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国立新美術館から岡本太郎記念館まで

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散歩の記録

日時:2023年5月24日(水)
天候:快晴
行程:
10:30 青山1丁目駅
11:00 乃木神社
11:30 国立新美術館
13:00 根津美術館
13:30 岡本太郎記念館
14:00 表参道駅

ウォーキングマップ

写真アルバム

青山1丁目駅

乃木神社

名もない貧しき少年を励ます乃木希典

乃木神社とは

乃木神社は、東京都港区赤坂にある神社。明治期の軍人・乃木希典(乃木希典命)とその妻・乃木静子(乃木静子命)を祀る。旧社格は府社。現在は神社本庁の別表神社。

明治45年(1912年)7月30日に崩御した明治天皇の大喪儀当日である大正元年(1912年)9月13日、乃木希典陸軍大将と妻・静子が天皇に殉じて自刃した。乃木夫妻の忠誠心に感激した国民は次々と乃木邸を訪れ、その数は日増しに増えていった。そして、夫妻の葬儀と同時に、乃木邸近くの、当時「幽霊坂」と呼ばれていた坂の名前も「乃木坂」と改められた。

大正2年(1913年)、阪谷芳郎東京市長(当時)が中心となって中央乃木会を設立し、乃木邸内の小社に乃木夫妻の霊を祀った[1]。そして大正8年(1919年)には乃木神社創建の許可が下り、大正12年(1923年)11月1日に鎮座祭が行われた。設計は大江新太郎が手がけた。

昭和20年(1945年)5月の東京大空襲で社殿を焼失したが、戦後全国の崇敬者の篤志により、昭和37年(1962年)9月13日、祭神50年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興された。なお、このときの設計は、新太郎の息子・大江宏が手がけた。また、昭和58年(1983年)には宏の長男・大江新と三男・昭によるコンクリート造の宝物殿が建てられた。(Wikipediaより)

最初に立ち寄ったのは、乃木神社です。明治時代に活躍した軍人、乃木典希と妻を祀った神社です。乃木については、戦前の軍国主義の象徴としてネガティブに受け止められがちですが、生前に大きな恩を受けた明治天皇に殉じたり、名もない少年を助けたり、傷痍軍人のために義手を発明するなど、人格者としてもすぐれた功績を残した人のようです。境内の資料館でこれを知り、参拝することにしました。

国立新美術館

プシュケの上に描かれている蝶は、プシュケが蝶の翅を持つ女神になることを暗示している

「アモルとプシュケ」を鑑賞する人々

 

 

国立新美術館とは

日本で5館目の国立美術館として、2007年(平成19年)1月に開館した。文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館である。

国立の美術館としては1977年(昭和52年)に開館した国立国際美術館以来、30年ぶりに新設された。

地下1階、地上4階、敷地面積30,000平方メートル、延床面積約49,830平方メートルは日本最大で、これまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。

コンセプトを「森の中の美術館」としており、設立目的を展覧会の開催・情報収集およびその公開・教育普及としている。また、館内にはミュージアムショップ・レストラン・カフェなどが併設されている。

黒川紀章設計の美術館としては最後のものとなった。(Wikipediaより)

次に訪れたのは、今回のウォーキングの最大の目的地、国立新美術館です。私自身、この美術館を訪れるのは初めてのことで、とても楽しみにしていました。乃木坂の広大な土地に2007年に新設された、比較的新しい国立美術館です。豊かな緑を生かし、黒川紀章氏の設計した立体感のある躍動的なフォルムの素晴らしい建物が印象的でした。

今回鑑賞したのは、「ルーヴル美術館展 愛を描く」という展覧会です。ルーヴル美術館の所蔵する作品の中から、愛をテーマとする絵画73点を展示したものです。いずれも興味深い作品でしたが、特に、フランソワ・ジェラール 作《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》(1798年)という作品がやはり一番素晴らしいと感じました。幸い、この作品は写真撮影が許可されたので、何枚か写真を撮りました(上掲)。

