フィレンツェは、ミケランジェロとダンテにゆかりの深い街です。ミケランジェロは、フィレンツツェの近くで生まれ、フィレンツェで育ち、フィレンツェで、ダヴィデ像をはじめ、偉大な作品をたくさん残しました。ダンテは、フィレンツェで生まれ育ち、「新生」「神曲」など、偉大な作品を数多く残しました。今回の旅行では、尊敬する二人の芸術家の足跡を辿るために、フィレンツェ市内の関連名所を訪ねたいと思っています。
ミケランジェロの偉業を訪ねる旅
フィレンツェの朝の散策 7:45 - 8:15
アルノ川のほとりを散策しながら、ヴェッキオ橋を経て、バルジェッロ国立博物館へ。
バルジェッロ国立博物館 8:15 - 9:00
バルジェッロ国立博物館(Museo Nazionale del Bargello)は、イタリアのフィレンツェにある歴史的な美術館で、中世とルネサンス期の彫刻や美術品のコレクションで知られています。この博物館は、フィレンツェで最も古い公共建築物の一つであるバルジェッロ宮(Palazzo del Bargello)内に位置しており、その歴史は深く、建物自体も非常に重要な文化財です。
建物の歴史
バルジェッロ宮は1255年に建設され、当初はフィレンツェの市庁舎として使用されていました。その後、14世紀には裁判所や警察署の役割を担い、さらに監獄としても使用されました。「バルジェッロ」という名称は、当時の治安判事の役職名に由来します。
1865年にフィレンツェがイタリア王国の首都となった際、この建物は美術館に改装され、ルネサンス期の彫刻を展示する国立博物館として開館しました。
コレクションと展示品
バルジェッロ国立博物館は、その豊富な彫刻コレクションで知られています。以下は、主要な展示品やコレクションの特徴です。
1. **ドナテッロの作品**: ドナテッロによる傑作が多く展示されており、特に彼の「ダビデ像」は非常に有名です。この作品は、ルネサンス初期の彫刻の傑作として知られています。
2. **ミケランジェロの作品**: ミケランジェロの彫刻作品も展示されており、「バッカス」や「ブリュッゲのマドンナ」などが代表的です。
3. **ヴェロッキオ、デラ・ロッビア、チェッリーニ**: これらの芸術家による作品も多数収蔵されています。例えば、ヴェロッキオの「ダビデ像」や、デラ・ロッビア一族による陶器の作品が展示されています。
4. **メディチ家のコレクション**: バルジェッロには、メディチ家によって収集された多数の美術品や装飾品も展示されています。特に、硬貨、メダル、象牙細工などの工芸品が豊富です。
5. **アームズとアーマー**: バルジェッロは、フィレンツェの歴史的な武器や鎧のコレクションも所蔵しており、中世の戦争用具や儀式用の装備を展示しています。
建築とインテリア
バルジェッロ宮の建物自体が美術品ともいえる存在です。ゴシック建築の特徴を持つこの宮殿は、その壮大な中庭や、礼拝堂、塔などが訪問者に強い印象を与えます。中庭は特に有名で、多くの彫刻が展示されているほか、ゴシック様式の美しいアーチが特徴的です。
また、宮殿の内部には、フレスコ画で装飾された部屋や、かつての裁判所や監獄としての歴史を伝える要素が残されています。
文化的意義
バルジェッロ国立博物館は、フィレンツェの芸術と歴史を深く理解するための重要な施設です。ここでは、フィレンツェが誇るルネサンス期の彫刻の傑作を鑑賞することができ、また、フィレンツェの歴史的な建築物の一つを間近で見ることができます。
この博物館は、イタリア国内外の多くの観光客や学者にとって、フィレンツェを訪れる際の必見スポットとなっています。
カーサ・ブオナローティ 9:15 - 10:00
カーサ・ブオナローティ(Casa Buonarroti)は、イタリアのフィレンツェに位置する美術館で、ルネサンスの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティの生涯と作品に焦点を当てた施設です。この館は、ミケランジェロの家族が所有していた建物で、彼の遺産とその後の家族の歴史を伝える重要な場所となっています。
歴史と背景
カーサ・ブオナローティの建物は、ミケランジェロ自身が購入したものであり、彼の家族が長年にわたり居住していました。しかし、ミケランジェロがこの家に住んでいたわけではなく、主に彼の甥であり、後に彼の遺産を管理したミケランジェロ・ブオナローティ・イル・ジョーヴァネによって、ミケランジェロの栄光を称えるための博物館として整備されました。
ミケランジェロ・イル・ジョーヴァネは、建物を改装し、ミケランジェロの作品や関連資料を展示するためのスペースを設けました。17世紀以降、カーサ・ブオナローティはミケランジェロの遺産を保存し、彼の家族の歴史を伝える場所として機能してきました。
コレクションと展示品
カーサ・ブオナローティには、ミケランジェロに関連するさまざまな作品や資料が展示されています。主な展示内容は以下の通りです。
1. **初期の彫刻作品**: ミケランジェロが若い頃に制作した「マドンナ・デッラ・スカラ(階段の聖母)」や「ケンタウロスの戦い」といった彫刻作品が展示されています。これらは、彼の才能が早くから認められていたことを示す重要な作品です。
2. **デッサンとスケッチ**: ミケランジェロによる多くのデッサンやスケッチが収蔵されており、彼の創作過程やアイデアの発展を垣間見ることができます。
3. **家族の遺品**: ミケランジェロの家族に関連する書簡や文書、遺品が展示されており、彼の家族の歴史や当時の生活様式を知る手がかりとなります。
4. **アートコレクション**: ミケランジェロの家族が収集した絵画や彫刻も展示されています。これには、ルネサンス期やその後の時代の作品が含まれています。
5. **建物の装飾**: カーサ・ブオナローティの内部は、ミケランジェロの栄光を称えるために装飾されており、天井画やフレスコ画などが施されています。特に、ミケランジェロ・イル・ジョーヴァネによって制作された天井画は、彼の叔父であるミケランジェロを称える内容が描かれています。
建物とその意義
