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ロンドン聖地巡礼「シャーロック・ホームズ」(準備編・目次入り)

『シャーロック・ホームズ』シリーズの小説は世界的なベストセラーになりましたが、その後、映画やテレビドラマ、アニメなど多くのメディアで原作のリメイク版が作られ、いまだに強い人気を持ち続けています。とくに、2010年から2017年にかけて、21世紀のロンドンを舞台にリメイクされたBBC制作のドラマ「シャーロック」は、大人気を博し、主演のベネディクト・カンバーバッチは、一躍スターダムにのし上がりました。このドラマシリーズは、日本でも2011年からNHK BSで放送され、現在では、NETFLIX、HULU、dtvなどの動画配信サービスでも放映されています。

21世紀版「シャーロック」の興味深い点は、手紙、電報、新聞、雑誌など、情報通信手段の限られていた19世紀末と違って、ホームズがEメール、ウェブ、スマートフォン、GPS、監視カメラ、ノートPCなどのハイテク情報機器を駆使しているということです。私の専門であるインターネット社会論の視点からも、きわめて興味をそそられるところです。もしコナン・ドイルが21世紀に生きていたら、きっとこうした最新の情報通信機器を小説の中に取り入れていたことでしょう。

それでは、作者のコナン・ドイルは、その人生の中で、どのようにして「シャーロック・ホームズ」と出会い、「ホームズ」シリーズの小説を書くに至ったのでしょうか? 本論に入る前に、ドイル自身の「自伝」と伝記を通じて、「シャーロック・ホームズ」誕生秘話を探ってみたいと思います。

(コナン・ドイルの肖像写真:1893年)

コナン・ドイルと「シャーロック・ホームズ」

困窮の中で育ったコナン・ドイル

アーサー・コナン・ドイルは、1859年5月22日スコットランドのエディンバラで、ジョン・ドイルの末子として生まれました。ジョンはマンガの始祖ともいうべき人で、ロンドンで高名を馳せました。けれども、収入は少なく、ドイル一家は貧しい生活を余儀なくされました。アーサー少年は、両親からスパルタ式の厳しい教育を受けて育ちました。

ベル教授との出会い

1976年、アーサーはエディンバラ大学の医学部に進み、医学の他に、植物学、化学、解剖学、生理学、その他多くの科目を履修しました。アーサーが教えを受けた数多くの教授の中で、もっとも大きな影響を受けたのは、ジョゼフ・ベル博士でした。この人はエディンバラ診療所の医師で、心身ともに非凡な人でした。

やせっぽちで眼や髪が黒ずんでおり、鼻が高くて顔つきが鋭く、やせた肩をいからせてひょいひょいと飛ぶように歩いた。声は高くて調子はずれだった。きわめて熟練した医師で、強みの診断は病状ばかりでなく患者の職業や性格のことにまで及んだ。
(コナン・ドイル『わが思い出と冒険』より)

このベル博士は、のちに「シャーロックホームズ」の中で、ホームズのモデルになりました。ベル博士の下した鋭い診断について、ドイルは次のような逸話を紹介しています。

もっともよい実例では一市民患者に先生がたずねる。
「ははあ、君は軍隊にいましたね?」
「そうです。」
「近ごろ除隊になったね?」
「そうです」
「高地連隊だね?」
「そうです。」
「下士官だったね?」
「そうです。」
「バルバドス駐屯隊だね?」
「そうです。」
「さて諸君、これはまじめで卑しからぬ人なのに、はいってきても帽子をとらない 軍隊ではそうするのが普通であるが、これは除隊してまがない から、一般市民の風になれるひまがなかった。見たところ威力があるし、明らかにスコットランド人だ。バルバドスといったのは、この人の訴えて いる病苦は象皮病であるが、この病気は西インド地方のもので、イギリスにはない。」 説明を聞くまでは多くのワトスンたちには不思議でならないが、聞いてみれば至極なんでもないことだ。そういう人の特性を研究した私が、後年科学的探偵を書くようになったとき、これを強化応用した のに不思議はあるまい。
(コナン・ドイル『わが思い出と冒険』より)

医者になったドイル

1880年、ドイルが21歳のとき、彼は7ヶ月間、捕鯨船に乗り組み、北極洋を航海しました。このあたりは、日本の作家、北杜夫と共通したところがあります。どちらも後日、痛快な冒険談を書くことになります。

航海から戻ったドイルは体格堂々とした成人になっていました。1881年には卒業試験にパスし、開業医の資格を得ました。とはいっても、すぐに開業したわけではなく、1881年には船医として、再び3ヶ月間の航海に出ています。

航海からイギリスに戻ると、ドイルはポーツマス郊外のサウスシーという町で開業医としての仕事を始めました。同時に、この頃から文学の創作活動を始めました。当初は匿名で雑誌に発表するだけで、無名のままでした。やがて、少年時代から尊敬する探偵小説家のポーのデュパンのような人物を主人公とする小説を書けないだろうかと思うようになり、ベル博士をモデルとした科学探偵を構想するに至ります。

この思いつきは私を喜ばせた。その男の名を何としよう?  私は今でもノートの一葉を持っているが、それにはあれかこれか、いろんな名が書い てある。名前というものはある程度その人物の性格を暗示するという基本的性質があって調和がむずかしい。初めはシャープズ氏かそれともファーリッツ氏かとも思ったが シャーリングフォード・ホームズ にきめ、それからシャーロック・ホームズに改めた。
(コナン・ドイル『わが思い出と冒険』より)

「ホームズ」シリーズ第1作『緋色の研究』の出版

こうして、名探偵「シャーロック・ホームズ」が誕生したのです。この人物を主人公として書かれたのが『緋色の研究』(A Study in Scarlet)でした。しかし、この小説の船出は決して順調なものとはいきませんでした。1886年5月にドイルがアロウスミス社に送った原稿は、2ヶ月後には送り返されてしまったのです。

最後に、ワードロック社に原稿を送ってみたところ、出版の承諾を得ることができました。ただし、25ポンドで買い取るという条件つきでした。貧窮状態にあったドイルは、やむなくこの条件を飲み、承諾の返事を出しました。その結果、シャーロック・ホームズ第1作『緋色の研究』は、1887年のクリスマスに刊行され、版を重ねることになりました。しかし、ドイルは版権を売り渡してしまったために印税を受け取ることはできませんでした(後に、ドイルはこの作品の版権を高額で買い戻しています)。

(『緋色の研究』が掲載された「ビートンのクリスマス年鑑」 Wikipediaより)

