メディア研究

21世紀の「情報」論

前回のブログでは、梅棹忠夫さんの「情報」論をみてきた。あれから50年近くになる。21世紀の現代における「情報」論はどのように進歩しているのだろうか?手元にある『情報学事典』(2002年刊行)で、「情報」の今日的定義を確認しておきたい。この項目の執筆者は西垣通さん(東京大学情報学環教授)である。

情報学事典「情報」の項

冒頭で、次のように述べられている。

 情報という概念については、いまだに広く社会的に認知された唯一の定義が存在するわけではない。そのため、単なる断片的な「データ」と等値される場合も少なくない。だが学問的には、情報は物質やエネルギーと並んで、宇宙における根源的な概念ととらえることができる。情報を効率的に処理するコンピュータなどの機械が出現したのは20世紀だが、情報そのものははるか以前から存在している。
物質やエネルギーの存在はビッグバンによる宇宙生成まで遡るが、情報が誕生したのは地球上に生命が出現した約38億年前のことである。すなわち、情報は生命現象と不可分の存在と考えられている。

この情報概念は、梅棹さんの情報定義とほぼ同じである。また、吉田民人さんの「最広義」の情報概念とも近い。吉田さんによる情報の定義は、「物質、エネルギーと並ぶ自然現象の根源的要素であり、物質-エネルギーの時間的・空間的・定性的・定量的なパターン」というものである(吉田, 1974=1990)。吉田さんのいう最広義の情報は、ビッグバン直後にまで遡ることができると思われるので、「情報学事典」よりも歴史的には古い。宇宙の誕生とともに、物質、エネルギーと並んで情報が出現したと考えることができる。ただし、情報が意味を生成するようになるのは、西垣さんのいうとおり、生命が誕生してからのことだろう。情報学事典では、情報をあらためて「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」というように、再帰的(循環的)な定義を示している。いいかえれば、再帰的ではない(意味作用を伴わない)情報は、宇宙の初めから存在していたと考えることができる。情報は記号やメディアとも深い関連をもっているが、これについては、別途考察することにして、以下では、西垣通さんの著書『基礎情報学』(2004)を読みながら、21世紀的な情報概念についての理解を深めていきたいと思う。

基礎情報学

本書では、情報概念を「生命活動」のなかで定義している。

 本書で述べる情報学とは、端的には「意味作用」に関する学問である。「意味」を媒介として理系のと文系の知とがつながるからこそ、これを基礎からとらえ直す思考が重要になってくる。「意味(significance)」という言葉は、「意義」「重要さ」「価値」をもあらわす。生命にとって重要なもの、価値あるものが「情報」なのだ。ゆえにそれは、生命活動と不可分である。物質やエネルギーは生命の誕生以前から存在するが、情報はそれらとは本質的に異次元にあるのである。

 

第1章 基礎情報学とは何か

物質としては異なる対象を同一のパターンとしてとらえる認知活動が、情報の成立と深く関わっているのである。観察という世界介入のメカニズムを等閑視して、「知識を増やすもの」といいった日常的な実態概念から出発する情報学は、決して厳密な学問とは成りえない。あらゆる情報は、基本的に生命体による認知や観察と結びついた「生命情報(life information)」なのである。

本書では、情報を「機械情報」「生命情報」「社会情報」の3つのレベルに分けている。「機械情報」(mechanical information)とは、情報工学/情報科学における情報、より端的にはITの操作対象となる情報のことである。機械情報は原則として、意味を捨象して取り扱うという点で、生命情報や社会情報とは異なっている。「社会情報(social information)」とは、ヒトの社会において多様な伝播メディアを介して流通する情報のことである。言語や映像などはその例であり、いずれも意味作用を伴っているという点では、生命情報と共通している。この3つのレベルの情報について、西垣さんは、「表向きは別次元にあるように見えるが、実はそうではない。三者は密接に結びついている」と述べている。「ヒトの社会においては、生命情報が意味解釈のズレの少ない社会情報となる傾向があり、ゆえに機械的に扱える機械情報が出現するのである(p.19)」。

情報はこのように生命活動と密接に結びついてあらわれるものである。それでは、「生命」とはどのような性質をもっているのだろうか?著者は、生命システムの特徴として、「歴史性」「閉鎖性」の2つをあげている。歴史性については、こう述べられている。

 あらゆる生物は、約40億年にわたる進化という膨大な歴史、また個体として誕生して以来の体験史を負っている。したがって、ある入力に対して、生命システムは常に同一の出力を与えるわけではない。これは情報の意味解釈の多様性に対応している。これは機械システムとはかなり異なるである。(p.20)

