2024都知事選 メディア研究

SNS時代の現実構成

目 次
  1. メディアの主役交代:テレビからSNSへ
  2. マッカーサーデー中継の研究
  3. 擬似イベント論
  4. 大手広告代理店と小池候補による「テレビ的現実」とその破綻
  5. 「SNS的現実」で対抗する蓮舫候補
  6. 「テレビ的現実」の虚構を暴く「SNS的現実」
  7. 追求されるべき小池候補の疑惑
  8. 「はだかの王様」は、いま
  9. 民主主義とジャーナリズムの危機
  10. 立ち上がる良心的ジャーナリストたち
  11. 一人一人が声をあげれば、政治は変わる

メディアの主役交代:テレビからSNSへ

テレビが全盛だった時代には、電通や博報堂などの大手広告代理店が自民党の政治家や選挙候補者のPRを一手に担い、テレビを通じて候補者のイメージを自由自在に演出し、有権者の支持を自在にコントロールすることができました。政策よりも外見やイメージが重視されるようになった「テレビ政治」の時代だからこそ可能になった情報操作の成果です。中身のない政治を行う自民党は、大手広告代理店にとっては格好の顧客でした。両者の蜜月は長い間続いてきました。電通や博報堂が民放テレビのニュース、番組、CMにおいて絶対的な支配権を持つ限り、こうした情報操作やイメージ重視の政治は終わらないように見えました。

けれども、メディアの主役は今やテレビや新聞などのマスメディアからスマートフォン上のSNSやウェブサイトへと大きく変わろうとしています。人々が日々接する情報の大半は、X、インスタグラム、フェイスブックなどのSNSや、ニュースアプリが提供するニュースです。電通などの大手広告代理店がこれらのニュースを統制する力は大幅に低下しています。それに代わって、一般の個人やグループがSNSを通じて自由に情報発信するニュースが、大きな影響力を持つようになっています。今回の都知事選挙では、XというメジャーなSNSからの蓮舫候補を支持する声が世論を大きく変える力となりつつあります。大手広告代理店が裏で小池候補を支援するために、動画の作成、サクラの動員などを必死で行っているようですが、それらはいずれも思うような効果を上げることができず、かえって小池候補のイメージを損なうというマイナス効果を生んでいるのは、大手広告代理店がいまだにテレビ時代のイメージ戦略をSNS上でも繰り返しているからだと思われます。

テレビ報道におけるイメージ形成、イメージ選挙に関しては、1950年代から1960年代にかけて、アメリカのメディア研究者たちが詳しい実証的研究を行い、いくつかの重要な知見をもたらしました。中でも重要な研究は、ラング夫妻による「マッカーサーデー中継の研究」とブーアスティンによる「擬似イベント」の研究です。

マッカーサーデー中継の研究

1951年4月11日、アメリカのトルーマン大統領は、朝鮮戦争における政府の方針に従わなかったことを理由に、マッカーサー元帥の米国最高司令官としての地位を解任しました。この突然の解任はアメリカ国民を憤激させ、マッカーサー支持の世論がいっせいにわき起こりました。4月26日、シカゴ市の主催で、マッカーサー歓迎の一大イベントが行われました。

“Macarthur Day”と呼ばれたこのイベントは、次のような一連のセレモニーから構成されていました。
(1)ミッドウェー空港での歓迎式典
(2)空港から市内までのパレード
(3)パレードの途中、バターン・コレヒドール橋での戦没兵士への献花式典
(4)シカゴ目抜き通りのパレード
(5)ソルジャー・フィールドでの歓迎集会と演説
これら一連のイベントはすべてテレビ中継されました。つまり、シカゴ市民は茶の間のテレビで歓迎式典に参加することができました。

ちょうどこのイベントが企画されていた頃、シカゴ大学社会学部では、タモツ・シブタニ教授の主催で「群衆行動に関する高等セミナー」が開かれており、ラング夫妻もこのセミナーに参加していました。このイベントに興味をもった夫妻は、マッカーサーデーになにが起こるかについての体系的な調査を提案したところ、参加者の賛同が得られたので、急速実施ということになりました。

 

調査は、パレード現場での参与観察および祝典への参加度を示す統計資料による「客観的現実」の記録、テレビ中継番組のモニターによる「テレビ的現実」の分析、そして、パレード現場で調査員自身および群衆の受けた印象とテレビ視聴時の印象の記録、という3種類のデータを収集することによって行われました。そのため、31人の学生をイベントの行われる空港やパレードの沿道43ヶ所に派遣し、観察者自身が式典をどう受け取ったか、また他の群衆はこの式典をどう受けとめたか、という記録を細かくとらせました。これに加えて、2人の人間が、テレビ中継をモニターし、テレビ式典がどのように放映されたか、また、テレビを通してみた式典が視聴者にどのような印象を与えたかを記録しました。

調査の結果わかったのは、調査員および参加者を通してみた客観的現実とテレビ的現実との間に著しい食い違いがある、ということでした。パレードの現場に集まってきた人々の多くは、マッカーサーを熱狂的に歓迎する群衆とこれに応えるマッカーサーとの間でドラマチックな一大スペクタクルが繰り広げられることを期待していました。しかし、彼らが実際に見たのは、むしろ醒めた雰囲気の群衆であり、これに応えるマッカーサーの姿は、パレードが通過するほんの一瞬見えるか見えないかの程度でした。一方、テレビ中継によって再現されたパレードの模様は、人々がまさに期待していた通りのものでした。そこには、熱狂的に歓迎するシカゴの群衆と、これに笑顔で応えるマッカーサーの姿が生き生きと映し出されていました。

