ロンドンでの亡命生活
ドイツの哲学者にして労働運動のリーダー、カール・マルクスが、亡命先のロンドンで家族五人で暮らしたのは、31歳(1849年)から64歳で亡くなる1883年までの33年間だった。実に、マルクスの人生の半分以上である。ロンドン在住の大半の期間、マルクス一家は極貧の生活状態に置かれていた。それにもかかわらず、マルクスは、毎日朝9時から夜7時までの10時間、大英博物館の図書室に通い詰め、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙のための論説記事を書くと共に、ライフワークとなる大作『資本論』の執筆に取り組んだ。新聞社の正式の社員でもなく、大学教授などの定職もなかったから、いまで言えば「フリーライター」として生活費を稼いでいたということになる。原稿料だけでは不十分だったので、親友のエンゲルスから度々経済的援助を得てなんとか生計を立てていたのだった。住まいもロンドンの最貧地区にあり、2部屋に家族五人が肩を寄せ合うように暮らしていたのだった。まさに赤貧の生活だった。
「1850年代の大半を通じてマルクス一家はまともな食事ができなかった。着る物もほとんど質に入れてしまったマルクスはよくベッドに潜り込んで寒さを紛らわせていたという。借金取りや家主が集金に来るとマルクスの娘たちが近所の子供のふりをして「マルクスさんは不在です」と答えて追い返すのが習慣になっていたという」(Wikipedia)
このような劣悪な環境にあっても、マルクスが定期的に論説記事を書き送ったり、『資本論』の執筆に専念できたのは、自宅から歩いて通える距離に大英博物館図書室という巨大な「書斎」があって、そこに自分専用のデスクを確保して、思う存分、膨大な書籍や雑誌、新聞などを閲覧できたからだと思われる。また、定職を持たない「フリーライター」の立場が幸いして、研究、執筆に使える時間をふんだんに持てたことも、あの膨大な「資本論」執筆に欠かせないリソースとして役立ったことだろう。さらに、妻のイェニーが夫マルクスのよき理解者であり、家事万端を担い、かつ清書などを受け持ち、マルクスの優秀な秘書役を果たしてくれたことも大きかった。貧困にも関わらず、マルクスは研究、執筆活動に没頭することができたのである。
我が身を顧みれば、業績の点では比べようもないが、大きな図書館で毎日、フリーライターとしてHPの記事を執筆したり、研究論文的な原稿をコツコツと書いているという点では、かのマルクスと似ている点があるような気もする。ただし、マルクスが大英博物館図書室で利用できた資料は、新聞、雑誌、書籍などの紙媒体に限られていたのに対し、私の場合は、それらに加えて、電子ジャーナルや、電子ブック、データベースなどのデジタルメディアがあり、マルクス時代よりもはるかに膨大なアナログ、デジタルリソースに恵まれている。また、執筆手段にしても、マルクスはもっぱら紙に手書きに頼る他はなかったのに対し、現在では、スキャナ、PC、ネットワーク、プリンタ、検索エンジン、クラウド、WordPress、Notion、生成AIなどのデジタルツールが揃っており、マルクス時代より数百倍、数千倍の効率で資料の検索、収集、編集、執筆が可能になっている。自由な執筆時間をふんだんに使えるという点でも、今の私はマルクスと似た立場にある。イェニー夫人のような優秀な秘書はいないが、生成AIという超優秀なアシスタントがその代わりを十分に務めてくれている。
もしマルクスが今の時代に生きていれば、おそらくマルクスはかの『資本論』全4巻を、生きているうちにもっと理想的な形で完成させることができたかもしれない。そうすれば、あるいはその後の人類の悲劇的な歴史は防げたかもしれない。私も今ある潤沢なリソースをフルに活用して、人類の悲劇を二度と繰り返さぬような、ささやかな仕事を自分なりに追求していければと願う。
大英博物館に通う日々

大英博物館正面玄関
当時の大英博物館図書室には、予約制の「閲覧室」(Reading Room)というのがあり、限られた人しか利用できなかった。幸い、マルクスはこの部屋の利用証を手にいれることができたので、毎日、決まった席をとって、原稿執筆に精を出したのである。

大英図書館図書室の閲覧席(Reading Room)
朝9時から夜7時間、ぶっ続けに図書館で仕事をするのはしんどいので、マルクスは時々、息抜きのために近くのパブで過ごすこともあった。行きつけのパブは、Museum Tavernだった。このパブは、コナン・ドイル「シャーロック・ホームズの冒険」シリーズの一作「青いざくろ石」の舞台となったことで有名だ。筆者は、2018年9月3日にここを訪れたことがある。当初の目的は、コナン・ドイルの小説に因んでの「聖地巡礼」だった。

Museum Tavernの外観
パブに入ってみると、壁には作者コナンドイルの肖像写真や関連資料がかけられてあった。注文した料理を待っている間、カメラでコナン・ドイルなどの写真を撮っていると、いかにも学者然とした年配の男性が近づいてきて、「向こうの壁にマルクスの写真があるぞ」と教えてくれた。それを聞いて私はすっかり感激。そう、このパブはカール・マルクス行きっけの店だつたのだ!!あの大著『資本論』を大英博物館の図書室にこもって完成させた原動力の一つは、このパブにあったのかもしれない。下の写真で、中央のカウンターに背を向けて立っている年配の男性が、教えてくれた方。もしかすると、本当の学者だったかもしれない。聞いてみれば良かった。
下の画像は、そのカール・マルクスの肖像写真だ。これが何よりの証拠。なお、大英博物館の図書室は、その後、大英図書館として別の場所に移転し、今はない。