『ストランド』誌における「ホームズ」シリーズの連載と成功

この頃、アメリカではイギリス文学が流行しており、ドイルの『緋色の研究』もアメリカで成功を収めました。『緋色の研究』に目をつけたアメリカの出版社の依頼を受けて、1890年、ドイルは「ホームズ」シリーズの第2作『四つの署名(The Sign of Four )を書き上げ、2月から『リピンコッツ』誌に掲載しました。10月には、イギリスの出版社から単行本が刊行されています。この2冊で、「シャーロック・ホームズ」の骨格が固まり、翌1891年の7月から『ストランド』誌に「ボヘミアの醜聞」が掲載され、幅広い読者の支持を得るに至りました。このあと、1927年まで、「ホームズ」シリーズの短編小説が連載され、大人気を博すことになります。

「ストランド」誌での成功は、挿絵を担当したシドニー・パジェット(Sydney Paget)の才能に負うところも少なくありません。パジェットの描いたシャーロック・ホームズは、作者ドイルの抱いていたイメージとは違っていたとはいえ、近年の映画やテレビに至るまで、ホームズの人物イメージを造形する上で大きな影響を与え続けています(2011年BBC制作の「シャーロック」は、こうしたホームズ像を覆すものといえるでしょう)。

(「ホームズ」シリーズを連載した『ストランド』誌 Wikipediaより)

(Sydney Pagetの描いたホームズとワトソン
『シャーロック・ホームズの冒険』より)

「シャーロック・ホームズ」シリーズ全作品の概要

聖地巡礼「シャーロック・ホームズ」に取りかかる前に、コナン・ドイルが1887年から1927年までの40年間に発表した「シャーロック・ホームズ」シリーズの概要を把握しておきたいと思います。

この間に、計60編(長編4編、短編56編)が発表されています。その内訳は、以下のとおりです。

[長編]
A Study in Scarlet (緋色の研究)
The Sign of Four (四つの署名)
The Hound of the Baskervilles (バスカヴィル家の犬)
The Valley of Fear (恐怖の谷)
[短編集]
The Adventures of Sherlock Holmes (シャーロック・ホームズの冒険)
A Scandal in Bohemia (ボヘミアの醜聞)
The Red-Headed League (赤毛組合)
A Case Of Identity (花婿失踪事件)
The Boscombe Valley Mystery (ボスコム渓谷の惨劇)
The Five Orange Pips (オレンジの種五つ)
The Man with the Twisted Lip (唇のねじれた男)
The Adventure of the Blue Carbuncle (青い紅玉)
The Adventure of the Speckled Band (まだらの紐)
The Adventure of the Engineer's Thumb (技師の親指)
The Adventure of the Noble Bachelor (独身の貴族)
The Adventure of the Beryl Coronet (緑柱石の宝冠)
The Adventure of the Copper Beeches (ぶな屋敷)
The Memoirs of Sherlock Holmes (シャーロック・ホームズの思い出)
Silver Blaze (白銀号事件)
The Cardboard Box (ボール箱)
The Yellow Face (黄色い顔)
The Stockbroker's Clerk (株式仲買店員)
The 'Gloria Scott' (グロリア・スコット号事件)
The Musgrave Ritual (マスグレーヴ家の儀式)
The Reigate Squire (ライゲートの大地主)
The Crooked Man (背中の曲がった男)
The Resident Patient (入院患者)
The Greek Interpreter (ギリシャ語通訳)
The Naval Treaty (海軍条約文書事件)
The Final Problem (最後の事件)
The Return of Sherlock Holmes (シャーロック・ホームズの帰還)
The Adventure of the Empty House (空き家の冒険)
The Adventure of the Norwood Builder (ノーウッドの建築業者)
The Adventure of the Dancing Men (踊る人形)
The Adventure of the Solitary Cyclist (孤独な自転車乗り)
The Adventure of the Priory School (プライオリ学校)
The Adventure of Black Peter (ブラック・ピーター)
The Adventure of Charles Augustus Milverton (犯人は二人)
The Adventure of the Six Napoleons (六つのナポレオン)
The Adventure of the Three Students (三人の学生)
The Adventure of the Golden Pince-Nez (金縁の鼻眼鏡)
The Adventure of the Missing Three-Quarter (スリークウォーター失踪)
The Adventure of the Abbey Grange (僧坊荘園)
The Adventure of the Second Stain - 第二の汚点(第二のしみ)
His Last Bow (シャーロック・ホームズ最後の挨拶)
The Adventure of Wisteria Lodge (ウィスタリア荘)
The Cardboard Box (ボール箱)
The Adventure of the Red Circle (赤い輪)
The Adventure of the Bruce-Pardington Plans (ブルースパーティントン設計書)
The Adventure of the Dying Detective (瀕死の探偵)
The Disappearance of Lady Francis Carfax (フランシス・カーファックス姫の失踪)
The Adventure of the Devil's Foot (悪魔の足)
His Last Bow (最後の挨拶)
The Case-Book of Sherlock Holmes (シャーロック・ホームズの事件簿)
The Adventure of the Mazarin Stone (マザリンの宝石)
The Problem of Thor Bridge (ソア橋)
The Adventure of the Creeping Man (這う男)
The Adventure of the Sussex Vampire (サセックスの吸血鬼)
The Adventure of the Three Garridebs (三人ガリデブ)
The Adventure of the Illustrious Client (高名な依頼人)
The Adventure of the Three Gables (三破風館)
The Adventure of the Blanched Soldier (白面の兵士)
The Adventure of the Lion's Mane (ライオンのたてがみ)
The Adventure of the Retired Colourman (隠居絵具師)
The Adventure of the Veiled Lodger (覆面の下宿人)
The Adventure of Shoscombe Old Place (ショスコム荘)

最近、『シャーロック・ホームズ』シリーズ全60編を、パブリック・ドメインの原文から新たに翻訳し、ウェブ上で無償公開するサイトができました(作者名は不明)。Sidney Pagetらのオリジナル挿絵も入れています。これは、参照する上でたいへん便利なサイトだと思います。

本ブログでは、これと差別化をはかるために、すべての作品に登場するロンドンのスポットをWP Google Mapsでハイパーメディア的に表示するとともに、それに関連する作品の該当箇所を原文と拙訳の両方で紹介するというという形にしたいと思います。目的は、あくまでロンドン「聖地巡礼」の役に立てることにあります。

それでは、『緋色の研究』から『シャーロック・ホームズの事件簿』に至るまで、順を追って、ロンドンの「聖地巡礼」の旅に出ることにしましょう。

緋色の研究 A Study in Scarlet


記念すべき「シャーロックホームズ」シリーズ第1作『緋色の研究』(A Study in Scarlet)は、アフガニスタンでの戦争に軍医として参加したワトソン博士が、ロンドンに帰還後、友人の紹介でシャーロック・ホームズに出会い、ベイカー街221Bの住居(地図の1)で共同生活を始めるところから始まります。