カーサ・ブオナローティは、ミケランジェロの遺産を保存し、彼の芸術的な成果を後世に伝える重要な施設です。この建物は、ミケランジェロの家族によって長年にわたり大切にされてきた場所であり、彼の作品や生活に関する資料を集めた博物館として、訪れる人々に彼の偉大さを感じさせます。
また、この施設はミケランジェロに関する研究の拠点としても機能しており、彼の生涯や作品に関する学術的な研究が進められています。フィレンツェを訪れる際には、ルネサンスの巨匠ミケランジェロの世界に浸ることができる場所として、カーサ・ブオナローティは必見のスポットとなっています。
メディチ家の礼拝堂 10:15 - 11:00
メディチ家の礼拝堂(Cappelle Medicee)は、イタリア・フィレンツェにあるサン・ロレンツォ聖堂内に位置する壮麗な礼拝堂で、メディチ家の墓所としても知られています。この礼拝堂は、ルネサンスとバロックの美術と建築が融合した重要な文化遺産であり、フィレンツェを訪れる観光客にとっては必見のスポットです。
礼拝堂の概要と歴史
メディチ家の礼拝堂は、サン・ロレンツォ聖堂の一部として、メディチ家のために建設されました。サン・ロレンツォ聖堂自体は、メディチ家が主に資金を提供して建てられたもので、彼らの家族教会としての役割を果たしていました。
礼拝堂は16世紀初頭に建設が始まり、メディチ家の権力の象徴としての意味合いを持っていました。礼拝堂の建設には複数の著名な芸術家や建築家が関わりましたが、特にミケランジェロ・ブオナローティがデザインした「新聖具室(Sagrestia Nuova)」が有名です。
主な構成要素と見どころ
メディチ家の礼拝堂は、主に「新聖具室」と「王家の礼拝堂(Cappella dei Principi)」の2つの主要なエリアで構成されています。
1. **新聖具室(Sagrestia Nuova)**:
- **ミケランジェロの設計**: ミケランジェロが手掛けたこの空間は、メディチ家の著名なメンバーの墓が設けられており、彼の建築と彫刻の天才が集約された場所です。彼は、この聖具室を「旧聖具室(Brunelleschiが設計した)」の対として設計しました。
- **彫刻群**: 新聖具室には、メディチ家のジュリアーノ・デ・メディチとロレンツォ・デ・メディチの墓があり、それぞれの墓には「昼と夜」「暁と黄昏」という象徴的な彫刻が配置されています。これらの彫刻はミケランジェロの手によるもので、時間の流れや人間の一生を象徴しています。
- **聖母子像**: 中央にはミケランジェロによる聖母子像があり、この作品は彼の晩年の特徴である力強さと精神性を示しています。
2. **王家の礼拝堂(Cappella dei Principi)**:
- **豪華な装飾**: この礼拝堂は、メディチ家の富と権力を象徴する場所として、非常に豪華な装飾が施されています。壁は半貴石や大理石で覆われ、複雑なインレイ細工が施されています。この豪華さは、バロック時代の美学を反映しています。
- **メディチ家の墓所**: 王家の礼拝堂には、メディチ家の大公たちの遺体が安置されています。特にコジモ1世をはじめとする歴代のトスカーナ大公たちの墓が置かれており、フィレンツェの支配者としてのメディチ家の歴史を物語っています。
建築と芸術の意義
メディチ家の礼拝堂は、ルネサンスからバロックに至るまでのイタリア美術の発展を象徴する場所です。特にミケランジェロの新聖具室は、彼の建築と彫刻が融合した傑作として、世界中の美術愛好者から高く評価されています。また、王家の礼拝堂は、メディチ家の権勢と財力を誇示する象徴として、バロック期の装飾芸術の最高峰を示しています。
文化的・歴史的意義
メディチ家の礼拝堂は、単なる墓所にとどまらず、フィレンツェとイタリア全体におけるメディチ家の影響力を象徴する重要な歴史的建造物です。ここでは、メディチ家がフィレンツェに及ぼした影響力を目の当たりにし、ルネサンス期の芸術と文化がどのように花開いたかを感じることができます。
フィレンツェを訪れる際には、メディチ家の礼拝堂は必ず訪れるべきスポットであり、その美しさと歴史の深さに感銘を受けることでしょう。
ロレンツォ教会 (メディチ家の礼拝堂と同じ所)
サン・ロレンツォ教会(Basilica di San Lorenzo)は、イタリアのフィレンツェにある非常に重要なルネサンス期の教会で、メディチ家と深い関わりを持つ場所です。サン・ロレンツォ教会は、フィレンツェの歴史や芸術、そしてメディチ家の遺産を理解する上で欠かせない建築物です。
教会の歴史
サン・ロレンツォ教会は、フィレンツェで最も古い教会の一つで、元々は393年に創建されたとされています。現在の教会の建物は、15世紀にメディチ家の支援のもとで再建されました。特に、コジモ・デ・メディチ(通称「偉大なるコジモ」)が教会の建設を支援し、彼の命令で、当時のフィレンツェのトップ建築家であるフィリッポ・ブルネレスキが設計を担当しました。
建築とデザイン
サン・ロレンツォ教会は、ルネサンス建築の典型的な例とされ、そのデザインはシンプルでありながらも、完璧なプロポーションと調和のとれた空間が特徴です。以下に主な特徴を挙げます。
1. **ファサード(正面)**:
- 教会の正面(ファサード)は未完成のままで、シンプルな石造りとなっています。メディチ家は教会のファサードを完成させる計画を持っていましたが、実現しませんでした。ミケランジェロがファサードの設計を任されましたが、彼の設計も実現されることはありませんでした。
2. **内部構造**:
- 内部は、ブルネレスキの設計によるもので、クラシカルな様式と完璧な対称性が特徴です。柱廊やアーチ、幾何学的な装飾が施され、ルネサンス期の建築美学が反映されています。
- 身廊(中央の大空間)は広々としており、天井には平らな木の梁が見られます。これは当時のルネサンス建築において新しい試みであり、ゴシック様式の尖った天井とは対照的です。
3. **旧聖具室(Sagrestia Vecchia)**:
- 旧聖具室は、ブルネレスキによって設計され、ルネサンス建築の傑作とされています。この八角形の部屋は、シンプルでありながら調和のとれた空間を持ち、ルネサンス期の比例とバランスの美学を象徴しています。
