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葛飾柴又:「男はつらいよ」の舞台を歩く

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散歩の記録

日時:2023年5月5日
天候:快晴
13:45 柴又
13:50 寅さん、さくらの像
14:05 帝釈天参道
14:15 とらや
15:00 帝釈天
15:15 帝釈堂
15:45 柴又駅

 

「男はつらいよ」主題歌と柴又散歩 (YouTube)

写真アルバム

ゴールデンウィーク最後の休日、葛飾柴又を歩きました。いつもは一人でウォーキングするのですが、珍しく満男みたいな性格の息子が柴又に行きたいというので、妻も誘って3人での散策となりました。「男はつらいよ」は「家族」が大きなテーマの一つにもなっているので、家族で聖地巡礼するのもいいかなと思ったのです。

柴又駅と寅さん、さくら像

京成金町線の柴又駅は、けっこう遠くにあります。私は渋谷から半蔵門線で押上駅へ行き、京成成田線に乗り換えて、京成高砂駅でさらに京成金町線に乗り換えなければならず、自宅から2時間近くかかりました。

 

駅前広場には、寅さん像とさくらさんの像があり、私たちを暖かく迎えてくれました。寅さん像の足に触るといいことがあるそうで、早速私もあやかってみました。写真の背後には、なんと本物そっくりの寅さんが写っているではありませんか!これにはちょっとびっくり。

 

寅さん像の背後には、寅さんを見送るさくらさんの像がありました。

帝釈天参道:とらや他

駅前広場を抜けると、程なく帝釈天参道に出ます。「男はつらいよ」当時のままの姿が保存されています。

寅さんが旅先からふらっと帰ってくる、あの懐かしい「とらや」もそのままです。

店に入ると、奥に映画でお馴染みの2階に登る急な階段が当時にままに残されていました。

「とらや」では、ぜひ草だんごを食べたいと思っていたので、早速注文。

階段は撮影当時のままですが、映画では階段の左に居間があり、奥には博の働く工場があったはずですが、現在のとらやにはありません。それがちょっと残念。

 

帝釈天参道は、「男はつらいよ」で撮影された当時と全く変わらず、寅さんの世界にタイムスリップすることができます。

蒲焼で有名な川千家。

ここは、YouTube動画でも紹介されているようで、飴を切るところが実演されています。トントンと音楽のように飴を切る様子がとても楽しいです。飴も美味しい。

 

帝釈天

やがて正面に帝釈天の門が見えてきました。

帝釈天の大きな門と鐘撞堂。映画でもお馴染みですね。

帝釈堂。ここで参拝しました。寅さんに感謝の祈りを捧げました。

「寅さん」が産湯をつかったという御神水。映画の冒頭で登場するおなじみの口上「帝釈天で産湯をつかい、姓は、車 名は寅次郎」の産湯は、この水だったのでしょうか。

昭和4年に完成した大客殿。とても美しい日本庭園があります。映画には出てこなかったのですが、必見の観光スポット。

 

拝殿の裏側にある「彫刻ギャラリー」。庭園と合わせて、拝観料は400円ですが、それだけの価値はあります。きめ細かな木彫が見事。

「男はつらいよ」寅次郎相合い傘 (YouTube)

「男はつらいよ」柴又慕情 (YouTube)

 

「男はつらいよ」寅次郎夕焼け小焼け (YouTube)

「男はつらいよ」の映画は、私たちにいろいろなことを教えてくれています。ここでは、「予定調和の世界」「家族の絆」という2つのテーマについて考察してみたいと思います。

「予定調和」の世界

「予定調和」という言葉には、二つの意味があります。『デジタル大辞泉』によると、次のような意味があるといいます。

 ライプニッツの哲学で、宇宙は互いに独立したモナドからなり、宇宙が統一的な秩序状態にあるのは、神によってモナド間に調和関係が生じるようにあらかじめ定められているからであるという学説。
 (日本社会で)小説・映画・演劇・経済・政治等広い範囲で、観衆・民衆・関係者等の予想する流れに沿って事態が動き、結果も予想通りであることをいう。(例)「勧善懲悪の予定調和を破った時代小説」「予定調和の法案成立」

 

