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「情報」という言葉の初出文献の原本に関する一考察(2)(2016年6月24日:再録)

「大戦学理」を翻訳したのは誰か?

 一般には、『大戦学理』(『戦争論』)の翻訳者は、森鴎外だと思われているようですが、これは事実に反しています。『大戦学理』(仏訳 Théorie de la grande guerre)の翻訳作業は、陸軍士官学校によって、1886年の後半から開始されています。この翻訳のもとになった原本は、オリジナルのドイツ語版ではなく、フランス語版でした。

 ところが、このフランス語版は、オリジナルのドイツ語版と同じ内容ではなく、最初の理論編の部分が欠落していました。そのあたりの事情は、『大戦学理』にはっきりと記されています。その部分を次に引用しておきます。

大戦学理 巻一

犬戦学理の序 5頁

附言。本書は前述の如く全部八巻。其の第一及第二の二巻は純粋哲理論にして三の巻以下は皆軍事論なり。クローゼウィツの軍事哲理を我が国に紹介するには先づ其の軍事論より譯し始むるに若くなし。是を以て先づ巻の三より翻訳に着手せり。佛譯者ド。ヴァタリー中佐も亦同上の意見を以て其の翻訳を巻の三より始め、而して巻の三、四及五を首巻と号し逐次に巻號を變更せり。今中佐の下せし巻號に従えば巻號錯綜の恐あるを以て本譯書は独逸原書の巻號に従ふことゝせり。

明治三十四年八月

 調べてみたところ、確かに、Vatry中佐訳の『大戦学理』(Théorie de la grande guerre)が1886年から1887年にかけて出版されていることがわかりました(フランス国立図書館蔵)。その目次を見ると、確かに、原書の第一巻と第二巻がありません。

Theorie de la grande guerre

 森鴎外が訳したのは、フランス語版に欠落していた第一巻と第二巻の部分だったのです。つまり、森鴎外がドイツ語の原本から訳出したものと、陸軍士官学校がフランス語版から訳出したものを合わせて、『大戦学理』として出版したというのが、真相なのです。このことは、あまり知られていないのではないでしょうか?
情報の「鴎外造語説」は正しいか?

 では、鴎外は翻訳を出すに当たって、フランス語版の訳文を子細に検討し、訂正などを加えていたのでしょうか?それについては、疑問符がつきます。なぜなら、訳語の統一が図られている様子が見えないからです。その代表的な例が、「情報」と「状報」の訳語です。

 森鴎外の訳した第一巻と第二巻では、只一カ所を除いて、ドイツ語のNachricht(en)を「情報」と訳しています。これに対し、フランス語版のRenseignementは、一貫して「状報」と訳されていることがわかりました。

 つまり、『情報」という言葉に関する限り、訳語の統一は計られていなかったのです。

 鴎外が小倉に転任したのは、「左遷」ではなく、『大戦学理』の翻訳に集中させるためだった、とする新説(石井郁男『森鴎外と「戦争論」)がありますが、上の事実に照らしてみるとき、この説には疑問符が投げかけられます(「左遷説」が現在でも定説になっています)。

情報の「鴎外造語説」は正しいか?

 では、鴎外は、Nachricht(en)をなぜ「情報」と訳したのでしょうか?その理由を調べると、当時の最新軍事用語独和辞典で、Nachrichtに「情報」という訳語が当てられていたことがわかりました。

独和兵語辞書(明治32年刊行)

 明治32年に発行された『独和兵語辞書』には、「情報」という訳語が明記されていました。鴎外他訳の『大戦学理』が出版されるのが、明治34年ですから、鴎外は、当然この辞書を参照していたと思われます。「鴎外造語説」もまた否定される結果となってしまいました。

 今後の課題としては、鴎外の『独逸日記』『小倉日記』や陸軍の史料などをもとに、裏をとりたいと思っています。

 

 

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