それでは、なぜこのようにパレード現場で調査員が観察した「客観的現実」とテレビに再現された「テレビ的現実」との間に大きな乖離が生じてしまったのでしょうか。この点について、ラング夫妻は、テレビによる制作過程における3つの要因を指摘しています。

第一は、テレビ制作上の技術的な歪曲です。テレビカメラは、クローズアップの手法を多用して、マッカーサーの表情や歓声をあげる一部の群衆だけを画面いっぱいに映し出すことができます。一方、ドラマ的要素に欠ける部分はカットしてしまうことも可能です。このように、たとえ同時中継であっても、現実のごく一部を切り取ったにすぎない画面を組み合わせることによって、客観的現実とは似て非なる「テレビ的現実」を構成することができたのです。

第二に、アナウンサーのナレーションによる事件の構成、という要因があります。断片的な映像の組み合わせに連続性と一貫性を与えるのに、アナウンサーによる解説は重要な役割を果たします。特に、パレードの沿道で実況中継したアナウンサーは、あたかもこの歓迎イベントが全市をあげての歓迎一色の中でドラマチックに展開しているかのように解説してみせました。例えば、目抜き通りの沿道に立つアナウンサーは、「わが市におけるいまだかってないもっとも熱狂した群衆です。このはりつめた雰囲気を感じていただけると思います。群衆のどよめきが聞こえてきます」と解説しました。ところが、同じ現場で観察していた調査員の印象はまったく違っていました。「すべての人々は確かに緊張していました。しかし、マッカーサーの顔をちらっとでも見た人は少ししかいませんでした。彼が通り過ぎてしまってから数秒後、大部分の人たちは肩をすくめ、「これで終わりか」("That's all”)、「こういうことだったのか」(“That was it.”)、「さあ、これからどうしよう」("What'll we do now?”)といった、きわめてクールな反応を示しました」とのことでした。

第三の要因は、「互恵的効果」(reciprocal effect)と彼らが呼んだものでした。これは、テレビ制作者と群衆、テレビ制作者と視聴者との相互間で利害と期待が一致した結果、現実を歪める映像がつくられる結果になったという事実を指しています。まず、テレビ制作者は、熱狂的な歓迎のセレモニーを期待する視聴者の意向を敏感に察知し、先程述べた映像技術やナレーションのテクニックを駆使して、群衆が熱狂的にマッカーサーを歓迎したかのような番組を作り上げました。一方、パレードの現場でテレビカメラを向けられた群衆もまた、カメラを意識して自ら熱狂的な歓迎のポーズを演技してみせました。つまり、熱狂的な群衆の映像を撮りたいテレビ制作者側と、テレビにカッコよく映りたい群衆との間に、暗黙の共謀関係が成立していたのです。

ラング夫妻はさらに、こうした客観的現実とテレビ的現実の乖離が受け手のイメージに及ぼす好ましくない影響についても言及しています。もし、政治権力者が意図的に自分にとって都合のいい方向に歪んだテレビ的現実を構成するならば、メディアによる大衆操作の手段としてテレビが悪用される恐れがあることを、彼らは示唆しました。

藤竹暁氏は、『テレビメディアの社会力』において、この研究について次のようにコメントしています。「この報告は、オリジナルである「現実」と、テレビによって「再現された現実」とのあいだには、大きな開きのあったことを明らかにしている。テレビが作ったコピーは、最高度の機械技術を駆使したマスメディアによる構成化の産物であった。コピーはオリジナルの忠実な模写なのではなくて、テレビカメラという目を通して、オリジナルに加工をくわえた構成化の所産であった。パレード中継は、テレビ独自の視点で構成化された別の「現実」であった。しかし視聴者は、どうしてそれを「別の」現実として判断することができるであろうか。視聴者が知っている事件は、テレビによって見た事件なのであるから。(中略)現代人は、自分の五感でじかに検証することのできる現実環境において生活しつつ、他方では、こうしたテレビ的現実(本章ではデレビに焦点を絞って擬似環境の環境化を考察した。テレビ的現実とともに、さらにはさまざまなマスコミ的現実が存在していることはいうまでもない)のなかで生活している。われわれが社会人として感じ、考え、そして行動するとき、テレビ的現実(マスコミ的現実)がたえずその姿をあらわし、影響を与えている。この膨大な象徴的環境の存在を抜きにしては現代人は社会的に生きてゆけないとすれば、現代人にとってはテレビ的現実(さらにはマスコミ的現実)の比重は重くなり、温実環境の比重は逆に軽くなってしまうであろう。現代人は、マスコミによって「構成化された事件」を環境として生きているのである。」

参考文献:
K. ラング、G.E. ラング「テレビ独自の現実再現とその効果|予備的研究」(W・シュラム編『新版 マス・コミュニケーション』学習院大学社会学研究室訳、東京創元新社、1968年)
竹内郁郎「テレビ中継をめぐる功罪論」水原泰介、辻村明編『コミュニケーションの社会心理学』、1984年、東京大学出版会
藤竹暁『テレビメディアの社会力』1985年、有斐閣選書
三上俊治「現実構成過程におけるマス・メディアの影響力」1986年、(東洋大学社会学部紀要 24-2号)
G.E.ラング、K. ラング『政治とテレビ』荒木功他訳、1997年

擬似イベント論

ラング夫妻は、テレビ中継やニュース制作に際して生じる現実からの歪曲を、制作者の無意図的バイアスによるものと指摘しましたが、マス・メディアのニュースをむしろ意図的に合成されたイベントであると論じたのは、ブーアスティンです。ラング夫妻は、マッカーサーデーのテレビ中継が現実を「構成」したことを指摘しました。ブーアスティンはこの点をさらに進めて、現代社会のあらゆる領域で擬似イベント(pseudo-event)が製造され続け、現実に変わってイメージが振りまかれていると主張しています。ブーアスティンによれば、擬似イベントは、次のような特長を持った出来事です。