ロンドンに到着後、ワトソンはしばらくの間、ストランド街にあるプライベート・ホテルで暮らしていましたが、ホテルを引き払って金のかからない質素な住居に住もうと決心しました。まさにその日、彼はピカデリー・サーカスにある「クライテリオン・バー」(Criterion Bar)(地図の2)に立っていました。すると、うしろから旧知のスタンフォード青年が声をかけてきました。私は再会を喜び、ホルボーン(Holborn)(地図の6)で一緒に昼食をとりました。会話の中で、ワトソンが「いま下宿を探してるんだ」というと、スタンフォードは、「不思議ですね、別の人が同じことを言っていました」と言います。「その人は、家賃が高すぎるので、一緒に部屋をシェアしてくれる人がいないんで困っている」というのです。ワトソンはすぐにその話に飛びつきます。その相手こそ、シャーロック・ホームズだったのです。

ベイカー街の住居でホームズとワトソンが共同生活をすることになった場面は、すでに「予告編」で紹介した通りです。

シャーロック・ホームズの職業

最初、ホームズのことを友人もいない変人かと怪しんでいたワトソンでしたが、やがてさまざまな種類の人々がベイカー街のホームズを訪ねて来るようになり、ようやく彼の職業が分かってきたのでした。

Presently, however, I found that he had many acquaintances, and those in the most different classes of society. There was one little sallow rat-faced, dark-eyed fellow who was introduced to me as Mr. Lestrade, and who came three or four times in a single week. One morning a young girl called, fashionably dressed, and stayed for half an hour or more. The same afternoon brought a grey-headed, seedy visitor, looking like a Jew pedlar, who appeared to me to be much excited, and who was closely followed by a slip-shod elderly woman. On another occasion an old white-haired gentleman had an interview with my companion; and on another a railway porter in his velveteen uniform. When any of these nondescript individuals put in an appearance, Sherlock Holmes used to beg for the use of the sitting-room, and I would retire to my bed-room. He always apologised to me for putting me to this inconvenience. "I have to use this room as a place of business," he said, "and these people are my clients." Again I had an opportunity of asking him a point blank question, and again my delicacy prevented me from forcing another man to confide in me. I imagined at the time that he had some strong reason for not alluding to it, but he soon dispelled the idea by coming round to the subject of his own accord.
(from "A Study in Scarlet"

単語と意味:

sallowseedypedlar(=peddler)slip-shodpoint blankconfide in ...allude to ...dispel
(顔色が)青白い、土気色した
みすぼらしい、見苦しいなりの
行商人
(人、服装などが)だらしない、ぞんざいな
率直に、単刀直入に
(人)に秘密を打ち明ける
...をそれとなく言う、暗にほのめかす
...を追い散らす、(心配など)を一掃する

けれども、今では彼は多くの知り合いがおり、しかも社会の異なる階級の人々と知り合いであることがわかった。その中の一人は、背が低く、青白くネズミのような顔と黒い目をしていたが、私に対してはレストレード氏と紹介されていた。彼は週3,4回もやってきた。ある朝、おしゃれな服装をした若い女性が訪れ、30分以上も話し込むこともあった。同じ日の午後、みすぼらしい格好をした白髪の訪問者があったが、彼はユダヤ人の行商人のようにみえ、興奮しているように見えた。その直後には、だらしない格好をした年配の女性がやってきた。またあるときには、白髪の紳士が面会に来た。また、ビロードの制服を着た鉄道員が訪れることもあった。こうした得体の知れない人々が現れるたびに、シャーロック・ホームズは居間を使わせてほしいと頼むので、私は自分の寝室に引っ込むのだった。彼はいつも私に、迷惑をかけて済まないと詫びた。「僕はこの部屋を仕事で使わなくちゃならないんでね。」と彼は言った。「それに、これらの人たちは僕のお客さんなんだ。」再び、私は彼に単刀直入に質問する機会を得たのだが、他の人に無理強いして秘密を打ち明かせることへの遠慮から、その機会を失ってしまった。私はそのとき、彼はなにか深いわけがあって仕事のことをほのめかすことができないのだろうと思ったが、やがて彼のほうからその件について触れることになり、そうした懸念は払拭されたのである。

(ベイカー街のホームズ事務所には、さまざまな人々が訪れてきた。
Illustration by George Hutchinson.)

(『緋色の研究』の舞台となった場所)

ついに、ワトソンはシャーロック・ホームズ自身の口から職業の詳細を知ることになります。

"Yes, I have a turn both for observation and for deduction. The theories which I have expressed there, and which appear to you to be so chimerical are really extremely practical-so practical that I depend upon them for my bread and cheese." "And how?" I asked involuntarily. "Well, I have a trade of my own. I suppose I am the only one in the world. I'm a consulting detective, if you can understand what that is. Here in London we have lots of Government detectives and lots of private ones. When these fellows are at fault they come to me, and I manage to put them on the right scent. They lay all the evidence before me, and I am generally able, by the help of my knowledge of the history of crime, to set them straight. There is a strong family resemblance about misdeeds, and if you have all the details of a thousand at your finger ends, it is odd if you can't unravel the thousand and first. Lestrade is a well-known detective. He got himself into a fog recently over a forgery case, and that was what brought him here."
(from "A Study in Scarlet")

単語と意味:

turnchimericalinvoluntarilymisdeedunravelforgery
素質、才能
想像上の、奇想天外な、空想にふける
思わず
悪口、悪事、犯罪
(難問などを)解明する
偽造

「そうだ。ぼくには観察と推理の才能があるんだよ。その新聞記事で開陳した理論は、君には机上の空論にしか見えないかもしれないが、実際にはとても実用的なものなんだ。ぼくはそのおかげで生計を立てているくらいだからね。」
「で、どうやって?」と私は思わず訊いた。
「実はね、ぼくはある仕事をしているんだ。たぶん世界でぼくだけだと思うんだが。ちょっと分かりにくかもしれないが、諮問探偵というやつなんだ。ここロンドンにはたくさんの公立の探偵や民間の探偵がいるよね。こうした連中は捜査に行き詰まるとぼくのところにやって来るのさ。そして、ぼくが彼らに正しい方向を示してやるんだ。彼らはあらゆる証拠を並べてくれるから、ぼくは犯罪史に関するすべての知識を動員して、たいてい正しく解決してやれるんだ。犯罪ってやつには十中八九どこかに類似性があるんだよ。レスタードというのは有名な刑事だ。彼は最近、不可解な事件を担当したんだが、捜査に行き詰まって、ここに来たというわけなんだ。」

このあと、いよいよホームズとワトソンを巻き込んでの事件の捜査が始まります。

ローリストン・ガーデンズでの事件発生

事件は、テムズ川南東のローリストン・ガーデンズ(地図の)で起きました。第一報を伝えるメッセージが、スコットランド・ヤードのグレグソン警部からもたらされます。

MY DEAR MR. SHERLOCK HOLMES,
There has been a bad business during the night at 3, Lauriston Gardens, off the Brixton Road. Our man on the beat saw a light there about two in the morning, and as the house was an empty one, suspected that something was amiss. He found the door open, and in the front room, which is bare of furniture, discovered the body of a gentleman, well dressed, and having cards in his pocket bearing the name of 'Enoch J. Drebber, Cleveland, Ohio, U.S.A.' There had been no robbery, nor is there any evidence as to how the man met his death. There are marks of blood in the room, but there is no wound upon his person. We are at a loss as to how he came into the empty house; indeed, the whole affair is a puzzler. If you can come round to the house any time before twelve, you will find me there. I have left everything in statu quo until I hear from you. If you are unable to come I shall give you fuller details, and would esteem it a great kindness if you would favour me with your opinion.
Yours faithfully,

TOBIAS GREGSON."

