メディア研究

記号の進化論(2012年1月27日:再録)

前回は、「情報」の概念について、『基礎情報学』を読みながら考え、「情報は進化す」るという情報史観に行き着いたが、今回は、情報と関連の深い「記号」について、その基本を学びながら、「記号の進化論」を構想することにしたい。

まず、宇宙の誕生とともに、物質そして情報が発生した。この場合の「情報」とは、物質がもつ独自の「パターン」である。それは吉田民人がいうように、時間的・空間的・定性的・定量的なパターンである。しかし、そうしたパターンを「認識」あるいは「解釈」できる主体というのはいまだ存在してはいなかった。いまから約40億年前、地球が誕生し、その過程で、生命体が発生したが、それは「自らを再生産し、持続的に複製し続ける物質」であった。そこに生命体の本質がある。自らを複製するためには、「遺伝子」という記号が不可欠である。これが、宇宙における「記号」というものの発生である。遺伝子記号は、物質(核酸)の配列パターンである。それは、生物の体内で、情報を発信したり受信したりするという役割を担った最初の物質パターン(記号)であった。遺伝子記号は、生命体をつくるための情報を受発信するという役割を果たした。

生物は、成長の過程で環境を認識する「感覚器官」(身体メディア=媒体物質)を作り出す。それは、生命体の生存にとって、環境からの情報が決定的に重要だからである。どんな生物においても、環境に含まれる物質を認識する手段として、「感覚器官」があり、それを通して、外部環境の物質パターンを「記号」として取り入れ、環境に適応するような反応ないし行動を起こすようになる。記号はつねに、なんらかの「意味作用」をもっている。つまりは、記号を用いて環境からの刺激を一定の「意味」に変換するというメカニズムが働くのである。「意味」それ自体も、原始生物のそれと、われわれのような人間にとっても意味では、まるで異なったものであるに違いない。同じ「対象」(環境内の物質)であっても、人間が受け取る意味と微生物が受け取る意味は、まったく異なったものだろう。パースの表現を借りるならば、同じ「対象」について、異なる「記号」が用いられ、それを通して、異なる「解釈項」(情報)が引き出されるのである。解釈項=情報というのは、私独自の定義である。記号が進化するとともに、情報もまた進化するのは当然のことである。

パースの記号論

パースは、記号について、さまざまな三分類を提示している。その一つは、「記号(表意体)」「対象」「解釈項」という三分類である。通常、三角形であらわされている。これを進化史的に考えれば、生命体が発生する以前には、「対象」しか存在しなかったが、生命の誕生とともに、「記号」(遺伝子記号や感覚刺激など)が生まれ、そうした記号を通じて、環境の内外にある「対象」が「解釈項」(=情報)として認識されるようになったと考えられる。この場合、解釈項自身が、一種の「記号」であるとも考えられる。パースの言葉によれば、次のような関係をもつ。

 記号あるいは表意体とは、ある人にとって、ある観点もしくはある能力において何らかの代わりをするものである。記号はだれかに話しかける、つまりその人の心の中に、等値な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す。もとの記号が作り出すその記号のことを私は、始めの記号の解釈項と呼ぶことにする。記号はあるものつまり対象の代わりをする。(パース『記号学』より)

対象は、必ずしも物質的な対象とは限らない。「記号」が進化するにつれて、認識すべき対象もまた、物質から非物質(概念、イメージなど)へと「進化」する。とくに、人間の場合には、外胚葉たる脳神経系(メディア)の働きによって、記号は、その最終的な進化形である「(自然、人工)言語」を通じて、抽象的な概念や観念、イメージなどの「対象」を表象することができるようになった。つまり、記号の進化は、(情報)認識の進化をもたらすということである。パースの言葉を引用すると、次のようになる。

 「記号」という語は、知覚可能なもの、あるいはただ想像可能にすぎないもの、あるいはまたある意味では想像不可能なものでさえ指示するのに使われる

対象、表意体、解釈項(情報)の間には、対象→表意体(記号)→解釈項(情報)という方向性が認められる。

パースの記号論では、もう一つ有名な三分類がある。それは、「類像(イコン)」「指標(インデックス)」「象徴(シンボル)」である。パースによれば、それぞれは次のように定義される。

 類似記号というのは、たとえその対象が現存性を持たなくても、それを意義能力のあるものにする特性を所有している記号である。たとえば幾何学的な線を表わるような鉛筆の線条など。

指標記号とは、対象との類似性や類比によるのでもなく、また対象がたまたま持っている一般的な特性との連合によるのでもなく、一方では個体的な対象と、他方ではその人にとってそれが記号として役立つ人の感覚や記憶との(空間的なものを含む)力動的な結合関係を持っていることによって、その対象を指示するところの記号あるいは表意体のこと。
AがBに『火事だ』と言うと、Bは『どこ?』と尋ねるだろう。すると、Aは過去にしろ未来にしろ、実在世界のどこかを考えているだけだとしても、指標記号に頼らざるを得ない。さもなければ、火事のような観念があるということを言っただけということになり、それでは何の情報も与えないことになろうだろう。Aが火を指せば、彼の指はその火と力動的に結合されているが、同じように自動火災報知器もいわば自分の指をすでにその方向に向けているのである。Aの答えが『ここから千ヤード以内』であれば、『ここ』という語が指標記号である。

象徴記号とは、習慣が自然的なものにしろ、規約上のものにしろ、さらに元々その選択を支配していた動機にも関係なく、記号として使用され理解されているという事実によってのみ、あるいは主にそういう訳で記号になっているものをいう。単語、文、書物、その他の慣習的記号は象徴記号である。

進化の方向性からいうと、類像→指標→象徴という変化が一般には認められる。また、これら三種類の記号のそれぞれにおいても、歴史的な進化が認められる。たとえば、類像の場合についていうと、原始時代の「洞窟壁画」は、「絵画」へと進化し、さらに、「写真」、「映画」、「テレビ」、「バーチャルリアリティ」へと進化してきた。言語という象徴記号においても、歴史的な進化が認められるだろう。それによって、記号が表象する「情報世界」も、より多様で高度なものとなり、われわれを取り巻く「情報環境」も大きな変化を遂げつつあるのである。パース
の記号論は、記号の分類学に終始しているようにみえるが、このように進化論的に捉え直すこともできるだろう。

記号についての考察はこの位にして、次回はマクルーハンの『メディア論』を手がかりとして、「メディア」について検討してみたい。

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