dシニア

1982年から35年間、東京の私立大学で情報とメディアについて教えてきました。2017年に退職し、家族のいる愛媛県松山市に移り住み、主として中高年層を対象にスマホ、PC、WordPressについて教える傍ら、デジタルライフ、英語上達法、海外旅行に関する複数のブログを運営しています。「ITシニア」(IT Senior)は管理人のことですが、広く「スマホやデジタル製品を使いこなすことによって豊かな生活を実現している中高年層」をイメージした言葉です。

ノートルダム大聖堂、リュクサンブール公園、友人とのランチ、エッフェル塔、シャンゼリゼ大通り

2018/9/4  

お昼前、リュクサンブール公園でしばしヨット遊びに興じた。息子がまだ4歳のときに来たときは、地元の子供達がヨットで遊ぶ様子をただ眺めているだけだったが、今回は、自らヨットを借りて、たくみにヨットを操って夢中になっていた。これはたいした成長だと喜ぶべきなのだろうか?

ロンドンからパリへ移動、ルーヴル美術館見学

2018/9/4  

早朝、ユーロスターに乗車して、パリへと向かった。パリ北駅には定刻の12時47分に到着。そのまま、メトロに乗り換えてホテルのあるサンジェルマンへと向かった。ホテルにチェックインしたあと、さっそくルーヴル美術館の見学に出かけた。

ハリーポッター・スタジオ・ツアー

2018/9/4  

午後は、かねて予約しておいたVertla社主催の「ハリーポッター・スタジオ・ツアー」に参加した。私が楽しいと思ったのは、例のホグワーツ行きの列車の発車する9と4分の3線で自分も壁に入って見たところと、列車に乗車してみたところくらいだろうか。ここでは、童心に戻ることができた。

英語研修終了、市内のバスツアー、大英博物館、「オペラ座の怪人」鑑賞

2018/9/4  

今朝は、子供達2人が2週間にわたる英語研修を終え、ホストファミリー宅と別れを告げることになった。この2週間、家の鍵が閉まっていて外で長時間待たされたり、迷子になったり、飼い猫に引っかかれたりと、いろいろと大変だったけれど、二人で協力し合って、よく頑張ったと思う。おかげで、英語力も格段についたのではないだろうか。

ハンプトン・コート宮殿の日帰り観光

2018/9/4  

きょうは、ロンドンから電車でわずか40分のところにある、別天地のようなハンプトン・コート宮殿を1日かけて見学した。まるでヴェルサイユ宮殿のように美しく、今回のロンドン観光でもっとも強い印象を残した。

セント・ジェームズ公園、「オフィーリア」、「王様と私」観劇

2018/9/4  

The King and I(「王様と私」)は、9月29日までの期間限定公演。Kelli O’HaraとKen Watanabeというドリーム・コンビによる公演は、これで最後かもしれない。舞台が終わったとき、会場総立ちのスタンディング・オベーションに応える渡辺謙の晴れやかな表情は忘れがたいものがある。私も、同じ日本人として誇らしい気持ちで一杯だった。

セント・ポール大聖堂、コートールド美術館、ケンジントン宮殿、レ・ミゼラブル観劇

2018/9/4  

Queen’s Theatreで催された「レ・ミゼラブル」は午後7時に始まり、終わったのは10時20分。劇は見所満載で、すべてのシーンで、それぞれの俳優がパーフェクトな演技と歌唱を見せてくれた。観客は(私を含めて)そのたびに、惜しみない大きな喝采を送った。おかげで、ロンドン滞在中の最高の一夜を過ごすことができた。

子供達とロンドン市内観光

2018/9/4  

今日は、日曜日なので、語学スクールはなく、1日子供達と市内観光で過ごした。ロンドン一おいしいという評判のフィッシュ&チップスのレストランで食事をとり、そのあと、ピカデリーサーカスの本屋さんでおみやげを買い、最後に本日のハイライト、タワーブリッジを見学した。エレベーターで上がったウォークウェイズにはガラス張りの回廊があり、恐怖の体験だった。

ウィンザー城、ストーン・ヘンジ、オクスフォード日帰りツアー

2018/9/3  

この日の最大のハイライトは、世界遺産に指定されている、かの有名な「ストーン・ヘンジ」(Stone Henge)だった。ここには世界中から観光客が押し寄せてくる。ストーンを撮影していると、いろんな国の人からポートレートの撮影を頼まれた。これ幸いと、私も撮影をお願いした。調子に乗って、美女を見かけると、Can I help you?といつてカメラマン役を買って出たりして、とても楽しかった!

テムズ川クルーズ、ロンドン塔、London Walks

2018/9/3  

ロンドン塔は、11世紀、ウィリアム征服王が築いた城塞だ。ここには、ウィリアム一世以降、ジェームズ一世まで、歴代の国王が住んだが、14世紀からは処刑場として使われるようになった。また、トーマス・モアなど多くの著名人がここに投獄された。このような悲劇の歴史を雄弁に語ってくれたのは、赤と黒の上衣をまとった退役軍人、ビーフィーターだ。