単語と意味:

on the beatamiss
巡回中の
具合の悪い、まずい
日本語訳:

親愛なるシャーロック・ホームズ殿
昨夜、ブリクストン通りのはずれにあるローリストン・ガーデンズ3番地で凶悪事件が発生しました。午前2時頃、巡回中の警官が空き家に明かりが灯っているのを見つけ、何か不具合なことが起こっているのではないかと不審に思いました。調べたところ、扉が開いており、家具一つない正面の部屋の中できちんとした服装をした紳士の死体を発見したのです。この男のポケットから、「アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド市 イーノック J. ドレッバー(Enoch J. Drebber )と書いた名刺が見つかりました。盗難に遭った形跡はなく、この男の死因に関するなんらの証拠も見つかりませんでした。部屋には血痕がありましたが、男の体にはなんらの外傷もありません。彼がどのようにしてこの空き家に入り込んだのかまったく見当がつきません。事件のすべては謎に包まれています。もし貴殿が12時前にこの家においで下されば、小生がお迎えいたします。貴殿からご返事をいただくまでの間、現場はそのままにしておきます。もしご都合が悪い場合は、のちほど詳細をお伝えいたします。この件に関し、ご意見を賜れば幸いです。
敬具

トバイアス・グレグスン

この手紙を読み終えると、ホームズはワトソンを誘って、辻馬車で事件現場に向かいました。死体は、43、4歳の、肩幅の広い中肉中背の男でした。硬直した顔には恐怖の表情が浮かんでいました。死体を担ぎ上げたとき、女性ものの指輪が床に落ちました。また、所持品の中に、ジョゼフ・スタンガスン宛ての手紙が見つかりました。そのとき、レストレード刑事が壁に血で書かれた文字を発見しました。そこには、"RACHE"という文字が書かれていたのです。レストレード刑事は「RACHEL」という女の名前のことだと解釈しましたが、ホームズは、ドイツ語の"Rache"つまり「復讐」の意味だと喝破します。そして、二人の警部に向かって、「これは他殺で、犯人は男、身長6フィート以上の長身、被害者と一緒に辻馬車でやってきた。そして、殺害方法は毒殺だ」、と断定しました。ホームズの推理はすべて当たっていました。

(ローリストン・ガーデンズの殺人現場で死体を検分するホームズ
Illustration by George Hutchinson

第二の殺人事件発生

その後、グレグスン警部がホームズの事務所にやってきて、犯人を捕らえたことを報告しました。それによると、犯人はシャルパンティエという海軍中尉だったというのです。グレグスンは被害者のドレッバー氏の住所をつきとめ、その下宿先の女主人のシャルパンティエ夫人に事情を聞いたところ、ドレッバーは娘と駆け落ちをしようと無理矢理連れ出そうとしたが、そこに息子のアーサーが入ってきて、ドレッバーに棍棒で殴りかかり、逃げるドレッバーを追いかけて行ったというのです。グレグスン警部は、これをもとにシャルパンティエ青年を逮捕したのでした。

ところが、この話をしている途中で、レストレード警部が現れ、「ドレッバーの秘書のスタンガスン氏がけさ6時に、ハリデイ・プライベート・ホテルで殺された」という情報を伝えたのです。レストレード警部は、ユーストン駅近くのホテルをしらみつぶしに調べた結果、スタンガスンの泊まっているハリデイ・プライベート・ホテル(地図の)を見つけたのでした。そして、第二の殺害現場を発見します。

I spent the whole of yesterday evening in making enquiries entirely without avail. This morning I began very early, and at eight o'clock I reached Halliday's Private Hotel, in Little George Street. On my enquiry as to whether a Mr. Stangerson was living there, they at once answered me in the affirmative. "'No doubt you are the gentleman whom he was expecting,' they said. 'He has been waiting for a gentleman for two days.' "'Where is he now?' I asked. "'He is upstairs in bed. He wished to be called at nine.' "'I will go up and see him at once,' I said. "It seemed to me that my sudden appearance might shake his nerves and lead him to say something unguarded. The Boots volunteered to show me the room: it was on the second floor, and there was a small corridor leading up to it. The Boots pointed out the door to me, and was about to go downstairs again when I saw something that made me feel sickish, in spite of my twenty years' experience. From under the door there curled a little red ribbon of blood, which had meandered across the passage and formed a little pool along the skirting at the other side. I gave a cry, which brought the Boots back. He nearly fainted when he saw it. The door was locked on the inside, but we put our shoulders to it, and knocked it in. The window of the room was open, and beside the window, all huddled up, lay the body of a man in his nightdress. He was quite dead, and had been for some time, for his limbs were rigid and cold. When we turned him over, the Boots recognised him at once as being the same gentleman who had engaged the room under the name of Joseph Stangerson. The cause of death was a deep stab in the left side, which must have penetrated the heart. And now comes the strangest part of the affair. What do you suppose was above the murdered man?"
I felt a creeping of the flesh, and a presentiment of coming horror, even before Sherlock Holmes answered. "The word Rache, written in letters of blood," he said. "That was it," said Lestrade, in an awe-struck voice; and we were all silent for a while.

単語と意味:

without availbootssickishcurlmeanderskirtinghuddlestab
無益に、甲斐なく
(ホテルの)靴磨き
気分が悪い
曲がりくねる
曲がりくねる
(壁下の)幅木
(恐怖で)体を丸める
刺し傷
日本語訳:

「私はゆうべ一杯かかって探し回ったのですが、無駄骨折りに終わりました。今朝ははやくから捜索を再開しましたが、8時にリトル・ジョージ街のハリデイ・プライベート・ホテルにつきました。そこで、「スタンガスン氏は滞在しているか?」との問いに、ホテルの係はうなずいてこう答えました。
「それでは、あの方が待っておいでだったのは、あなたでしたか。」「彼はある紳士を2日も待っていらっしゃいました。」
「彼はいまどこにいるのかね?」と私は尋ねました。
「彼は2階のお部屋でお休みです。9時に起こしてほしいと言っていらっしゃいました。」
「それでは、いますぐ行って、会ってこよう」と私は言いました。
「私の突然の来訪で、きっと彼は神経質になり、不用意な発言をするかもしれないと思われたからです。ホテルの靴磨き係が部屋の案内を買ってでました。スタンガスンの部屋は2階にあり、狭い階段で通じていました。靴磨き係は部屋のドアを指さしました。彼が1階に戻ろうとしたとき、私は20年の刑事経験があったにもかかわらず、思わず気分が悪くなりました。ドアの下から血がとぐろをまいて流れ出していたのです。それは曲がりくねって、廊下の反対側の壁の下に沿って小さな血の池を作っていました。私は叫び声をあげ、それを聞いた靴磨き係が戻ってきました。血の海を見て、彼は気を失いかけました。鍵は内側からかけられていましたが、我々は肩から体当たりしてドアを蹴破りました。窓は開いており、その傍らに寝間着姿の男の死体が横たわっていました。彼の手足は硬直し、冷たくなっていたので、私語数時間は経っていました。死体をひっくり返したとき、靴磨き係は、それがジョゼフ・スタンガスンの名前で部屋をとった男であることを確認しました。死因は、体の左側にある深い刺し傷で、心臓を貫いていたに違いありませんでした。そして、これからが、この事件のいちばん不可解な所です。死体の上に何があったと思いますか?」

私は、シャーロック・ホームズが答える前にもう、血が凍るような恐怖の感情にとらわれていた。

「血で書かれた"Rache"という文字があったのでしょう?」と彼は答えた。

「その通りです」とレスタードは感嘆のまなざしで言った。私たちは皆、しばらくの間沈黙した。

事件はますます謎を深めていくかに思われました。しかし、死体のそばに丸薬が2錠見つかったとき、ホームズは、「最後の環が見つかった!!これで事件は解決だ」と叫んで小躍りします。このあと、ホームズは少年を使ってある御者を呼び出し、この男こそは真犯人だと告げるのでした。

『緋色の研究』第二部は、犯人が2人の男を殺害するに至った背景を、アメリカ開拓史にまでさかのぼって解き明かします。この部分は、独立した歴史小説としても興味深く読むことができます。

(『緋色の研究』 終わり)

緋色の研究の舞台

四つの署名  The Sign of the Four

『四つの署名』出版までの経緯

『四つの署名』 (The Sign of the Four)は、アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズ第2作です。ドイルが生涯に書いた「ホームズ」シリーズの長編4作のうちの1作でもあります。出版年は、1890年。アメリカの月刊誌 Lippincott's Monthly Magazineの編集者 M. Stoddart氏の依頼を受けて執筆し、同誌の1890年2月号に掲載されました。ストーリーのスケールの大きさは、『緋色の研究』(A Study in Scarlet)に匹敵するものです。

この小説の執筆の経緯は、ドイルの自伝『わが思い出と冒険』("Memories and Adventures")に詳しく記されています。ただし、この本の邦訳には、うっかりミスなのか、肝心の部分に誤訳が含まれていますので、ここで該当箇所の原文と邦訳、そして修正した拙訳を併記しておきたいと思います。

Now for the second time I was in London on literary business. Stoddart, the American, proved to be an excellent fellow, and had two others to dinner. They were Gill, a very entertaining Irish M.P., and Oscar Wilde, who was already famous as the champion of aestheticism. It was indeed a golden evening for me. Wilde to my surprise had read "Micah Clarke "and was enthusiastic about it, so that I did not feel a complete outsider. His conversation left an indelible impression upon my mind. He towered above us all, and yet had the art of seeming to be interested in all that we could say. He had delicacy of feeling and tact, for the monologue man, however, clever, can never be a gentleman at heart. He took as well as gave, but what he gave was unique. He had a curious precision of statement, a delicate flavour of humour, and a trick of small gestures to illustrate his meaning, which were peculiar to himself. The effect cannot be reproduced, but I remember how in discussing the wars of the future he said: "A chemist on each side will approach the frontier with a bottle " - his upraised hand and precise face conjuring up a vivid and grotesque picture. His anecdotes, too, were happy and curious. We were discussing the cynical maxim that the good fortune of our friends made us discontented. "The devil," said Wilde, "was once crossing the Libyan Desert, and he came upon a spot where a number of small fiends were tormenting a holy hermit. The sainted man easily shook off their evil suggestions. The devil watched their failure and then he stepped forward to give them a lesson. What you do is too crude,' said he. 'Permit me for one moment.' With that he whispered to the holy man, 'Your brother has just been made Bishop of Alexandria.' A scowl of malignant jealousy at once clouded the serene face of the hermit. 'That,' said the devil to his imps, 'is the sort of thing which I should recommend '."

The result of the evening was that both Wilde and I promised to write books for "Lippincott's Magazine " - Wilde's contribution was "The Picture of Dorian Grey," a book which is surely upon a high moral plane, while I wrote "The Sign of Four," in which Holmes made his second appearance.
(from Sir Arthur Conan Doyle, "Memories and Adventures", 1924 )

出典:AMAZON Kindle Edition. published by Delphi Classics, 2017
https://www.amazon.co.jp/Memories-Adventures-Arthur-Illustrated-Delphi-ebook/dp/B074KLLCHS/ref=sr_1_5?s=english-books&ie=UTF8&qid=1515677616&sr=1-5&keywords=conan+doyle+memories+and+adventures

邦訳の該当箇所(ママ):

  さてつぎは文学の用事で二度目にロンドンへ出たときの話だ。アメリカ人ストッダートはりっぱな男だったが、ほかに二人が同席した。一人はギルという愉快な代議士で、あとはオスカー・ワイルド(世紀末を代表する小説家、サロメの作あり、一八五六―一九〇〇――訳者)で、これは唯美主義者のチャンピオンとしてすでに名をなしていた。私にとっては金色の夜であった。驚いたことにワイルドは「マイカ・クラーク」を読んでいて、ひどく熱をあげていたから、私は知らぬ人の前へ出たような気はしなかった。彼は私たちよりも群をぬいているだけだが、それでもこっちのいうことには面白がってみせる術を心得ていた。感じかたや如才なさにこまやかさがあったが、一人芝居の男は心から紳士ではあり得ない。彼は与えもした代りに、与えるものは独特であった。話しかたには妙に正確さがあり、こまやかなユーモアをもち、話を分からさせるために独特の小さな身振りを加えた。あれを再現するのは不可能だが、将来の戦争がどうなるかを論じあったときのことを 覚えている、「両方から化学者がびんを持って接近してゆく。」―― ここで片手をあげて、まじめくさった顔に気味のわるい色を浮かべてみせた。

その晩の結果はワイルドも私も「リピンコット」誌に小説を書く約束のできたことだった。それで書いたのがワイルドの「ドリアン・グレーの肖像」で、これは高い倫理的水準にあるものだった。私の書いたのはホームズの第二作「緋色の研究」だった。
(延原謙訳『わが思い出と冒険』より)

