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私の研究遍歴 −2− 池内先生の「知的代謝論」と私

池内ゼミの思い出

1971年の秋、私は新聞学の大学院を受験した。受験時は指導教官として竹内先生を希望していたにも関わらず、合格したあとは、池内先生が指導教官になってくださることになった。まさに、ミリエル司教の深い思し召しなのだから、これを受け入れない訳にはいかなかったのだ。のちに池内先生から受け取ることになった「銀の燭台」とは何だったのか、それは当時の私には知るよしもなかった。それは、のちに池内先生が発表された「知的代謝論」ではなかったのではないか、と今ではそう思えるのである。今までそれを自分の懐に入れて大切にしまっておいてよかったと思うのである。それについては、後ほど詳しく論ずることにしたい。

池内ゼミの仲間たち

池内先生が私の指導教官になったことで、私は当然のように、池内ゼミのメンバーになった。同期で同じく池内ゼミのメンバーとなったのは、NHK放送文化研究所の研究員だった相田さんと恩田さんだった。翌年には、埼玉大学教養学部出身の水野博介さんが加わり、4人となった。なかでも同じ研究関心をもち、その後も数多くの共同研究をするパートナーとなったのは、水野さんだった。

池内先生の主な専門研究領域は、世論研究と内容分析だったが、ゼミではそういった専門テーマは扱わず、私たちの好きな論文や原書を読むという形式で進められた。私は社会調査の方法を学びたかったので、Social Surveyに関する英語の書籍を読んでレポートすることを選んだ。池内先生は学問的にとても寛容な先生だったと記憶する。というわけで、世論やコンフリクト(紛争理論)や内容分析について、池内ゼミを通じて学ぶという機会は与えられなかった。それでも、池内先生の専門研究テーマであり、論文も多数書いていらっしゃることもあり、それ以来、私も世論やコンフリクトや内容分析の論文を書いたり、実証的研究に携わったり、原書を翻訳するといった研究履歴を残すことになった。

池内先生の書かれた論文は、実に緻密な方法論を展開されていたのが印象的である。それは、のちに執筆された「知的代謝論」にも受け継がれているように思われる。だから、やや難解なのだが、私は難解な論文はどちらかというと苦手なので、一般人のレベルで読解し、自分なりのオリジナルな理論でこれを解釈し、敷衍したいと思っている。

池内先生の思い出は、こうした学問的な研究よりもむしろ、お正月にゼミの仲間達と赤坂にある先生のご自宅に伺って、おせち料理を食べながら、自由闊達に学問のことや趣味のことを論じ合ったことの方が多い。奥さまはまだ若くて、とても温厚な方だったと記憶する。あとから知ったところでは、池内先生は前の奥さまとは離婚され、いまの奥さまは二番目の結婚相手だとのことだった。

何度目の新年会だったかは記憶にないが、宴席の中で、池内先生が参加者一人一人の個人批評をなさったことがある。私については、次のようにおっしゃったことがあり、それが今でも強く記憶に残っている。

「三上君の考え方は、ゾロアスター教のような二元論思想だね。」

「君は将来、文化功労者にはなれないだろうけど、学士院会員にはなれるかもしれないな。」

ここで二元論だというのは、私が前年に提出した修士論文で、「限界効用保存の法則」など、功利主義にもとづく「効用」(一種の情報ニーズ)に関する一般理論を演繹的に展開したことを念頭においての発言だったと記憶する。この論文は一人勝手な演繹的な仮説群をただ羅列的に提示しただけのもので、到底修士論文といえるしろものではなかった。

しかし、「二元論」という指摘は、まさに当を得たもので、なるほどと思い当たった。もう一つの「学士院会員になれるかも」という指摘は、残念ながら当たっていなかったが、それは、将来偉い学者になれよ、という池内先生の暖かい愛の鞭の言葉であると感じ、大いに励まされたものである。

