1年あまり前、マクルーハンのメディア論について、メモ的な書き込みをしたことがあるが、その文章の最後に、「
ドーキンスは、『利己的な遺伝子』の中で、遺伝子情報の生存戦略について詳細に論じたが、この考え方から、「情報のメディア戦略」といった考え方を引き出すことができるのではないかと思う。それについては、別途論じることにする」と書いたままになっていた。ちょうど、マクルーハンの『メディア論』『グーテンベルクの銀河系』を再読する機会があったので、これについて、若干の考察を加えておきたいと思う。
その場合、情報を新たに、上の図のようなものとして再類型化してみたい。
吉田民人氏が正しく指摘されているように、最広義の情報とは、「物質・エネルギーの時間的・空間的および質的・量的パターン」と定義することができる。このような意味での情報は、宇宙の始原から存在していたと考えることができる。情報が「進化」するものと考えるならば、情報の進化は、宇宙のどこか(地球を含む)で「生命」が誕生したことによってなされたものと想像することができる。地球でいえば、DNAという、記号機能をもつ情報が誕生したことが、情報の進化をもたらしたといえるだろう。これによって、生命に関わる情報を無制限に複製することが可能になり、単一の生命が終わったあとも、子孫にDNA情報が伝えられ、生命情報の長期にわたる「生存」がはかられることになった(生命情報の誕生)。
しかしながら、生命情報は、子孫に伝えられるにとどまり、子孫が絶えれば、情報の生存も絶えてしまう。それを補うために、生命情報は、「(外部)メディア」を発明し、この外部メディアを通して、個体が不可能であった、時間的、空間的な制約を突破することが可能になった。つまり、文字、活字印刷、ラジオ、テレビといった「外部メディア」に貯えられた情報は、「メディア情報」として新たな進化を遂げることになったのである。マクルーハンが述べたように、メディア(情報)は、「人間の拡張」であり、正確にはその一部分ということになる。
こうして、情報は二段階で進化を遂げることによって、上の図に示すような三層構造をもったものとなった。この図で、「メディア情報」が、「物質情報」と「生命情報」の間に位置していることに注意していただきたい。「メディア」という言葉の起源は、「中間にあるもの」(medium)という語義にあり、この図は、そのことを直接反映している。
あるいは、情報の進化を、下のような4類型で捉えることも可能かもしれない。とりあえずは、「社会情報」のことは考えないことにする。
ここからは、ドーキンス博士の「遺伝子進化論」「ミーム進化論」とほぼ同じ論旨になるので、あまり新鮮味はないかもしれない。「遺伝子」を「生命情報」と読み替えただけであり、その乗り物を「メディア」に限定しただけである。ただし、この考え方を「メディア構築主義的アプローチ」と呼ぶことによって、なにがしかの新しい知見が得られれば幸いである。「メディア構築主義アプローチ」ということばは、私の造語ではない。最近読んだ論文(このブログでも紹介した)に出てきたもので、これは使えるのではないか、と今は思っている。
レヴィンソン『デジタル・マクルーハン』によれば、ニューメディアなかでもインターネットの拡張的な性格を考えれば、マクルーハンのメディア論は、今日さらに適切なものだとしている。また、社会構築主義は社会的ニーズと技術的可能性との間のギブアンドテイクの関係を重視するものである。Wilzig and Avigdor (2004)は、この2つのアプローチを総合したものとして、「新旧メディアの間の絶えざる相互作用が進化の成功と失敗、とくにニューメディアの方向付けにおいて重要なものになる」として、これを「メディア構築主義」と呼んでいる。
レジス・ドブレの「メディオロジー」も、生態学的なアナロジーにもとづくメディア構築主義の一つに数えられるかもしれない。「自然においてと同様、文化においても、生態系は互いに入り組んでいく。各メディア圏はそれ自身、先行するメディア圏が接合したものであり、生きている部分と生き残った部分とを含めて、それらは互いに絡み合っている。そのため体系は不安定で、しかも次第に複合化していく。継起するメディアの各世代が、波乱含みの共存関係の中で、互いに重なり合ったり堆積したりするにつれてである。メディア圏は、互いに他を追いやりながら継起しているのではない。とはいえ、それぞれに固有の統一性、いわば人格が備わっている。」(レジス・ドブレ『一般メディオロジー講義』,p.322)。
ドブレによれば、「メディア圏」とは、伝達作用(と輸送)の大体系のことをいう。歴史的時代区分として、「言語圏」(表記技術から始まる)、「文字圏」(1450年代~:印刷術から始まる)、「映像圏」(1840年代~:オーディオビジュアル技術から始まる)の3つがあげられている。21世紀の今日では、この3つの加えて、「インターネット圏」(1990年代~:マルチメディアから始まる)をあげることができるのではないだろうか。
外部メディアを媒介として登場した「メディア情報」は、こうした歴史上の「情報革命」のたびごとに、大きく進化し、爆発的な広がりと奥行きをもったものとなっている。今日的には、「インターネット圏」と「マスメディア圏」の相互作用と共進化がメディア学において最大の研究対象の一つとなっていると考えることができる。同時に、現代人が「メディア情報」から受ける恩恵とともに、「メディア情報」に支配され、利用され、あるいは振り回されるといったネガティブな作用にも注目し続ける必要がある。そのためには、エコロジー的な視点から「情報のメディア戦略」についての考察を深めることが求められているといえよう。