  1. 疑似イベントは自然発生的でなく、誰かがそれを計画し、たくらみ、あるいは扇動したために起こるものである。列車の転覆とか地裏ではなく、インタビューの類であるのを特色とする。
  2. 疑似イベントは、いつでもそうとは限らないが、本来、報道され、再現されるという直接の目的のために仕組まれたものである。それゆえ、疑似イベントの発生は、報道あるいは再現メディアのつごうのよいように準備される。疑似イベントの成功は、それがどれくらい広く報道されたかということによって測られる。疑似イベントにおける時間関係というものは仮定的、あるいは人工的であるのがふつうである。「何日何時に発表」という但し書のついた記事が事件の発生に先立って配られるし、しかもその発表記事には、事件がすでに起こったように書いてある。「その事件は本当か?」という質問よりも、「その事件にはニュース価値があるか?」という質問のほうが、ずっと重要なのである。
  3. 疑似イベントの現実に対する関係はあいまいである。しかも疑似イベントに対する興味というものは、主としてこのあいまいさに由来している。疑似イベントに関する限り、「それはどういう意味か?」という質間は新しい重要性をおびてくる。列車の転覆に関するニュース的興味というものは、何が起こったのか、その結果はどうなったのとかいう点にあるのに反し、インタビューに関する興味というものは、ある意味で、インタビューが本当にあったのかどうか、あったとすればその動機はなんであったのだろうかという点にある。ステートメントの場合も、いったいそれが言明しているところのことを本当に意味しているのであろうか。こういった類のあいまいさがない場合には疑似イベントもそれほどおもしろくないのである。

擬似イベントは自己実現の予言としてくわだてられるのが常です。30周年記念祝典は、ホテルがすぐれたものであると宣言することによって、実際にホテルがすぐれたものとなることを可能にしています。
擬似イベントの時代にあっては、われわれを混乱させるのは、経験の人為的単純化ではなく、むしろ経験の人為的複雑化です。擬似イベントが大衆の関心を得ようとして、同じ分野の自然発生的出来事と競争する時には、いつでも擬似イベントのほうに勝ち目があります。テレビの中で起こっている出来事のほうが、テレビの外で起こっている出来事を圧倒してしまいます。擬似イベントが自然発生的出来事を圧倒してしまうのはなぜでしょうか?ブーアスティンは、その理由となる擬似イベントの特長のいくつかをあげています。

  1. 疑似イベントのほうがより劇的である。対立候補者によるテレビ討論のほうが、あらかじめ準備されていない立会い演説や、候補者が個々に用意してきた正式の演説の連続よりもはるかに大きなサスペソスを持たせることができる。たとえば、ある質問をあらかじめ用意しておいて、突然それを持ち出すといった方法によってである。
  2. 疑似イベントは、もともと広く伝達されることを目的として計画されたものであるから報道しやすく、またいきいきとしたニュースにしやすい。登場人物はそのニュース・バリューと劇的性格という観点から選ばれる。
  3. 疑似イベントは、思いのままにくり返すことができるし、またその印象を後から補強することもできる
  4. 疑似イベントは、作り出すのに費用がかかる。したがって、それらを見たり倍じたりする値打ちがあるものとして報道し、拡大し、広告し、賞費することに利害関係を持つ人間が存在する。それゆえ、疑似イベントは投資された金を回収するために、前もって宜伝され、後になっても再演される。
  5. 疑似イベントは、理解されることを目的として計画されたものであるから理解しやすい。したがって、われわれを安心させる。われわれは候補者の資格や複雑な問題について気のきいた議論をすることができない場合でも、少なくともテレビ出演のできぐあいについては判断を下すことができる。自分たちにも理解できる政治問題があるということは、なんと気持のよいことであろうか!
  6. 疑似イベントは、社交的で話の種になり、見るのに便利である。疑似イベントの発生はわれわれのつごうに合わせて計画されている。新聞の部厚い日曜版は、われわれがゆっくりとそれを読むことができる日曜日の朝配達される。テレビの番組は、われわれがビールのジョッキを手にしながら見る用意ができた時に始まる。そして朝、人々が事務所に集まった時、話題の中心になるのは、予定されずに突然起こってニュースとなったようなものではなくて、ジャック・パー(群落に以酸番)やその他のスターによって、定期的に放送される深夜番組である。
  7. 疑似イベントについての知識、すなわち何がどんなぐあいに報道され、何がどんなぐあいに演出されたかについて知っていることが、「ものしり」かどうかの試金石になる。ニュース雑誌には定期的にクイズが現われるが、その質問は、何が起こったかではなくて、誰がニュースに現われたかについてである。すなわち、ニュース雑誌に報道されたことについての質問である。疑似イベントは、いささか時代遅れの私の友人たちが「偉大なる書物」のなかに発見しようと努めた「共通の談話」をわれわれに提供し始めた。
  8. 最後に、疑似イベントは他の疑似イベントを幾何級数的に発生させる。疑似イベントがわれわれの意識を支配するのは、その数がつねに増大しているからである。

このような「擬似イベント」を作り上げることができるのは、いうまでもなく、テレビ局やそのスポンサー、大企業、広告代理店など、テレビのコンテンツを支配する組織や集団です。テレビ時代には、こうした少数の勢力(権力集団)が、擬似イベントを創造することによって、大衆に対するイメージ操作を独占的に行うことができたのです。

参考文献:
D.J.ブーアスティン『幻影(イメジ)の時代:マスコミが製造する事実』1964年、東京創元新社
竹内郁郎「テレビ中継をめぐる功罪論」水原泰介、辻村明編『コミュニケーションの社会心理学』、1984年、東京大学出版会

