「基礎情報学」の中で、西垣通氏は、情報を「生命情報」「社会情報」「機械情報」の三つに分類している。その包含関係は、次のようになっているという。
つまり、もっとも根源にあるのが「生命情報」であり、「社会情報」はこれに含まれ、「機械情報」は「社会情報」の下位集合となっている。それぞれの定義は、次の通り。
「生命情報」は、生命のレベルにおける意味作用として情報を扱うものである。「社会情報」とは、ヒトの社会において多様な伝播メディアを介して流通する情報をさしている。「機械情報」は、意味を捨象した「情報科学」や「情報工学」で対象とする情報のことをいう。
私の感覚では、意味を捨象した「機械情報」は、人文社会情報学の領域においては、研究の対象にはならないのではないかと思う。人文社会情報学においては、コンピュータやインターネットにおいても、研究の対象になりうるのは、記号の意味作用を媒介とする情報であり、コンピュータやインターネットなどのうち、記号的処理を行うことのできる「メディア」ではないだろうか。つまり、その対象については、次のような包含関係が想定される。
現代の社会では、人々が取り扱う多様な社会情報において、「メディア情報」の占める割合がどんどん大きくなっている。それが情報社会の大きな特徴である。現代社会においては、従来のマスメディアに加えて、インターネットという新しいメディアを介した情報流通がますます増大している。われわれの関心対象は、したがって「社会情報」と「メディア情報」のインターフェイスであり、社会情報とメディア情報の相互関連性である。従って、ウェブ上の機械検索された情報が「機械情報」か「社会情報か」といった論争は、あまり意味のないもののように思われる。
西垣氏によれば、「社会情報」というのは、狭義の情報であり、「普通われわれが日常生活で用いる「情報」は基本的にはすべて社会情報に他ならない」という(『続 基礎情報学』p.16)。そして、「社会情報は通常、「記号」とそれがあらわす「意味内容」とがセットとなって成立している」という。これだと、情報=記号だということになる。
これに対し、「機械情報」とは、最狭義の情報であり、それは「意味内容が潜在化した社会情報であり、端的にはコード化された「記号」(能記;記号表現)である」という。それでは、機械情報は、ITなどの「機械」で処理される情報かといえば、そうではない。西垣氏によれば、「最初の本格的情報は文字とともに誕生した」と述べている。そうならば、単に「メディア情報」と言い換えてもよさそうである。文字は、粘土やパピルスなどのメディアに筆記されて、はじめて記録として後世にまで受け継がれることができたのである。
「メディア情報」とは、生命体の外部にある各種のメディアを媒介として表現、伝達、蓄積、処理される情報の総称である。生命体の進化の中で、ヒトのみが外部メディアの情報を自由自在に操ることができる。その意味では、人類は、「ホモメディエンス」と呼ぶのがふさわしい。
情報の進化は、「生命情報」→「社会情報」→「メディア情報」へと進化を遂げてきた。最後の「メディア情報」は、とりわけ進化のもっとも激しい情報領域であり、古代の「文字メディア」に始まり、15世紀の「活版印刷術の発明」によって、「印刷メディア」が登場し、19世紀~20世紀にかけて、「電子メディア」が登場し、20世紀~21世紀にかけて「インターネット」が登場するというように、生命体の億単位での進化にくらべて、きわめて急激に進化を遂げつつある。社会情報とメディア情報のインターフェイスを研究することが、「社会情報学」にとって中心的な位置を占めていることはいうまでもない。西垣氏も、『続 情報学』では、機械情報(私の用語でいえば「メディア」情報)の21世紀における「情報学的転回」として、その重要性を強調されている。それが「機械情報と生命情報の共生」なのか、それとも既存マスメディアや対人コミュニケーションを含めて、社会情報とメディア情報の共生なのか、議論の分かれるところだろう。
その場合、ヒトという生命体システムと「情報環境」あるいは「メディア環境」との間の相互作用という、「ユーザー」の視点になった研究が、人文社会情報学では中心的な位置を占めることになる。その場合には、ヒトとメディアあるいは情報との関係は、次のように図式化される。
われわれは、現実世界の中で、つねに、様々なメディア環境を通じて、さまざまな情報を得たり、伝達したり、処理したりしている。それを通して、独自の「情報環境」(ユクスキュルの用語では「環世界」)を構成しているのである。そうした行為が、コミュニケーションに他ならない。そうしたコミュニケーションの連鎖を通して、社会システムが自己組織的ないし自己言及的に創発し、存続、発展、あるいは衰退してゆくのである。このようなシステムを三項関係で図式化すると、次のようになる。現代社会においては、メディア環境なしに情報環境を作り上げることはできない。われわれの情報環境は、いまや完全に「メディア環境」の一部を構成するに至っているのである。