- 内部には、ブルネレスキの親友であり協力者であったドナテッロが手掛けた彫刻や装飾が施されています。ドナテッロの「聖ジョヴァンニ洗礼者像」などがこの聖具室に置かれています。
メディチ家との関わり
サン・ロレンツォ教会は、メディチ家の霊廟としても重要な役割を果たしました。教会内の多くの部分がメディチ家の支援によって建設されており、彼らの墓所が教会内に多数存在します。
1. **メディチ家の礼拝堂**:
- 教会に隣接するメディチ家の礼拝堂(Cappelle Medicee)は、メディチ家のための墓所として設計され、後に壮麗な「王家の礼拝堂」と「新聖具室」が建設されました。
2. **コジモ・デ・メディチの墓**:
- サン・ロレンツォ教会の地下にあるクリプト(地下納骨堂)には、コジモ・デ・メディチの墓があります。彼はフィレンツェの事実上の支配者として、教会の建設に多大な貢献をした人物であり、彼の墓は「祖国の父(Pater Patriae)」としてフィレンツェ市民から敬意を表されています。
芸術作品と装飾
サン・ロレンツォ教会には、ルネサンス期の重要な芸術作品が多数収蔵されています。特に注目すべきは、ドナテッロによる作品や、ミケランジェロによる新聖具室の彫刻です。また、教会内の礼拝堂には多くのフレスコ画や祭壇画があり、ルネサンス美術を代表する作品群が鑑賞できます。
文化的意義
サン・ロレンツォ教会は、フィレンツェにおけるルネサンスの発展を象徴する重要な建築物であり、メディチ家の歴史やフィレンツェの文化的遺産を深く理解するための鍵となる場所です。この教会を訪れることで、フィレンツェがルネサンス期においてどのようにして芸術と文化の中心地となったのかを知ることができます。
フィレンツェを訪れる際には、サン・ロレンツォ教会は必見のスポットであり、その歴史的・芸術的価値をぜひ体感してみてください。
フードコート 11:15 - 12:00
アカデミア美術館 12:15 - 13:45
アカデミア美術館(Galleria dell'Accademia)は、イタリア・フィレンツェにある世界的に有名な美術館で、特にミケランジェロの彫刻作品「ダビデ像」を所蔵していることで知られています。この美術館は、ルネサンス芸術の宝庫であり、フィレンツェを訪れる際には必ず立ち寄るべき場所の一つです。
美術館の歴史
アカデミア美術館は、1784年にトスカーナ大公レオポルドによって設立されました。当初は、フィレンツェの芸術学校(アカデミア・ディ・ベッレ・アルティ、Accademia di Belle Arti)の学生たちに優れた美術作品を提供し、彼らの教育を支援する目的で開館されました。そのため、当初はアカデミアと密接に連携しており、学生たちが実際に芸術作品を観察し、学ぶための施設でした。
19世紀後半には、アカデミア美術館は一般にも開放され、今日では世界中から多くの観光客が訪れる主要な観光地となっています。
主要なコレクションと展示品
1. **ダビデ像(Michelangelo's David)**:
- アカデミア美術館で最も有名な展示品が、ミケランジェロの「ダビデ像」です。この大理石彫刻は1501年から1504年にかけて制作され、高さ5.17メートルの巨大な作品です。ダビデ像は旧約聖書の英雄ダビデが、ゴリアテに立ち向かう直前の緊張感を表現したもので、その完璧なプロポーションと細部までの写実性から、ルネサンス彫刻の最高傑作とされています。
- この彫刻はもともとフィレンツェ市庁舎前のシニョーリア広場に設置されていましたが、1882年に保護のためにアカデミア美術館に移されました。現在、ダビデ像は美術館内の特別なギャラリーに展示され、自然光が差し込むドーム型の天井の下で鑑賞することができます。
2. **未完の奴隷像(Prigioni)**:
- ミケランジェロの「未完の奴隷像」もアカデミア美術館の重要なコレクションです。これらの彫刻群は、もともとローマのサン・ピエトロ大聖堂のために制作されたもので、完成には至りませんでした。彫刻の一部が未完成であるため、「アトランティックの奴隷」や「覚醒する奴隷」としても知られ、まるで石の中から人間が解放される過程が表現されています。これらの作品は、ミケランジェロの独特な彫刻技法と、彼の創造的なプロセスを理解するための貴重な資料です。
3. **その他の彫刻作品**:
- アカデミア美術館には、ミケランジェロ以外のルネサンス期の彫刻家による作品も多数収蔵されています。例えば、ヤコポ・サンスヴィーノやベネデット・ダ・ロヴェレッツォなどの彫刻が展示されています。
4. **フィレンツェ絵画学校の作品**:
- 美術館内には、フィレンツェ絵画学校(Scuola Fiorentina)の作品も多数展示されています。これには、14世紀から16世紀にかけて制作された宗教画が含まれ、ルネサンス初期から盛期にかけての絵画の発展を追うことができます。特に、フィリッポ・リッピやアンドレア・デル・サルト、ペルジーノなどの作品が展示されています。
5. **ゴシックからルネサンスへの移行期の作品**:
- アカデミア美術館では、ゴシック様式からルネサンス様式への移行を示す作品も多く展示されています。これにより、ヨーロッパ美術史における重要な変革期を理解することができます。
6. **楽器博物館**:
- アカデミア美術館には、フィレンツェの音楽史に関連するコレクションを展示する楽器博物館も併設されています。ここでは、ストラディヴァリウスのバイオリンや、メディチ家が所有していた楽器など、歴史的に貴重な楽器を鑑賞することができます。
美術館の建物と空間
アカデミア美術館の建物は、18世紀末に設立されたフィレンツェの芸術アカデミーの一部として設計されました。美術館は広々としたギャラリーや彫刻専用の展示室を備えており、訪れる者が作品をじっくりと鑑賞できるようになっています。特に、ダビデ像が展示されているホールは、訪問者にとって感動的な体験を提供するよう設計されています。
文化的意義