ライプニッツの予定調和説は、死後に公刊された『モナドロジー』で明らかにされた学説です。「モナド」という概念は分かりにくいのですが、原書で最も分かりやすい説明は、次のようなものです。

「人はみな、生命の原理が物体の運動の成り行きを変えたり、あるいは少なくとも、神にそれを変える機因を与える、と思っていました。しかし私の説では、この成り行きは、自然の秩序の内では決して変えられません。神はそれをしかるべく予定設定したからです。

この予定調和の説は、神の存在について、これまでに知られていない新たな証明を与えます。というのも、互いに影響しあうことのない多くの実体の合致は、それら実体のすべてが依拠している普遍的な原因から来るしかないことが、きわめて明らかだからです。しかもこの原因は、これらすべての合致を予定設定する力と無限の知恵とを有しているはずだからです。」

私たちが日頃経験する「思いがけない出逢い」「とんでもない災難」「運命の瞬間」「ご縁を感じる」「奇跡的な出来事」「結果オーライ」「明けない夜はない」「これまで生きていてよかった」「人間万事塞翁が馬」などはすべて、全知全能の神が事前に準備した「予定調和」(pre-established harmony)のためだと考えると納得がいくのではないかと思います。これは科学的に証明のできる命題ではありませんが、決して宗教的な妄言ではありません。

アインシュタインは、次のような名言を残しています。

「人生には二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。」
(There are only two ways to live your life.  One is as though nothing is a miracle.  The other is as though everything is a miracle.)

私はいつも、後者の道を選んで生きています。「男はつらいよ」でも、寅さんのまわりでは、さまざまな奇跡が起き、ドラマの展開において重要な役割を果たしています。大切なことは、これが映画の世界だけではなく、私たちの実人生でも毎日のように起きていることを認識することだと思います。実際、リスクに満ちたこの世界で私が生かされていること自体、大きな奇跡と言わねばなりません。

私たちの生活の中で起きる奇跡は、小さなものから大きなものまでさまざまです。「男はつらいよ」の中でも、小さな奇跡や大きな奇跡が次々と起こります。小さな奇跡の積み重ねが最後のクライマックスで「大きな奇跡」を生み出すと、それは感動的な幕切れとなります。その代表的な例は、1976年に公開されたシリーズ第17作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』です。

あらすじ

上野で一杯やっていた寅さんは、そこで一文無しの汚い老人(宇野重吉)と知り合いになり、とらやへ連れて帰ってそのまま泊めてやる(小さな奇跡)。翌日、老人はお礼を言うどころかわがままばかり言いみんなを怒らせる。寅さんが老人に“ここは旅館じゃないんだから”と注意すると、旅館だと思い込んでいた老人は驚く。老人は画用紙に墨絵を描き、これを神田の古本屋へ持っていけばお金になるからと寅さんに託す。寅さんは渋々その店へ行き、主人に絵を見せたところ何とこれが七万円で売れてしまう(小さな奇跡)。

その老人が“池ノ内青観”という高名な画家だと知り(小さな奇跡)、寅さんは喜んでとらやへ帰るが、青観はすでに帰った後だった。兵庫県の龍野まで商売に来た寅さんは、青観と再会する。青観の親しい知人だということで寅さんまで市長たちの歓待を受け、その宴会のお座敷でぼたんという芸者(太地喜和子)と出会った寅さんは、明るいぼたんと意気投合しすっかり仲良くなる(小さな奇跡)。

ぼたんは鬼頭という男に二百万円のお金を貸していたが、鬼頭は自分の財産を全て他人名義にして“自分は一文無しだから返せない”と言いお金を返そうとしなかった。その鬼頭と会うためにぼたんはわざわざ東京まで出てきたのだ。それを聞いた寅さんはみんなへ別れの挨拶をし、ぼたんに“きっと仇はとってやるからな”と言い残して店を出て行ってしまう。

一方、行き先もわからず飛び出した寅さんは困った挙句青観を訪ねる。そして青観に“ぼたんのため金になる絵を描いてやってくれ”と頼む。青観は“金なら融通するが、金のために絵は描けない”と言い張り2人は物別れする。