「アモルとプシュケ」は、ギリシャ神話をもとに、男女の純粋な愛を描いたものです。その神話とは次のようなものです。

人間の王女プシュケの美しさを妬んだ美の女神アフロディーテは、息子のアモル(エロス)の愛の矢を使って醜い男と結婚させようとしました。しかし、アモルはプシュケの美しさに見惚れているうちに自分の矢で自分を傷つけてしまい、プシュケに恋します。神託に従って山の上に取り残されていたプシュケは、気づくと宮殿にいて、アモルとの新婚生活を始めます。
アモルは自分の姿を見てはいけないとプシュケに伝え、夜の間だけ宮殿でプシュケと一緒に過ごしました。プシュケは夫の姿を一目見たいと思いアモルが寝ているすきにろうそくで顔を覗き込みます。愛の神エロスが夫であることに驚いたプシュケはアモルの肩に蝋(ろう)を垂らしてしまい、アモルが目覚めてしまいました。姿を見られたアモルは姿を消し、プシュケはアモルを探すために旅にでます。義母アフロディーテから与えられた試練を乗り越え、最後は神の酒を飲んで不死身になりオリンポスでアモルと幸せに暮らしました。(「イロハニアート」より)

根津美術館

根津美術館は、あいにく閉館中でした。残念。次回の訪問はいつになるか未定。

根津美術館とは

根津美術館は、東京都港区南青山に所在する私立美術館である。現在の英称は Nezu Museum、以前は Nezu Institute of Fine Arts であった。

1941年(昭和16年)11月、東武財閥の創設者で、現在の武蔵大学・武蔵高等学校・武蔵中学校の創立者である。初代根津嘉一郎の古美術コレクションを引き継いだ財団法人根津美術館が邸宅を改装して開館した。藤井斉成会有鄰館、大倉集古館、白鶴美術館、大原美術館などと共に、第二次世界大戦以前からの歴史をもつ、日本では数少ない美術館のひとつである。(Wikipediaより)

 

岡本太郎記念館

気を取り直して、最後に向かったのは、岡本太郎記念館です。

オブジェの置かれた真っ赤な部屋

岡本太郎のアトリエ

記念館の庭と彫刻

岡本太郎記念館とは

岡本太郎記念館(おかもとたろうきねんかん)は、東京・青山にある美術館である。芸術家・岡本太郎がその父・岡本一平から相続して自宅兼アトリエとして使用していた南青山の資産を記念館としている。

岡本太郎は、この場所に1953年(昭和28年)から84歳で没した1996年(平成8年)まで暮らし、創作活動を行っていた。

岡本が初めに住んだ旧居は1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって焼失している。この旧居には岡本の両親である一平、かの子も共に長く暮らし、一家はここからヨーロッパに旅立っている。住居表示施行前のこの地の住所は、「青山高樹町三番地」であった。

日本の敗戦後に再建された建物は、岡本の友人でル・コルビュジェの弟子でもあった建築家・坂倉準三の設計により建てられたものである。岡本の要望により、積み上げたブロックの壁の上に凸レンズ形の屋根の乗った独自の形象をしており、壁には岡本の描く顔と「TARO」の赤いサインが入っている。1970年(昭和45年)に行われた大阪万国博の太陽の塔の構想もここで練られた。(Wikipediaより)

岡本太郎記念館は、南青山の裕福な邸宅街の一角にあります。岡本太郎は、父・一平から相続したこの地にアトリエ兼自宅を構え、40年以上暮らしたそうです。その跡が、現在ではそのまま残されて、美術館として公開されています。中に入ると、岡本太郎の写真と強烈な原色の芸術作品に迎えられ、圧倒されます。やはり、岡本太郎の芸術は、血のような赤の原色が中心にあるようですね。芸術性の高さについては評価の分かれるところかもしれませんが、そのひたむきな情熱と強烈な個性は誰にも負けないでしょうね。85歳の人生を燃焼し尽くしたことがわかります。太郎氏のアトリエがそのままに残され、公開されているのが興味深かったです。

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