池内先生の遺作「知的代謝試論」について

ちょうどその頃だったと思うが、池内先生にとって最後ともいえる論文「知的代謝試論」が、東大新聞研究所創立25周年記念論文集の巻頭論文 (1974年)として発表された。先生がガンで亡くなるわずか2年前である。まだ54歳で、研究者としては脂ののりきった壮年期であり、これからの活躍が期待される年齢であった。

この論文が刊行されたとき、池内先生はとくにこれについて詳しく説明されることはなかったが、なにか「いまさら、いい年をして」といったような恥しいご様子を見せたと記憶している。なにしろ、手の内を知り尽くしたご専門の領域での研究成果というよりは、新しい未知の研究テーマへの挑戦のような気概が感じられる論文だったからである。後になって思えば、それは私たち若手研究者に贈る遺言のようなものだったような気がする。

案の定、この論文は心理学関係の学会からはほとんど注目を浴びることはなかったように思う。私の知り得る限りで、この論文を高く評価して引用した論文は、木下冨雄さん(京都大学)と池田謙一さん(東京大学)の二人だけだった。お二人とも、個人の脳内での積極的な情報処理のモデルを作られているが、その数少ない先行研究として、池内論文を引用されたようだ。実は、この点が池内論文のもっとも独創的なところでもあるので、後ほど、この点を私なりに敷衍する私論を展開したいと思っている。

引用文献:
池内一 (1974) 『知的代謝試論』東京大学新聞研究所編『コミュニケーション 行動と様式』
木下冨雄 (1978 ) 『コミュニケーション』『実験社会心理学研究』 17 巻 2 号 p. 137-140
池田謙一 (1986) 『情報行動試論』東京大学新聞研究所紀要, PP.55-115

池内先生の「試論」は、知的活動の発達に関するジャン・ピアジェの5段階発達説、とくに象徴的レベルの知的活動(思考)の観察と、神経生理学的知見をもとに思考研究に新たな知見を付け加えたD.O.ヘッブの思考理論を有機的に結びつけ、独自の知的代謝説を構築しようと試みたものだった。ピアジェとヘッブという二人の偉大な心理学者の学説を結びつけるというのは、池内先生の独創的なアイディアだったのではないかと思われる。1974年の時点で二人の学説を結びつけた研究者は、もしかすると内外を通じて初めてではないかと思う。というのは、この時点で、ジャン・ピアジェの発達理論は日本ではあまり知られていなかったであろうし、ヘッブの行動理論も、『行動学入門』1冊だけだったからである。そこで、以下では、池内説のもとになったピアジェとヘッブの心理学理論をわかりやすくレビューし、それらの間の共通点と結節点を再確認することにしたいと思う。池内先生が依拠された2冊に加えて、ピアジェの『思考の心理学』(1964年)と、ヘッブの『行動の機構』(  年)を補完的に参照することにしたい。

ピアジェの発達心理学

池内先生が引用しているピアジェの著作は、次の1冊のみである。

Piaget, J., La psychologie de l'intelligence, 1952. 波多野完治、滝沢武久訳『知能の心理学』みすず書房, 1961年。

この訳書は、現在でも図書館に行けば入手可能である。ただし、出版年は1989年となっている。県立図書館に所蔵されているピアジェの著作のうち、池内先生の論文と関連の深そうなものを拾ってみると、次の6点がヒットした。

『思考の心理学』(1964年)
『ピアジェの発生的心理学』(1982年)
『ピアジェの発生的認識論』(1984年)
『知能の心理学』(1989年)
『ピアジェ思想入門 発生的知の開拓』(2002年)
『ピアジェ入門』(2021年)

池内先生が論文を書かれた頃は、まだピアジェの日本での紹介はまだ進んではいなかったものと思われる。それゆえ、ここではまず、池内先生によるピアジェ発達心理学の理解をまとめた上で、ピアジェのその他の著作と照合してみるという方法をとってみようと思う。これは、1952年に刊行された『知能の心理学』である。邦訳は、波多野完治・滝沢武久訳で1960年に初訳がみすず書房から刊行されている。そして、改訂版が同じ訳者によって刊行されている。池内先生は1976年に亡くなられているから、参照されているのは1952年刊行の初版本だろう。ただ、初版本は現在では手に入らず、改訂版しか読むことが出いないので、この改訂版訳書を手がかりとして、池内先生のピアジェ発達論を再構築してみたいと思う。ただし、ピアジェの発生的認識論の中で、池内先生が言及していない重要な論点は(三上による解釈)として、付記しておきたいと思う。