夏の盛り、寅さんがフラッとぼたんを訪ねてくる。ぼたんは寅さんを自宅に引っ張り込み、床の間を見せる。そこには青観の描いた立派な牡丹の絵が飾られていた。ぼたんはなぜ青観が自分に絵を贈ってくれたのかさっぱりわからないが宝物にすると言い、全てを察した寅さんは、東京の青観に向かって手を合わせる(大きな奇跡)。

とはいえ、奇跡というものは、ただ寝て待っていただけでは起きるものではありません。寅さんのように、「奮闘努力」を重ねる人にだけ訪れるものだということを忘れてはならないでしょう。そのようなとき、映画『寅次郎物語』のかあさん(秋吉久美子)や寅さんのように、私たちはしみじみと「生まれてきて良かったな」と感じることができるのではないでしょうか。

人間は何のために生きているのか?

満男「人間は、何のために生きてんのかな?」
寅次郎「うん?難しいこと聞くなあ、え?
うーん、何て言うかな、ほら、
ああ、生まれて来て良かったなって
思うことが何べんかあるじゃない、ねえ。
そのために人間は生きてんじゃないのか」
(『寅次郎物語』より)

「家族」の絆

「男はつらいよ」が私たちに与えてくれるもう一つの大きな教訓は、「家族の絆」の大切さではないかと思います。寅さんの故郷は、葛飾柴又ですが、ヤクザな渡世稼業をしていて、全国各地を自由気ままに旅して歩いています。

でも、寂しくなった時などには、思い出したように柴又の実家「とらや」に戻ってきます。そんな時、妹のさくらやその夫の博、おいちゃん、おばちゃんなどの家族が暖かく迎えてくれます。ただ、寅さんは愛情溢れる家族に囲まれて幸せな生活を送ることはできません。必ず、一悶着起こして家族と衝突し、ぷいと出ていってしまいます。それでも、寅さんの家族は決して寅さんを見放したりはしません。長く便りがないと、「寅さんは今頃どうしているだろう」と気遣ってくれるのです。寅さんと家族の間の絆がどれほど強いかが分かります。それほど強い絆で結ばれているからこそ、寅さんは自由気ままに放浪の旅を続けることができるのでしょう。

現実の世界では、こんな男のわがままが許されることは滅多にないのではないかと思います。家庭崩壊を招いたり、結婚していれば離婚され、出来損ないの息子だとして親から勘当されるなどの悲劇的な結末を迎えることが多いのではないでしょうか。寅さんのように自由気ままに生きるのは、男のロマンですが、現実の社会はそれを許してはくれません。

でも、寅さんは決して社会の落伍者ではありません。ドラマの中では、弱者を助け強者を挫く正義の味方です。女性の味方でもあります。あらゆる差別偏見から自由で、決して間違ったことをしない正しき人なのです。情にもろい日本人でもあります。さくら、博、おいちゃん、おばちゃんらの家族が寅さんを愛してやまないのは、寅さんのそんな人柄ゆえなのです。

私にも寅さんに似た人柄の義兄がいます。安定した職についていない点、一人暮らしをしていることなど、寅さんとの共通点が少なからずみられます。そんな義兄を忌み嫌う身内もいるようですが、妻は桜のように、お兄ちゃんを慕い、いつも面倒を見ています。私は、いわばさくらの夫、博に近い立場にありますが、博のように義兄を大切な家族の一人として迎えているかどうか自信がありません。どんなにダメな人間のように見えようとも、大切な家族の一員として日々接し、家族の絆を深めることの大切さを、この映画は教えてくれているような気がします。

同床異夢:柴又「聖地」

今回は、家族と一緒に柴又を歩いたのですが、息子のお目当ては、「寅さん」ゆかりの場所ではなく、「柴又」というタイトルの人気YouTube動画に登場する「柴又駅前踏切」だったようです。一緒に行ってみたのですが、何の変哲もないただの踏切でした。でも、息子は夢中になってあちこちの角度からこの踏切を撮っていました(下の写真)。映画世代とYouTube世代の「聖地」ギャップを強烈に感じました。「男はつらいよ」の聖地柴又は、こうして次第に風化して行くのかもしれませんね。

柴又駅前の踏切

人気動画「柴又」

帝釈天 浄行菩薩

 

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