大手広告代理店と小池候補による「テレビ的現実」とその破綻

現代は、テレビや新聞などのマスメディアに加えて、SNSやウェブサイトなどのインターネットからの情報が氾濫する多メディア時代です。それでも、国内外の主要ニュースや大衆娯楽コンテンツの供給を独占するのは、テレビ局や新聞社などのマスメディアであり、それを裏でコントロールする電通や博報堂などの大手広告代理店と、主要な広告スポンサーである大企業、それと密接な利害関係を持つ自民党政権です。本来言論機関として独立・自由な報道活動を行うべきジャーナリストでさえ、これら支配者集団からの圧力に屈して、権力者に忖度した消極的報道に終始する傾向が見られます。
今回の都知事選挙についてみると、小池陣営およびマスメディアは、次のような「テレビ的現実」の構成および情報統制を行なっていることがわかります。

  1. 小池候補のパフォーマンスを演出して「擬似イベント」化
  2. サクラの動員によるパフォーマンスの補強
  3. 小池候補にとって都合の悪い情報の黙殺
  4. 蓮舫候補を利するような情報の黙殺

今回の都知事選挙の期間中に、(おそらく電通などの広告代理店が中心となって)小池候補がテレビ、SNS向けに行なった選挙用パフォーマンスは、夥しい数に上ります。しかし、そのいずれについても、ネットユーザーによる検証が行われ、SNS上でこれらを批判する投稿が殺到し、小池候補のパフォーマンスの虚構性、広告代理店によるヤラセ映像の実態が白日の下に晒される結果となっています。テレビの画面であれば、こうしたテレビ的現実の「構成」が表に出ることはなかったのに、SNSでは、ユーザーが小池候補の映像のトリック、不自然な演技、ヤラセ、巧妙な演出、送り手の隠された意図などを見抜き、そのことを同じSNS 上で発信することによって、パフォーマンスの「ウソ」が顕在化され、有権者全体に知られてしまうという結果を招いています。小池候補のSNS投稿の一つ一つについて、その実態を検証してみたいと思います。

「AIゆりこ」ニュース(6月20日)

AIゆりこニュースは、6月13日に小池候補がX上で公開した選挙用の広報ツールです。話題のAIを取り入れて、有権者の関心と支持を得ようという企画だと思われます。しかし、公開以来、AIゆりこに対する批判が続出し、6月30日にはAIゆりこニュースに代わって、「リアル小池ニュース」を立ち上げざるを得なくなりました。X上での「AIゆりこ」ニュースに対する批判の一例を次に示します。

小池候補は、カイロ大学学歴詐称疑惑に答える形で、Xにアラビア語を「流暢に?」話す自身の動画をアップしました。しかし、この動画を分析したアラビア語の専門家、飯山あかり氏が、小池氏のアラビア語学力は幼児レベルだとの判定をくだし、これをYouTubeにアップしたことから、小池氏のアラビア語学力に疑問を呈する批判的な投稿が殺到しました。

また、アラビア語の語学力の低さを指摘された小池氏側は、慌てて動画を削除し、そのことがさらに批判されると、再び動画を再掲載するなど、対応は二転三転しました。このこと自体、アラビア語の能力が低かったという批判を認めたに等しいと思われても仕方がないでしょう。

小池氏のアラビア語が堪能だとする過去の映像(6月21日)

 

犬・猫殺処分ゼロを強調する動画(6月21日)

殺処分ゼロという小池知事の発言に対しては、東京都は独自ルールを設定し、年間200匹もの犬猫を殺傷している、という厳しい批判がX上で寄せられています。

 

第1回街宣会場・小笠原空港ロビーでの歓迎場面(6月22日)

小池候補は、選挙戦初日は公務を理由に街頭演説を行わず、22日になって、ようやく離島の八丈島で街頭演説を開始しました。蓮舫候補など、他の候補者が都内の繁華街で行ったのとは対照的でした。都民からの批判やフリージャーナリストからの質問を避けるためだったのではないかとの厳しい批判も受けました。八丈島での演説、視察は、映像を意識した、テレビ向けのパフォーマンスに終始しました。一般都民との接触を回避し、事前に選定、依頼しておいた少数の島民と空港で記念写真を撮ったり、演技たっぷりの牧場視察など、周到に準備され、テレビ向けに制作されたものであることが明らかな動画となっています。一般島民との交流はほとんど見られません。また、八丈島まで駆けつけたフリージャーナリストの佐藤章記者、横田一記者からの質問にも、答えないばかりか、まるでジャーナリストなど全くいないかのように無視する、民主主義を冒涜する態度を取り続けました。

八丈島・島内視察の模様(6月22日)

しかし、島内視察中にフリー・ジャーナリストの質問を無視し続けるという、反民主主義的な小池候補の姿は、フリー・ジャーナリストの撮った動画によって、白日の下に晒され、有権者からの厳しい批判を浴びることになりました。

小池候補・八丈島街宣&視察の動画(6月26日)

小池候補の八丈島街宣とジャーナリストからの質問無視の様子については、現地で取材した佐藤章記者(元朝日新聞)の詳しい証言が残されています。

北千住駅前の街宣の様子(6月30日)

小池候補は、6月30日になって、ようやく都内で初の街頭演説会を午後5時から北千住駅前広場で行いました。筆者は、同日午後2時から阿佐ヶ谷駅南口広場で蓮舫候補が行った街頭演説会とともに、現場で参与観察を行い、両者を比較研究しました。比較の結果を表にまとめると、次のようになります。

