必要があって、約10年ぶりにローレンス・レッシグ著『CODE』を再読した。オリジナルの原書が出版されたのは、1999年。日本語訳が出たのは、2001年3月27日。私が直接レッシグ教授にお目にかかったのは、2001年3月15日のことだった。それは、ちょうど日本語訳が出版される2週間前のことで、私自身、たまたまプリンストン大学で開かれた講演会に招かれて、同席したのだった。原書も日本語訳も知らないままで、同席したため、また専門領域が異なっていたため、残念ながら、英語でのやりとりをちんぷんかんぷんで拝聴するにとどまった。その当時に書いたウェブ日記には、そのときの状況が次のように記されていた。
きょうの講演の内容は、電波の周波数の配分とインターネットの自由の問題であった。私の英語力がいま一つのために、議論の詳細は紹介できないが、とにかくいかにも頭が切れる(超スマート!)という感じのレクチャーとディスカッションが、1時間30分にわたって行われた。私はもちろん専門外だったので、おとなしく聴講しているだけだったが、参加者からの鋭い質問やコメントにも、実にスマートに答えていたのが印象的であった.
レッシグによれば、われわれの社会において、人のふるまいに影響を及ぼすものには、(1)法、(2)規範、(3)市場、(4)アーキテクチャ(またはコード)という4種類あるが、サイバー空間においては、とくに4番目の「アーキテクチャ」が重要な規制手段だという。
実空間での事例として、「公共空間における携帯電話の利用」を取り上げてみよう。車内
、病院、劇場など公共的な空間において、携帯電話の利用はさまざまな方法で規制されている。
(1)法律による規制
自動車運転中の携帯電話利用は、「道路交通法」によって禁止されており、違反者にはきびしい罰則が科せられる。これによって、運転中のドライバーのふるまいは規制されている。
(2)規範による規制
電車やバスなどの車内での携帯利用に関しては、車内のアナウンスや、乗客の冷たい視線などの「規範」によって、とくに音声通話利用というふるまいは規制されている。
(3)市場による規制
喫茶店、レストランなどでは、携帯電話が利用できるスペースを設け、それ以外の場所では携帯電話はできないようにしているところもある。これは、市場の中で、携帯電話をできる空間を制限しているという意味では、市場による規制といえるだろう。
(4)アーキテクチャによる規制
劇場、病院などの一部では、建物内に携帯電波をシャットアウトする装置が設置されている場所がある。これは、アーキテクチャによる規制といえる。
サイバー空間においても、これと同じような4種類の規制が加えられている。
(1)法律による規制
著作権法、名誉毀損法、わいせつ物規制法などは、サイバー空間にも適用され、違反者には罰則を課することができる。
(2)規範による規制
アニメに関するコミュニティサイトで、だれかが民主政治のあり方に関する議論を始めたら、たちまちフレーミングの嵐(炎上)にあうだろう。
(3)市場による規制
インターネットの料金体系はアクセスを制約する。商用サイトにおいて、人の集まらない電子会議室は閉鎖されてしまうだろう。
(4)アーキテクチャによる規制
サイバー空間の現状を決めるソフトウェアとハードウェアは、利用者のふるまいを規制する。たとえば、一部のサイトでは、アクセスするのに、IDとパスワードを要求される。
レッシグの独創性は、この4番目のアーキテクチャが、利用者にも知られることなく、利用者のふるまいを規制していること、また、実空間以上に、インターネット上でアーキテクチャによる規制力が無際限に大きくなり得ることを発見した点にある。それが行き過ぎると、インターネットから自由が奪われてしまう恐れがあるのだ。そうした事態を防ぐためには、アーキテクチャの規制を管理できるような対策を講じる必要がある。それは、私見によれば、(1)から(4)までのそれぞれにおける対応が必要ではないかと思われる。
レッシグ教授の講演会に誘ってくださったのは、プリンストン大学の助手をされていた、Eszter Hargittaiさんだった。下の写真の中で、左側にいるのが、エスターさんだ。
現在は、Northwestern Universityの准教授をされており、そこでのWeb Use Projectリーダーでもある。とてもチャーミングな方だが、頭脳も明晰で、さすが超秀才の集まるプリンストン大学出身という印象を受けた。彼女がいかに超秀才かということは、彼女のウェブサイトをごらんいただければ分かるかと思う。