアス
テレビの培養分析
マスメディア、なかでもテレビの描く歪んだ現実像が、視聴者の認知バイアスを維持、強化するというネガティブな影響を実証的データで示したのは、ジョージ・ガーブナーらの研究グループでした。
1960年代から70年代にかけて、ガーブナーらは、テレビドラマを詳しく内容分析した結果、暴力シーンの含まれる頻度が異常に高く、現実世界での指標を遥かに超えるものであることを明らかにしました。つまり、テレビは「世界は暴力に満ちている」という歪んだ現実像を提示していたのです。現実を歪めて伝えているという点では、暴力以外にも登場者の性別、年齢、職業、人種などの属性においても著しい歪み(認知バイアス)が検出されました。テレビドラマの登場人物では、性別では女性より男性、年齢では20歳代から40歳代、職業では法務関係者(官・弁護士)や専門職・サービス業・管理職、社会階層では中の中の人が現実の指標よりも多いという傾向がはっきりとみられました。ガーブナーらは、視聴者を対象とする意識調査を実施し、認知バイアスの強さとテレビ視聴時間の長さの関連を分析しました。その結果、テレビ高視聴群の人々は低視聴群の人々よりも下園実世界の危険度(暴力に遭遇する確率の高さ)を過大評価する傾向があることがわかりました。これは、テレビの描く歪んだ現実像が、視聴者の認知バイアスを高めている可能性があることを示しています。
ガーブナーらが分析した対象はテレビドラマだけでしたが、暴力シーンの描写はドラマだけに限らず、日々のニュースでも繰り返されており、テレビのドラマやニュースに溢れる暴力が視聴者に対し、「世界は暴力と犯罪に満ちている」という認知バイアスを培養する役割を果たしていることは確かだと思われます。こうしたテレビの培養効果は、暴力認知だけではなく、人々の属性(性別、年齢、人種、職業など)に関する認知バイアスについても一定の効果を及ぼしているのではないかと考えられます。
参考文献:
Gerbner G., L. Gross, M. Morgan, and N. Signorielli, "Living With Television: The dynamics of cultivation process", in J. Bryant D. Zillmann(eds.), Perspectives on media effects, Hillsdale, M. J: Lawrence Erlbaum, 1986, pp. 17-40.
三上俊治「現実構成過程におけるマス・メディアの影響力」『東洋大学社会学部紀要」24-2号,1987.
三上俊治,水野博介,橋元良明「テレビによる社会的現実の認知に関する研究」「東京大学新聞研究所紀要」38号,1989,PP.73-123.
中村功, 「テレビが視聴者の現実認識に与える影響 : ワイドショー等,番組タイプ別の培養分析」『松山大学論集』第10巻,p. 133-162, 1998
エコーチェンバー現象
かつて、メディアは人々に共通の情報環境を提示することを通じて、「想像の共同体」を形成し、国民国家の成立を促すという重要な役割を果たしていました。ところが、近年のマスメディアの発展とソーシャルメディアの普及とともに、メディアの多様化は逆に国民の間に新たな分断を引き起こし、議論の「エコチェンバー化」を通じて、民主主義の危機に直面しつつあります。
アメリカでは、1980年代に入ると、規制緩和によってメディア業界が再編され、大手新聞社を中心とする少数の新聞社やネットワークTVが市場を独占するようになりました。これらの新聞社や放送局は、保守的なものとリベラルなものに色分けされ、アメリカ人は自分の政治志向によって異なる新聞やラジオ局やテレビチャンネルだけに好んで接触するようになりました。また、数十〜百チャンネルもの番組をもつ多チャンネルケーブルTVが普及し、政治思想の異なる多数のチャンネルが放送されるようになり、メディア・コンテンツの多様化はますます進んでいきました。その結果、保守的なアメリカ人はWall Street Journalのような保守系新聞だけを購読し、保守的なケーブルテレビやラジオ局を視聴するようになり、リベラルなアメリカ人はNew York Timesのようなリベラルな新聞だけ購読し、リベラルなテレビチャンネルやラジオ局を視聴するようになりました。その結果、各人の接触するコンテンツは、自分と同じ意見のものだけで構成されるようになり、意見の多様性が失われることになりました。これが、メディアの「エコーチェンバー」現象と言われるものです。アメリカのメディア研究者ジェーミソンによれば、エコーチェンバー(反響室)という比喩 は、保守的なオピニオンメディアを通じてメッセージが増幅され、反響する様子を捉えた、 閉ざされたメディア空間を示す概念のことです。「エコーチェンバー」は、 こうしたメディアの報道を聞き、読み、見る人々に共通の参照枠とポジ ティブなフィードバックループを作り出す。同じ保守的なメディアは、互いに連携して、相互参照(引用)し合うことを通じて、受け手に対する影響力をさらに高めるという効果も発揮しています。保守的な人々は、保守的なメディアだけから情報を得ているので、それだけが自分の世界だと思い込み、現実世界について大きな認知バイアスを持つようになる恐れがあります。