アカデミア美術館は、フィレンツェがルネサンス芸術の中心地として果たした役割を示す重要な文化施設です。ミケランジェロの作品をはじめとする多数のルネサンス美術の傑作がここに集められており、訪れる人々はフィレンツェが生んだ芸術の栄光を直に感じることができます。
訪問のポイント
アカデミア美術館は、年間を通じて世界中から多くの観光客が訪れるため、特に混雑が予想されるシーズンには、事前にオンラインでチケットを購入することをおすすめします。館内は撮影が制限されているエリアがあるため、ガイドラインに従って鑑賞を楽しむことが重要です。
アカデミア美術館は、フィレンツェのルネサンス芸術を代表する作品群を堪能できる場所であり、その歴史的・芸術的価値をぜひ体感してみてください。
ダンテの偉業を尋ねる旅
サンタ・トリニタ橋:詩人ダンテとフィレンツェ、ベアトリーチェとの出会い 14:15 - 14:45
ダンテ (Dante Alighieri 1265 - 1321)は、中世イタリアの代表的な詩人、作家、哲学者です。フィレンツェで生まれ、フィレンツェでベアトリーチェに恋し、フィレンツェを追放され、二度とフィレンツェに戻ることはありませんでした。
ダンテは、1265年頃、金融業を営む教皇派(ゲルフ)の小貴族の父アリギエーロ・ディ・ベッリンチョーネ(Alaghiero di Bellincione)とその妻ベッラ(Bella)の息子として生まれました。最愛の女性、ベアトリーチェとの最初の出会いは9歳のときでした。
ダンテは、父に連れられて、ポルティナーリ家で催された春の祭り(Calendimaggio)に行きました。ここで、同い年の少女ベアトリーチェ・ポルティナーリに出会い、一目で恋に落ちてしまったのです。ベアトリーチェへの愛を歌ったダンテの詩集『新生』 ( La Vita Nuova )には、この最初の出会いの様子が次のように述べられています。
その方は九歳になりそめたころわたしの前にあらわれ、わたしは九歳をおえようとするころその方を見かけたのである。高貴な血のような紅の、すなおで、つつましやかな色どりの服を身にまとい、ベルトをしめ、あどけない年ごろに似合いの身なりをしていた。げにこの刹那、心臓の深奥の室に住むわが生命の霊ははげしくわななき、鼓動は血管のすみずみにまで怖ろしいほど感じられた。(平川祐弘訳『新生』第2章より)
それ以来、ダンテの心はベアトリーチェへの愛に満たされ、片時も彼女を忘れることはありませんでした。ダンテがベアトリーチェと再会するのは、それから9年後、18歳になった時でした。アルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋のたもとで、友人二人と連れだって歩くベアトリーチェと偶然出会ったのでした。このとき、ベアトリーチェはダンテに気づいて軽く会釈しましたが、それ以上の会話が交わされることはありませんでした。しかし、ダンテはベアトリーチェとの再会に深く感動し、自室に戻ってから彼女の夢を見、ベアトリーチェへの恋心を激しく燃やしたのです。『新生』には、このときの様子が次のように述べられています。
それからかっきり九年の歳月が経ち、その最後の日がまさに過ぎようとした日に、この奇跡的な女性がまたも眼前にあらわれたのである。純白の衣服をまとい、二人の、やや年上の婦人の間にはさまれて、わたしの前を過ぎて行く。そして道を進みながら、わたしのいる方へと眼を向けた。わたしはひどくどぎまぎしたが、女性はあの得もいわれぬ優雅な物腰でいかにも上品にわたしに会釈した。それだからその時わたしはもう至福のかぎりを見たと思った。あの方の甘美なご挨拶がわたしにとどいたときは、その日の第九時かっきりであった。そしてその時こそ、あの方が声を発し、その声がわたしの耳にとどいた初めであった。わたしは嬉しさのあまりなかば酔いしれた心地となって人々の群れを離れ、部屋に戻って一人きりとじこもると、あの優雅な女性のことをじっと思いつめはじめた。(平川祐弘訳『新生』第2章より)
後に、画家のHenry Holidayは、アルノ川のほとりでのダンテとベアトリーチェの出会いの場面を油絵で描いています。場面設定は、アルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋 (Ponte Santa Trinita)のほとり、背後にはヴェッキオ橋 (Ponte Vecchio)が見えています。橋の横を3人の若い女性が歩いてきます。中央の女性が白いドレスを着たベアトリーチェ(Beatrice Portinari)、左側にはベアトリーチェの友達のモンナ・ヴァンナ(Monna Vanna)、右側には少し後れてベアトリーチェの召使いの女性。右側、橋の欄干に手をついてベアトリーチェをじっと見つめるのは、ダンテ。ベアトリーチェはダンテを見ることなく前方に眼を向け、ダンテを見つめるのは、ベアトリーチェの女友達のモンナと召使いの女性だけ。これは、ダンテがベアトリーチェへの恋心を他人に悟られないよう、別の二人の女性に恋文を送ったという逸話をもとに作った構図とも考えられます。ダンテがベアトリーチェと出会った場所が、サンタ・トリニタ橋だったかどうかはわかりません。ダンテが生きていた頃、この橋はまだなかったという歴史的な証拠もあるようです。ただ、ヴェッキオ橋を遠景とするアルノ川の河畔で出会ったというストーリーは、いかにもロマンティックな場面のように思われます。
サンタ・トリニタ橋(Ponte Santa Trinita)は、フィレンツェのアルノ川に架かる美しいルネッサンス様式の橋です。この橋は、1567年から1569年にかけて建築家バルトロメオ・アンマナーティによって建設されました³。サンタ・トリニタ橋は、世界で最も古い楕円アーチ橋として知られています。3つの平坦な楕円アーチが特徴で、その優雅な外観が多くの人々を魅了しています³。橋の両端には「四季の彫像」があり、これらは1608年にメディチ家のコジモ2世とオーストリアのマリア・マッダレーナの結婚を祝って設置されました³。
