1938年10月31日のDaily News紙トップ

メディア研究

「火星からの侵入:パニックの社会心理学」再考

キャントリル『火星からの侵入』パニック研究プロジェクト

 ラジオドラマの「現場」からほど近くにある、プリンストン大学では、1937年からロックフェラー財団の助成により、Paul Lazarsfeldを主任とし、Frank StantonおよびHadley Cantrilを副主任として「ラジオ研究施設」が設立され、ラジオが聴取者に果たす役割についての調査研究が行われていた。この「ラジオ・パニック」事件は、当時ニューメディアであったラジオの及ぼす影響力を研究するための絶好のテーマと受け取られ、プリンストン・ラジオ・プロジェクトの一環として、キャントリルを中心に研究を進めることが決まった。その裏には、研究の影の推進役となったLazarsfeldの存在があったといわれる。 実際、Cantrilは、『火星からの侵入』の序文で、Lazarsfeldに対する次のような謝辞を送っているのである。

 プリンストン・ラジオ研究施設の主任であるポール・ラザーズフェルド博士には心から感謝したい。博士にはこの研究の分析と解釈について数多くの指導をしていただいたばかりでなく、厳密ですぐれた方法論的助言とともに、筆者にはかりしれないほど知的な経験をさせてくださった。博士の強い意見によって、この研究は何回も改められたが、その度に統計的資料と事例研究のなかにかくれている新しい情報が取りだされることになったのである。(『火星からの侵入』邦訳xiiiページ)

 

調査研究は、Cantrilを中心に行われ、1940年に、『火星からの侵入?パニックの心理学に関する研究』(The Invasion from Mars : A Study in the Psychology of Panic)として出版され、大きな反響を呼んだ。ある意味で、オーソン・ウェルズの『火星からの侵入』ラジオ放送が全米にパニックを引き起こしたとする「通説」は、本書によってデータ的な裏付けを与えられ、定着したといっても過言ではない。  しかし、このラジオ放送は本当に全米に一大パニックを引き起こしたのだろうか?それは事実を誇張したものではなかったのか、あるいは一部にみられた混乱を過大評価したものではなかったのか?といった批判が、その後、社会学者を中心に出され、通説に修正が加えられるにいたっている。以下では、こうした問題点を中心に、Cantrilらの調査結果をレビューしてみることにしたい。

調査の概要

Cantrilらの調査結果は、主として、事件「現場」に近いニュージャージー州に住む135人の人びとに対する詳細なインタビュー調査をもとにしている。つまり、ラジオドラマで火星人が上陸し、州兵を相手に破壊的な殺戮を行ったとされる地域の住民が調査の対象者として選ばれたのである。Cantrilはその理由として、「この放送によって混乱状態に陥ったという理由から選ばれた」と述べている。また、放送にびっくりした人たちの名前の大半は、個人的に問い合わせたり、インタビューアーが探し出したものである」という。つまり、調査対象に代表性はなく、きわめて偏ったサンプルが調査対象になっていたのである。いわば、放送によってパニック状態に陥った人々だけが調査対象になっていたといっても過言ではない

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