聴衆の数 動員された聴衆 警備体制 聴衆の熱気 批判派のプラカード 応援弁士の数
小池候補 約1,000 約300 厳重、警官、SP多数 ほとんどなし あり 0人
蓮舫候補 約2,000 なし なし 極めて大きい なし 4人

このように、小池候補の街頭演説は、聴衆の数も約1000人くらいで、蓮舫候補よりも少なく、しかも創価学会員などを動員した様子が伺えるなど、蓮舫候補によりも見劣りするものでした。一方、会場は駅前広場だったにもかかわらず、警視庁の警官やSPが物々しく警戒する中で行われ、演説会場を外部から隔離するための鉄柵が貼られ、入場するには厳重な手荷物検査と金属物探知検査を受けなければならない、という極めて閉鎖的、警察国家的な対応でした。これに対し、蓮舫候補の会場は、大勢の群衆が集まったにもかかわらず、警備や荷物検査もなく、極めてオープンで開放的なもので、小池候補の街宣とは対照的でした。

何よりも両者の間で決定的な差と感じられたのは、会場の熱気です。小池候補の場合は、聴衆の熱気は全く感じられず、小池候補の演説も、前方の動員された少数の聴衆と正面のテレビカメラにもっぱら向けられたパフォーマンスに終始したという感じを受けました。これに対し、蓮舫候補の街頭演説会は、蓮舫候補の若々しく熱意に溢れた演説に、聴衆が歓声を上げて応援するという、まさに感動的でドラマティックな様子が見られました(後述する蓮舫候補の街頭演説会の動画を参照)。

選挙戦の最中、「都電プロレス」視察で都民を愚弄する小池候補

小池候補は、選挙戦中、テレビ局の公開討論会には公務を理由に出席を拒否しておきながら、公務としての視察と称して、「都電プロレス」に乗車し、プロレスラー相手に笑顔で空手チョップのパフォーマンスを披露して、その動画を堂々とXやインスタグラムに投稿するなど、まさにすべての有権者を愚弄するような行為を平然と行いました。 知事として恥ずかしいとは思わないのでしょうか?それとも、自身のユーモアのセンスを披露したつもりなのでしょうか?同日に、蓮舫候補が神宮外苑で緑を守るミーティングに都民とともに参加した時の画像と比較してみると、都知事候補としての両者の姿勢の差が歴然とします。

 

船上からの遊説(6月30日)

選挙期間中、小池候補は、民放のテレビ討論会への参加要請にも応じることなく、自身に対する質問や批判の声をいっさい封じるという、反民主主義的な行動を貫きました。それは、街頭演説の行方にも表れています。八丈島や奥多摩など、多くの都民がアクセスしにくいところをわざわざ選びましたが、その最たるものが、隅田川での「船上街頭演説」です。場所は江東区辰巳の東雲(しののめ)運河でしたが、ごく少数の沿岸マンションの住民と事前連絡した大手メディアのカメラマンだけに向けたパフォーマンス。住民との交流もジャーナリストからの質問も遮断した街宣には何の意味があるのかと、X上では厳しい非難の声が殺到しました。

追い詰められた小池候補、秋葉原で街宣するも、ヤジ攻勢に晒される(7月2日)

それまで、小池候補は八丈島、多摩など都心から離れた場所でしか街頭演説を行なってきませんでした。ところが、7月2日以降、一転して都心の繁華街での街頭演説を開始しました。これは、明らかに選挙戦略の大きな転換だといえます。その背景には、世論調査での小池候補の支持率が低下し、蓮舫候補に追い上げられているか、あるいは逆転されたかという情勢変化があったのではないかと推測されます。自民党は本知事選挙で連日、世論調査を実施して、正確な情勢データを入手していると言われています。そのデータは当然、小池候補陣営にも伝えられていると思われます。この数値がここ数日、小池候補にとって極めて厳しいものになっていることから、小池陣営では、急遽、都心での街頭演説を連日行うようにスケジュールを変更したものと思われます。演説会場も、蓮舫候補がすでに行なった三軒茶屋、新宿駅南口などを意図的に選定しています。おそらく、これらの会場に創価学会員などを大量に動員して、多数の聴衆を前に演説する小池候補の姿を動画に収めてSNSにアップすることで、蓮舫候補よりも人気のあるという「テレビ的現実」を作ろうという意図があると思われます。果たして、こうした新しい戦略は成功するのでしょうか?

7月2日に秋葉原駅前で開催された小池候補の街頭演説会を事例として、この点を検証して見たいと思います。

街宣会場で開始30分前の写真は、下のとおりです。ガラガラです。SPの監視だけが厳しいという状況です。これは、筆者が北千住駅の小池街宣会場で見た風景とまったく同じです。いかに小池候補の人気がないかを如実に示しています。

実際に街頭演説に集まった聴衆は、下の投稿によれば、約500人程度だったようです。この中には動員されてきた聴衆も最低100人はいたでしょうから、異常に少ない数だったということができるでしょう。

この街宣で何よりも注目すべきは、批判派の市民が多数会場に詰めかけて、抗議行動を展開したことでしょう。小池陣営のスタッフは、例によって会場に鉄柵をつくって入場者を制限したのですが、プラカードを持った批判を排除するという、言論の自由の妨害行動を取りました。

秋葉原での小池候補の街頭演説会は、小池候補に対する都民の批判がいかに強いかということを改めて示したイベントだったと言えるでしょう。

ジャーナリストの白坂和哉氏による解説動画「秋葉原街宣は大荒れ!小池都知事に抗議する多数の肉声を紹介します!」 をご覧いただければ、その概要を把握していただけると思います。

