シャーロック・ホームズの生還
The Return of Sherlock Holmes
シャーロック・ホームズの復活
コナン・ドイルは、当初、「シャーロック・ホームズの思い出」(1893年)で、シャーロック・ホームズのシリーズを終わらせようと考えていました。事実、この作品の最後の章で、シャーロック・ホームズをライヘンバッハの滝壺に葬ったのでした。しかし、これに対して愛読者からは、ごうごうたる非難の声が殺到し、ホームズ・シリーズ継続への要望が強いことがわかりました。
その後、1901年になって、ドイルは『バスカヴィルの家』という長編小説の中で、ふたたびシャーロック・ホームズを主人公として登場させました。ただし、この小説の舞台は1889年頃で、ホームズがまだ生存中の出来事をワトソンの回想形式で語ったものでした。
ドイルが「シャーロック・ホームズ」シリーズを再開する決断をしたきっかけは、アメリカの人気週刊誌"Collier's Weekly"からの提案にありました。同誌はコナン・ドイルに対して、6号につき25,000ドル、8号につき30,000ドル、13号につき45,000ドルという破格の申し出をしました。しかも、この金額は、アメリカでの著作権料という限定であり、イギリスではストランド誌からさらに多額の印税を手にできることが分かっていました。
「シャーロック・ホームズの生還」は、1903年9月から1904年12月にかけてアメリカのCollier'sから、1903年10月から1905年1月にかけてイギリスのストランド誌から計13編刊行されました。
"The Adventure of the Empty House"(空き家の冒険) october 1903
"The Adventure of the Norwood Builder"(ノーウッドの建築業者) november 1903
"The Adventure of the Dancing Men"(踊る人形) december 1903
"The Adventure of the Solitary Cyclist"(美しき自転車乗り) january 1904
"The Adventure of the Priory School"(プライアリ・スクール) february 1904
"The Adventure of Black Peter"(ブラック・ピーター) march 1904
"The Adventure of Charles Augustus Milverton"(恐喝王ミルヴァートン) april 1904
"The Adventure of the Six Napoleons"(六つのナポレオン像) may 1904
"The Adventure of the Three Students"(三人の学生) june 1904
"The Adventure of the Golden Pince-Nez"(金縁の鼻眼鏡) july 1904
"The Adventure of the Missing Three-Quarter"(スリー・クォーターの失踪) august 1904
"The Adventure of the Abbey Grange"(アビィ屋敷) september 1904
"The Adventure of the Second Stain"(第二のしみ) december 1904
問題は、ライヘンバッハ滝でいったんは「死んだ」はずのホームズをどうやって「生還」させるかというということでした。そこで、ドイルは、新しいホームズ・シリーズの第1回で、ホームズ自身にライヘンバッハで宿敵モリアーティーをどう打ち負かしたのか、それから約3年後の1894年3月に再びワトソンの前に姿を現すまでの間、どこでどうしていたのかを詳しく説明させることにしました。これは、「空き家の冒険」の冒頭に採用されています。
この「生還」シリーズでは、小説の舞台としてロンドンが頻繁に登場しますので、「ロンドン聖地巡礼の旅」も佳境に入ることになりそうです。これからの展開が楽しみです。