以下は、池内先生によるピアジェ思考発達論の要約である。

  1. 知的発達の諸段階

ピアジェは児童の知的発達に関する綿密な観察にもとづいて、次のような諸段階を確定した。

(1) 感覚運動的知能の段階
(2) 象徴的思考と前概念的思考の段階(1歳半ないし2歳から4歳)
(3) 直感的思考の段階(4歳から7、8歳)
(4) 具体的操作の段階(7,8歳から11、12歳)
(5) 形式的思考の段階(11、12歳から青年期)

ピアジェにとって、「知能」というのは、幼児から大人に向かって、進化しながら、段階を追って発達する、均衡的な心の働き(均衡的な構造)である(三上による解釈)。

この5段階発達説のモデルが正しいものかどうかは分からないが、市川功『ピアジェ思想入門』(2002年)では、1954年のピアジェ講義録によると下の表のように整理されているという(ピアジェ『子どもの心的発達における情意と知能の関係』付記)。

ピアジェの
一般的発達段階
講義録  知能(構造系)の発達 情意(エネルギー系)の発達 年 齢
感覚運動期 (下位段階)
第Ⅰ段階
第I段階 感覚運動的知能|非社会的 遺伝的装備
反射 / 本能(反射の集合)
個人内感情|主体のどんな活動にもともなう 遺伝的装備
本能的傾向 / 情動
Ⅰヶ月くらい
第2段階

第3段階

第II段階 経験による最初の獲得性反応
最初の習慣 / 分化した知覚
知覚的情意
知覚に結びついた
喜びと苦痛 /
快・不快の感情
8ヶ月くらい
第4段階

第5段階

第6段階

第III段階 感覚運動的知能
言語の獲得
基本的調整(ジャネの意味で)
活性化、抑制、活動終了時での成功感、失敗感
1歳半〜2歳
前操作期 前概念的
思考段階
---------
直感的
思考段階
第IV段階 言語的知能|概念的で社会化されている 前操作的表象
思考への活動の内在化、
だがまだ可逆的にはなっていない
個人間感情|人と人との情意的交換 規範的情意
初歩的社会感情最初の
道徳的感情の出現
6〜7歳
具体的
操作期
第V段階 具体的操作
クラスや関係の基本的操作の獲得、
だが形式化されていない
規範的情意
意志の介入をともなった、自律的道徳感情の出現(正、不正がもはや規則への服従に支配されない)
7〜8歳

 

 

10〜11歳

形式的
操作期
第VI段階 形式的操作
内容から解放された
命題間の形式的操作 /
仮説演繹的思考の形成
イデオロギー的感情
個人間感情が集団的理念を目標とする感情と重なりあう / 平行して人格の形成ー個人は社会生活で役割を定める
11〜12歳

 

14〜15歳

ピアジェ自身によるまとめなので、一番信頼できるだろう。この表では、池内先生が紹介した「5段階発達」モデルではなく、「4段階発達説」となっており、最近におけるピアジェ理解の共通点になっている。そこで、4段階モデルに基づくピアジェ発達論を詳しく、かつ分かりやすく紹介した英語版のWikipediaの中から、ピアジェの発生的認識論(または発達心理学)の部分の要約をここで引用しておきたい。

発生的認識論の登場

1919年、パリのアルフレッド・ビネー研究所学校に勤務していたピアジェは、「異なる年齢の子どもたちが問題を解くときに異なる種類の間違いをすることに興味を抱いた」。アルフレッド・ビネー研究所での彼の経験と観察が、彼の認知発達理論の始まりとなった。(Wikipedia 英語版)