閉鎖性については、こう述べている。

 生命システム自体の観点に立てば、システムは閉じており、入力も出力も存在しないと言ったほうが精確なのである。入力と出力を見極めるのは外部にいる観察者であるが、生命システム自体は決してその視点に立つことはできず、ただ環境のなかで訳も分からず行為し続けるのみなのである。(p.21)

このような特徴は「オートポイエーシス=自己創出性」の一面をあらわしている、と著者は考える。そして、生命システムを「オートポイエティック/システム」として定義している。そして、生命と情報の関連をこう表現している。

生物が情報の意味を解釈するということは、実はオートポイエティックな生命システムが、自らを取り巻く環境からの刺激に対して自己言及的に反応していることに他ならない。したがって、情報とは外部から生命システムのなかに「入ってくる何か」ではない。情報を外部に実在するモノのようにとらえるのは誤りである。むしろ、刺激に応じて生命システムのなかに「発生する何か」ととらえるほうが精確であろう。情報は、物質やエネルギーと違って、生物とともに地球上に出現したのである。

この「生命」=「情報の発生」という定義づけには、私自身は若干の疑問を感じる。情報が生命によってはじめて認知可能になったことは確かだが、「情報」(パターン)それ自体は、宇宙の起源から存在していたのではないだろうか。生命の誕生と進化によって、情報は初めて「捉える」ことのできるような存在になったのではないか、と評者は考える。

それはさておき、著者は続いて、生命現象の特徴をもとに、「情報の定義」を行っている。

 実は、すでに述べてきたように、情報とは生命体の外部に実体としてあるものではなく、刺激を受けた生命体の内部に形成されるものである。あるいは、加えられる刺激と生命体とのあいだの「関係概念」であると言ったほうがいっそう精確であろう。(中略)
一言で粗っぽくあらわすなら、情報とは「生命体にとって意味作用をもつもの」ということになる。(p.26)

このように述べたあと、「情報」を次のように定義している(『情報学事典』の定義と同じ)。

 情報とは、「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」である(p.27)。

ここで、「パターンをつくりだす」とは、「意味作用を行う」といいかえてもよいだろう。私自身は、かつてある本の中で、情報を「記号の意味作用によって表象されるもので、生物、人間、機械、集団、組織、社会が、変化する環境に適応し、存続、発展するために必要な基本的資源の一つである」と定義したことがある。本質的には、西垣さんの定義と変わらないものではないか、と考えている。ここで、「意味作用」を行う主体は、もちろん生物(ヒトやその集まりである社会を含む)である。

第2章 情報の意味解釈

この章では、従来の情報モデルをレビューした上で、「生命情報」のモデルを提示し、生命体によって意味と価値が生み出されるメカニズムを探求している。ここで、従来モデルとは、シャノン&ウィーバーの通信モデルと、それを応用した社会的コミュニケーションモデルである。この部分は既知のところなので省略し、著者独自の概念である、「生命情報」モデルと、意味・価値との関連についての考察を検討することにしたい。

意味と価値

 基礎情報学では、ヒトに限らずあらゆる生命体による情報の意味解釈に注目するが、その出発点となるのは、ホフマイヤーの生命記号論と同じく、パースの記号論である。
まず、パースの記号(過程)について簡単に説明しよう。これは、「第一項=記号表現。第二項=対象、第三項=解釈項」の三項関係としてあらわされる。「記号表現(sign/representamen)」とは、記号の物理的な乗り物(媒体上の表現)である。「解釈項(interpretant)」とは、解釈者の内部に形成される、「対象(object/referent)」の摸像である。たとえば、「火事だ」という叫び(記号表現)によって、それを聞いた解釈者の心のなかに、めらめら燃える家のイメージという「解釈項」が生成されるわけだ。いまの場合、「対象」とは、火事で燃えている具体的な家そのものである。(p.52)

この部分はよく理解できる。その通りだと思う。しかし、これにつづくパラグラフには、率直に言って疑問を感じる。

 端的に言うと、パースの記号(過程)とは、何か(記号表現)が自分とは違う何か(対象)を代置し、指し示しているというメカニズムをあらわすものである。ここで「情報(パターン)」は、言うまでもなく「記号表現」に対応するが、それがあらわす「意味内容」は「対象」と「解釈項」のいずれであろうか。代置というメカニズムからすれば、「対象」のような気がするが、必ずしもそうとは言えない。「火事だ」という記号表現そのものは、ある特定の家が火事になっている状況だけをあらわすのではなく、より広く「めらめら燃える家のイメージ」という一般的・抽象的な意味内容をもっているのである。そうすると「解釈項」ということになるであろう。