出典: AMAZON Kindle Edition. published by 新潮社, 2016
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%A8%E5%86%92%E9%99%BA%E2%80%95%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%AB%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%AB-ebook/dp/B01GJGM83U/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1515678017&sr=1-1&keywords=%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%A8%E5%86%92%E9%99%BA

修正した拙訳:

 さて、文学の用件で二度目にロンドンにいたときのこと。アメリカ人のストッダートは、優秀な仲間だと後で分かったのだが、ディナーに他の2人を連れてきた。一人はアイルランド出身の愉快な国会議員のギル、もう一人は耽美主義の旗手として既に有名だったオスカー・ワイルドだった。それは私にとってまさに黄金の一夜だった。ワイルドは、驚いたことに「マイカ・クラーク」(訳注:コナン・ドイルが1889年に刊行した歴史小説)を読んでおり、それに夢中になっていたので、私は自分が完全な部外者だという気はしなかった。彼の会話は私の心に忘れられない印象を残した。彼はわれわれのうち誰よりも抜きん出ていたが、それでもわれわれの言うことに関心をもっているように見せかける術を心得ていた。彼は感情の細やかさと如才なさを備えていた。けれども、この長談義する男にとっては、賢いということは心からの紳士とは決していえなかった。彼は相手に与えると同時に自分も得たが、彼が与えたものはユニークなものだった。彼の述べることには妙な正確さがあり、繊細なユーモアのセンスがあり、伝えたい意味を示すための小さな仕草のトリックがあったが、それらは彼一流のものだった。その効果を再現することは不可能だが、私たちが将来の戦争について議論していたときに彼がこう言ったのを覚えている。「両陣営の化学者がビンを持って戦線に近づいていくだろう」。そのとき彼が持ち上げた手と正確な顔つきは鮮烈でグロテスクな映像を浮き立たせてみせたのである。彼の語る逸話も楽しくて独特のものだった。われわれは「友人の幸運は私たちを不満にさせる」という皮肉な格言について話し合っていた。ワイルドは言った。「悪魔がかつてリビア砂漠を横断していた。そして彼はたくさんの小悪魔たちが聖なる隠遁者を苦しめている場所まで来た。聖者は悪魔のささやきを簡単に振り払った。悪魔は彼らの失敗を見て、次のような教訓を与えた「おまえ達のやっていることは粗雑すぎる。俺にちょっとの間やらせてみろ」。そして、悪魔は聖者にささやいた。「あなたの兄弟は、いましがたアレクサンドリアの司祭に任命されたぞ」。すると、たちまち隠遁者は嫉妬心で顔を曇らせた。」悪魔は、小悪魔たちに言った。「これこそ、俺が薦めるものだ」。

その夜の成果は、ワイルドも私も「リピンコット」誌に本を書くことを約束したということだった。ワイルドのなした貢献は、間違いなく高い道徳レベルにある「ドリアン・グレイの肖像」を書いたことだった。そして、私はといえば、ホームズが二番目に登場する「四つの署名」を書いたのである。

ランガム・ホテルでの会食が行われたのは、1889年8月30日でした。当時、アメリカではイギリス文学が流行しており、「リピンコット」誌の編集者は、コナン・ドイルの『緋色の研究』を読み、ドイルにぜひ同誌のために小説を書いてもらいたいと思ったのです。たまたま、この会食には高名なオスカー・ワイルド氏も出席しており、雑誌寄稿の約束も取り付けたこともあり、ドイルにとっては忘れられない「黄金の一夜」になったというわけです。

(125周年式典でランガム・ホテルに飾られた会食記念プレート)

1865年当時のLangham Hotel
(Wikipediaより)

なお、ランガム・ホテル(地図の1)は、『四つの署名』の中で、ホームズの依頼人ミス・モースタンの父親が投宿し、その後行方不明になったとされるホテルです(その後、死亡が判明)。ランガム・ホテルは1865年に建てられ、当時もっとも近代的な豪華ホテルでした。ダイアナ妃やチャーチル首相が泊まるなど、華やかな歴史に彩られています。第二次世界大戦で爆撃によって被害を受け、閉鎖を余儀なくされます。戦後、BBCがこのホテルを買収しましたが、その後ヒルトン・ホテルが買収し、1991年にLangham Hiltonとして再オープンします。さらに、1995年には、香港を拠点とするGreat Eagle Holgingsが買収し、大がかりな修繕を施して、かつての豪華ホテルの姿をよみがえらせました。現在では、ロンドン屈指の五つ星ホテルとして君臨しています。

(『四つの署名』の舞台となった場所)

事件の発端

シャーロック・ホームズがベイカー街221Bのオフィスで暇を持て余していたとき、メアリ・モースタンと名乗る品の良い女性がホームズを訪ねてきました。赴任先のインドから帰国してランガム・ホテルに泊まっているはずの父親(モーンスタン大尉)が行方不明だというのです。父の友人で、一足先にインドから帰国したショルトー大佐にも連絡したが、父の帰国さえ知らなかったということでした。

そして、けさこんな手紙が届いたというのです。ホームズはそれを受け取って読んでみました。

"Thank you," said Holmes. "The envelope too, please. Postmark, London, S.W. Date, July 7. Hum! Man's thumb-mark on corner,-probably postman. Best quality paper. Envelopes at sixpence a packet. Particular man in his stationery. No address.
'Be at the third pillar from the left outside the Lyceum Theatre tonight at seven o'clock. If you are distrustful, bring two friends. You are a wronged woman, and shall have justice. Do not bring police. If you do, all will be in vain.-Your unknown friend.'
"Well, really, this is a very pretty little mystery. What do you intend to do, Miss Morstan?"
"That is exactly what I want to ask you."
"Then we shall most certainly go. You and I and-yes, why, Dr. Watson is the very man. Your correspondent says two friends. He and I have worked together before."
(from "The Sign of the Four")

単語と意味:

wronged
不当な扱いを受けた

日本語訳:

「ありがとうございます。」とホームズは言った。「封筒も見せて下さい。消印はロンドンS.W.で日付は7月7日か。ふむ!角に男の親指の指紋があるが、たぶん郵便配達員のだろう。最上質の紙が使われている。封筒は1箱6ペンスのものだ。文房具に凝っている男だな。差出人住所なし。本文の内容は次の通り。
今夜7時に、ライシアム劇場の外にある左から3番目の柱においでください。ご心配なようでしたら、お友達を二人お連れ下さい。あなたは不当な扱いを受けていらっしゃるご婦人ですので、埋め合わせをさせていただきます。ただし、警察官を連れてこないで下さい。もし連れてきた場合、すべてが無駄に終わるでしょう。
あなたの未知の友より。