ピアジェは、子どもの発達過程を説明するために、感覚運動段階前操作段階具体的操作段階形式的操作段階4段階を提案した。それぞれの段階は、特定の年齢層を表している。各段階において、彼は子供がどのように認知能力を発達させるかを説明した。例えば、彼は、子どもは行動を通して世界を経験し、言葉で物事を表し、論理的に考え、推論を使用すると信じていた(Wikipedia 英語版)

ピアジェは、認知の発達とは、生物学的な成熟と環境的な経験によってもたらされる精神的なプロセスの漸進的な再編成であると考えた。彼は、子どもは自分の周りの世界の理解を構築し、すでに知っていることと環境の中で発見したことの間に矛盾を経験し、それに応じて自分の考えを調整すると考えた。さらにピアジェは、認知の発達が人間という生物の中心にあり、言語は認知の発達によって獲得された知識と理解に依存していると主張した(Wikipedia 英語版)。

4段階の発達理論

ピアジェは認知の発達を4つの段階に分けて論じている。

第1段階:感覚運動期

I. 単純反射:誕生〜生後1ヶ月

この頃の乳幼児は、根気よく吸ったりするなどの反射を利用する。

II. 最初の習慣と最初の循環反応:生後1ヶ月〜4ヶ月

この時期、乳児は感覚と2種類のスキーマを調整することを学ぶ。最初の循環反応とは、乳児が偶然起こった出来事(例:親指をしゃぶる)を再現しようとすることである。

III. 二次的な円環反応:生後4ヶ月から8ヶ月まで

この時期になると、自分の体以外の物を意識するようになり、より対象志向が強くなる。

IV. 二次循環反応の調整:生後8ヶ月〜12ヶ月まで

この段階では意図的に物事を行うことができるようになる。スキーマを組み合わせたり、組み替えたりして、目標に到達しようとすることができるようになる。(例:棒を使って何かに到達する)。また、物体の永続性を理解し始める。

V. 第三次循環反応、新奇性、好奇心:生後12ヶ月〜18ヶ月まで

この時期、幼児は物の新しい可能性を探求し、さまざまなことを試して、さまざまな結果を得る。

VI. スキーマの内面化

第2段階:前操作段階

子どもが2歳で言葉を覚え始めたときに始まり、7歳まで続く。認知発達の前操作期においては、子どもはまだ具体的な論理を理解しておらず、情報を精神的に操作することができない。子どもたちが遊びをすることが増えるのはこの段階からである。しかし、子どもはまだ、物事をさまざまな視点から見ることは苦手である。子どもの遊びは、主に象徴遊びや象徴を操作する遊びに分類される。

前操作期は、精神操作に関してまばらで論理的に不十分である。この段階の思考は、まだ自己中心的で、他者の視点に立つことが困難である。前操作期は、象徴機能段階直感的思考段階の2つに分けられる。象徴機能段階は、目の前に対象物がなくても、理解し、表現し、記憶し、頭の中に描くことができる段階である。直感的思考段階は、「なぜ?」「どうして」といった疑問を持ちやすい時期である。

第3段階:具体的操作段階 7歳〜11歳まで

この時期になると、会話や論理的思考ができるようになる(可逆性を理解する)が、物理的に操作できることは限られている。自己中心的な考え方はしなくなる。それまで馴染みのなかった「論理」や「保存」を意識するようになる。また、分類能力も飛躍的に向上する。

第4段階:形式的運用段階:11歳〜16歳以降(抽象的推論の発達)

この段階になると、子どもは抽象的思考を発達させ、頭の中で簡単に保存し、論理的に考えることができるようになる。子どもたちは、抽象的な思考ができるようになり、メタ認知を用いることができるようになる。そして、問題解決を指向するスキルをより多く示し、複数のステップで問題解決を行うことができるようになる。

同化と適応

ピアジェの発生的認識論および池内先生の「知的代謝論」を理解するためには、ピアジェが唱えた「同化」(assimilation)と「適応」 (accomodation)という二つのプロセスを理解することが必要だと思われる。ピアジェの『知能の心理学』においても、「適応」という言葉がキー概念として論じられている。そこで、これについて、Wikipediaおよび市川功『ピアジェ思想入門』の該当部分をまとめておきたい。

同化とは何か?