(注)ダンテ・アリギエーリが生きていた時代(1265年 - 1321年)には、サンタ・トリニタ橋(Ponte Santa Trinita)は存在していました。初代のサンタ・トリニタ橋は、1252年にアルノ川に架けられた木製の橋でした。しかし、橋はしばしば洪水によって破壊されました。その後、1333年の大洪水で完全に破壊され、1346年に石造りの橋として再建されました。つまり、ダンテが生きていた時代には、サンタ・トリニタ橋は存在しており、彼がその橋を渡ったり目にした可能性は十分にありますが、その後の洪水や再建もまた彼の死後の出来事でした。
フィレンツェのダンテアリギエーリツアー
ダンテ『神曲』とイタリア・ルネサンス 高階 秀爾
INFERNO - Official Trailer (HD) 映画『インフェルノ』予告編
サンタ・クローチェ教会前に立つダンテ像
ダンテ生誕600年を記念して設置された,エンリコ・バッジによるダンテ像(Monumento a Dante Alighie)。フィレンツェで見かける他のダンテと違い,若々しく精悍なマスク。現在は,サンタ・クローチェ教会前の石段に置かれていますが,かつてはサンテ・クローチェ広場の中央にありました。ダンテ・アリギエーリの記念碑はサンタ・クローチェ教会の正面左手にありますが、最初はサンタ・クローチェ広場のセンターポジションにありました。しかし、広場でフィレンツェの四つの地区対抗の古式サッカーが毎年6月に開催されるようになると、フィールドの真ん中にで~んと立つ大理石の記念碑は双方のチームから27人づつ出場する男たちが入り乱れ掴み合い果ては殴りあいになってかなり危険になるため、現在の位置に移設されました。体育会系の男たちの乱闘シーンを文科系のダンテは台座の上の高い位置から苦々しい思いで広場の方に顔を向け、野蛮で知性のない男らだと睨みつけているように見えます。
サンタ・クローチェ教会 15:00 - 15:45
サンタ・クローチェ教会(Basilica di Santa Croce)は、イタリアのフィレンツェにあるゴシック様式の大聖堂で、フランチェスコ会によって建てられました。教会の名称「サンタ・クローチェ」は「聖なる十字架」を意味し、1294年に建設が開始され、1385年に完成しました。教会はフランチェスコ会の信仰の中心地であり、フィレンツェの最も重要な宗教的・歴史的な場所の一つです。
建築様式と特徴
- **建築様式**: サンタ・クローチェ教会はイタリアン・ゴシック様式で建てられています。外観はシンプルなレンガ造りで、白い大理石のファサードが特徴的です。このファサードは19世紀にネオゴシック様式で改築されました。
- **内部構造**: 内部は広々とした三廊式のバシリカ形式で、天井が高く、壮麗なステンドグラスが特徴です。中央の祭壇には重要な宗教的絵画が飾られています。
著名な墓所
サンタ・クローチェ教会は「イタリアのパンテオン」とも呼ばれており、多くの著名なイタリア人が埋葬されています。以下はその一部です。
- **ミケランジェロ**: ルネサンスの巨匠。彼の墓はヴァザーリによって設計されました。
- **ガリレオ・ガリレイ**: 科学革命を代表する天文学者であり物理学者。
- **マキャヴェッリ**: 政治思想家であり、『君主論』の著者。
- **ロッシーニ**: 著名な作曲家。
その他の重要な要素
- **フレスコ画**: サンタ・クローチェ教会の内部には、ルネサンス期の著名な画家ジョットによるフレスコ画が多く残されています。これらの作品は、特にキリストの受難と聖フランチェスコの生涯を描いています。
- **パッツィ礼拝堂**: ブルネッレスキが設計したこの礼拝堂は、ルネサンス建築の傑作とされています。
サンタ・クローチェ教会は、フィレンツェの文化と歴史を象徴する場所であり、宗教的な巡礼地としてだけでなく、芸術や建築の愛好者にとっても重要な訪問地となっています。
ダンテ・アリギエーリとサンタ・クローチェ教会(Basilica di Santa Croce)の関係は、直接的というよりは象徴的で、ダンテの遺産とフィレンツェの文化的遺産を結びつける重要な要素として知られています。以下に、ダンテとサンタ・クローチェ教会の関係について詳しく説明します。
ダンテ・アリギエーリの生涯とフィレンツェ
- **生涯と追放**: ダンテは1265年にフィレンツェで生まれ、若い頃から詩作に励みましたが、政治的な活動にも関わり、グエルフィ派(教皇派)の一員として活動していました。しかし、フィレンツェの政治的対立に巻き込まれ、1302年に追放され、故郷に戻ることなく他の都市で生涯を終えました。そのため、ダンテはフィレンツェを強く愛しながらも、彼の生涯の大部分をフィレンツェ以外の場所で過ごさなければならなかったのです。
サンタ・クローチェ教会との関連
- **記念墓碑**: ダンテの死後、彼の遺体はラヴェンナに埋葬されましたが、フィレンツェの市民は彼を非常に敬愛し、何度も遺体の返還を求めました。その結果、サンタ・クローチェ教会にはダンテを記念する墓碑(ケノタフ)が設置されました。この記念碑は、実際には遺体が収められていない象徴的なもので、フィレンツェ市民によるダンテへの尊敬の念を表しています。記念碑は、19世紀に彫刻家ステファノ・リッチによって作られ、教会の右側の礼拝堂に置かれています。
- **ルネサンス期の文化的シンボル**: サンタ・クローチェ教会は、ルネサンス期におけるフィレンツェの文化的象徴の一つであり、ダンテがルネサンスの文学に与えた影響を象徴する場所でもあります。教会には他にも多くのルネサンスの偉大な人物が埋葬されており、ダンテの記念碑はその中心的な存在です。
教会のフレスコ画とダンテ
- **ジョットのフレスコ画**: サンタ・クローチェ教会内には、ジョットによる聖フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画があります。これらのフレスコ画は、ダンテがまだフィレンツェに住んでいた頃に制作されたもので、ダンテがこれらの作品を見ていた可能性が高いと考えられています。ジョットとダンテは共にフィレンツェの文化的巨人であり、彼らの作品はフィレンツェの芸術と文学の黄金時代を象徴しています。
サンタ・クローチェ教会とダンテの遺産
