なぜスポーツジムの激しい筋トレに耐えられるのか?
きょうは5日ぶりにスポーツジムに行き、丸1時間みっちりと筋力トレーニングに励んだ。最後の仕上げは、いつものように、お風呂のジャグジーに浸かって体中の疲れを吹き飛ばした。
それにしても、去年までは、東京のスポーツジムにときどき通って、同じような筋トレをしていたのだが、当時は1つのマシンにちょこっとだけ触るだけで、もっぱらランニングマシンと水泳プールでお茶を濁していた。従って、筋力などは到底つくようなレベルではなかった。
ところが、ここ松山では、10台くらいある違った筋トレマシンを、必ずワンラウンドこなし、しかも、それぞれのマシンの設定を、成人男子標準よりも2段くらいあげてトレーニングをしているのである。それでも、いっこうに苦痛を感じない。不思議なようだが、これには理由がある。腕につけたApple Watch に、お気に入りの歌やクラシックミュージックを160曲くらいインストールしてあり、ワイヤレスイヤホンとペアリングさせて、筋トレの間中、それらの曲を聴いているからなのだ。お気に入りの曲を聴きながら、筋トレマシンで体を目一杯痛めつけても、どういうわけか苦痛を感じないどころか、一種の快感を覚えるのである。これは一種の音楽療法なのだと思う。例えば、鳥羽一郎の「兄弟船」を聴きながら、重いマシンを思い切りひねるときなど、その力強い歌声に励まされて、思わず「よし!」と叫び、元気をもらったような気がする。
Apple Watchに入れているお気に入りの曲とは?
ところで、私のApple Watchにどんな曲を入れているのか、関心のある方もいらっしゃるかと思うので、ここでご披露しておきたい。クラシック曲でいえば、ショパン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューマン、ラフマニノフなどがはいっているが、これらは筋トレ中には聴かないので、詳細は省く。筋トレ中に聴いているのは、もっぱら日本の歌である。パヴァロッティ、ビートルズ、サイモン&ガーフェンケル、ABBA、Sala Brightmanなど外国人の歌も入っているが、外国の歌手の歌は筋トレ中にはなぜか聴かない。聴くのは、主として1970年代から80年代頃に流行った日本の歌だ。2000年代以降の歌でも、ティーンや20代の若い人の歌はテンポなどがついていけないので、入れていない。今、手元のAppleWatchを開くと、最初から順番にあげていくと、「ある愛の詩」(フランシス・レイ)、「愛と死をみつめて」(青山和子)、「愛のままで」(秋元順子)、「また君に恋してる」(坂本冬美)、「恋に落ちて」(小林明子)、「聖母たちのララバイ」(岩崎宏美)、「シルエット・ロマンス」(大橋純子)、「飛んでイスタンブール」(庄野真代)、「せんせい」(森昌子)、「亜麻色の髪の乙女」(ヴィレッジ・シンガース)、「フランシーヌの場合は」(新谷のり子)、「天使の誘惑」(黛ジュン)、「太陽がくれた季節」(青い三角定規)、「ふれあい」(中村雅俊)、「愛の奇跡」(ヒデとロザンナ)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、「愛の終着駅」(八代亜紀)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「千の風になって」(秋川雅史)、「ランナー」(高橋真梨子)、「時の流れに」(五輪真弓)、「兄弟船」(鳥羽一郎)、「マイ・ウェイ」(布施明)、「五番街のマリーへ」(高橋真梨子)、「千曲川」(五木ひろし)、「山河」(五木ひろし)、「群青」(谷村新司)、「ある日突然」(トワ・エ・モア)、「百万本のバラ」(加藤登紀子)、「川の流れのように」(美空ひばり)、「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)、「やさしさに包まれたなら」(荒井由実)、「瞳はダイアモンド」(松田聖子)、「この街で」(新井満)、「ありがとう」(いきものがかり)、「TSUNAMI」(サザン・オールスターズ)、「春よ、来い」(松任谷由美)、「空港」(テレサ・テン)、「あなた」(小坂明子)、「若草の髪飾り」(チェリッシュ)、「世界に一つだけの花」(SMAP)、「遙かなる夢に」(beyond)、「サライ」(加山雄三&谷村新司)、「からたち日記」(島倉千代子)、「霧の摩周湖」(布施明)、「トイレの神様」(植村花菜)などとなっている。いずれも、私の大のお気に入りの曲ばかりだ。彼らの一番うまかった頃の曲を選んで入れている。例えば、島倉千代子の「からたち日記」は、島倉がデビューしたときの歌が一番いいのだが、iTunesやCDを聴いても、その当時の歌は見つからず、いろいろと探したあげく、YouTubeにあるのを発見したので、それをiTunesに入れて聴いている、という具合だ。だいたいにおいて、いくらうまい歌手でも、本当にいいなと思えるのは、若いデビューした頃の歌であることが少なくない。私の好きな石川さゆりにしても、デビューした19歳頃の歌がいいなと感じる。最近、TSUTAYAで偶然。「石川さゆりアーリーソングス」というアルバムを見つけ、借りて聴いたのだが、デビュー当時の初々しい歌声に、なつかしさもあって聞き惚れてしまった。
高橋真梨子に惚れた私が悪いのか?
Watchに入れている歌の中でいちばん多いのは、高橋真梨子だ。6曲くらいは入っているだろうか。本当は10曲以上でも入れたいところだが、バランス上抑えている。ユーミンの曲がこれに次いで多いだろうか。それだけ、お気に入りの歌手ということだろう。
高橋真梨子の歌といえば、ちょっとした思い出がある。もう今から37年前にもなるが、平塚への調査旅行のドライブで、私が運転し、助手席には宮田加久子さん(故人)が乗っていた。私がカセットテープに入れていた高橋真梨子の曲を流すと、加久子さんは「暗いわねー。こんな曲ばかり聴いてるから、あなたは女性にもてないのよ!」と冗談交じりに言ったのだった。そのときに私が受けたショックは相当大きかったようで、いまでも高橋真梨子の歌を聴くたびにあの日のことを思い出すのだ。そうか、高橋真梨子の歌は暗いのか、もっと明るい歌を好きにならなければいけないのかなあ、と想う私なのであった。
しかし、高橋真梨子の歌は、いまだに大好きだ。幸い、結婚もできたのだから、いまは後ろめたい気持ちもなく聞き続けていられるのが嬉しい。そういえば、上に列挙した歌も、暗い歌が少なくないようだ。だいたい、演歌はそもそも暗い。日本人の暗い、悲しい、切ない心情を歌い上げているからだろう。森進一は私も好きな歌手の一人だが、これほど暗い歌もないだろう。例えば、「さらば友よ」などは本当に暗い歌だが、私はけっこう好きだ。美空ひばりの歌にしても、暗い歌が多い。日本に限らず、イタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンだって、けっこう暗い歌が多いのではないだろうか。そもそも、明るい、暗いで歌の善し悪しを判断すべきではないだろう。私にとっては、スポーツジムの筋トレで、苦痛をいやしてくれる歌こそは、本当にいい歌なのだ。
高橋真梨子 ベストワン「for you ....」
それにしても、最近の歌手で、AppleWatchにぜひ入れたいと思うような曲を歌ってくれる人が少ないのは残念なことだ。ぜひ、新世代の魅力的な歌手がデビューすることを期待したいものだ。
1993年 ニューヨーク、カーネギーホールでの歴史的名演