  • 同化とは、外部の要素を、生活や環境の構造あるいは経験を通じて持つことができるものに統合することを意味する。
  • 同化とは、人間が新しい情報をどのように認識し、適応していくかということである。
  • それは、新しい情報を既存の認知スキーマに適合させるプロセスである。
  • 新しい経験が古い考え方に適合するように再解釈される、あるいは古い考え方に同化し、それに応じて新しい事実を分析することで、同化が行われる。
  • 人間が新しい情報や不慣れな情報に直面し、それを理解するために以前に学習した情報を参照するときに発生する。(以上、Wikipedia)

適応とは何か?

  • 適応とは、自分の環境にある新しい情報を取り込み、その情報に適合させるために既存のスキーマを変更するプロセスである。
  • これは、既存のスキーマ(知識)が機能せず、新しい対象や状況に対処するために変更する必要がある場合に生じる。
  • 「適応」は、発生(発達)の全域を説明する共通原理であり、有機体・知能構造の構造化・構築は、共通に適応能力の増大、領域の拡大を意味する(市川功『ピアジェ思想入門』

同化と適応の相互関係

ピアジェにとって、「同化」と「適応」は、コインの表と裏のように不可分のプロセスであって、互いに相手がなくては存在し得ないものである。ある対象を既存の心的スキーマに同化させるためには、まずその対象の特殊性をある程度まで考慮に入れ、あるいはそれに適応する必要がある。

(例)リンゴをリンゴと認識する(同化する)ためには、まずこの対象の輪郭に注目する(適応する)必要がある。そのためには、対象物の大きさをおおまかに認識する必要がある。(Wikipediaより)

ピアジェの「発生的認識論」を独自の視点から解説した市川功『ピアジェ思想入門』によれば、同化と適応の関係は、次のように説明される。

ピアジェは発生に関わる生物学的機能を「組織化」と「適応」に枠付けている。「組織化」とは、環境要因に対して、全体と部分との関係において構造の諸要素を関係させ、構造の全体性・閉鎖性を保持させる機能である。「適応」とは、環境作用に応じうる内的変換に関わる。これらの機能、特に「適応」にピアジェは単に生体の維持のみならず、発展・拡大の意味を含ませており、精神発達レベルを含めた一貫した概念として捉えられている。

ピアジェはさらに「同化」機能と「調節」機能を提示する。「同化」とは外部のものを自らの体制・組織に取り込む働きであり、「調節」とは、同化のために自らを対象の性格に応じて合わせる働きである。例えば、食物を食べる場合は、食べて消化吸収することは同化であり、そのためには口の活動から内臓の運動までをも調節しなければならない。(市川, p.32)

ここで、池内先生によるピアジェの発達説の理解に戻ろう。第一の感覚運動的知能の段階は、生得的な反射のメカニズムを基礎として習慣を形成するところから出発する。習慣の形成は、特定の条件に応じて同化のスキーマが形成され、それによって有機体と環境の関係が構造化することに他ならない。思考のもっとも発達した形態としての概念的思考に達するまでには、象徴的思考および前概念的思考の段階以降の諸段階を踏まねばならない。次の直感的思考の段階では表象的関係の協調化(調整)が進行する。そこでは、対象の属性や対象間の関係が次第に把握されてゆく。具体的操作の段階では、クラスの包括関係の把握や不等式の系列化のような基本的論理操作が可能になり、空間を構造化する操作も可能になる。最後に、反省的思考が可能になるのは、形式的思考と呼ばれる段階である。池内はこうした一連の発達段階を次のように要約している。

そこでは知的活動が、出発点における環境に直接かつ全面的に依存した受動的適応から、環境の事物についての心像ないし表象を形成するとともに、これを媒介として象徴機能を獲得する段階を経て、やがて対象と対象、人と対象の関係を一般的に表示する概念が確立され、かつ概念間の論理操作つまり命題の運用によって、具体的な環境の拘束を受けずに環境を操作する形式的思考の段階に達するまでの道程が詳細に描かれている(池内, p.8)。

