赤いキュロットのオダリスク, Flickr

台東区 美術館・博物館 通り・緑道

上野駅〜東京都美術館〜谷根千

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散歩の記録

日時:2023年5月31日(水)
天候:曇り
行程:
9:25 上野駅
9:35〜10:40 東京都美術館 マティス展
11:00〜11:15 谷中銀座
11:25 千駄木
11:40〜12:40 根津 よし房 凛(蕎麦屋)

今日の散歩は、上野駅から出発し、東京都美術館で開催中の「マティス展」をゆっくり鑑賞した後、東京芸大の横を北上し、谷中銀座通りを抜けて、千駄木、根津まで歩きました。

ウォーキングマップ

 

写真アルバム

東京都美術館

 

東京都美術館とは

東京都美術館は東京都美術館条例に基づき「都民のための美術の振興を図る」という目的で都が設置する公立美術館です。設計は前川國男。1926年、日本で最初の公立美術館「東京府美術館」として開館しました。1943年の東京都制施行により現行の「東京都美術館」に改称しました。(Wikipediaより)

マティス展

 

 

マティス展の概要

開催日時:2023年4月27日(木)~ 8月20日(日)
開室時間:9:30~17:30、 金曜日は20:00まで ※入室は閉室の30分前まで
会場:東京都美術館 企画展示室
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、 ポンピドゥー・センター、 朝日新聞社、NHK、 NHKプロモーション
企画趣旨:20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869–1954年)は、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と光の探求に捧げました。世界最大規模のマティス・コレクションを所蔵するポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て開催する本展は、日本では約20年ぶりの大規模な回顧展です。(マティス展のWebサイトより)

今回のマティス展は、パリのポンピドゥーセンターにある膨大なコレクションを精選し、マティスの画家としての60年以上に及ぶ創造活動の足跡をクロノロジカルに辿ることができるようになっています。そのおかげで、マティスが「色彩の魔術師」と呼ばれるにようになった秘密を解き明かすことが可能になりました。マティスは色彩の魔術師であっただけではなく、「造形の魔術師」でもありました。この2つの才能を真に開花させたのは、実は1930年代、マティスが60代という高齢に達してからだったのではないか、と今回の回顧展を鑑賞していて思いました。若い頃からの代表的な作品を鑑賞しながら、この点を検証してみたいと思います。

初期の写実的な作品

マティスは10代の頃、法律を勉強していましたが、20歳のとき、盲腸炎の手術で入院中に母親から絵の具を贈られたのをきっかけに絵画に夢中になり、画家の道を歩むことになりました。1891年にパリの美術学校に入学、その後、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)を受験しますが、不合格。それでも、教授であったギュスターヴ・モローから目をかけられ、個人指導を受けることになりました。下の絵画「読書する女性」は、1896年に発表された初期の作品ですが、まだ後年のマティスの華やかな色彩や簡略化された造形デザインは見られません。

「読書する女性」 Flickr

中期の印象派風の作品

1921年の秋に発表された「赤いキュロットのオダリスク」は、間違いなく中期の傑作の一つだと思いますが、まだ後期印象派の影響を強く感じさせ、マティスらしい色彩や抽象的な造形とは隔たっています。

マティスは当代の様々な画家から影響を受けています。特に、ポール・セザンヌ、ポール・シニャック、フィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派から大きな影響を受けました。下の絵画「石膏のある静物」は1927年の作品で、マティスらしい赤の背景が素晴らしいですが、造形的にはまだマティスらしい自由奔放な造形には程遠く、セザンヌの静物画からの影響が色濃く見られます。

「石膏のある静物」石橋財団アーティゾン美術館蔵

マティスらしい色彩、造形の誕生

マティスの造形芸術と色彩配置のテクニックが独自かつ完成の域に達するのは、1935年以降のことです(マティス66歳)。下の絵画作品を見れば、それが分かります。美しい肢体が伸びやかに描かれています。いかにもマティスらしいラインと色彩のバランスですね。

 

 