7月5日 19:00 小池候補 街頭演説会 at 新宿駅南口 前代未聞の演説中断さわぎ

選挙終盤の7月5日、午後7時から小池候補の街頭演説会が新宿駅南口で行われました。小池候補のX投稿では、小池候補の顔写真だけが強調されました。

しかし、実際には驚くべき出来事がありました。会場に集まったプロテストする都民からの「やめろ!」コールによって、小池候補の演説が25秒間も中断するというハプニングが起きたのです。都知事選挙で、候補者に対するプロテストの声がこれほど大きくなり、演説の中断にまで至ったという事態は、歴史上初めてのことではないかと思います。それほど、小池都知事に対する都民の怒りが高まっている証拠ではないかと思われます。

「SNS的現実」で対抗する蓮舫候補

このように、小池候補が都知事選挙の期間中にX上で公開した動画のほとんどが、大手広告代理店のプロが金をかけて制作したテレビ向けの映像だったのに対し、蓮舫候補やれんほうの支持者たちがX上にアップする蓮舫候補応援の動画や画像は、主として選挙期間中に蓮舫候補が街頭演説会で大勢の聴衆に向かって熱く訴えかけるメッセージや、応援演説、聴衆の熱い応援と盛り上がりの様子を伝えるものでした。そのほとんどは、蓮舫候補のスタッフではなく、演説会に参加した有権者自身が撮影し、投稿したものだという点でも、小池候補側の投稿動画とは異なっています。大手広告代理店を中心とする小池候補の陣営が、半世紀前の「マッカーサーデー中継」や「擬似イベント」のように「テレビ的現実」を構成することによって小池候補のイメージ作りを行なってきたのに対し、蓮舫候補陣営とその支持者たちは、Xを中心とするSNS上において、蓮舫候補の熱い訴えかけに共感し、さまざまな形で蓮舫候補を支持するメッセージをXに投稿するという形で蓮舫候補を支持する世論の高まりという「SNS的現実」を構成することに成功したということができるでしょう。

街頭演説を中心に、X上の蓮舫候補を支持する動画を分析することによって、この点を検証することにしましょう。

6月20日10:30 蓮舫候補 街頭演説会 at 中野駅北口

蓮舫候補は、選挙戦の初日、中野駅北口と新宿駅東南口で街頭演説をスタートさせました。この日、小池候補は公務を理由に街頭演説を行わず、これ以降も一貫して街頭演説に消極的な姿勢を取り続けましたが、蓮舫候補は、連日、都内各地で街頭演説を行い、多数集まった観衆を前に、都政に関する独自の政策を訴えました。盛り上がる衆の数は日毎に増え続け、小池候補の演説会に比べて遥かに熱狂的な反応を引き起こしました。X上でも、盛り上がる街頭演説会の様子が応援のメッセージとともに多数アップされ、小池候補に対する猛烈な追い上げの大きな要因となっているようです。

6月21日 18:00 蓮舫 街頭演説会 at JR八王子駅北口

6月22日 14:00 蓮舫 街頭演説会 at 三軒茶屋世田谷線駅前広場

蓮舫候補、初めての世田谷での街頭演説会。世田谷区長の保坂区長が応援演説に駆けつけ、神宮外苑などの再開発を見直すよう求める演説。

 

6月22日 17:00 蓮舫 街頭演説会 at 渋谷駅ハチ公広場

渋谷ハチ公広場で行われた蓮舫候補の街頭演説には、空前の大群衆が集いました。蓮舫候補は、若い人の多い渋谷で、選択的別姓について、熱弁をふるい、聴衆の大声援を受けました。

6月23日 蓮舫 街頭演説会 at 錦糸町駅南口

6月23日 17:00 蓮舫 街頭演説 at 池袋駅東口

6月24日 18:00 蓮舫 街頭演説 at 立川駅北口

6月25日 18:00 蓮舫 街頭演説 at 成増駅北口

6月26日 12:30 蓮舫 街頭演説 in 伊豆大島元町

6月27日 18:00 - 蓮舫 街頭演説会 at 石神井公園駅北口

6月28日 18:00 - 蓮舫 街頭演説会 at 大井町駅前阪急前

6月29日 14:00 蓮舫 街頭演説 at 阿佐ヶ谷駅南口

6月29日 17:00 蓮舫 街頭演説 at 吉祥寺駅北口

6月29日 17:55 - SAVE 神宮外苑 ミーティング

6月30日 18:00 蓮舫 街頭演説 at 新宿バスタ前

7月1日 18:00 - 蓮舫 街頭演説会 at 小田急多摩センター駅西口

7月2日 18時〜 蓮舫 街頭演説 at 西葛西駅南口

7月3日 18:00 - 蓮舫 街頭演説会 at 京王線調布駅中央口駅前広場

7月4日 14:00 蓮舫 at 巣鴨地蔵通り商店街

7月4日 18:00 蓮舫 街頭演説会 at 高田馬場駅

高田馬場駅前に、これほどの群衆。これはもう、歴史の流れを大きく変える民衆の力そのものだと感じられます。

7月5日 17時 蓮舫 街頭演説会 at 有楽町イトシア前

7月5日 19:00 蓮舫 街頭演説会 at 蒲田駅西口

7月6日 12:00 蓮舫 街頭演説会 at 国分寺駅南口

7月6日 16:00 蓮舫 街頭演説 at 自由が丘駅正面口

 

 

7月6日 19:00 蓮舫 街頭演説会 at 新宿駅東南口(最終)

 

 

「テレビ的現実」の虚構を暴く「SNS的現実」

1950年代から90年代にかけて、まだテレビと新聞が現実構成の主役を務め、これに代わるオルタナティブ・メディアがなかった時代には、政治家、広告代理店、テレビ局など擬似イベントの主催者が結託して、現実世界の一部を切り取り、あるいは事実を捏造して、主催者にとって都合のいいように、映像とナレーションを合成して、現実とは似て非なる「テレビ的現実」を造成し、これをテレビで繰り返し流すことによって、視聴者にバイアスのかかったイメージを植え付けることが容易にできました。