進化と均衡、構造

池内先生は言及していないが、ピアジェの発達心理学において、もう一つ重要な概念は、「進化」と「均衡」、そして「構造」である。これらは、私なりの知的代謝論について考える上でも欠かせない概念なので、これについての、ピアジェの考え方に触れておきたい。

1964年に刊行された『思考の心理学』の冒頭で、ピアジェは次のように述べている。

「身体は、成長の完成と器官の成熟とによって特徴づけられた比較的に安定した水準にいたるまで、発達していくものなのだが、これと同様に、精神生活も、おとなの精神によって代表される究極的な均衡形態の方向へ進化していくものだとみなすことができる。だから、発達とは、ある意味で、漸進的な均衡化である。つまり、より低い均衡状態から高次の均衡状態へとたえず移行していくことなのである。」(p.9)。

この一文には、ピアジェの進化的発達論、均衡的進化論のエッセンスが凝縮されているように思われる。

ピアジェは、この本の中で、精神の発達と器官の生長との間の本質的な違いを強調している。この区別は非常に重要だと思う。

「器官の生長の達する均衡の究極の形は、精神発達が向かう均衡形態よりも、一段と静的であり、特に一段と不安定である。そのため上昇的発達が終わるや否や、退行的発達が自動的に始まる。これが、老年へと導くこととなるのである。」(p.10)

老年へと導く退行的発達とは、精神の発達なのか、それとも器官の発達なのか、この日本語訳からは明らかではない。しかし、いずれ後に展開する私の知的代謝論で主張するように、私は人間の精神発達には退行に進む以外に、より高次の均衡へと向かう進化というものがあるのではないか、という気がする。次のピアジェの指摘は、このことを裏付けるのではないだろうか。

健康な精神にとっては、成長の終末は、何ら、衰微のはじまりを示すものではなく、内部的均衡とは何ら矛盾しない精神的進歩を可能にさせる。

前に引用した4段階発達論と均衡、構造の関連について、ピアジェは次のように述べている。

それぞれの段階は、これを規定する構造により、特殊な形の均衡を、構成している。そして、次第に進んでいく均衡化の方向へ、精神発達が行われるのである。

人間の行動は、何らかの欲求から生じ、新しい均衡へ向かうように行動が生じ、より高次の均衡で安定する

(発達の)それぞれの段階は、独特の構造の出現によって特徴づけられるのであり、その構築は、前段階とは異なっている。それぞれの構築の本質的なものは、それ以降の諸段階の間にも、下部構造として存続する。(中略)それぞれの段階は、これを規定する構造により、特殊な形の均衡を構成しているわけだ。そして、次第に進んでいく均衡化の方向へ、精神発達が行われるのである。(p.12)

このピアジェの記述には、4つの発達段階において生じる独特の「構造」と、それによる「均衡」、そして、より高次の構造に向かう「均衡化」、最終段階での「安定した均衡」という、一種の「精神と体の二元的進化論」が明確に示されているといえよう。

ピアジェにおける「均衡」の概念は、4つの発達段階を区分する上でも重要なキー概念になっているように思われる。「心理学の説明における均衡の概念の役割」という論文(『思考の心理学』所収)において、ピアジェは次のように述べている。発達の進化段階でいえば、一種の「階段」の個々のステップを確かなものにする役割を果たしているといえば分かりやすいかもしれない。

この論文の冒頭で、ピアジェは、他の多くの心理学者と同じく、均衡の概念を援用しつつ、「発達理論一般についていうならば、私たち自身、常に、操作構造の発生と前操作的調整からいわゆる操作への移行とを説明するために、均衡の概念に訴えてきたのである。」の述べている。ここで、ピアジェは、均衡の概念を静的なものではなく、「外部の撹乱に反応する主体の活動に基づく補償作用」として定義している点に留意する必要がある。だから、ピアジェは、均衡と同時に、「均衡化」という概念も使っているのである。低次の均衡状態から高次の均衡状態への遷移すなわち「均衡化」というダイナミックなプロセスが想定されているのである。

