2024都知事選

民主主義の敵 対 ジャーナリストの鏡

文春オンライン報道で暴露された小池知事の学歴詐称経歴

2024年6月20日。小池百合子知事がカイロ時代にアパートで一緒に暮らしていた元友人の北原百代氏が小池氏の学歴詐称の経緯を生々しく証言した手記が「文春オンライン」で初めてネット上で公開された。北原さんの顔写真入りの記事を読んだ私は大きな衝撃を受けた。それまでは、小池知事の学歴詐称疑惑を単なる選挙戦の一エピソードくらいにしか捉えておらず、都民にも関わらず選挙戦にもほとんど関心を持っていなかった私だったが、この告白記事を読んで、北原さんの証言の信憑性が高いこと、小池知事が若い頃から嘘に嘘を重ねて今日の地位を築いてきたことを知り、これは絶対に許せないことだという気持ちになったのだった。

それ以来、文春オンラインの記事の信憑性のさらなる検証、小池知事の言動、選挙戦、特に小池陣営と蓮舫陣営の戦いぶり、マスコミの報道の実態、XなどSNSで発信される情報の分析、争点になっている事柄についての事実関係や問題点などの検証を熱心に始めるようになった。それらを通じて明らかになったのは、小池知事の明からさまな民主主義軽視と情報隠し、それを助ける忖度メディアや既得権益集団、裏で緊密につながる自民党政権、学歴詐称問題に触れようとしない都庁記者クラブをはじめとする既存ジャーナリストの怠慢、それに対抗して一人ジャーナリストの矜持と倫理意識と勇気を持って、小池都知事の学歴詐称問題を追求し続ける佐藤章(元朝日新聞)記者の存在だった。

小池知事がいかに民主主義を踏み躙る「政治世界の犯罪者」であるかということは、都議会での質問に対して、答弁拒否を乱発していること、記者会見の場で、フリーの記者からの質問をことごとく平然と無視し続けていること、都知事選挙においても、初日から都内での街頭演説に立つこともなく、2日目以降も、八丈島とか奥多摩など、多くの都民が参加できない土地を演説会場に選び、聴衆から距離を置いた台上で一方的に演説を行うにとどめ、その他の日程は、テレビ向けの映像を提供するために、一般有権者ではなく、動員したサクラを従えて、印象操作を行うという目的が見え見えのパフォーマンスに終始していることなどからも明らかだろう。過去の事例などを見ても、これらは独裁政治家の使う常套手段、大衆操作のテクニックであるが、北朝鮮、中国、ロシアなど国家的情報統制の行き渡った独裁国家でもない自由社会日本で、すべての情報がネット上で即座にアップされる「SNS時代」において、こうした姑息な手段は通用しないどころか、民主政治の敵対者としての正体を晒すだけの意味しかないのではないだろうか。

プロパガンダ、イメージ操作のパフォーマンスで、「グリーンな、優しい笑顔の女性リーダー」を演出しているつもりでも、SNS上で次々と晒される説得力のある数多くの対抗メッセージによって、「無化」「透明化」され、「ダーティで、非人間的な独裁者」という素顔が暴露されてしまう、というのが実態だと思う。まさに、現代の「裸の王様」(後述)と呼ぶにふさわしい政治家といえよう。

ジャーナリストの鏡:佐藤章氏の活動

小池百合子知事の学歴詐称問題をフリージャーナリストとして追及している佐藤章氏のことは、つい最近、Xの投稿で初めて知った。でも、佐藤さんのYouTubeでの情報発信を見て、これはすごい方だなとの印象を持った。勇気のあるジャーナリストだとの印象を持ったのである。そこで、佐藤氏の略歴を調べてみたところ、こんな方だった。

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。1955年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、アエラ編集部、週刊朝日編集部など。2014、15年度、慶応義塾大学非常勤講師。著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)など。(五月書房新社Webサイト他)