この部分が私には不可解である。私の考えでは、情報は「記号表現」ではなく、「解釈項」(ソシュールのいう「記号内容(シニフィエ)」ではないかと思うのだ。上の具体例でいえば、「火事だ!」という表現はあくまで「記号」なのであって、その記号を通して表象される「めらめら燃える家のイメージ」こそは、聞き手が受け取る「情報」なのではあるまいか?というのも、そう解釈したほうが、日常的な「情報」概念と一致するからである。多数の人が何らかのメッセージ(記号)に接したとき、そこから受け取る情報は、人によってさまざまである。ある人は、「めらめら燃える家」という情報を受け取るが、他の人は、「自分の命が危ない」という情報を受け取るかもしれない。さらに他の人は、家の中にいるかもしれない家族の安否という情報を得るかもしれないのである。記号表現(パターン)=情報という、誤った解釈は、吉田民人さんの情報論から脈々と受け継がれたものなのかもしれない。
こうした概念上の混乱は、やや意味不明な次のパラグラフにもあらわれている。

 「火事だ」という短い言葉は、「めらめら燃える家」という豊かな具体的イメージから比べるとあまりに貧弱であり、切りつめられた記号表現である。情報の「意味内容」とは、伝達された記号表現そのものが担うというより、むしろ「外情報」つまり明言されず処分された情報が担うとすれば、この一連の推量過程で出現する解釈項の全体が「意味内容」にあたると考えることもできるであろう。(p.52)

いや、「火事だ!」という記号は決して貧弱ではないと思う。そこに含まれる情報は、非常に多様性をもった、豊かなものではないのだろうか?ここで、わざわざ「外情報」(言語が具体的に用いられるときの「文脈」「状況」「背景」など)という曖昧な概念を持ち出す必要はないのである。「外情報」とは、記号→情報への変換過程で、解釈に取り込まれる文脈的要因(コンテクスト=暗黙のコード)にすぎないのはないだろうか。

次に、情報と「意味」「価値」の関連性についての叙述に移る。

 生命体は情報の意味解釈をおこなうのだが、「意味」とは天下りに与えられるものではない。基礎情報学では、「意味」は生命体の生存と関連しており、進化によって発生したものであると考える。(中略) ここでいう「意味」とは、ジェイムズ・ギブソンの生態心理学における「アフォーダンス」に近い。それは環世界のなかに存在する、生命体にとっての「価値」のことなのである。
生命体が情報(パターン)を受信するということは、生命体を取り巻く環世界のなかに「意味」が立ち現われることに等しい。それは外から既成のパターンが与えられることではない。解釈者との「関係」において、意味をもつパターンである情報が出現するのである。

このパラグラフでは、「意味」と「価値」をほとんど同義にものとして捉えられているように思われるが、これも少し違和感を覚える。私の感覚では、「情報」と「意味」はほぼ同義であり、「価値」は、情報のもつ特性(送り手あるいは受け手、あるいはマーケットによる情報の評価、格づけ)のような気がするのだが、、、。情報には意味や価値のあるものとないものがある、と一般にはいわれるが、梅棹さんの「コンニャク情報論」ではないが、脳神経系に刺激を与えるという意味では、無意味な情報というのはないのかもしれない。

今回の書評は、ここまでで終わりにしておき、次回は、「記号論」「メディア論」について検討を加えたいと思う。参照する文献は、(1)エーコ『記号論』、(2)パース『記号学』、(3)バルト『神話作用』、(4)マクルーハン『メディア論』である。

【追記】 なお、西垣さんのいう「機械情報」「生命情報」「社会情報」の三分類だが、私としては、これに「物質情報」を付け加えてもいいのではないか、という気がしている。「物質情報」とは、生命が誕生する以前から、(宇宙の生成以来)物質「とともに」存在していた情報(意味が生成する以前の原情報)のことをさしている。これは、梅棹さんの情報論とも共鳴する考え方だ。これによって、汎情報論は完結することになるだろう。情報史観からすると、宇宙のはじめに「物質情報」があり、次いで「生命情報」があらわれ、「社会情報」が生まれ、最後に「機械情報」が誕生し、今日に至っていると考えることができるかもしれない。インターネット上の情報などは、まさに「機械情報」の進化の極みだといってもよいだろう。

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