「パニック報道」の問題点
しかしながら、オーソン・ウェルズの「火星からの侵入」放送が全米にパニックをひきおこしたという印象を与えた決定的な要因は、事件直後のマスメディアの過大でセンセーショナルな報道にもあったことも事実である。それは、マスメディアの送り手側の「批判能力」欠如にも起因していたことは明らかである。それが、一般国民、ラジオ局、政府当局、研究者などに過剰な反応を引き起こす原因ともなったと推測される。最後に、こうした過大報道を産み出した原因を探ることにしたいと思う。
ニューメディアに対する新聞の敵対心
第一の要因は、当時の新聞が、巨大な力をふるうラジオという新興マスメディアに対して脅威を感じており、このたびの「不祥事」を、ラジオを叩く絶好の機会と捉えたということが考えられる。ちょうど、現代社会において、インターネット上の不祥事や犯罪などがマスコミで過剰に取り上げられ、叩かれるのと同じような状況が、1930年代のアメリカにもあったと想像されるのである。事実、当時の新聞各社は、こぞってCBSラジオとオーソン・ウェルズを非難したのである。
締め切り時間の問題
第二の要因として考えられるのは、放送時間と新聞の締め切り時間の関係である。放送は午後8時から9時まで行われ、8時30分頃から聴取者の混乱と、新聞社や警察などへの問い合わせが殺到し始め、事件が明るみに出た。新聞社の朝刊の締め切りまで、時間はわずかであり、「パニック」報道記事を作成するためには、おそらく電話取材が中心となったと想像される。その中で、「パニック」を裏付ける証言などの情報が選択的に採用され、センセーショナルな見出しをつけて大きく報道されるようになったものと思われるのである。これが、いわば独り歩きして、その後の「パニック」報道の下地をつくったのではないだろうか。その裏には、「パニック」に対する送り手側の思い込み(パニック神話)もあったものと思われる。
センセーショナリズム
第三には、19世紀末以来、「イエロー・ジャーナリズム」とも言われて厳しく批判された、大衆新聞の性癖として、事件をセンセーショナルに取り上げる傾向は、戦争の危機にさらされた1930年代の当時にも存続しており、それが、「大パニック」といった過大報道につながったのではないか、と考えられるのである。 以上は筆者による予備的考察であり、詳しくはさらに先行文献などを通じて検証を続けていきたいと思う。