「夢」1935年

そして、次に来るのが今回の回顧展の最高傑作「赤の大きな室内」です。制作年は1948年、マティスがなんと79歳のときの作品です。びっくりですね。私たちがマティスの絵画に心から感嘆するのは、こういう大胆な赤と黒の素描を基調として描かれたインテリアの美しさです。もう、マティスだけが描くことのできる美の極致といってもいいでしょう。マティスは、60代になってようやく、芸術の道における「オメガ点」(最高到達点)に辿り着いたのでした。それ以降、85歳で没するまで、葛飾北斎と同じように、自由自在の境地で切り絵や彫刻や礼拝堂の壁画など最後の傑作群を残していったのだと思います。

「赤の大きな室内」を鑑賞する来場者

「赤の大きな室内」1948年制作

下の絵画「黄色と青の室内」は、1946年の作品です。上の「赤の大きな室内」の2年前、マティスが77歳の時の作品です。黒の素描は似ていますが、色彩は赤ではなく、マティスにしては珍しく、黄色と青の配色になっているのが目を惹きます。でも、色彩の美しさは勝るとも劣らないと感じます。

「黄色と青の室内」1946年

次の作品は、1942年に木炭で描かれた「眠る女性」のデッサンです。マティス73歳の時の作品。力強く、確信に満ちた木炭のラインが印象的です。わずかなタッチで眠る女性の肢体を見事に描き切っています。すばらしいの一言。

「眠る女性」1942年。木炭/紙

撮影許可を得たフロアの最後の作品は、下に示す切り紙絵です。1937年にテリヤードによって創刊された芸術・文学雑誌『ヴェルヴェ』の表紙を飾ったマティスの切り紙絵です。晩年に取り組んだ切り紙絵作品の一つです。マティスの到達した自由自在の境地がこれらの切り紙絵からも伺えます。

マティスによるVerve表紙のデザイン

雑誌『ヴェルヴェ』の表紙を飾ったマティスの切り紙絵(1937年〜)

朝倉彫塑館

 

朝倉彫塑館とは

朝倉彫塑館は、明治 - 昭和の彫刻・彫塑家であった朝倉文夫のアトリエ兼住居を改装した美術館です。1986年に台東区に移管され、現在は公益財団法人台東区芸術文化財団が運営・管理を行っています。鉄筋コンクリート作りの旧アトリエ部分と、丸太と竹をモチーフにした数寄屋造りの旧住居部分からなり、その和洋折衷の特異な建築は朝倉文夫本人が自ら設計し、その意向が強く生かされています。(Wikipediaより)

マティス展を出て、散歩の次の目的地は、谷中墓地の近くにある「朝倉彫塑館」でした。ところが、行ってみると、あいにく本日は休館日。残念!またの機会にしましょう。

谷中銀座

 

谷中銀座とは

東京都台東区谷中にある、1950年代から続く昔ながらの商店街。約60軒の店舗と飲食店が並んでいます。「台東区思い出の景観30選」指定の観光名所。夕やけだんだんという名前の坂(階段)が有名。(Wikipediaより)

朝倉彫塑館のすぐ先を左折して歩くと、谷中銀座の商店街に出ました。ここを訪れるのは生まれて初めて。昔懐かしい商店が立ち並ぶ、レトロでおしゃれな通りでした。外国人観光客の姿も目につき、日本らしい風景を楽しんでいる様子でした。「猫雑貨のお店」なんて珍しい店もあったりして、楽しい街ですね。

千駄木

 

千駄木とは

レトロな建物や歴史的建造物、史跡などが比較的残された下町情緒あふれる地域として知られ、近年は、昔の建物をリノベーションした新しい雑貨店や飲食店等のショップが増えた事から、観光客が多く訪れる観光地としての側面が強くなってきています(Wikipediaより)。

これに比べると、千駄木はあまり面白い街並みには出会えませんでした。私の探し方が悪かったのかもしれませんが。というわけでは、千駄木はスルーして、最後の目的地である根津へと向かいました。

根津

根津は、つつじ祭りで有名な根津神社や美術館などがあります。神社には先日のつつじ祭りで行ったので、今日は「よし房 凛」という人気蕎麦屋で昼食をとることにしました。

人気店だけに、長い行列ができていました。30分以上も待たされましたが、それだけの甲斐はありました。実に美味しい蕎麦をいただきました。注文したのは、天せいろ蕎麦です。

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