しかし、インターネット、なかでもSNSがテレビなどのマスメディアに対するオルタナティブの情報メディアとして、一般大衆によって広く利用されるようになると、これまでのように、テレビが「現実構成」の独占的地位を維持することが難しくなっています。今回の都知事選挙に典型的に見られるように、小池候補の陣営から提示される「テレビ的現実」の虚構は、これに対抗する陣営や個人の発信する「真実の情報」「嘘の暴露」など対抗的な「SNS的現実」によって容易に見破られ、崩壊するようになっています。もし、SNS的現実の信憑性がテレビ的現実の信憑性を上回るならば、テレビ的現実を提示した候補は信用を失い、SNS的現実を提示した候補が勝利を収めることになるでしょう。今回の都知事選挙では、以下で述べるように、小池候補側が、欺瞞に満ちたテレビ的現実像の一方的提示を継続し、自身に対する疑惑、疑問、批判に全く答えようとしないことから、多くの都民の信頼を失ってしまったということができるでしょう。

追求されるべき小池候補の疑惑

今回の都知事選挙を通じて、小池百合子候補に関わる数多くの疑惑が浮上しています。

  1. カイロ大学学歴詐称疑惑
  2. カイロ時代、ホテルで万引きした前科
  3. 都庁舎プロジェクションマッピングをめぐる疑惑
  4. 政治資金パーティ裏金問題
  5. 晴海の都有地9割引
  6. 築地市場跡地の不正再開発
  7. 三井不動産などの天下り
  8. 神宮外苑再開発問題
  9. 葛西臨海公園の樹木伐採
  10. 朝鮮人虐殺追悼文拒否
  11. ペット殺処分定義変更
  12. 都議会での答弁拒否
  13. 不都合質問で議員排除
  14. 定例記者会見での特定ジャーナリスト排除
  15. 黒白塗りで情報非公開
  16. 7つのゼロ未達成
  17. 待機児童大幅減の嘘
  18. 出生率低下の責任

これら膨大な数に上る疑惑について、小池候補は何ら明確な回答もせず、謝罪もしていません。疑惑を晴らすために選挙期間中、テレビ討論会に出席する機会も与えられましたが、いずれも公務を理由に断り、記者会見でもこれらの問題に触れることを避けています。これは、都知事という責任ある立場の政治家がとるべき態度とは到底言えないでしょう。また、テレビ、新聞などのマスメディアも、こうした重大な疑惑について、何らの報道も行なっておらず、ジャーナリズムとしての責務を放棄していると言わざるを得ません。

 

 

「はだかの王様」は、いま

小池候補は、これまで大手広告代理店謹製の「PR動画」「PR番組」というきらびやかな衣装を身につけて、「笑顔のユーモラスな女性都知事」というイメージを振りまいて、都民の支持を得てきましたが、今回の都知事選挙では、蓮舫候補を支持する多くの団体、個人がX上で発信する「小池候補の数多くの疑惑、犯罪的行為、反民主主義的、独裁的体質、業界や自民党との癒着」に関する情報を通じて、信頼が大きく揺らぎ、「はだかの王様」の本質が明らかになってきました。今の小池知事は、アンデルセン童話に出てくる「はだかの王様」にそっくりです。「はだかの王様」とは、こんな童話でした。

むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。王さまはぴかぴかの新しい服が大好きで、服を買うことばかりにお金を使っていました。王さまの望むことといえば、いつもきれいな服を着て、みんなに「いいなぁ」と言われることでした。ある日、二人の詐欺師が町にやって来ました。二人は人々に、自分は布織り職人だとウソをつきました。それも世界で一番の布が作れると言い張り、人々に信じ込ませてしまいました。「とてもきれいな色合いと模様をしているのですが、この布は特別なのです。」と詐欺師は言います。「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人には透明で見えない布なのです。」

(出来上がった服を見た王さまの家来や王さまは、何も見えないのに、バカと思われたくないので、見えると思い込んでしまいます。パレードで、ありもしない服を身につけた王さまは、堂々と行進します。沿道の人々も、バカと思われたくないので、服を着た王さまに賛辞を送ります。)

王さまはきらびやかな天蓋の下、堂々と行進していました。人々は通りや窓から王さまを見ていて、みんなこんなふうに叫んでいました。「ひゃぁ、新しい王さまの服はなんて珍しいんでしょう!それにあの長い裾と言ったら!本当によくお似合いだこと!」だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。ですから、今までこれほど評判のいい服はありませんでした。「でも、王さま、はだかだよ。」と突然、小さな子どもが王さまに向かって言いました。「王さま、はだかだよ。」「……なんてこった!ちょっと聞いておくれ、無邪気な子どもの言うことなんだ。」横にいたその子の父親が、子どもの言うことを聞いて叫びました。そして人づたいに子どもの言った言葉がどんどん、ひそひそと伝わっていきました。「王さまははだかだぞ!」ついに一人残らず、こう叫ぶようになってしまいました。王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。(『アンデルセン全集』大久保ゆう訳)

王さまが小池知事だとすれば、王さまのまとう豪華な衣装づくりを担当する業者や詐欺師グループは、小池知事を取り巻くメディアや大手広告代理店でしょう。そして、王さまがはだかであることに気づき、叫んだ子どもというのは、SNSで小池知事の嘘と虚像を告発するネットユーザーたちでしょう。そして、子どもたちの叫びに目を覚まし、はだかの王さまの正体を知るようになるのは、多分、SNSの投稿を読んだ一般のユーザーと、これらSNSのユーザーから口コミで真実の情報を知る一般の有権者なのでしょう。すべての都民が「はだかの王様」の実像に気づくようになるのは、そんなに遠い先のことではないような気がします。