もう一つの留意事項として、ピアジェが主として研究対象としたは、心を構成する大きな要素である「感情的要因(動機づけ)」と「認識(理性)」のうち、後者すなわち「認識」のメカニズムだけだった点である。それは、心の中で感情が重要ではないというわけでは決してない。私たちがピアジェから学び得るのは、主に後者の点が中心だということに、私たちは留意しておかねばならない、ということだ。いずれ「知的代謝論」をテーマに考察する場合には、この両者(感性と理性)の間の「知的代謝」にも射程を広げなくてはならないだろう。

ピアジェの場合には、感情生活と認識生活における発達と均衡のメカニズムは、次のように明確に記述されている。

その均衡器官は、特殊な調整のメカニズムから成り立っていて、それが全水準に存在している。感情生活についていうと、動機づけ(欲求と関心)の初歩的調整から、意志に至るまで、また、認識生活についていうと、知覚的調整感覚運動的調整からいわゆる操作に至るまで。実際、操作の役割は、すべて表象体系を変化させる撹乱を予期すること、および、以前の半可逆的な調整ではなく、まさに操作のメカニズムを特徴づける可逆性全体のおかげで、その撹乱を補償することであることがわかる。(p.130)。

 

精神的発達と漸進的均衡

「思考の心理学」の中で、ピアジェは「均衡」についてもかなりの紙面を割いて論じている。ピアジェは、力学、物理学、化学、生物学、計量経済学における3つの均衡モデルをレビューした上で、三番目のモデルに注目している。それは、「外部の撹乱と主体の活動との間の補償による均衡のモデル」である。これは、ベルタランフィらのホメオスタシス理論やゲーム理論などで展開されたモデルである。

ゲーム論を用いるならば、均衡化とは、情報の損失を少なくし、情報の獲得を増すという意図を持ち、それは主体の側の最大限の活動を含む補償の働きを表現している。ピアジェは均衡の説明の例をいくつか挙げている。一つは、認識の均衡が常に「動的」であるという事実を主張することである。もう一つは、その認識の機能が、常に主体の活動によって外部の撹乱を確率論的に保守する体系から成り立っているというもう一つの事実である。

ピアジェは、論文の結論部で次のように述べている。

一般に、認知構造の均衡は、外部の撹乱に対する反応という主体の活動によって、その撹乱を補償することだと考えなければならない。この撹乱は、二つの異なった仕方で示される。第一に、安定性のない均衡という低次の形(感覚運動的な形、知覚的な形)の場合、主体の補償活動は、環境の変化に反応するのだが、永続的な体型は存在しない。反対に、高次の構造、すなわち操作的構造の場合には、主体が反応する撹乱は、可能な変化から成ることができる。つまり、主体はある体系の正の操作という形で、その撹乱を予想することがありうる。(中略)要するに、認知構造に関する最後の安定した心理学的均衡は、操作の可逆性に合流する。そうした可逆性は均衡を生み出すだろうか?その場合、撹乱に反応する「補償」が、極めて徐々にのみ、付け加わっていくのだから(最初は不完全な補償しかない)、完全な補償を表す操作的可逆性は、漸次的均衡化の原因ではなく、その結果をなしているのだ。(p.146)

かなり難解で抽象的な結論文だが、これは、人間の認識(思考)の段階的発達に関する一つの明晰な文章のようにも思える。いずれ、池内先生の知的代謝論の結論と照らし合わせて、再検討することにしたい。

ピアジェの発生的認識論についての読解はここまでにして、次に、池内先生が知的代謝論の典拠としてもう一人の学者である、V.O.ヘッブ (Hebb)の心理学説をレビューしてみよう。ピアジェが子供の行動観察から人間の知能や思考の発達についての総合的な理論を打ち立てたのに対し、ヘッブは生物学的、神経生理学的な知見を基礎として思考研究に新たな知見をもたらした。ヘッブは、思考や意識を脳や中枢神経系などの生理学的な構造、機能と関連づける上で大きな業績を残したということができる。この点を以下で詳しく紹介する。

ヘッブの思考理論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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