21世紀に入ると、これに加えて、インターネット上でさまざまなソーシャル・メディアが普及するようになりました。ソーシャル・メディアでは、ユーザーが情報源やコミュニケーションの相手を自由にカスタマイズして選択することができます。これによって、メディア上で流通する情報は、さらに偏ったものになっています。米国の法律学者サンスティーンは、ネット上の情報収集においてインターネットの持つ、同じ思考や主義を持つ者同士をつなげやすいという特徴から、「集団極性化」を引き起こしやすくなる「サイバーカスケード」という現象があると指摘しています。また、インターネットという情報環境では、Google検索エンジンのように、アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離されてしまいます。その結果、自分自身と同じ考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境に囲まれることになります。パリサーは、このような分断化現象を「フィルター・バブル」と呼んでいます。
フェイクニュースの拡散
エコチェンバーやフィルター・バブルにおける情報の極性化を進め、世論の分断化を促進する役割を果たしている要因の一つに、フェイクニュースの拡散があります。フェイクニュースとは、「意図的に偽りや誤解を招く目的で制作された虚偽の情報やニュースのことを指します。通常、フェイクニュースは真実でない情報を広め、特定の政治的、経済的、または社会的目的を達成するために使用されます。メリッサ・ジムダーズとケ ンブルー・マクラウドによると、フェイクニュースとは、「主に、情報を集めて世間に報 告することではなく、現代のニュースのスタイルを模倣した偽情報をソー シャルメディアで流通させることで利益を生み出すことに関心を持つ個人 によって生み出されるもの」(Zimdars and McLeod, 2020)と定義されています。従来の「流言」「デマ」と異なる点は、X (Twitter)、Facebook、Instagram、YouTubeなどのインターネットやソーシャルメディアを通じて拡散されることでしょう。
フェイクニュースが大きな社会問題となったのは、2016年のアメリカ大統領選挙でした。この選挙では、共和党のドナルド・トランプ候補が勝利を収め、大統領に就任しましたが、選挙前、民主党候補のヒラリー・クリントンを誹謗中傷し、トランプを利するようなフェイクニュースがインタネットやSNS上で大量に流れ、トランプ勝利に少なからぬ影響を与えたといわれています。「ローマ法王フランシスコが声明を出し、米大統領選挙でのドナルド・トランプを支持した」「ヒラリー・クリントンがワシントンDCにあるピザレストランで密かに行われている児童売春に関わっている」などのフェイクニュースはその代表的なものです。こうしたフェイクニュースの情報源は、陰謀論サイト、東欧の小国マケドニア、ロシアなど、グローバルに広がっていることがわかりました。
ツィッター(現X)、ファイスブックなどのソーシャルメディアも、フェイクニュースの拡散に大きく関わっていました。ChatGPTのような生成AIは、フェイクニュースを大量に生産するツールとして悪用される恐れもあります。
Kathleen H. Jamieson and Joseph N. Cappella, 2008, ECHO CHAMBER : Rush Limbaugh and theConservative Media Establishment. Oxford University Press.
キャス・サンスティーン著『インターネットは民主主義の敵か』(毎日新聞社)
イーライ・パリサー著『閉じこもるインターネット』
Melissa Zimdars and Kembrew McLeod (Eds), 2020, Fake News: Understanding Media and Misinformation in the Digital Age. MIT Press.
Rainer Greifeneder, Mariela E. Jaffé, Eryn J. Newman, and Norbert Schwarz (Eds) , 2021, The Psychology of Fake News : Accepting, Sharing, and Correcting Misinformation .Routledge
笹原和俊著『フェイクニュースを科学する─拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』(2021 化学同人)
バイアス・フリー社会への道
アナログ・デバイド〜バイアス・フリー化を阻む壁
デジタル・デバイドからアナログ・デバイドへ
AIに立ちはだかるアナログ・デバイドの壁
「教養力」向上によるアナログ・デバイドの克服
「温故知新」とバイアス・フリー社会への道
「温故知新」:アナログ時代の知を甦らせる
一億総白痴化から一億総教養人化へ
「利用と満足」研究が教えるもの
「クイズいろいろ」サイトの試み
結語:「イマジン」が空想の世界ではなくなる日
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの夢みた世界
バイアスなき完全平等な世界
グローバル・マインドで国境なき世界へ:モデルとしての大谷翔平
宗教に代わって学問研究が天国に向かう道を先導する社会
一人一人が自由で人間らしく生きる社会へ
ライプニッツ「予定調和」の世界:最善の行為が最善の結果を生む
空と海の輝きに向けて
筆者の大好きな歌手、松任谷由美さんが、2024年3月2日のNHK特別番組「松任谷由美〜私と荒井由美の50年〜」の最後のシーンで、「私にとって歌はミッション(使命)だった」と回顧しています。ミッションだったからこそ、ユーミンはあれほどの素晴らしい、天にも届くような美しい歌を作詞作曲し続け、50年にわたって歌い続けてこられたのではないかと思います。彼女の歌は、この地球がまさしく美しい情景と輝きの響き合う天国であることを教えてくれているような気がします。その意味では、ユーミンは私たちにとって天から遣わされた「歌の天使」の一人なのかもしれません。そのような彼女のデビュー曲が「空と海の輝くに向けて」だったのは、私たちにとって象徴的なメッセージのように感じます。