民主主義とジャーナリズムの危機

小池知事は、上記のように、これまで数多くの嘘、窃盗、大企業との癒着、権力の濫用、政治資金規制違反、民主主義の圧殺、ジャーナリズム封殺、情報秘匿、動物虐待、緑と景観の破壊などの大罪を犯してきました。そのなかでも、現役の都知事かつ都知事選挙候補者としてもっとも重い罪は、民主主義の破壊とジャーナリズムの封殺ではないでしょうか。もし万一、小池氏が当選して再び都知事になるようなことがあれば、それは我が国にとって、民主主義とジャーナリズムの死を意味すると言っても過言ではないでしょう。小池知事による民主主義の蹂躙とジャーナリズムの封殺の例は、次のようなところにあらわれています。

  1. 都議会において、答弁拒否率76%
  2. 選挙期間中、テレビ討論会への出席を拒否
  3. 都内での街頭演説会の忌避
  4. 記者会見で、フリージャーナリストの質問を無視、拒否
  5. 電通など大手広告代理店を通じて、民放のテレビ番組での小池批判を封殺
  6. 都知事選挙で自民党から裏支援を取り付ける
  7. 政治資金パーティの裏金問題
  8. 都有地再開発で特定大企業との癒着

こうした危機を招いた原因は、小池候補だけにあるわけではありません。自民党などの与党、三井不動産などの大企業、電通などの大手広告代理店、民放テレビや大手新聞社などのマスメディアやジャーナリストもまた、小池知事を批判することなく、共謀関係を築いてきたのではないでしょうか。これらを含めて、今回の都知事選挙を契機として、健全な民主主義とジャーナリズムを取り戻す努力を始めることが必要だと考えます。

立ち上がる良心的ジャーナリストたち

こうした閉塞的な状況の中でも、民主的な選挙戦の実現と、不正を働く候補者の批判、告発を続けるジャーナリストたちがいます。東京新聞の望月衣塑子記者、フリージャーナリストの佐藤章氏、横田一氏などです。彼らの努力と勇気には心から頭が下がります。風前のともしびともいえる日本のジャーナリズムは彼らの活動にささえられているといっても過言ではないでしょう。

 

一人一人が声をあげれば、政治は変わる

沈黙は「悪」を容認し、利するだけ

ドイツの世論研究者ノエル・ノイマン女史は、選挙と有権者の選択に関する多くの実証的調査研究をもとに、「沈黙の螺旋理論」を提唱しました。それによると、「どの意見が多数派か少数派かをマスメディアが持続的に提示することで、多数派の声は無根拠に大きくなり、少数派は制裁を恐れて沈黙へと向かう。この循環過程によって沈黙が螺旋状に増大し、世論の収斂が起こる」というのです。今回の都知事選挙では、マスメディアは小池知事の学歴詐称に対する訴訟や小池知事の数々の疑惑や不正行為など小池候補の不利になる事柄についてはまったく報道しないという不可解な方針を維持しており、逆に小池候補が有利という選挙情勢調査の結果だけを大きく報道しています。これは、小池支持の世論が多数派だとの誤った意見風土を醸成し、蓮舫支持者の沈黙を促進する危険性があります。こうした沈黙の螺旋の悪循環を断つには、蓮舫支持者が、Xへの投稿だけではなく、実世界においても、勇気を持って声をあげることが必要だと思います。

「一隅を照らす」の教え

日本の仏教指導者の一人、最澄が残した偉大な教えに、「一隅を照らす」という言葉があります。最澄は、弟子たちに向けて書いた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の中で、厳しい修行の仕方を文章化しています。その冒頭で、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いが次のように述べられています。

「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。ゆえに古人のいわく、径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なりと。」

「径寸十枚」とは金銀財宝などのこと、「一隅」とは今自分がいる場所や置かれた立場を指します。一隅を照らす人とは、「自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人」のことを指し、このような人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのだ、と最澄は述べています。つまり、すべての人をわけへだてなく仏と同じ悟りへと導く『法華経』の一乗の教えに従い、誰もが各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力実行することで、お互いが助け合い、あたたかい思いやりの心(仏心)が自然と広がり、仏と同じ救いと悟りを得ることができる、という考え方だと思われます。

「一隅を照らす」を座右の銘として、アフガニスタンで人々のために命をかけて尽くした方は、日本人医師・中村哲さんです。中村医師は,戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンで、多くの市民とともに,人道・復興支援を 35 年もの月日の間おこなってきました。医師としての活動の他に,用水路の建設に身を投じ、『戦乱は武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎』と復活に尽力してきました。まさに「一隅を照らす」精神で救援活動を続けてきた人物です。現地の人々からも愛され信頼されていましたが、銃撃という不条理な手段で殺され、惜しまれながら、悲しみの中で命を終えました。けれども、中村医師の遺した「一隅を照らす」の精神は、世界中の人々の心に今も生き続けており、多くの後継者がその後を継いで活動を続けています。

「一隅を照らす」の実践は、最澄や中村医師のような偉人だけではなく、私たち普通の個人が日常的に行うことができるものです。民主主義といった人類共通の価値を守るためには、民主主義を破壊する候補者には投票しない、ひとり街宣で民主主義を守ってくれる候補者の応援をする、家族や友人にどの候補者が民主主義を守ってくれるかを伝える、といった小さな行動が積み重なって、民主主義を破壊する候補者を落選させることによって、民主主義を守るという大きな社会的正義が実現するのだと思います。

(おわり)

拡がる「ひとり街宣」の輪(奇跡を起こすチカラ)

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