「さて、これは本当に小さな謎ですな。ミス・モースタン、どうなさるおつもりですか?」
「それをちょうどおたずねしたいと思っておりましたの。」
「それではわれわれはもちろんご一緒しますよ。あなたと私と、そうだ、ワトソン博士がまさに適任だ。あなた宛ての手紙の主は、二人の友人と言っている。ワトソン君と私は以前にも一緒に仕事をしたことがあるんですよ。」

ミス・モーストンは、父の机の中から見つけたものだといって、一枚の紙をホームズに見せました。

Holmes unfolded the paper carefully and smoothed it out upon his knee. He then very methodically examined it all over with his double lens. "It is paper of native Indian manufacture," he remarked. "It has at some time been pinned to a board. The diagram upon it appears to be a plan of part of a large building with numerous halls, corridors, and passages. At one point is a small cross done in red ink, and above it is '3.37 from left,' in faded pencil-writing. In the left-hand corner is a curious hieroglyphic like four crosses in a line with their arms touching. Beside it is written, in very rough and coarse characters, 'The sign of the four,-Jonathan Small, Mahomet Singh, Abdullah Khan, Dost Akbar.' No, I confess that I do not see how this bears upon the matter. Yet it is evidently a document of importance. It has been kept carefully in a pocket-book; for the one side is as clean as the other."

単語と意味:

methodicallyhieroglyphiccoarsebear upon  (on) ...
整然と、きちょうめんに
象形文字風の、絵文字の
(態度、言葉などが)粗野な、粗雑な
...に関係する
日本語訳:

ホームズは注意深くその紙を広げて、膝の上でしわを伸ばした。それから、二倍の拡大鏡を使って隅々まで調べた。「これはインドの地元の工場で作られた紙だ」とホームズは説明した。「これはしばらくの間、ボードにピンで留められていたな。紙に書かれた図面は大きな建物の見取り図で、無数のホールや廊下や通路が描かれている。その一箇所に赤いインクで小さな十字がしるされている。その上には『左から3.37』と薄い鉛筆で書いてある。左端には、奇妙な象形文字風の4つの十字が横一線に並んでいる。その脇に、非常に荒っぽくて粗雑な文字で、「四つの署名--ジョナサン・スモール、マホメット・シング、アブドゥラ・カーン、ドスト・アクバル」と書かれている。いやどうも、僕にはこれが事件とどう関係しているのか分からないな。しかし、これは明らかに重要な書類だ。表も裏もきれいであるところをみると、大切に財布に保管してあったのだろう。」

ポンディシェリ荘の惨劇

3人がライシアム劇場 (Lyceum Theatre)に着き、3番目の待ち合わせ場所に着くか着かないかのうちに、小柄な浅黒い顔の男が話しかけてきました。ホームズとワトソンが警察の者ではないことを確かめると、男は3人を四輪馬車に乗せて、霧のロンドンの街をフルスピードで走って行きました。着いた先は、テムズ川を渡った南ロンドン地区で、二階建ての住宅でした。ショルトー少佐の次男、サディアス・ショルトーが一行を出迎えました。ホームズの説明を手がかりに、ライシアム劇場からショルトー宅までの走行ルートを地図にプロットしてみました。だいたい、次の通りだったと推定されます。

なお、この地図を作成した後、Thomas Wheeler氏がより詳細な走行ルートの地図を作成していることを知り、Wheeler氏の記述を参考に、走行ルートを修正しました。世の中には、同じことを考えている人がいるものだと感心しました。
Link: MAP TO THADDEUS SHOLTO'S HOUSE

(ホームズらが馬車でショルトー宅まで連れて行かれた推定の走行ルート)

サディアスは、ミス・モースタンの行方不明の父の友人だったショルトー少佐の次男でした。彼は父親のショルター少佐がモースタン大尉と、インドで得た莫大な財宝の分け前をめぐって口論になり、そのはずみでモースタンが亡くなってしまったという事実を話しました。そして、ショルトーが死の間際にサディアスと兄のバーソロミューに、財宝の一部をミス・モースタンに分け与えるよう言い残したことを語りました。財宝は、その後、自宅の屋根裏部屋に隠してあるのが発見されました。

サディアス・ショルターは、南ロンドンの自宅(地図の3)を出て、父の財宝が隠されているアッパー・ノーウッドの「ポンディシェリ荘」(地図の4)まで3人を案内しました。しかし、ポンディシェリ荘で彼らが発見したのは、無残に殺害されたバーソロミューの死体でした。死体には毒矢がささっていました。そして、財宝を入れた箱は消えていました。ホームズは、現場を検証した結果、犯人は義足の男であることを突き止めます。また、犯人が屋根裏部屋でクレオソート液に足を突っ込んだことを知り、猟犬を使って犯人を追うことにしました。

この間、ワトソン博士はミス・モースタンの魅力に強く惹かれ、彼女に対する恋愛感情が募っていくのでした。

犯人の追跡

翌日、ホームズは嗅覚の鋭いトービーという犬に、現場に残されたクレオソートを嗅がせて、逃亡犯人を追いました。トービーは郊外の住宅街を抜けて、ロンドンの都心部へと向かいます。われわれも、トービーの後を追って、このスリリングな追跡劇をWP Google Maps上で再現してみることにしたいと思います。トービーの追跡ルートについては、Thomas B.Wheeler氏が詳細なGoogle Mapを作成していますので、とりあえずこの地図と本文の地名を頼りに追跡ルートをたどってみましょう。

(犬のトービーを使って犯人を追うホームズ)

We had traversed Streatham, Brixton, Camberwell, and now found ourselves in Kennington Lane, having borne away through the side-streets to the east of the Oval. The men whom we pursued seemed to have taken a curiously zigzag road, with the idea probably of escaping observation. They had never kept to the main road if a parallel side-street would serve their turn. At the foot of Kennington Lane they had edged away to the left through Bond Street and Miles Street. Where the latter street turns into Knight's Place, Toby ceased to advance, but began to run backwards and forwards with one ear cocked and the other drooping, the very picture of canine indecision. Then he waddled round in circles, looking up to us from time to time, as if to ask for sympathy in his embarrassment.

単語と意味:

cockdroopcaninewaddle
(耳、鼻を)ぴんと立てる
(だらりと)たれる
犬の(ような)
よたよた歩く
日本語訳:

私たちはストレタム、ブリクストン、カンバーウェルを通過し、いまやケニントン・レイン脇道を通ってオーヴァル競技場の東側に出た。私たちが追跡している男たちはたぶん見つからないように奇妙なジグザグの道を通っているように思われた。もし平行に走っている通りがあれば、決して表通りを行かなかった。彼らは、ケニントン・レインのはずれで左折し、ボンド街とマイルズ街を抜けて行った。マイルズ街がナイト・プレイスと合流する地点で、トビーは前進をやめ、片方の耳をぴんと立て、もう片方は垂らして、そこを行った来たりした。まさに決断できない犬という格好だった。トビーは困惑から同情を求めるかのように、ときどき私たちを見上げるのだった。

そのあと、トビーは再び元気よく尾行を開始したものの、行き着いた先は、材木置き場にあるクレオソートトのへばりついた樽でした。そこで、ホームズらは、迷ったもとの場所に引き返し、別の方向への追跡を再開しました。そして、最終地のテムズ川のほとりに着きました。

It tended down towards the river-side, running through Belmont Place and Prince's Street. At the end of Broad Street it ran right down to the water's edge, where there was a small wooden wharf. Toby led us to the very edge of this, and there stood whining, looking out on the dark current beyond. "We are out of luck," said Holmes. "They have taken to a boat here."