朝日新聞の記者時代は、大蔵省の記者クラブで、リクルート事件では当時の大蔵大臣の宮沢喜一との記者会見で、宮沢大臣への厳しい質問で追い詰め、辞任にまで追い込むという実績を残している。今回はフリー・ジャーナリストとしての立場ではあるが、小池知事の学歴詐称疑惑について、記者会見でたびたび知事に質問をしているが、いずれも、小池知事は完全に無視して答えようとしなかった。それでも、佐藤記者は挫けることなく、小池知事が選挙演説第1声を行った八丈島まで行き、小池氏への質問を試みたが、ここでも小池知事は徹底的に無視するという傲慢な姿勢を貫いた。その様子は、佐藤氏の投稿したYouTubeで白日の元に晒されている。

このように、正統ジャーナリスト精神を存分に発揮して、勇敢に不正追及を続けている佐藤記者に比べて、だらしないのが都庁記者クラブに所属する大手メディアジャーナリスト達である。小池知事に忖度して、絶好の機会である定例記者会見でも、学歴詐称問題について小池知事に質問する勇気すら持ち合わせていないようである。これは、ジャーナリストとして、本当に恥ずかしいことだ。鏡である佐藤記者をちょっとでも見習ったらどうなのだろうか?

「はだかの王様」小池知事

今の小池知事は、アンデルセン童話に出てくる「はだかの王様」にそっくりだ。「はだかの王様」とは、こんな童話だった。

むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。王さまはぴっかぴかの新しい服が大好きで、服を買うことばかりにお金を使っていました。王さまののぞむことといったら、いつもきれいな服を着て、みんなにいいなぁと言われることでした。・・・ある日、二人のさぎ師が町にやって来ました。二人は人々に、自分は布織り職人だとウソをつきました。それも世界でいちばんの布が作れると言いはり、人々に信じこませてしまいました。「とてもきれいな色合いともようをしているのだけれど、この布はとくべつなのです。」とさぎ師は言います。「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人には透明で見えない布なのです。」

(出来上がった服を見た王様の家来や王様は、何も見えないのに、バカと思われたくないので、見えると思い込んでしまいます。パレードで、ありもしない服を身につけた王様は、堂々と行進します。沿道の人々も、バカと思われたくないので、服を着た王様に賛辞を送ります。)

王さまはきらびやかなてんがいの下、どうどうと行進していました。人々は通りやまどから王さまを見ていて、みんなこんなふうにさけんでいました。「ひゃぁ、新しい王さまの服はなんてめずらしいんでしょう!それにあの長いすそと言ったら!本当によくおにあいだこと!」だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。ですから、今までこれほどひょうばんのいい服はありませんでした。「でも、王さま、はだかだよ。」とつぜん、小さな子どもが王さまに向かって言いました。「王さま、はだかだよ。」「……なんてこった!ちょっと聞いておくれ、むじゃきな子どもの言うことなんだ。」横にいたそのこの父親が、子どもの言うことを聞いてさけびました。そして人づたいに子どもの言った言葉がどんどん、ひそひそとつたわっていきました。「王さまははだかだぞ!」ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。(『アンデルセン全集』大久保ゆう訳)

王様が小池知事だとすれば、王様のまとう豪華な衣装づくりを担当する業者や詐欺師グループは、小池知事を取り巻くメディアや大手広告代理店だろう。そして、王様がはだかであることに気づき、叫んだ子どもというのは、SNSで小池知事の嘘と虚像を告発するネットユーザーたちだろう。そして、子供たちの叫びに目を覚まし、はだかの王様の正体を知るようになるのは、多分、SNSの投稿を読んだ一般のユーザーと、これらSNSのユーザーから口コミで真実の情報を知る一般の有権者なのだろう。すべての都民が「はだかの王様」の実像に気づくようになるのは、そんなに遠い先のことではないような気がする。

 

 

 

 

 

 

-2024都知事選