- **フィレンツェとダンテの和解**: ダンテの死後、フィレンツェ市は彼を追放したことを後悔し、彼の名誉回復のために努力しました。サンタ・クローチェ教会におけるダンテの記念碑の設置は、その象徴的な一環です。また、フィレンツェ市は定期的にダンテを記念する行事をサンタ・クローチェ教会で開催し、彼の文学的遺産を称え続けています。
ダンテとサンタ・クローチェ教会の文化的意義
- **観光と巡礼地**: 今日、サンタ・クローチェ教会はフィレンツェを訪れる観光客やダンテのファンにとって、重要な訪問地となっています。教会内にあるダンテの記念碑は、多くの人々がダンテの生涯と作品を思い起こし、彼の遺産に敬意を表する場所となっています。
サンタ・クローチェ教会とダンテ・アリギエーリの関係は、フィレンツェの文化と歴史に深く根ざしており、ダンテが生涯を通じて追求した文学的理想とフィレンツェ市の誇りが交差する象徴的な場所です。この教会は、ダンテの影響を受けた多くの芸術作品や記念碑とともに、彼の不朽の遺産を伝える役割を果たしています。
ダンテ博物館(ダンテの生家) 16:00 - 17:00
**ダンテの家博物館(Museo Casa di Dante)**は、イタリアのフィレンツェにある博物館で、中世の詩人ダンテ・アリギエーリの生涯と作品に焦点を当てています。この博物館は、ダンテが生まれたとされる家に位置しており、彼の遺産を称える重要な文化施設となっています。
歴史的背景
- **ダンテ・アリギエーリ**: ダンテは1265年にフィレンツェで生まれ、『神曲』という文学の傑作で知られています。彼の作品は、イタリア文学の礎を築き、ルネサンス時代に大きな影響を与えました。
- **博物館の設立**: Museo Casa di Danteは、1911年にダンテの生誕地を記念して設立されました。ただし、現在の建物は当時の家ではなく、近代に復元されたものです。
博物館の構成と展示
博物館は三階建てで、各階にはダンテの生涯、作品、フィレンツェの歴史、そして彼が影響を受けた人物や時代についての展示が行われています。
1. **一階**:
- ダンテの家族や生誕に関する情報を展示しています。彼の生誕時代のフィレンツェの都市構造や政治的背景についても学べます。
2. **二階**:
- ダンテの青年期から彼の政治活動に至るまでの生活を展示。彼がフィレンツェから追放される経緯や、彼の作品に対する影響を紹介しています。
3. **三階**:
- ダンテの文学作品、とりわけ『神曲』に焦点を当てています。『神曲』の各章や、地獄、煉獄、天国といった作品内の象徴的な場面が展示され、彼の文学的な功績を深く理解できるようになっています。
特別展示
- **『神曲』の写本と挿絵**: 博物館では、歴史的な写本や挿絵、またダンテの影響を受けた後世の芸術家たちによる作品が展示されています。
- **フィレンツェの中世の生活**: ダンテの生きた時代のフィレンツェに関する歴史的資料も豊富に展示されており、都市の発展や当時の生活様式を理解するのに役立ちます。
教育的活動
Museo Casa di Danteでは、ダンテに関する教育プログラムやワークショップが定期的に開催されています。これらは特に学生や研究者に人気があり、ダンテの作品とその歴史的背景をより深く学ぶ機会を提供しています。
場所とアクセス
- **所在地**: Museo Casa di Danteは、フィレンツェの市内中心部、ダンテが実際に生まれ育ったとされる地区に位置しています。市内の主要観光地からも徒歩でアクセスできる便利な場所にあります。
ダンテの家博物館は、ダンテ・アリギエーリのファンや中世文学の愛好者にとって必見のスポットであり、フィレンツェの豊かな文化遺産を探る絶好の機会を提供しています。
参考サイト:没後700年、『神曲』の作者ダンテと歩くイタリア① ~フィレンツェ編
サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会
**サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会(Chiesa di Santa Margherita dei Cerchi)**は、イタリアのフィレンツェにある小さな歴史的教会で、特にダンテ・アリギエーリとの関連で有名です。この教会は、フィレンツェの旧市街の中心部に位置し、その歴史と文学的な繋がりから訪れる人々にとって特別な場所となっています。
歴史的背景
- **建設**: サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会の創建は、11世紀に遡ります。元々は小さな教区教会として建設され、その後、13世紀に再建されました。教会の名前は、チェルキ家というフィレンツェの名家に由来しています。
- **ダンテとの関連**: この教会は、詩人ダンテ・アリギエーリがベアトリーチェ・ポルティナリに出会った場所として知られています。ベアトリーチェはダンテの『神曲』において彼の精神的なミューズとして描かれています。また、ダンテが結婚した妻、ジェンマ・ドナーティの家族もこの教会を利用していたと伝えられています。
教会の内部
- **ベアトリーチェの記念碑**: 教会内部には、ベアトリーチェ・ポルティナリの記念碑が設けられています。多くの訪問者がここでベアトリーチェの霊に祈りを捧げたり、彼女に宛てた手紙を残したりしています。
- **簡素なインテリア**: 教会の内部は非常にシンプルで、ゴシック様式の特徴を持つ石造りの構造が際立っています。教会は比較的小規模で、祈りや瞑想に適した静かな空間を提供しています。
ベアトリーチェの墓
- **伝説と事実**: 一部の伝説では、ベアトリーチェ・ポルティナリがこの教会に埋葬されているとされていますが、実際の彼女の墓は別の場所にある可能性が高いと考えられています。しかし、この教会はベアトリーチェとの強い関連から、多くのダンテのファンや観光客が訪れる場所となっています。
訪問と文化的意義
