3,680 total views, 9 views today
散歩の記録
日時:2024年2月14日(水)
天候: 晴れ
距離:11.9km
歩数:6,541 steps
カロリー:468 kcal
行程:
10:10 五反田(始発点)東急池上線
10:30 池上駅着
11:00. 池上本門寺前
11:30 池上梅園
12:00 西馬込駅 都営浅草線
12:15. 五反田(終着点)
ウォーキングマップ
フォトアルバム
池上線
暖かい春の陽気に誘われて、午前10時すぎ、池上線の五反田駅から蒲田行きの電車に乗って、池上駅まで行きました。車内で早速、スマホのイヤホンをつけて、西島三重子さんの歌う「池上線」を流し、1976年の世界へとタイムスリップ、、、と思ったのですが、真新しい車両の座席に座っている人はみんな、スマートフォンを開いて、SNSだかなんだかの世界に没入しています。
古い電車の ドアのそば
二人は黙って 立っていた
話す言葉を さがしながら
すきま風に 震えて
いくつ駅を 過ぎたのか
忘れてあなたに 聞いたのに
じっと私を 見つめながら
ごめんねって 言ったわ
泣いてはダメだと 胸にきかせて
白いハンカチを 握りしめたの
という、あの頃のレトロなロマンの世界はどこにもありませんでした。まっ、いっか。
池上駅を下車し、本門寺へと向かう前に、駅の横の踏切で、池上線の電車を待ちます。これが見納めと思って。「池上線」の歌には、こんな歌詞がありました。
商店街を 通り抜け
踏切渡った 時だわね
待っていますと つぶやいたら
突然 抱いてくれたわ
あとからあとから 涙あふれて
後ろ姿さえ 見えなかったの
この歌の一番のクライマックスです。思わずもらい泣きしてしまう場面ですね。あの踏切は、今見ている池上駅のこの踏切なのかしら?池上線の電車は何も答えてはくれませんでした。
池上本門寺
池上本門寺は、予想したよりも大きなお寺でした。ちょっとした山を登るように、長い石段が続いています。登ると、大きな仁王門が出迎えてくれました。ここは昔、日蓮上人が亡くなった場所らしいです。手前の「総門」には、「本門寺」という、ちょっと水平軸から外れた筆書の大きな額がかけられています。これは、日本のレオナルドダヴィンチとも言われる天才芸術家の本阿弥光悦が書いたものだそうです(ただしレプリカ)。私にはこれがどれほどの達筆なのかは判定できませんでしたが、、、先週、上野の国立博物館で開催中の本阿弥光悦展を見学しましたが、その多才ぶりには感服したものの、書に関してはあまり感銘を受けませんでした。あれが達筆というものなのかしら、という程度。一番印象に残ったのは、渋い光沢を放つ陶芸作品でした。もちろん、かの有名なこんもりと盛り上がった優美な硯箱も素晴らしかったですが。
池上梅園
本門寺参りを終えて、坂の下に降りると、池上梅園があります。戦前は、敷地の北半分が日本画家の伊東深水氏の自宅兼アトリエで、戦後は料亭経営者の小倉氏が別邸として使用していたのだそうです。小倉氏が亡くなった後、遺族が東京都に寄贈し、その後大田区に移管されて、梅園として蘇ったものだとのことです。丘の全体に紅白の梅がたくさん植えられていて見事です。
ちょうど満開の青天の日に訪れることができたのは幸運でした。まるで、梅の妖精たちが私の訪問を待っていてくれたようで、ハッピーな気分で撮影を楽しむことができました。
参考資料
池上線
池上線は、五反田と蒲田を結ぶ、大田区の代表的な私鉄です。東急が運営しています。各駅停車のみという、都内では珍しい鉄道ですね。それだけに、のんびりした雰囲気を感じさせます。私自身は、まだ乗ったことがないので、乗車が楽しみです。
歴史を辿ると、池上本門寺参詣客の輸送を目的に、池上電気鉄道の手によって開業したのが最初だそうです。開業当初の蒲田駅 - 池上駅間は、現存する東急電鉄の鉄道路線では、最も早くに開業した区間だとか。「池上線」という名称も、このような開業当初の路線に由来するものなんですね。
池上線の名を全国に知らしめたのは、1976年(昭和51年)に池上線を舞台にした歌『池上線』(作曲・唄:西島三重子 作詞:佐藤順英)の大ヒットでした。私は当時まだ20代でしたが、この曲のことは覚えていません。でも、最近、YouTubeでこの歌を知り、とても心惹かれました。特に、西島三重子さんの心震えるような切ない恋心の歌と、アルバムのカバー写真の、やはり今にも涙が溢れてくるような思い詰めた表情の彼女の姿が胸に焼き付いて、何度もYouTubeの歌を再生します。これは本当に歴史に残る名曲と歌唱だと思います。それとともに、「池上線」という電車にとてもロマンティックなものを感じるようになりました。果たして、現実の池上線がどんなものなのか、明日の乗車が楽しみです(2月13日、散歩の前日、自宅にて)。
古い電車の ドアのそば
二人は黙って 立っていた
話す言葉を さがしながら
すきま風に 震えて
いくつ駅を 過ぎたのか
忘れてあなたに 聞いたのに
じっと私を 見つめながら
ごめんねって 言ったわ
泣いてはダメだと 胸にきかせて
白いハンカチを 握りしめたの
池上線が 走る町に
あなたは二度と 来ないのね
池上線に 揺られながら
今日も帰る 私なの
終電時刻を 確かめて
あなたは私と 駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯りともす 夜更けに
商店街を 通り抜け
踏切渡った 時だわね
待っていますと つぶやいたら
突然 抱いてくれたわ
あとからあとから 涙あふれて
後ろ姿さえ 見えなかったの
池上線が 走る町に
あなたは二度と 来ないのね
池上線に 揺られながら
今日も帰る 私なの
こちらは、西島三重子さんの歌う「池上線」のライブ映像です。西島さんの歌唱の上手さと、ハッとするような美貌が際立っています。
池上本門寺
池上本門寺は、日蓮入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられています。弘安5年(1282年)9月8日、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かいました。9月18日に武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着します。ここで生涯最後の20数日間を過ごすこととなりました。同年同月に、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれます。
同年10月13日に日蓮が没すると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し、寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。その後は日蓮の弟子・日朗が本門寺を継承しました。(以上、Wikipediaより)
伽藍、境内の主な建造物は次のとおりです。
総門
元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立といわれます。「本門寺」と刻された扁額は本阿弥光悦の筆によるもので、現在掲げられている額は複製。
大堂
堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置しています。1966年(昭和41年)川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれています。
仁王門
大堂正面に建つ二重門。旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。仁王門として1977年(昭和52年)に再建されました。門内には彫刻家圓鍔勝三が、アントニオ猪木をモデルに制作した仁王像が安置されましたが、近年修理を機に本殿内に移設。新たに仏師原田佳美作の仁王像が2001年(平成13年)10月に開眼供養が行われ奉られています。
五重塔
高さ31.8メートル。空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立され、後に現在の位置へ移築されました。
多宝塔
境内西方、日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建っています。新編武蔵風土記によると、この地にはかつては2間に3間の灰堂があり、当初、本門寺の開基檀越である池上宗仲が宝塔を作って、日蓮の遺灰を中に盛って奉安したと伝えられています。
(以上、Wikipediaより)