日本語訳:

道はベルモント・プレイスとプリンス街を抜けて、川岸の方へ下っていた。ブロード街の端で、道はまっすぐ水際まで下がっていた。そこには小さな船着き場があった。トビーは私たちを船着き場の先端まで導いて行き、そこに立ってくんくん嗅ぎながら、前方の暗いテームズ川の流れを見つめた。「われわれは運から見放されたな」とホームズは行った。「奴らはここからボートに乗ったんだ」

(トビーの追跡ルート)

上の地図は、『四つの署名』本文中の地名とThomas Wheeler氏作成の地図をもとに再現しました。

息詰まるテームズ川の追跡劇

ホームズは、追跡している義足の男が「オーロラ号」という船を借りたことを突き止め、街の子供達を使って、オーロラ号の居場所を探させた。一方、自ら年老いた船員に変装して捜索した結果、オーロラ号がジェイコブソン造船所付近から午後8時に出港するという情報を得ました。

ホームズはスコットランド・ヤードのアセルニー・ジョーンズ警部に頼んで、警察の高速蒸気艇を桟橋にまわすよう手配し、それまでの間、ベイカー街の自宅でにぎやかな夕食の宴を開いたのでした。

午後7時、ホームズと警察官は、ウェストミンスター桟橋(地図の6)で高速の蒸気艇に乗り組み、ジェイコブソン造船所の対岸にあるロンドン塔付近(地図の7)で待機しました。やがて、ホームズの手配した見張り役の上げる白いハンカチが見え、オーロラ号が姿をあらわしました。ここから、いよいよ最後のスリリングな追跡劇が始まります。

"Yes, it is your boy," I cried. "I can see him plainly." "And there is the Aurora," exclaimed Holmes, "and going like the devil! Full speed ahead, engineer. Make after that launch with the yellow light. By heaven, I shall never forgive myself if she proves to have the heels of us!" She had slipped unseen through the yard-entrance and passed behind two or three small craft, so that she had fairly got her speed up before we saw her. Now she was flying down the stream, near in to the shore, going at a tremendous rate. Jones looked gravely at her and shook his head. "She is very fast," he said. "I doubt if we shall catch her." "We must catch her!" cried Holmes, between his teeth. "Heap it on, stokers! Make her do all she can! If we burn the boat we must have them!"

単語と意味:

Heapstoker
(物を)積み上げる
火夫、かまたき
日本語訳:

「そうだ、君の雇った少年だ。」と私は叫んだ。「彼がはっきり見える。」 「そしてオーロラ号だ!」とホームズは叫んだ。「ものすごいスピードで行くぞ!機関士、全速力で前進しろ!黄色のライトのついた蒸気艇を追え。絶対に逃してなるものか!」 オーロラ号は船着き場の入口を見えないようにすり抜け、数隻の小さな船のうしろを通過したので、私たちが船を見つけたときにはかなりスピードを上げていた。いまや、船は岸辺近くを下流に向かってものすごい速さで走っていった。ジョーンズは船を見て深刻そうな表情で首を振った。「オーロラ号は実に速いなあ。追いつけるだろうか。」「我々は追いつかなきゃいけないんだ!」とホームズが歯を食いしばって叫んだ。「どんどん石炭をくべろ!たとえ船が燃えようとも、必ず奴らを捕まえるんだ!」

最初は高速のオーロラ号に引き離されかかったこともあったが、グリニッジ付近に来た時、警察の艇はオーロラ号に250ヤードにまで迫った。

At Greenwich we were about three hundred paces behind them. At Blackwall we could not have been more than two hundred and fifty. I have coursed many creatures in many countries during my chequered career, but never did sport give me such a wild thrill as this mad, flying man-hunt down the Thames. Steadily we drew in upon them, yard by yard. In the silence of the night we could hear the panting and clanking of their machinery. The man in the stern still crouched upon the deck, and his arms were moving as though he were busy, while every now and then he would look up and measure with a glance the distance which still separated us. Nearer we came and nearer.

単語と意味:

chequered (checkered)coursepantingclankingsterncrouch
色とりどりの、起伏に富んだ、波瀾万丈の
(ウサギなど)を猟犬に追わせて狩る
エンジンの振動
擬音(ガチャッ、カチン、ガチャン)
船尾
うずくまる
日本語訳:

グリニッジでは、オーロラ号まで約300ヤードの位置にあった。ブラックウォールでは250ヤードにまで迫った。私はこれまでの波瀾万丈の人生においてさまざまな動物を狩ったことがあるが、このテームズ川でのスピード感あふれる気狂いじみた人狩りのスポーツほど野性的なスリルを味わったことはない。私たちは彼らを着実に追い詰めていった。夜のしじまの中で、オーロラ号のエンジンがガタガタと鳴るのが聞こえた。船尾にいる男はまだデッキにうずくまっており、忙しそうに腕を動かし、ときどき顔を上げて私たちとの距離を目測していた。私たちの船は刻々と接近していった。

船が一挺身以内にまで迫ったとき、小男が短い筒を取り出して口にくわえました。毒矢だった。それを見てホームズらはいっせいに拳銃を発射し、間一髪で小男を倒しました。男は川に落ちました。そのとき、義足の男が舵を引き、オーロラ号は浅瀬の沼地に乗り上げて止まりました。男は船から飛び降りましたが、沼にはまってしまい、ホームズらが縄で引っ張って捕らえました。こうして、テームズ川の追跡劇は幕を閉じたのでした。

(「オーロラ号」を降りて逃げようとするジョナサン・スモールを捕らえるホームズ)

警察の快速艇と、これに劣らぬ快速「オーロラ号」の間の息詰まる攻防戦は、ロンドン塔(地図の7)から始まって、グリニッジ(地図の8)の先にある湿地帯(9)まで、テームズ川を蛇行しながら延々と続きました。その航跡をWP Google Mapで表示してみました。この地図は、『四つの署名』本文と、Thomas Wheeler氏による地図をもとに作成しました。

(警察の快速艇による「オーロラ号」の追跡ルート)

捕まったジョナサン・スモールは、犯行に至るまでの経緯をゆっくりと物語ったのでした。また、ワトソン博士は、事件のあとミス・モースタンに愛を告白し、二人は結婚することになりました。

(『四つの署名』おわり)

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