- **文学的巡礼地**: サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会は、ダンテ・アリギエーリとベアトリーチェ・ポルティナリに関連するフィレンツェの文学的巡礼地の一つとして知られています。ダンテの生涯や作品に興味を持つ訪問者にとって、この教会は非常に重要な場所です。
- **アクセス**: 教会はフィレンツェの旧市街に位置しており、他の主要観光スポットからも徒歩圏内にあります。特にフィレンツェの中心部を散策する中で立ち寄ることが容易です。
サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会は、フィレンツェの歴史的・文化的な遺産の一部であり、ダンテ・アリギエーリとの深い繋がりから、多くの訪問者にとって特別な意味を持つ場所です。その簡素で静かな環境は、文学的な歴史を感じながら祈りや瞑想を行うのに理想的な場所となっています。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanni(9月3日に行く)
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)は、フィレンツェのドゥオーモ広場に位置する歴史的な宗教建築物です。この洗礼堂は、フィレンツェで最も古い建物の一つで、4世紀から5世紀にかけて建設されたとされています³⁴。洗礼堂は八角形の形をしており、外壁は白と緑の大理石で装飾されています。内部には、13世紀に制作された美しいビザンチン様式のモザイクがあり、特に天井の「最後の審判」のモザイクは見どころの一つです³⁴。ダンテが生まれた翌年の1266年3月26日、ダンテはサン・ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受けたと、フィレンツェ市の記録に残っています。のちに『神曲』地獄篇第19歌の中でも「麗しの我がサン・ジョヴァンニ」と表現しています。
歴史的背景
- **建設**: サン・ジョヴァンニ洗礼堂の建設は4世紀から5世紀に遡ると言われていますが、現在の形は11世紀に完成したものです。ローマ時代の神殿跡に建てられたとする説もあります。
- **献堂**: この洗礼堂は、洗礼者ヨハネ(サン・ジョヴァンニ)に捧げられました。フィレンツェ市民の多くがここで洗礼を受け、洗礼者ヨハネはフィレンツェの守護聖人とされています。
建築様式と構造
- **ロマネスク様式**: 洗礼堂の建築はロマネスク様式で、八角形の構造が特徴です。この八角形はキリスト教において新しい始まりを象徴しています。
- **外観**: 外壁は緑と白の大理石で覆われており、フィレンツェの伝統的な建築スタイルを反映しています。美しい幾何学模様と対称的なデザインが際立っています。
- **クーポラ**: 洗礼堂の中央には、大きなクーポラ(ドーム)があり、内部を明るく照らします。このクーポラもまた八角形で、内部には精緻なモザイクが施されています。
主な芸術作品
サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、フィレンツェのルネサンス芸術の宝庫としても知られています。特に注目すべき作品には以下のものがあります。
1. **「天国の門」(La Porta del Paradiso)**:
- **作者**: ロレンツォ・ギベルティによるブロンズ製の扉です。
- **特徴**: この扉には旧約聖書の物語が描かれており、特に「アダムとイブの創造」「モーセの十戒」などの場面が美しく表現されています。「天国の門」という名前はミケランジェロが「この扉は天国のように美しい」と評したことに由来しています。
- **場所**: 北側に位置するこの扉は、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の正面にあり、多くの観光客がその美しさを堪能します。
2. **「南の扉」**:
- **作者**: アンドレア・ピサーノが制作した扉です。
- **特徴**: この扉には洗礼者ヨハネの生涯を描いたレリーフが施されており、非常に細かい彫刻が特徴です。
3. **「北の扉」**:
- **作者**: ロレンツォ・ギベルティが手がけたもう一つの扉です。
- **特徴**: 新約聖書の場面が描かれており、ギベルティの技術がいかに優れていたかを物語っています。
内部装飾
- **モザイク天井**: 洗礼堂の内部は、ビザンチン様式の豪華なモザイクで覆われています。特にクーポラの天井には、最後の審判の場面が描かれており、キリストが中央に座り、天使や聖人、悪魔が周囲を囲んでいます。このモザイクは、12世紀から13世紀にかけて制作され、驚くほど細かく描かれています。
- **大理石の床**: 床は大理石でできた幾何学模様が施されており、訪れる人々を魅了します。この床もまた、フィレンツェの豊かな芸術的遺産を象徴するものです。
宗教的および文化的意義
サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、フィレンツェ市民にとって宗教的な重要性を持つだけでなく、芸術と文化の象徴としても高く評価されています。多くのルネサンスの巨匠たちが、この洗礼堂で洗礼を受けたと言われており、フィレンツェの歴史における重要な場所となっています。
訪問情報
- **場所**: サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、フィレンツェの中心部、ドゥオーモ広場に位置しており、観光客にとって非常にアクセスしやすい場所にあります。
- **見学**: 洗礼堂は、フィレンツェを訪れる人々にとって必見の場所であり、その美しい建築と芸術作品は、多くの観光客に感銘を与えています。
中央市場でお土産を買い、夕食をとる 17:30 - 18:30
12番線のバスでミケランジェロ広場へ 18:45 - 19:00
バス12番線に乗って、サンタ・マリア・ノヴェラ駅からミケランジェロ広場へ行きます。12番バスの運行ルートは、下のGoogle Mapに示すとおりです。このマップは、バスの公式サイトの情報に基づいて、私が独自に作成したものです。公開されている正確な路線マップは、これが世界初ではないかと思います。これがあると、フィレンツェでのバスの乗り方が飛躍的に便利になると思います。公式のスマホアプリ at bus と合わせて、フィレンツェの街歩きにフルに活用したいと思います。C1、C2、C3など、観光スポットを巡る他の主要なバス路線についても、同様のGoogle Mapを鋭意作成したいと思っていますので、どうお楽しみに!他で公開されている固定された画像ファイルとは違い、Google Mapなので拡大縮小移動などが自由にできるので、たいへん便利です。フィレンツェが世界的な観光地であることを考えると、今まで、こういうマップを誰も作成していなかった(あるいは公開していなかった)のは、驚きです。
なお、ミケランジェロ広場から出ているバスとしては、13番線もありますが、この路線は市街地の東側から北側を通って、サンタ・マリア・ノヴェラ駅まで運行しているもので、途中、観光スポットを通ることはありません。したがって、一般市民以外にはおすすめできない路線ということになります。これに乗るくらいなら、歩いてヴェッキオ橋に向かって行く方がはるかに楽しいでしょう。ですから、市の中心部とミケランジェロ広場を結ぶバスに乗るなら、12番線一択と考えた方がいいと思います。いざという時は、タクシーを呼ぶという最後の手段を考えておきましょう。
ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)は、イタリアのフィレンツェに位置する有名な観光スポットです。この広場は、19世紀にフィレンツェの都市計画者であるジュゼッペ・ポッジ(Giuseppe Poggi)によって設計され、1869年に完成しました。広場の目的は、ミケランジェロの作品を称えることであり、広場の中心には彼の有名なダビデ像のブロンズ製レプリカが設置されています。
特徴と見どころ
1. **パノラマビュー**: ミケランジェロ広場は、アルノ川を見下ろす丘の上に位置しており、フィレンツェの市街地やその背景に広がるトスカーナの田園風景を一望できます。ここからは、フィレンツェ大聖堂(ドゥオーモ)、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館、サンタ・クローチェ聖堂など、フィレンツェの主要なランドマークを眺めることができます。
2. **ダビデ像のレプリカ**: 広場の中央にあるダビデ像は、ミケランジェロのオリジナル彫刻を忠実に再現したもので、ブロンズで作られています。オリジナルはアカデミア美術館に収蔵されていますが、この広場にあるレプリカも観光客に人気です。
3. **夕焼けスポット**: 広場は、特に夕方に多くの人が訪れる場所として知られており、フィレンツェ市街地が夕日に染まる美しい光景を楽しむことができます。
4. **アクセス**: 市内中心部からバスで簡単にアクセスできるほか、徒歩でも行くことができます。特に、フィレンツェのオルサンミケーレ教会からの登り坂は、街の魅力的な景観を楽しみながら歩くことができます。
5. **土産物屋とレストラン**: 広場周辺には多くの土産物店やカフェがあり、訪れる人々は休憩しながらフィレンツェの風景を楽しむことができます。
歴史的背景
ミケランジェロ広場は、フィレンツェ市が新たな都市拡張を計画していた時期に設計されました。当時の計画には、フィレンツェの芸術と文化の遺産を広めるための象徴的なスポットを作るという目的がありました。広場自体がまるで巨大なテラスのようで、都市と自然の美しさを最大限に引き出す設計となっています。
このように、ミケランジェロ広場はフィレンツェの美しさを楽しむための絶好の場所であり、芸術と自然が融合した特別なスポットとして多くの観光客に愛されています。
ミケランジェロ広場の夕景 19:00 - 21:00
フィレンツェの最後は、ミケランジェロ広場へ登り、世にも美しい夕日を浴びたフィレンツェをゆっくりと眺めることにしたいと思います。アルノ川対岸のPescaia Di Santa Rosaという12番バス停でバスに乗って行きます(18:15 - 18:30)。
参考サイト:「フィレンツェの赤屋根を夕陽が照らす!ミケランジェロ広場は絶景サンセットスポット」(トラベルjp)
https://www.travel.co.jp/guide/article/27846/
ヨーロッパは日没の時間が夏と冬で大きく変わるので、事前にネットで、正確なその日の日没時間を調べておくと良いでしょう。ちなみに、7月のフィレンツェの日没は夜8時30分前後です。
ミケランジェロ広場から見た日没は、きっと、フィレンツェ旅行で心に残る思い出の1つになるはず。お得な無料スポットでこれだけ楽しめるのだから、絶対行くべき!
世界中のツーリスト達と一緒に、花の都フィレンツェを染める夕焼けを見るという一体感を是非味わってみて下さい。(トラベルjpより)
Climb to Piazzale Michelangelo: If it isn't too hot, walk up to Piazzale Michelangelo for breathtaking panoramic views of Florence. It's especially magical during sunset, providing a perfect backdrop for memorable photos. Nearby is San Miniato al Monte, an amazing church with a cool dark interior and crypt, as well as surrounding gardens with shady trails.
日本語訳:
ミケランジェロ広場に登る : 暑すぎなければ、ミケランジェロ広場まで歩いてフィレンツェの素晴らしいパノラマの景色を眺めましょう。特に日没時は幻想的で、思い出に残る写真を撮るのに最適な背景となります。近くには、サン ミニアート アル モンテ教会があります。この教会は、涼しく暗い内部と地下室があり、日陰の小道のある庭園を囲んでいます。